第一話 アリアドネ(10)

 病院敷地内の奥にある発電設備は、金網で囲まれていた。

 病棟の角から覗き込む日下部と和泉。

 日下部の両手には、ニューナンブM60回転式拳銃リボルバーが握られていた。

 発砲した経験はあるかと聞かれればあると答えるが、そのほとんどは射撃場での訓練でだ。

 何度か凶悪事件にも立ち会ったこともあるが、そういった場合にはSITが出動するため、いち刑事の日下部に出番はない。

 的にならば当てられるが、人を狙うとなると自信などあるはずがない。

 それでも、今はこの両手に握られている武器が、身を守るためには必要となる。

「随分と慣れているようだな」

 小声で呟く日下部に、和泉がちらっと見やり、すぐに戻す。

 和泉の両手に握られているのは、同じ拳銃だが、日下部のそれとは違う。

 シグ・ザウエルP239自動拳銃オートマチック

 コンパクトサイズのそれは、装弾数を犠牲にし、手の小さい女性にも扱いやすいモデルとなっている。

 実際、和泉が持っていても大きさに違和感がない。

「SIAの採用試験には、射撃もあります。特に現場に出るような人間は必須ですから」

「人を撃ったこともあるのか?」

「……ありますよ」

 どこか重たい声に、日下部はこれ以上聞くのは野暮だと思い、口を閉ざした。

「それよりも、行きますよ」

「おう」

 病棟の角から足音を殺して前に進んだ和泉の背中を追う。

 そして、開かれた金網の扉の向こう――発電設備に何かを設置している人影の背中に照準を合わせる。

 和泉が金網の外から援護につとめ、日下部が開かれた扉をくぐり、中へ入ってその人影に近づいた。

「動くな」

 後頭部に銃口が向ける。

 それだけで、この相手を殺してしまうのではという感覚に襲われそうになる。

「両手を見えるように挙げろ。ゆっくりとだ」

 日下部の声に、その人影――男が従うようにして、ゆっくりと手を挙げた。

 男の手が離れたことにより、発電設備に取り付けられていたものがはっきりと見えた。

 四角い物体に、これみよがしに表示された、カウントダウンをするタイマー。

 残り五分。

「それ――爆弾か!?」

 あまりのことに驚く日下部。

 その一瞬の隙を、男は見逃さなかった。

 男は振り返ると同時に、手を伸ばして日下部の右手首を掴むと、銃の照準を外し、そこから日下部の腕を捻りこんだ。

「ぐぁあああっ!」

 まるで体全体を捻られたような激痛に、日下部はその痛みから逃れるように片膝をついた。

 リボルバーを握っていた手が開き、それが落ちるよりも先に男に奪い取られた。

「日下部さん!」

 和泉が応戦するためにオートマチックを両手保持で構える。

 だが、男のすぐ横――発電設備に取り付けられた時限爆弾に、トリガーを引こうとした手が一瞬止まってしまった。

 もし狙いが外れて爆弾に当たったら――そんな僅かな可能性が脳裏をよぎり、それが隙となった。

 日下部の手からリボルバーを奪い取った男は、そこから一秒にも満たない間に構え、狙い、そしてトリガーを引いた。

 パンッ、と乾いた音が木霊すると同時、和泉が体を押されたようにして仰向けに倒れ込んだ。

 男の手に握られたリボルバーの銃口から硝煙がのぼる。

 静寂を劈くような一瞬の喧騒、そして再びの静寂。

「和泉! このっ!」

 日下部は、男に向かってタックルをかますと、そのまま押し倒そうとした。

(なっ――!?)

 だが、まるで相撲の力士を相手にしているかのように、男はびくともしなかった。

 その直後、腹部に膝蹴りを叩きこまれた日下部は、それが的確に鳩尾に入ったことにすら気づかず、えずきながら地面に倒れた。

 なんとか顔を上げるも、視線が合ったのは、リボルバーの銃口だった。

 カチリ――とハンマーの起こされる音が、日下部には死刑宣告のように聞こえた。

 何よりも、リボルバーの照準の向こうで狙いを定める男の目が、まるで無機質な作り物のようで、これが人間なのかと、日下部は悪寒を感じずにはいられなかった。

 そしてその男が、まだ二十代になったばかりのような、青年だったのだ。

 青年の指が、トリガーを引き絞る。

 それを見ていることしかできない日下部は、その動きがやけにゆっくりに見えた。

 やけに焦らすなと思ったが、違った。

 ただ単に、死を前にして、日下部自身の体感時間が引き延ばされているだけだったのだ。

 その短くも長い長い時間のなかで、これまでの印象深い記憶が甦ってくる。

 走馬灯。

 それを見たということは、本当に死ぬんだと日下部は思った。

(くそっ!)

 意識はあって、目の前の青年を殴りつけたい衝動もあるのに、鳩尾に叩きこまれた膝蹴りは、あまりにも的確に人体の急所を突き、日下部を行動不能にしていた。

(こんなところでっ!)

 せめて最後には意地とばかりに青年を睨みつける。

 トリガーが引かれ、そして――二発目の発砲音が響き渡った。

(――ッ!)

 体を縮み込ませた日下部だったが、痛みはなかった。

 それどころか、撃たれた衝撃さえも。

 どうしてかと思い、閉じてしまっていた瞼を開くと、そこには――リボルバーを手から零れ落とす青年がいた。

 一体、何が起きたのか。

 よく見ると、青年の右腕――二の腕付近から血が噴き出していた。

 そこで初めて日下部は、青年が逆に銃撃されたことに気づいた。

 そういえば、銃声は背後からした。

 青年は表情を崩さず、むしろ次の銃撃を避けるために発電設備の裏へと回り込もとする。

 だが、地面に伏す日下部の横と通り過ぎる風に、青年が巻き込まれるようにして地面に叩きつけられたのだ。

 風――いや、違う。

 人だ。

 青年を撃った人物が、すぐに距離を詰め、青年の素手による攻撃を受け止め、その腕を捻り込んで地面に倒したのだ。

 たった数秒の間の出来事。

 同じ人間の動きかと疑いたくなるような、次元が違う一瞬の攻防。

 そして、倒した青年に向け、それはオートマチックを向けていた。

 相手を地面に伏し、銃口を向けることで、完全に制圧した。

 それで終わると、日下部は思っていた。

 だが、違った。

 発砲音。

(なっ!?)

 青年の体が陸に揚げられた魚のようにビクンと動き、それっきりとなった。

 信じられないような光景に、日下部は発砲した人物の背中を見やった。

 カーキ色のモッズコートがひるがえる。

 そして顔を見せたその人物は、今しがた命を絶たれた青年と同じ、若者だった。

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