第二話 アステリオスⅠ(10)

 意識が戻り、目を覚ますと、そこは病院だった。

 顔を起こし、自分の体がどうなっているのか確かめる。

 布団から剥き出しになっている左腕の肘裏には、点滴用の針が刺さっていた。

「私……」

 目を覚ましたばかりで状況を整理しきれていない和泉は、右肩の違和感に、点滴用のチューブに注意しつつ、左手で右肩に触れた。

 厚く柔らかい感触――傷を保護しているガーゼか。

「はぁ……」

 ちょっとした動作でも、体をうまく動かすことができない。

 麻酔のせいか、撃たれたせいか――おそらく両方だろう。

 窓を見やると、空が白んでいた。

(スマホは……)

 自分の状況の報告もしなければならないし、何よりも病院の襲撃がどう対処されたのか気になって仕方がない。

 だが、首を左、右へとまわしても、スマホどころか私物ひとつ見当たらなかった。

 こうなったら、意地でも起き上がるしかない。

 ここで傷が癒えるまで寝ていることなど、できるはずもない。

「――ッ!」

 反応の鈍い体を叱咤し、上半身を起こさせる。

 腹筋を使って少しずつ体を起こし、ようやく起こしきれるかと思ったところで、

「寝ていろ」

 音もなく視界に現れた壮年の男に、和泉は中途半端な姿勢にも関わらず、体を硬直させた。

「室長……」

 その男は、和泉が所属している内部監査室の室長だった。

「具合はどうだ?」

「……こんなの、ただのかすり傷です」

 体を寝かせ、ベッドの横へ移動する室長を目で追う。

「そう言えるなら、大丈夫そうだな」

 壁際に置かれた椅子を引っ張り、室長が腰を下ろすと、和泉の見え透いた強がりに、軽く笑って応じてくれた。

「すみませんでした。こんな失態を犯してしまって」

「確かに。非公開組織の人間が一般の病院で手術を受けたなんて連絡をもらえば、冗談だろと自分の耳を疑いたくもなる」

 言葉もない。

 もちろん、SIAの局員には、警察庁、公安調査庁、そして防衛省のいずれかの組織に在籍していると思わせるためのカモフラージュ用のIDが与えられている。

 それでも、上司としては不安になるのだろう。

「それで、体を張った甲斐はあったのか?」

 室長は普段から温厚で、決して怒鳴ったりはしない。

 それでも、SIAの内部監査室の室長という立場は、相当に重要なポジションであり、その長を務めるというのは、並大抵の胆力ではこなしきれない。

 部下ひとりの些細なミスが、失脚の理由には十分すぎる時もある。

「小畑史人が言っていた『生き証人』に会いました。彼のおかげで、私は殺されずに済みました」

「お前を撃ったのは、アステリオスか?」

「はい」

 思い出すだけで、鳥肌が立つ。

 あの圧倒的なまでの強さ。

「アステリオス計画――Lシステムの一端を担うための、暗殺者育成計画か」

 自分に言い聞かせるように、室長が呟く。

「どうしたらあんな風に鍛え上げることができるのか……あれじゃまるで……」

「まるで?」

 言葉を切らした和泉に、室長が先を促すように目を向ける。

「あれはもう、人じゃありません」

「与えられた命令を忠実に実行する機械、と言ったところか?」

「……はい」

 見た目は人なのに、その迷いのない動きと圧倒的な強さは、まるであらかじめインプットされたプログラムを実行しているかのような精巧さだった。

 そのインプットされたプログラムというのが、どれだけ過酷な訓練によって身に付けたものなのか。

 想像するだけで――いや、想像もできない。

 何をすれば、人をあそこまで機械のようにできるのか。

 心を殺しているとか、そんな柔なものじゃない。

 感情を押し殺すことなら、SIAの局員ならば誰だってできる。

 そうでなければ、殺人を許可されている非公開組織になど所属できるはずがない。

 彼らは感情を殺しているのではない。

 まるで外科手術で切除したかのように、欠如させているのだ。

 ロボトミー手術などと言った脳を弄るようなものではない。

 もっと、それよりも悍ましい――それこそ、小畑史人が暴露しようとし、そのために暗殺されたほどにIATが隠したい、底の知れない深い闇。

 その闇を覗こうとした者は、その闇そのものに殺される。

 SIAという存在しない存在そのものすら恐ろしいというのに、そのSIAに所属する自分たちすらも恐れさせるアステリオス計画とは一体……。

「知りたいか?」

「……え?」

 室長の言葉に、和泉は声を上げていた。

「知れば、戻れなくなるぞ」

「……なんで、どうして室長が知ってるんですか?」

 そもそも、それを知るために和泉は動いていたのだ。

 『生き証人』である和弘の保護、そして彼が持っていると思われる、アステリオス計画の全貌がおさめられたUSBメモリーを手に入れるために。

「和泉、これだけは憶えておけ。SIAに所属していることが、すべてを知ることができる立場にいることになるとは限らない」

 その言葉に、和泉はハッとした。

 SIAという非公開組織に所属しているせいで、自分がいつの間にか秘密を知る立場でいることに対し、優位性を感じてしまっていたことに。

 日下部糺に対する態度がそうだ。

 彼に対する態度は、思い返せば無意識に下に見ている者のそれだった。

「アステリオス計画に関しても、機密情報閲覧権限セキュリティ・クリアランスがレベル4以上でなければ閲覧することはできない」

 レベル4は、SIAの各部門のトップに与えられる権限だ。

 たかがレベル2の権限しかない和泉には、遥か高みの存在ということになる。

 だが、それよりも驚いたのは、アステリオス計画自体が、レベル4以上の権限で閲覧可能ということだ。

 つまり、室長を含めた各部門のトップは、少なくともアステリオス計画の全貌を知っていると言うことになる。

 調査を命じた室長自身を含めて。

 だとしたら、どうして室長は知っていながら調査をさせたのか。

 レベル4とレベル3の間には大きな差があり、レベル4でなければ閲覧できない情報は、漏洩させれば刑罰に処せられる類のもの。

 つまり、ここで室長が喋れば、それは室長自身の身を危険にさらすということ。

 だが、室長は感情で動く人じゃない。

 ここに来たのも、見舞うためじゃなく、この情報を口頭で伝えるため。

 闇に命を奪われる危険を承知で、闇を覗く覚悟があるのか。

 ここが、分水嶺だ。

 和泉の長考に、室長は口を挟むことはしない。

 その決断を和泉にさせるために。

 そうすれば、その後の行動に対する責任は、自己決断をした和泉自身が負うことになる。

 それらすべて理解した上で、和泉は考え、そして結論を出し、室長に言った。

「訊かせてください」

 その返事に、室長は柔らかい笑みに、わずかに口角を釣り上げて見せた。

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