アオイ・タナカ

 アオイがジークフリートたちの前で披露したことを見て、彼らは唖然としていた。


「アオイくん」


 ブレンは思わず呟いた。

 アオイがそうするのを、彼はなんとなく予感していた。

 アオイが発した言葉は、不可解な響きを伴っていた。言葉をまあるく縄で囲おうとしているのだが、それがうまくいっていないかのような、そんな発音だった。それでも声変わりをしていない少年の透き通った声音は、伝わってくる。喉の奥で鳴らしたくぐもった声が、「あう、あう」と言った言葉の響きとなって表へ現れている。

 

 アオイは、耳の不自由な少年だった。

 聾者、人はそう呼ぶ。


 アオイが己の胸の前あたりまで上げた両手を、ゆっくりと動かす。指先がひくひくと動き始め、やがて何かを訴えるように、糸を紡ぐようにささやかながらも芯の強い動作を見せ始めた。

 

「手話?」

 

 ジークフリートが低く呟いた。

 アルベリヒはテーブルに片腕を乗せ、いつの間にか行儀悪く片脚も椅子に乗せていた。

 ブレンは、アオイが聾者であることに、他の者は衝撃を受けるのではないかと考えていたが、周囲の者は特に皆何かしら挙動不審になるといった態度は取っていなかった。

 こういった場合、どことなく変な距離を取ろうとする者が現れる。

 過剰に反応したり、関わりたくない、と氷のバリアーを張ったりする者が出てくる。だが、ジークフリートたちは驚きはしたようだったが、そこまで異質な者と出会ったという反応は見せていなかった。日常の中で、日常の人の個性の一つと出会った、というような、そんな呼吸をしていた。

 アオイは少し青くなった、ぽってりとしたくちびるを震わせながら、それでも指先で「言葉」を紡ごうとしていた。

 大人の男2人は、アオイが何を言おうとしているのかわからなかったが、アオイの瞳の水面を見つめていたブレンは、やがてうっすらとくちびるを開き、彼の真実を悟ろうとした。


「アオイくん。アカネちゃんに、もっとおでん食べさせてあげてって言ってるのかな?」

 

 ブレンが僅かにアオイにその身を近づけると、アオイは瞳を揺らし、こくこくと頷いた。

 




 


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