小さな海の女神 

 とんとんとんとんとん。

 ジークフリートの背負った籠から、子君良いリズムで、誰かが壁を叩く音がする。

 

「ブリュンヒルデ?」

 

 ジークフリートは首を後ろに回らせて、背負い籠を見た。

 

「ジーク。私を海へ連れていって。あの子たちを助けたい」

「ブリュンヒルデ……! お前、何をーー」

「いいから早く!」


 彼女の声が、壁越しにくぐもって響いた。


「……わかった」

「あ、おい。ジーク!」


 アルベリヒの呼びかけも気にせず、堤防に片手をかけ、それを支点にしてぱっと全身を飛び上がらせる。ジークフリートは長い脚を交互に限界まで伸ばして、浜辺へと向かった。彼が地を蹴るたびに、白い砂が煌めいて舞い上がる。

 履いていた飴色の革のブーツの中にも、砂が入ってくる感触があった。

 浜辺に降り立つと、急に力を失って、呻き声を上げて倒れている人々や、呆然と海を見つめているだけの人々が周囲にたむろしていた。

 ジークフリートはそれを一瞥する。一人一人声をかけて、気遣ってやる時間がなかった。後はブレンやアルベリヒがなんとかしてくれるだろう。そう祈った。


「出てこい。ブリュンヒルデ」

 

 ジークフリートはしゃがんで籠をそっと降ろし、かけていたボタンを解いた。するとブリュンヒルデ自ら頭を上へ突き出し、籠の蓋を飛び開けた。

 目の前で星が散る。それはブリュンヒルデの髪の色だった。ふわりと舞い上がったそれは、どこまでも透き通るような金に、緑の光沢を緩やかに打っていた。

 

「ジーク」

「ブリュンヒルデ。ずっと鞄の中に閉じ込めていて申し訳なかった。辛かっただろう。久々に浴びる潮風はどうだ」

「うん……。すごく、気持ちいい」


 ブリュンヒルデは海の方を見ていた。

 ジークフリートは、彼女の大きな瞳と、白い桃のような頬を見つめていた。

 潮風がひときわ強く吹き、彼女のおさげが後ろへ向かって緩やかになびいた。きらきらと光の粒子を纏うそれは、これからの希望の色を示している。ジークフリートは切なく眉を寄せてそう神に願った。

 ブリュンヒルデがこちらを振り向いて、柔らかく微笑む。


「行こう」


 そして、ジークフリートに向かって白い手を伸ばした。彼を、海に導く女神のように。


「ああ」


 ジークフリートは無骨な腕を伸ばし、差し出された彼女の手を取った。大きさの一回り違うそのふたつの手を、陽光は等しく照らしていた。 

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