第二話 アステリオスⅠ(8)

 今日の訓練がナイフと素手による近接戦闘CQBであることを知らされた和弘たちは、比較的軽装な装備で外に出ていた。

 パートナー同士での訓練であるため、和弘の前には亮介が立っている。

 隣には別の組が並んでおり、和弘と亮介は端に位置していた。

 腰のベルトにナイフの鞘がアタッチメントで取り付けられており、動いても腰に違和感がないようになっている。

 教官が少し遅れて現れた。

 横目で建物の方を見やると、二階の窓に複数の人影を捉えた。

 今まで誰かが訓練内容を観察することなどなかったのに、今日にかぎっては何故か集められたかのように人影が動いていた。

 それには、ここまで残った十二人全員が気づいていた。

 これくらいの観察力がなければ、一秒毎に変化し続ける周囲の状況把握もできない。

 教官は、和弘たちが建物内の人影に気づいていることに気づきながらも、何でもない風に立ち、そしていつものように言った。 

「これより最終試験を行う」

 その言葉に、誰もが顔には出さず、しかし内心では少なからず動揺していただろう。

 和弘もそれに漏れることなく、ドクンと心臓が高鳴ったのを感じた。

 正面に立つ亮介を見やるが、その表情は変わらない。

 だが、表向きの表情ならば、和弘も平然を装っている。

 その内心は本人にしか分からない。

「この試験を経て、お前たちはようやく一人前と認められる。だが、この試験に合格できるのは、ここにいる十二人のうち――」

 一拍おき、教官が左から右へ流れるように十二人の顔を見やり、そして言った。

「六人だけだ」

 その言葉の意味を一瞬で理解した――いや、理解してしまった。

 十二人から六人、つまり半数。

 そして、パートナーと向かい合うようにしてセッティングされた最終試験。

 つまり、最終試験の内容とは、

「内容は伝えた通り、ナイフによる近接戦闘となる。ただし、条件はひとつ。目の前の『敵』を殺せ」

 横に立つ組が、思わず声を上げていた。

 それくらいの衝撃が、十二人の間を駆け抜けたのだ。

 これまでずっとパートナーとして寝食を、そして訓練を共にした相手を、『敵』と見なせと言ったのだ。

「以上だ。始めろ」

 教官はそれだけ言って、一歩だけ後ろに下がった。

 まるで、建物内で見物している人影たちの妨げにならないように。

 教官が始まりの合図を送るも、誰も動かなかった。

 当然だ。

 いくらこれが最終試験で、教官が『敵』と見なせと言っても、これほどまでに深い関係を築いた相手を『敵』として見ることなどできるはずがない。

 だが、最終試験を合格――つまり、生き残るには、相手を殺す以外に方法はない。

 和弘は、じっと亮介を見ていた。

 和弘は動くことなく、動く気にもなれなかった。

 ナイフを抜くなど、出来るはずがない。

 その行為そのものが、目の前の相手を『仲間パートナー』から『エネミー』へと切り替えたことを意味するのだから。

 それは裏切り以外の何ものでもない。

 できるはずがない。

 できるはずがないのだ。

 誰も……誰も……。

 ひとりを、除いては――


「亮……介……」


 目の前のパートナーが、腰に手を回し、そしてナイフを抜いた。

 日光に照らされたナイフの刃が眩しく光を反射する。

 決して模擬用ではない、正真正銘の本物。

 使い方を極めれば、触れるだけで肉を裂き、引けば骨さえも断つ、その鋭い刃。

 その刃先が、和弘に向けられていた。

(よせ……)

 亮介が前に出る。

 その行動に、亮介以外の全員が目を向けていた。

 手に持ったナイフを構えることもなく、腕はぶら下げたまま、亮介がゆっくりと近づいてくる。

 その表情は何も変わらない。

 いつもの亮介の表情だ。

 それに、ナイフだって抜いただけで構えてもいない。

 何よりも、和弘をここまで生きながらえさせた直感にも近い危機感知能力が、何も告げてこないのだ。

 それは、亮介に一切の殺意がないことを意味していた。

 きっと亮介は、ただ話をするために近づいてきているのだ。

 教官にも悟られないよう、耳打ちでもしたいのだろう。

 そうだ。

 そうに決まっている。

 亮介が、自分を殺すなど、あるはずが――ない。

 目の前まで迫った亮介に、和弘はこっちから声をかけようとした。

「りょ――」

 言いきる前に、亮介が体をぶつけてきた。

 すぐ目の前に亮介の横顔が見える。

 こっちを見ようともしない。

 抱き合っているような距離感なのに、お互いに抱き合う気もないような、まるでよそ見をしていたところでぶつかってしまったような。

 亮介が後ろに下がる。

 その手に持っていたナイフが、赤く染まっていた。

 同時、和弘は左手で脇腹を押さえた。

 顔を下げ、その手を見やる。

 刺されていた。

 カーキ色のTシャツでも分かるくらいの赤い染みが広がり、そこを押さえた手の指の間からも漏れ出す。

 血だ。

 刺されたと認識した瞬間、激痛が全身を走り、立っていられなくなり、膝をついて、そこから四つん這いになった。

 左手は必死に刺された部分を押さえて止血しようとしているが、指から滴り落ちる血の量は変わることなく、地面に小さな血だまりをつくっていく。

「りょ……け……なん……で……」

 もはや声すらも出ず、短時間の出血により、和弘は意識を朦朧とさせ、最後には四つん這いになっていることもできず、地面に倒れた。

 視界がかすみ、痛みが引いていく。

 同時に、意識もまた、深い沼に沈んでいくかのように落ちていった。

 どこか遠くに聞こえる耳が、音だけを捉える。

 金属同士のぶつかり合う音。

 叫び声。

 泣き声。

 怒声。

 銃声。

 そして――静寂。

「以上で最終試験を修了する」

 そんな教官の言葉を最後に、和弘は瞼を閉じ、意識もまた閉ざすのだった。

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