アカネ・タナカ
アカネがちくわの残部を箸でつまみ、頬を膨らませながら、ふうふうと吐息をかけているところ、ジークフリートがこちらをじっと見ている凪いだ視線を感じて、ちらと視線を移した。
「なんだ」
「美味かったか」
「美味かったけど、あちぃよっ! あんた、いっつもこんなもん食べてたのかよ。最初に説明しろ」
「そのちくわも、魚で出来ている」
「へ?」
「海で獲れる魚から作られている」
「そ、そうなんだ……。それは、知らなかったけど」
アカネはくちびるを窄めて肩を上げた。桜色だったくちびるは、熱い物を食べた影響であろうか、先ほどよりも赤く潤んでいる。そこにジークフリートは年頃の少女らしい血色の良さを感じた。
ーーリリューシュカがトマトスープを飲んだ後に見せるものと同じ色。
「海で獲った魚を擦り潰して団子にして丸めて伸ばして真中に空を入れたものがそれだ」
「けっ。ご丁寧なご説明、ありがとよ」
アカネがぶっきらぼうな顔をして視線を逸らす。なんとなく恥ずかしいのだろう。
少女の扱いは、妹との触れ合いで慣れているつもりだった。
「お前たちは何者だ」
アカネの大きな眸が、くるりとジークフリートの方を向く。先ほどと同じく、橙色のともしびが、ちらちらと埋み火のように彼女の目の奥で煌めいている。
ジークフリートはその瞳に、いつの日か仲間と共に戦場で囲んだ熾火を思い出していた。
鮮やかに赤く燃えているのに、奥の方では健康な木を黒い煤に変える激しい灯。
(この娘は勁(つよ)い)
ジークフリートはそう思った。
アカネは上唇を下唇で噛み締め、ジークフリートから視線を逸らして何かを考え込んでいたが、やがてその視線を隣のアオイへと移した。
アオイはアカネに見られていることに気づき、姉を見つめ返す。瞳だけで会話をするのが、この姉弟のコミュニケーションの取り方なのだろうか、とうっすらと考えたが、あることに気づいた。
(そういえば、このアオイという少年。出会ってから一度もちゃんと喋っているのを見たことがないーー)
ジークフリートが口を開く前に、アカネはアオイに向かって僅かに頷き、眉間に皺を寄せて威嚇する野良の黒猫のように彼を見上げた。
「……俺たちはアカネ・タナカと、アオイ・タナカ。このクルワズリの外れにある、錆びた村で米を耕して暮らす農家の双子だった。だが、ある夜、海の方から金切声みてぇな変な歌が響いてきて、それ以来、米が全然実らなくなってーー」
アカネはそこで、語尾を窄めた。掠れて涙声になっているのだと悟る。よっぽど辛い出来事だったのだろう。
ーーだが、『歌』?
ジークフリートは尋ねたい気持ちを必死で抑え、彼女の話に耳をすませた。
アオイが姉の腰にそっと右手を這わせる。優しくとんとんと背後で叩いているようだった。アオイも、アカネと同じだ。辛いのだろう。だが、気持ちが沈みゆく姉を慰めようとしている。姉と同じ、琥珀色の瞳には、表面に深い海の色がさっと塗られているように見えた。
アカネは再び顔を上げて、話の続きを紡いだ。
「クルワズリのお役人に献上しなきゃいけねえ分の米を、毎月渡せなくなって、それを説明して理解してくれなかったお役人に逆上されてーー。父ちゃんと母ちゃんは」
そこまで言って、アカネは耐えきれず、嗚咽をこぼすと、片手で口を抑えて俯いた。
くぐもった泣き声が、薄く開いた指の間から漏れる。アカネの大きな瞳を覆う瞼は伏せられ、その間からぽろぽろと大粒の涙が、ほのかに桜色の染まった白い頬を流れていった。
隙間から覗く琥珀の瞳からは光が失われ、代わりに絶望の色が灯されていた。
アカネのさやかな黒髪に顔を近づけたアオイが、すっと彼女の背中を撫でる。彼も麿眉を寄せ、くちびるを淡く噛み締め、瞳から光を失っていた。
(殺されたか、もしくは自死か)
アカネの話を聞いていた男たちは、皆頭の中でそう悟っていた。彼らも軍人である、世の中の非条理は、身に沁みてわかっていた。
(そうか。それで孤児となって、あんな盗人まがいの)
アオイはじっとアカネのことを見つめているだけである。
ブレンは、アオイが話せなくなったアカネを引き継いで話の続きを喋るのかと考えていたが、ブレンは薄橙色のくちびるをうっすらと開けただけで、言葉を紡ぐことはなかった。
アオイをじっと見守っていて、ブレンは一つの真実を確信する。
(やっぱり、アオイくんは……)
アオイの片手が姉から剥がれ、ゆっくりと上がっていく。
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