波乗り人魚

 アルベリヒとブレンが息を呑んで見守る中、

 ジークフリートとブリュンヒルデは手を繋いだまま、互いの半身を海水に浸した。


「……冷たいか」

「……ううん。前は夜の闇だったもの。今はお日様の下で、暖かいわ。へいき」

「……そうか」

 

 ブリュンヒルデは、ジークフリートを見上げてそっと微笑むと、すぐに真剣な顔になった。ブリュンヒルデは浜辺についている尾鰭をなめくじが這うようにうねうねと歩を進めた。彼女の腰が全てつかる位置までくると、海水が肌にどんどん馴染んでいく感覚になる。人魚にとって、海は元の住処。

文字どおり、水を得た魚である。 

 彼の手を引く彼女の白い手と腕が、蒼い水面に浸っていく。まだ深いところまで沈んでいないその腕は、海水に透けて薄青く見えていた。

 顎の先までを海水に浸す。後数センチでくちびるまでもが触れてしまいそうで心配になったが、そういえば彼女は水の中で息ができることを忘れていた。そんな自分に呆れた。

 耳の後ろから流れ、頬の下をゆったりと結われたみつあみが、ゆらりと海水の中で漂う。その様は、見下ろしていて、とても幻想的だった。淡い青の下を流れる、金のみつあみ。

 ゆるやかに揺れるたびに、早緑の光沢を、その編み目にまとう。たぷん、と水面をさざなみが打つ。ブリュンヒルデはその波に、片目を閉じた。


「ブリュンヒルデ、ここからどうやって行く。俺は……」

「私の肩に、あなたの手を載せて」

「? それはどういうことだ?」

 

 ジークフリートが少し驚いて首を落とすと、

 ブリュンヒルデはにこりと笑った。

 その笑顔が、陽光を彼女のもとに集めたように輝いていたので、ジークフリートは眩しさを覚え、わずかに瞼を伏せた。

 ブリュンヒルデは立ち止まるジークフリートの右手首をそっと掴んで取ると、海面から浮き上がって出ている己の白い肩にそっと触れさせた。


(掴めと?)

 

 彼女の意図を汲み取り切れておらず、訝しむ顔を見せるジークフリートを見上げ、ブリュンヒルデはさらに強く彼の腕を引いた。


「っおい!」

「いいから」

 

 ジークフリートはふいのことで、わずかに体制を崩し、海面の中の白い砂へ膝をつく。衝撃で跳ねた雫が、彼の着ていた軍服を濡らす。引かれた手は、ブリュンヒルデの肩へ回された。

 彼女を再び見ると、こくんとひとつ頷かれて、「肩に掴まって」と視線で合図される。

 突如、強い力で前へ引き寄せられると、一瞬浮遊感を感じた。

 

「うおっ!?」

 

 思わず喉の奥から低い声が漏れる。

 ブリュンヒルデが、イルカのように素早く海を泳いでいるのだと気づいたのは、彼女が彼を担いで沖まで泳いでからだった。

 あまりにも早いスピードで、ブリュンヒルデが泳いでいたので、跳ねる潮が目に入りそうになるのを防ぐため、ジークフリートは彼女が動き出してから、瞳を眇めていた。視界が開け、ようやく前方から来る風が、先ほどよりも穏やかになると、彼は瞳をゆっくりと開いた。

 開けた瞼の中に、ぴりっと痛みが走り、涙の膜が張るのを感じた。


 視界に広がるのは、紺碧一色。








 

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