黒髪の少女

「なあ。何食う何食う?」

「ちょっ……。ベルツさん! 重いですよ! その腕を退けてくださいって」


 ブレンは肩に回されたアルベリヒの腕を嫌そうに退けた。片目を瞑った彼の、もう片方の一つ目は、きらりと光ってアルベリヒのうっすらと生えた顎髭を睨む。


「はっ。俺は鍛えてるからなぁ。『重い』って言葉は、褒め言葉になるんだぜ」

「変なことでチョーシに乗らないでくださいっ!!」

「……おい。お前らうるさい。少しは口を慎め」

「はぁ!? テメェがまた街を見たいって言ったんだろうがっ!」


 ジークフリートが横目で後ろを睨むと、アルベリヒが噛み付くように上体を起こして吠えた。


「はあ……」


 ジークフリートは背中のブリュンヒルデを背負い直すと、背後でどたどたと足踏みする二人を無視して通りを歩き始めた。彼の長い脚が前後するたびに、店番をしているクルワズリの若い娘たちは黄色い視線を送っていた。だが、ジークフリートはその色に気付かず、自身の髪を片手で触っている。


(ブロンドは、ここでは珍しい髪色なのだろうか?)


 自身の前髪を人差し指と親指で摘んで、じりじりと動かしてみたが、そこには、さらりとしたわずかな感触しか感じられなかった。陽光に透き通り、さらに金が白く薄く溶ける。


(そういえば俺のブロンドは、リリューシュカよりもいささか濃い色をしている)


 ふと、そんなことを思った。

 顔を下ろし、周囲を見渡す。

 クルワズリの商店街は、先に通った時にも

 感じたが、全体的に色調が落ち着いている。全ての色に、セピアがかかっているかのように見えるのだ。


(あの色合いは……ああ、確か色味辞典で見かけたことがある。アズキ色、というのだったか)


 近くにあった店の、でっぷりと体格の良い女性が、つけているソムリエエプロンを見ながら、ジークフリートはそう思った。

 その時である。

 通りの向こうから、ぱたぱたと黄色い土を蹴る軽やかな足音が二つ、鳴り響いてくる。


(この足音はーー)


 ジークフリートはわずかに瞳を見開いた。

 流れる黒髪が、紺碧の空の下を駆けてくる。

 その髪に刹那、月の夜の下に出会った十六夜のことをかすみが香るように重ね合わせたが、その幻影は静かに消え去り、目の前に、勇ましいが、小柄な少女の姿が像を結んだ。


「君はーー」


 ジークフリートは思わず口が動いていた。

 背後をウロウロと歩く少年の右手首を掴み、

 険しい顔で瞳を大きく見開きながら、歩く速度を徐々に落としていく。腰を落とし、何かを警戒するその様子は、大人のジークフリートからしてみれば、野良の子猫が人ごみを警戒して、定めを持たずにじわじわと歩いている様に見える。

 ジークフリートは金の眉毛をわずかに寄せて、彼らにしばらく声をかけずに見守っていたが、やがて耐えきれなくなり、長い脚をゆっくりと動かして近づいていった。


「あ、おい」


 アルベリヒがそれに気づき、ジークフリートのほうを訝しげに見る。そして、その向こうに何かあるのかと、体を逸らして確認する。帽子の下に、巻いた赤毛が揺れる。


「んだぁ? ガキじゃねえか。それも二人も。知り合いか?」


 ジークフリートはそれには答えず、ただアオイと呼ばれた少年と、その姉と思われる少女の目の前に立つ。

 少女は横の店の旦那を警戒して、そちらに視線を寄せていたが、目の前に影ができると

 それに気づき、はっと顔を上げた。自分でもとても驚いていることに気づいていないのだろう。その顔は玄関の戸を開けたら、悪魔がいきなり立っていて、出迎えられたハロウィンの日の子供のようだった。恐れを顔面に貼り付けた少女の顔を見て、ジークフリートは罪悪感を覚えながらも、彼女のことを年相応の少女として、ひどく愛らしいものだと感じた。


「あぁ……。あんたは」


 少女がくちびるを揺らして、愕然とするのに対し、彼女を安心させようと、ジークフリートは努めて明るい笑顔を浮かべた。

「久しぶり……、というべきなのだろうか」

 少女は応えない。下唇を噛み締めて、上目遣いで睨んでいる。アオイの手首を握る力は、先ほどよりも強くなっているのだろう。背後でアオイが片目を瞑って痛そうにしているが、それを無視してジークフリートを瞳で射抜こうとするばかりにじっと焦点を動かさないでいる。まるで、子供を守ろうとする手負いの母猫だ。


「あんた……。さっきのおっさん」

(おっさん……)


 まさかの言葉に、ジークフリートの鋼の心臓は、古い鈍器で殴られたように、わずかに凹んだ。刹那的に白目を剥いたが、気を取り直して軽く唇を噛み、瞬きして少女を見下ろす。太陽が逆光となり、彼の長い金のまつ毛が瞳に影を落とす。

 少女は黙って、太陽よりもぎらつく瞳で、彼をじっと睨み続けていた。

 彼女の瞳の膜は、琥珀が炎を宿したかのように燃えて茜に煌めいている。

 ジークフリートはその煌めきを見つめながら、彼女の幼さの中に眠る野生の女の本能を感じて、首筋を熱くさせた。

 

 

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