Agnus Dei 6

 コギソ・フミコ曹長の部屋は、他の「V」のそれよりも格段に大きかった。「V」の居室は、彼女以外は二人部屋か四人部屋が基本であるが、コギソ曹長だけが一人部屋であった。「V」が他の詰所ステーションより多くなった結果、部屋の数が足りないという名目ではあるが、守衛長の個人的な理由によるであろうことは、ここにいる誰もが察している。

 だが、それに対して何かを思うほど、「V」は他人に興味がない。フミコがこの部屋に移ることになったときも、誰も何も言わなかったし、第四と第五はともかく、ハルカやエレナも二人部屋で、それぞれ副長と一緒に使っていても不自然に思うことはなかった。

 しかし、この部屋をほとんど初めて訪れたハルカは、その内装を見て驚いた。

 彼女の部屋は、自分たちが普段寝泊まりしている部屋とは想像以上に大きく異なっていた。部屋の広さこそ二人部屋より若干狭いものの、すっかり珍しくなってしまった木の板——それも繊維を合成した合板ではなく、一枚板を重ねた昔ながらのもの——がたっぷりと張られていて、檜の独特の匂いが、彼女が愛用している臭いのきつい煙草の裏でしとやかに香っている。

 それは、コギソ・フミコがどういう人間だったのか、そして、レイ・ホウリュウがなぜ彼女に惹かれているのかをハルカに知らしめるのに十分であった。

「随分時間がかかったと聞いたけれど、とりあえず元気そうで何よりね」

 フミコは、すっかり短くなった煙草を掌でもみ消し、ふう、と煙をゆっくりと吐いた。

「ご迷惑を、おかけしました」

「仕事の一環なら仕方がないじゃない。エレナに頼まれただけよ。よして頂戴。——で」

 彼女は低く掠れた声で、ゆっくりと脚を組み直した。けれど、その脚は既に漆黒のつやつやした鱗で覆われていた。

「ドラゴンが何故、人を襲うか、知りたいの?」

 その眼差しはまっすぐにハルカを見つめている。ハルカも、フミコをしっかりと見つめ返した。

「——ハルカ。あなた元々、守衛だったのでしょう? なら、それはということになるけれど、それでも知りたい?」

 やはり、そうか。

 当然ハルカはその可能性を考えていた。そして、それをフミコが知っているであろうことも、予想がついていた。

「コギソさんは、知っているんですよね?」

「それは正しい言葉遣いではないわね。、というべきか、知らない、というべきか、いずれかにしなければならない——ハルカ、あなたが感づいているとおり、これはなの」

 隣でごくりとつばを飲み込む音が聞こえて、思わずハルカはセリナを見た。対竜装フォースを表出するインナーから、僅かに緑色の鱗が首もとに迫っているのが見える。

 フミコに目を向けると、彼女の襟元には少し大きめの黒子が——

 違う、あれも鱗だ。

「私たちは徐々に、ドラゴンへと近づいていく。竜化トランスをしなくても、ドラゴンになる日は必ず来る。——そう、オガシラ教授は言っていたわね」

「オガシラ教授?」

「——ドラゴンを発見した生物学者の、オガシラ・マサルよ。私、彼と知り合いだったの」

「まだ、生きていたのか」

 ドラゴンが発見されてから、実に半世紀以上の年月が経っている。しかし、発見者は当時未成年の大学生だったとの記述があったことをセリナは鮮明に思い出した。

「ええ、生きていれば、七十歳くらいかしらね。研究の機密のために、ツクバ地区にひっそりと研究所を建ててその中で暮らしていたはず」

「そんなこと、聞いたこともない」

「いえ、あなたは知っていたの。その身体になった時に、無理矢理そぎ落とされただけ」

 フミコはスカートのポケットから煙草を取り出し、ガスライターで火をつけた。セリナよりも数段重たい臭いがあたりにたちこめる。

「脳髄だけ取り替えても、身体の記憶は失われるものよ。そして、その齟齬は身体と脳髄の狭間に残留して、不適合な信号として蓄積される——それが、奇跡的に竜化トランスを何度も行える理由だと思うけれど」

 すらり、と立ち上がりハルカを見下ろして、フミコはこう続ける。

「あなたが、コウサキ・アヤノになることができない理由でもあるわね」

 守衛長にそれとなく理由をつけさせるから、その辺は任せておいて、とフミコは言って、ハルカたちを外へ促す。

 第一部隊の北方への緊急偵察指令が出たのと、生き残った数少ない第一部隊員のひとりであるハギワラ・ミツキが上級兵に昇格したのは、その翌日だった。

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