泡の守護

 もこもこと周囲にけぶるような白い砂ぼこりがわいていたが、それが徐々に収まると、ブリュンヒルデは己の型に掴まっているジークフリートの手の甲を、指先をめぐらせてとん、とん、と叩いた。

 

(降りろ、と?)

 

 ジークフリートはぱっちりとしたブリュンヒルデのオパール色の目を見つめ返した。

 ブリュンヒルデは、こくこくと頷く。

 確かに、もう海底は目と鼻の先で、ジークフリートの長い脚は今にも底に着きそうであった。

 そっと右足のつま先を海底に着地させる。僅かに砂埃が立ったが、やがてそれも沈んで馴染んでいく。

 ジークフリートがもう片方の足も着地させたのを合図に、ブリュンヒルデは彼の足の間から、すっと前へ泳ぎ、彼から離れた。彼女の尾鰭を纏うようにあぶくの粒が細かに立つ。ゆるりと海の中で一回転すると、片手を大きく広げ、自分がボートで、腕が櫂であるかのように、滑らかなその動きに、彼女が海の生物で、ここは彼女の国であり、これが本来の姿であることを、静かに思い知った。だとすれば、海から引き上げてから、自分はいかに彼女に対して酷なことをしていたのだろうと、罪悪感も込み上げる。それほど、美しい泳ぎ方であった。息をするように。

 そしてブリュンヒルデは、ジークフリートの目の前に、羽をたたんだ鳥のように舞い降りる。

 ジークフリートは彼女に「久々に泳げて、気持ちよかったか?」と尋ねようとした。だが、口を開きかけ、ここが海の中で、しかも深海だということを思い出す。海軍の彼でも、そろそろ息が限界だった。耳鳴りもする。

このままでは、双子を見つける前に、息が続かなくなり、溺死してしまうのではないか。

 そう危惧した時、ブリュンヒルデが彼の前にふっと顔を寄せた。そして、吐息をふーっと吹きかけた。誕生日ケーキの蝋燭を消す時の、リリューシュカの顔がその時頭をよぎった。

 彼女の窄めたくちびるから、巨大な風船のような泡が生まれる。はっとしたときには、もうその泡に、顔全体が飲まれていた。

 

「おい、これはーー」

 

 ジークフリートは空気の中で響く己の低い声を聞き取り、目を見開く。

 

(声が、響いている……?)

 

 横隔膜を動かして、大きく深呼吸をする。

 新鮮でほどよい温度の空気が肺を満たすのを感じた。

 呆然としていると、目の前でブリュンヒルデがくるりと一回転し、再び彼の前に顔を向け、にこりと笑う。

 ジークフリートはしばらくじっと彼女を見つめていたが、やがて鼻を鳴らすと「最初にこれをやってくれ」と笑った。

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