Sanctus 9

 「零式」に対して前方に広がり対峙した第一部隊は、ハルカの指令で一斉に戦いを始めた。いくつかの隊列を組みながら、多方向から同時に攻撃を仕掛ける。傷ついた者が出れば、後方の第四部隊が引き上げて詰所ステーションに戻す。戦力の消耗を最低限に抑えて、出来る限り「零式」の戦力を削っていく作戦だ。

 竜段レベル6を軽く凌ぐ、規格外の大きさの躯。それはハルカの戦意を限界まで高めるのに十分だった。ハルカとセリナはひと組みになって、爪や尾を避けながら狙いを定める。ハルカの剣は、全長二メートルを超えるが、それでも「零式」を倒せうるほどの力になるかどうか不安になるほどだった。

 しかし、ハルカは迷わない。

 セリナが飛び去った一瞬の隙に、急降下を始め、巨大な躯の真下に潜り込む。そしてその腹に斬り込む。

 がきん。

 腹の鱗に、大きな傷がついたが、鱗を突き通してはいない。

 ハルカの力では、「零式」にダメージを与えられない。

「そんな……」

「危ない!」

 セリナに抱きかかえられたおかげで、ハルカは尾に潰されずに済んだ。

「何してんの!」

「セリナ、部隊の指揮、任せた」

「は? え?」

 セリナはハルカの言葉がわからないふりをした。

 しかし、ハルカはそれを無視して対竜装フォースを吹き飛ばす。

 竜化トランスして身体がひとまわり大きくなったハルカは、再び「零式」に狙いを定めた。

「……なんで、いつもこうなんだろうなあ」

 ハルカの後ろ姿を見て、セリナは大きなため息をもらすと、残っている第一部隊の支援に向かった。

 ハルカはひらりひらりと舞いながら爪の猛攻を避け、もう一度剣を突き立てられる場所を探した。そのうちに、

「サエグサ! 死んでない?」

 聞き慣れた大きな声のする方向を見つめると、見慣れた金髪をなびかせ、エレナが上からハルカを探していた。

「……ちっさ」

 竜となったハルカを見てエレナは思わずつぶやく。竜段レベル2と同じくらいの大きさにしかならないのは、「V」の中でも珍しい。

「今度は負けない!」

 エレナは「零式」をぎろりとにらみつけ、最大速度で一気に距離を縮めた。最短距離で、最大の力で鎚矛メイスを振り下ろす。その殴打を受けて無事だったドラゴンは、これまでにはいなかった。

 しかし、「零式」は、頭部の鱗がほんの少し割れ、振り下ろされた衝撃で首の鱗が若干剥がれ、ほんの一瞬だけ動きが止まったものの、怒りの咆哮をあげ依然としてその姿を保っていた。

「……」

 竜段レベル6すら致命的な打撃を与え、昏倒させられるほどの一撃を加えたはずだったのに、目の前のドラゴンが意に反して健在であることにエレナは再度衝撃を受けた。自らを最強の兵士であると自負もしていたし、それを矜持としてかろうじて保っていたエレナの自尊心はついに音を立てて崩壊を始めた。

「エレナ!」

 緑色の細い線が急に大きくなったかと思うと、それが高速でエレナの身体を抱きかかえ、白銀の竜の突進から救い出した。

「あいつに普通の攻撃は通用しない! あんたもあたしも、おんなじなんだ」

 セリナがおかしくなるくらい真剣な顔で自分を叱咤していることに怒りも悲しみも呆れも通り越して、エレナはただただきょとん、とした顔をしていた。

「今、あんたがあたしを……?」

「そうだよ! しっかりしてくれ! あんた部隊長だろ!」

 セリナもセリナで、エレナの自我が崩壊しかかっていることに気が付くほどの余裕はすでになかった。

「何よ、今更」

「見たろ、自分で。あいつの鱗はあたしらの武器もまともに通じないんだ。だから、あんたの武器が唯一効く可能性がある」

「は?」

 セリナの言葉の意味を、エレナは理解しなかった。むしろ、セリナはエレナの攻撃にこそ活路を見出していたのである。

「あたしらの武器は、鱗を突いたり切ったりするものだ。だから、鱗を突きとおさなきゃ意味がない。けど、あんたの武器は違う。固い鱗の上からでも、あいつの息の根を止められるかもしれない」

