第一話 アリアドネ(11)

「殺したのか?」

 鳩尾を手で押さえながら、日下部は起き上がろと四つん這いになった。

 青年は答えず、発電設備の取り付けられた時限爆弾へと目を向けた。

 手を伸ばし、横から覗き込むようにしながら状況を確認している。

 冷静な行動だが、日下部にはそれが無性に腹の立つ行為に思えた。

「訊いてるのか!」

「彼女の安否を確認したらどうだ?」

 背中越しに言われ、日下部はハッとした。

 そうだ。

 和泉は撃たれたのだ。

 青年が誰でどんな奴なのか気になったが、助けてくれたことに違いはない。

 このまま背中を向けて撃たれるなんてこともないだろう。

 あれだけの戦闘能力を有しているなら、あのまま流れで日下部も殺せたはずだ。

「それは任せていいのか」

 青年は答えず、しかし小さく頷く後頭部を見て、日下部は何とか立ち上がり、金網の外へと出た。

 よろめきながら和泉に近づくと、彼女は生きていた。

 仰向けになりながら、目はちゃんと開き、呼吸もしている。

 だが、左手で右肩を押さえており、そこが真っ赤に染まっていた。

「しっかりしろ!」

「か、彼は……誰?」

 倒れながらも一部始終を見ていたのは、さすがだと思った。

「俺にも分からん。だが、助けてくれたんだから、少なくとも敵じゃないだろう。それよりも、お前の処置の方が優先だ」

「弾は……抜けています」

 力が入り切っていない和泉の左手をどかし、日下部は膝立ちになって両手を出血部分に押し当てた。

 和泉の表情が痛みで苦悶に歪むが、声は上げなかった。

 警察だって、大の男でもこんな傷を受ければパニックになって叫び倒す者もいる。

 経験があるのか、それとも、こういった痛みに耐えうるだけの訓練を受けているのか。

 見た目はまるで娘のような彼女だが、それ相応の人生を生きているのかもしれない。

 少なくとも、自分なんかよりは……。

「ここから離れろ」

 気がつくと、青年が後ろにいた。

 日下部は和泉の銃創部分を圧迫しながら、肩越しに振り返った。

「解除はできない。あと一分もない」

「くそっ!」

 悪態を吐く日下部の横で、青年が和泉へと手を伸ばす。

「痛むぞ」

「我慢できるわ」

 交わした言葉はそれだけで、青年は和泉を横抱きにして持ち上げた。

「急げ」

 青年に促され、日下部は走るその背中を追いかけた。

「私は、SIAの内部監査室の和泉よ。あなた、上田史人の言っていた『生き証人』ね」

 和泉の声に、日下部は思わず早足になり、横に並んだ。

「このまま私と一緒に来て。そうすれば、あなたの証言で奴らの悪事を暴ける。IATが行っている『アステリオス計画』がどんな計画なのかも、あなたの口から訊かせてほしいの」

「今はできない」

「え?」

 病棟の角を曲がり、陰に隠れる。

「伏せろ」

 和泉を下ろした青年が覆いかぶさるようにして庇い、日下部も急いで陰に入り込むと同時――


            ※


 その音に、春花は叩き起こされたかのような感覚に陥った。

 目を開き、なんの音なのか頭の中で考える。

 どこかくぐもったような音。

 何が起きたのか分からず、故に起き上がることもできなかった。

「今の……」

 隣で椅子に座って眠っていた美鶴も今の音で起きたようだった。

 お互いに顔を見合わせた直後、ドアの向こうが少しずつ慌ただしくなっていった。

「美鶴さん……今の音は……」

「待ってて。ちょっと訊いてくるから」

「はい……」

 美鶴が立ち上がり、病室を出て行く。

 ひとりになった春花は、途端に寂しさを感じた。

 上体を起こし、ドアをじっと見やる。

 早く戻ってきてほしいと願いながら、脚にかけられた布団をぎゅっと掴む。

 さっきの音が、まるで交通事故に遭ったときの衝撃のように感じていた春花は、自分自身を抱きしめるようにして身を縮こませた。

 空調の効いた病室は心地よく、暑さも寒さも感じない。

 だけど、今の春花には、ここが――いや、体の内から、寒さを感じていた。

「春花ちゃん、お待たせ」

 ドアが開き、美鶴が戻ってきた。

「何があったんですか?」

 心配で堪らない春花とは裏腹に、美鶴は心配かけまいと笑んでいた。

「大丈夫。心配しないで」

 美鶴が椅子に座り、丸くなった春花の背中を撫でる。

「外の発電設備の不調で、一時的に電気の供給が止まってしまったらしくて、病室から出ないように言われたわ」

「外は騒がしいようですけど」

「生命維持とか、機械に繋がっている患者さんたちを移動させているのよ。隣の病棟に、非常用の発電設備があるらしいから」

「そうだったんですね」

「安心した?」

 ホッとする春花に、美鶴が微笑んで見せる。

「はい。でも、美鶴さんが様子を見に行っていなくなった間の方が不安でした」

「嬉しいこと言ってくれるわね。もう、妹にしたいくらいだわ」

 そう言って抱きついてくる美鶴に、春花は思った。

 本当に、美鶴が姉になってくれたら、と。

 そうしてしばらくの間、二人で他愛のない話をしていると、気がつけばドアの向こう側も静かになっていた。

「落ち着いたみたいですね」

「そうね。もう一度、様子を見に行ってくるわ」

 そう言って立ち上がる美鶴に、春花は思わずのその手首を掴んでいた。

「春花ちゃん?」

「あ、ご、ごめんなさい」

「大丈夫。どこにも行ったりしないから」

 美鶴が笑み、春花の手をそっと離させる。

 無理やりでなく、促すような動きに、春花はそっと手を離した。

 開いた手に、寂しさを感じる。

 美鶴は笑みを絶やさず、こっちに顔を向けたままドアの方へ歩いて行った。

 ドアの前まで辿り着き、そこで顔を向き直し、手を伸ばす。

 そのドアが、開いた。

「え?」

 驚く美鶴が後ずさる。

 開かれたドアから入ってきたのは、児童養護施設の職員――相馬だった。


            ※


 爆発現場が慌ただしくなる。

 病院の職員たちが野次馬のように集まるが、彼らには成す術はない。

 ただ、重傷を負った和泉だけは、すぐに手術室に運ばれていった。

 一方の日下部は、刑事であることを明かし、現場を保全するため、その場で指揮を執っていた。

 消防や警察が来るまでの間、混乱をおさめなければならない。

 本当なら、春花の下まで駆けつけたい。

 だが、この現場を放ってはおけない。

 やがて、消防のサイレンが近づいてきた。

 一秒でも早く引き継ぎを終わらせて、駆けつける。

 それまでの間は、彼に託すしかない。

(頼んだぞ)

 別れる際、青年は言った。


 春花を守らせてくれ――と。

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