人魚姫の怒り
竜宮城(とジークフリートは心の中で名付けた)の正門は、近づくととても大きく、ジークフリートの180cmある背丈も、ゆうに超えていた。
黒々とした柱は、漆だろうか。海面から僅かに海底にも差し込む鈍い陽光が当たっている箇所が、赤く細かな粒子を持って煌めいている。
ジークフリートは泡の中で薄く唇を開き、息をゆっくりと吐きながら、竜宮城を見上げていた。唖然とした感動しか、胸の中に溢れてこない。柱の前まで近寄ると、そっと片腕を上げて指先で触れた。確かな感触に、これが夢ではないことを知る。
(まさか、俺たちが今まで遊び、泳ぎ、戦ってきた海の底に、こんなでかいジャポニズムの城があったなんてな。誰が予想できただろうか)
「ジーク。こっちに」
ブリュンヒルデが呼ぶ声が、泡の向こうから聞こえてきた。それは海の上で聞いた彼女の声と、違った響きを伴っていた。声に、夜の月のような暈がついているように感じる。洞窟の中で響く音のように、反響してこちらに届いていた。
「わかった。……ブリュンヒルデ、俺の声も聞こえているか?」
ジークフリートはわざと大きな声で呼びかける。
ブリュンヒルデはゆるりと一回転すると、親指と人差し指で丸を作り、「聞こえているわよ」という合図を送ってくれた。
黒漆の門を潜ると、さらに大きな鉄製の扉の前に立った。隣には、ブリュンヒルデがいる。海の中を揺蕩っている彼女は、一見すると、空中を浮遊しているかのようで不思議だった。彼女のピンクサファイア色の尾鰭は、下から見上げると、地上で見た時よりも、うっすらとけぶる桜のように見える。それは鱗の重なりがそうさせているのか、海の中のフィルターがそう見せているのか、よくわからなかったが、とても幻想的で美しかった。
扉は開かない。
ジークフリートとブリュンヒルデは、立ち尽くすしかなかった。
(どうする……)
ジークフリートは悩んだ。そして、彼は傍で眉を顰めるブリュンヒルデのあどけない低い鼻と白い頬を見て、本来の目的は彼女を海へ返すことであったと改めて思い出す。
(なぜ、ブリュンヒルデは双子を奪還することを手伝ってくれているのだろう。このまま俺から離れて1人で消えれば、海に帰れるというのに、しかも人魚の群れもいたというのに)
ジークフリートはオパール色に輝くブリュンヒルデの眸を見つめていたが、そこからは彼女の思考は読み取れなかった。
彼が彼女に声をかけようとした刹那、ブリュンヒルデはグッと両拳を胸の前で強く握りしめると、眉を吊り上げ、尾鰭とふたつのおさげを逆立てた。
「もうっ、あったまきた!!」
先ほど白かった頬は、熟れた林檎のように真っ赤に染まっている。食いしばった白い歯の間から、泡が生まれ、海面へと上がっていく。
ジークフリートは唖然としていた。
ここまで怒っている彼女の姿を見るのは、出会ってから初めてだったからだ。
ブリュンヒルデは海に微量に漂っている空気をかき集めるように、すぅっと息を吸うと、
腹にためた空気を全て出すかのような大声を響かせた。
「たのもーーーー!!!!」
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