「本気?」

「じゃなきゃ今こんなこと言わない!」

 エレナは、ようやくセリナも壊れかかっていることに気づいた。その緑色の鱗は首元まで迫っている。竜に侵食されかかっているのだ。

半人前チェラヴィエクの癖に、偉そうに……。第四部隊を下げなさい。第三部隊をカバーに回す。あたしが倒すんだから」

「了解。あと、ハルカを頼んだ。もう、あんたしか頼めない」

「あんなちっぽけの竜のくせに?」

「見た目より強いんだぞ」

 セリナはばつが悪そうに視線を外す。

「ふっ、半人前チェラヴィエクも止められないわけないでしょ。——いいわ、サエグサのことも見といてあげる」

「頼んだぞ」

 セリナはそう言い残して、後方に控える第四部隊へ向かっていった。

「ここは、私たちで固めるしかなさそうね」

 すでに円状に陣形を展開し、「零式」へ攻撃を始めた第二部隊をよそに、フミコはエレナのもとまでやってきた。

「頭を殴ることだけ、考えていればいいから。私があなたをカバーする。さっきみたいなのは勘弁ね」

「ええ。もう、大丈夫」

 自分の感情をどこに置くべきかほんの少し逡巡しながら、フミコはエレナの後ろをついていく。薙刀は一縷の隙もなく、敵の攻撃をそらしつづける。

 エレナは再び、「零式」の頭上に躍り出ると、渾身の力で鎚矛メイスを振り下ろす。


 ギャアアアアア。


 「零式」は、確かに、短い咆哮をあげた。

「っ!」

 反撃の爪がエレナの脇腹をかすめた。

「エレナ!」

 エレナの対竜装フォースは左側が抉り取られており、そこから血がぼたぼたと流れ落ちていた。

 声にならないうめき声を漏らしながらも、エレナははっきりと「罪竜グリェシュニク」を見つめた。

 白銀のドラゴンは、確かに力を大幅に失ったようだった。首元からは小さな切り傷があり、そこからどす黒い体液が噴き出していた。

 エレナがもう一度それを見ようとした時には、「零式」は力を失って高度を大きく落とし、トウキョウの雲に沈んでいった。

「サエグサ……」

「待ってエレナ! 下手に動かないで!」

 フミコが声を荒げてエレナを制した。

「でも、約束が」

「死にたいの?」

「……死んだ方がマシよ」

「——次、それ言ったら本当に殺すわよ」

 ふらりと言ったひとことが、フミコに火をつけてしまったのを見て、エレナは口を噤む間もなく、気を失った。

 遠くに舞う茶色の竜は、所在なさげにふわふわと飛び、そして——サエグサ・ハルカにゆっくりと戻っていった。

「隊長!」

 シバタ・アカネ二等兵が、藤色の髪をなびかせ、顔色を変えて飛んできた。

「——命拾いしたわね。シバタさん、エレナを運んであげて」

「コギソ曹長、隊長は——」

「たぶん、大丈夫。間に合うはず。——急げば」

「失礼します!」

 アカネは素早くとんぼ返りをしてエレナを器用に抱えると、詰所ステーションまで飛び去った。

「一応、介抱する仕事も請け負ってるから、仕方がないわね」

 墜ちていくハルカへ向かいながら、フミコはそんな独り言を漏らした。


 こうして、彼女たちは何とか、東東京詰所イースト・トウキョウ・ステーションを守ることに成功したが、肝心の「零式」の死体はレーダーでとらえることすらできなかった。

 すなわち、「零式」に決定的な打撃を与えたものの、撃破してはいないだろうというのが、東京地区防衛統括本部トウキョウ・センターとホウリュウ大佐が出した結論であった。

「——気は抜けないが、この期に休息をとってくれ。この作戦で、奴は間違いなく東東京詰所ここを標的に設定したはずだ」

 「零式」は、一度詰所ステーションと交戦を始めると、壊滅させるまで戦い続けるという習性がある。それによって、過去いくつもの詰所ステーションが壊滅させられたのだ。

「緊急指令を出す事態にならなければ、三日後から通常哨戒を開始する。全部隊、深刻な被害を受けているだろうが——休息に入って次の戦いに備えてほしい」

 部隊長会議——といってもフミコ以外に部隊長は出席していないのだが——の最後、レイ・ホウリュウ大佐はこう締めくくった。

「私も休むわよ」

「結構。エレナとハルカを頼んだぞ」

「——まったく」

 フミコの足音が響かなくなるまで、ホウリュウ大佐は指令室を動くことはなかった。

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