アオイの咆哮

 アオイの目の前には、全ての色鉛筆にセピアを垂らしたような色をしたクルワズリの街並み、そしてその建物の間の十字路からわらわらとこちらへやってくる、ゾンビ化したような街の人々が見えていた。

 アオイは恐怖で体が小刻みに震えているのを感じていたが、離れたところにいる姉の顔を見て、拳をぐっと握りしめた。

 その時、アオイの体の中から、ほのかに感じていたあたたかさが強くなり、やがて熱い湯の泉がこんこんと湧き出すような、力強い勇気が湧いてきた。姉が見ている。その事実だけで、アオイの凪いだ心は、火を灯す。

 人が迫ってくる。

 その顔は、何かを恐れるような、悲しむような顔をしていた。歌を聞いて、心地良さそうにする人の顔には見えなかった。もっとも、アオイは生まれてこの方、歌なんて、聞いたことがないから、想像の世界でしかないけれど。


(僕も人魚の歌声が、もしも聞こえていたら、この人たちのようになっていたのかもしれない)


 アオイは静かな想いに囚われていた。それは、舞来たる人が、彼に迫ってくるほんのわずかな時間であった。

 アオイは薄い瞼を半分閉じる。そして、近づいた人しかわからないほどに、わずかに口角を上げた。


 その声を、ジークフリートたちは聞いた。


 地上で話す、すべての人の声が、カップの底に固まったクリームだとするならば、その声は、カップの上部を漂うミルクのような、そんな声だった。確かな手触りはないが、てのひらに触れると心地いい、そんな声だった。

 

(アオイがあんな声張ってんの、初めて聞いた……)

 

 アカネが呆然とアオイの方を見ながら、そう呟いているのを傍に聞いた。


(アオイ……)

 

 ジークフリートたちも、アオイの方を見ながら、その声に五感の全てが惹きつけられていた。

 アオイは腹と喉が壊れるのではないかと思うほど、全身の力を使って叫んでいた。体をくの字に曲げ、麻呂眉を限界まで中央へ寄せ、

 口が裂けるのではないか、というほどに大きく口を開いて。

 人魚たちが放つ、ぼぉぉぉぉぉぉ、というふいごのような鳴き声が、アオイの叫びに散り散りになって溶けていくように、止んだ。

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