オデン 

 ジークフリートが閉じていた瞼をうっすらと開くと、店主が飴色の盆に陶器の釜を乗せて持ってきているところだった。

 陶器は薄い緑の地に、濃い緑の釉薬が、縦に塗られている。年月を感じさせる重厚なものだった。釜の蓋がわずかに開いており、そこから白い湯気が天井を濡らそうとするばかりに、ゆったり、もくもくと湧いている。

 ジークフリートはそこから覗く薄く透き通った茶色の出し汁を目にして、「ああ、これこれ」と昔食べた味わいを下の上で思い出し、軽く舌なめずりをした。


「うわっ、なんだこの土鍋。熱そうだな〜」

「指先で、湯気を掬えそうです。こうやって、わたあめみたいに」


 ブレンが座っていた椅子から身を乗り出して、土鍋に人差し指の先を近づける。溢れてくる湯気を絡めとるように、空中で円を描く。

 アルベリヒはそれを見て、鼻を鳴らす。


「はっ、おいブレン、何ガキみてえなことしてやがるーーっいや、お前さん。まだお子ちゃまだったな。そういえば」

「なんですか! その言い方はっ!」


 ブレンは立ち上がり、机を両手でだん、と叩く。


「おい黙れ。店主が困っているだろうが」


 ジークフリートが呆れて制裁する。


「いえ、全然構いませんよ〜。楽しんでいらしてください」


 店主は困ったような笑みを浮かべながら、細かな糸で編んだ赤紫の敷き布を丸テーブルの中央に置き、その上に土鍋を置いた。少し勢いをつけて置いたので、土鍋が不規則に揺れる。店主は慌てたが、すかさずアルベリヒが身を乗り出して土鍋を素手で掴んで揺れを止めようとする。


「ーーあっちぃ!!」


 だが、土鍋の温度は高熱で、アルベリヒは指先を痛めた。ぱっと手を離すと、すぐに己の耳たぶを触る。


「あぁっ! お客さんっ。大丈夫ですか!?」


 アルベリヒはまなじりに涙を溜めて、きっと店主を睨んだが、寸でのところで大人の男、ひいては軍人としての矜持を保ち、「問題ない……」と呟いた。

 ブレンはそれを見て、笑いを吹き出しそうになったが、『オデン』なる未知の料理を食べる前に上官に絞められるのは勘弁と咄嗟に悟り、奥歯を噛み締めて笑いを堪えた。

  俯いて小刻みに震えているブレンを見て、店主は訝しげな顔をしたが、土鍋を優先させた。

 再び敷き布の上に置かれた土鍋は、しっかりと固定されたかのように置かれた。

 店主が分厚いペールグリーンのミトンをして、土鍋の蓋を取ると、漏れているばかりであった白い湯気は、もわり、と巨大な雲のように広がった。

 わぁっという歓声が、少年少女たちから上がる。

 店主が鍋蓋を土鍋の横に置き、付随していたお玉で中をゆるりとかき混ぜた後、「どうぞ」と笑顔で示し、また奥へ戻っていった。

 ブレンが身を乗り出し、目をきらきらさせて中を覗き込む。彼の鼻のそばかすがくっきりと水面に映るほど、出し汁うっすらと茶色がかっていて、透明ですみやかだった。

 店主が用意してくれた人数分の小皿をそれぞれの前に置く。白い陶器でできたその小皿は、手触りが滑らかで、指先に吸い付くようだった。皆が『オデン』に興味津々となる中、

 ジークフリートは余裕の表情で土鍋に先が入れられたお玉の木製の取手を掴み、出し汁を掬い上げた。銀色のお玉から、たっぷりと掬った出し汁が僅かに漏れて土鍋へと戻る。その一連の様を、ブレンは食い入るように見ていた。

「あぁ、そうだ。おでんを食べる時はこれを聞くのが鉄則だったな」

 ジークフリートは思い出したように、視線を斜めへ向けると、再び戻して一行を見渡した。


「何が食いたい?」

「何が食いたいって言われても、素材が何なのかわからねえしな……」


 アルベリヒが腕を組んでおでんの土鍋を睨む。


「司令官のおすすめはどれですか?」


 ブレンがジークフリートに尋ねる。

 ジークフリートは一度お玉を土鍋に戻し、ふちに寄りかからせてから、うっすらと考えこむと、おでんの薄茶色の水面を見つめたまま「俺はちくわだな……」と呟いた。


「チクワ?」


 ブレンが目を丸くして問いかける。


「ちくわは、これだ」


 ジークフリートがブレンに教えてやろうとするかのように、お玉を再度手にして、そっと出し汁の中に埋もれていたそれを持ち上げた。

 お玉に出し汁と共に乗せられた一つのそれは、白く細長い体に、焦げた茶色が巻くように描かれている。

 ジークフリートはそれを自分の手前にあった小皿の上にそっと乗せると、何かを思って、アカネの前に差し出した。


「食べてみるか」

「えっ?」

「いいんですか? 司令官の一番好きな具材なのに」


 口を丸く開けて驚くアカネをよそに、ブレンは眉を寄せてジークフリートを見た。

 ジークフリートはブレンには顔を向けず、じっとアカネだけを見ている。アカネの肌は白く、頬をさす紅は桜色をしている。きっと温かいものを食べれば、その紅はより濃度を増すだろう。


「食え。友好の証に」


 アカネは目の前の小皿から、はっと顔を上げてジークフリートの方を見た。

 その眸はわずかに揺れている。

 アカネは目の前の小皿から、はっと顔を上げてジークフリートの方を見た。

 その眸はわずかに揺れている。


「……まぁ。食ったことないもの口に入れてみるのは、嫌いじゃないしね。もともと貧乏だし」


 そう言うと、アカネは意を決したような顔をして、黒い漆塗りの箸を手に取ると、おぼつかない手付きでそれを右手になんとか挟んだ。

 ゆらゆらと箸の端が安定せずに指の間で揺れていたが、なんとか持ち直すと、桜色のくちびるを引き結んで、いざ、という構えで、箸先でちくわなるものの先端を挟む。まるで箸がトングのように、それを持ち上げると、大きく開けた口の中へ放り込んだ。

 その様は、年頃の少女が行うべきではないほどにあっけらかんとしており、一同は真顔でアカネの食いっぷりを見守っていた。

 熱いのか、ほくほくと口とちくわの間から湯気を漏らしながら、それでも愛らしい小さな白い八重歯で、その柔らかなちくわの本体を噛みちぎろうとする。

 前歯と前歯が、かっちりと合わさり、威勢よくちくわが前後に剥がれ、アカネの紅い口の中へと落ちていった。

 柔らかなものを咀嚼する音が聞こえ、ついで「うまいけど、あつい!!」とアカネの叫び声がセピア色の店内にこだました。

 

 


 


 


 



 


 


 


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