第一話 アリアドネ(7)

「それで、どうして捜査の打ち切りをした」

 視線は前方、手はハンドルを握りながら、言葉は助手席に座る和泉に投げかける日下部。

「打ち切り――と言うよりは、引き継ぎですね。打ち切りにすると、あなたのような人から不満の声が出て、勝手に動き回られたり、あらぬ憶測を立てられたりすることもありますから」

 視線を正面に向けていても、和泉が横目にこっちを見ているのが感じられる。

「じゃあ、あんたは俺を監視しに来ってわけだ」

「いえ。どちらかと言うと、むしろ協力を仰ぎに来たんです」

「協力だ? だったら捜査を続けてさせてほしいんだが……」

「それとこれとは話は別です。私が協力を求めているのは、あなた個人です」

「俺が? 俺みたいな奴が、あんたのような存在にどんな協力ができると?」

「そういう勘のいいところは素直にすごいと思いますが、あまりチラつかせすぎると、命取りになりますよ」

 ふふ、とわざと聞こえるような笑い声に、日下部は娘にあしらわれる父親のような気分になった。

 もちろん、父親になどなったこともないから、あくまで想像だが。

「分かった。ここは素直になるさ」

「懸命です。私が欲しいの情報です」

「なんの情報だ?」

 左折のウインカーを出し、左に曲がる。

 その際に視線を左――和泉へと向けるが、まるでこっちのさりげない視線に合わせるかのように、彼女もまた、日下部の方へ視線を向けていた。

 やっぱり、只者じゃない。

 警察というよりは、まるで諜報員のようだ。

「勿論、小畑史人に関することです」

「ふ――小畑史人?」

「ここまでしておいて、まだシラを切りますか。あなたが小畑史人と大学時代の同期で、殺される直前まで交友関係が続いていたことも知っていますよ」

「当たり前のように言っているが、やっぱり史人は他殺だったんだな」

「拳銃による射殺。他殺以外のなにものでもないでしょ?」

「誰が殺した」

 日下部は直球で訊いた。

 遠回しにする必要もなければ、勘繰る必要もない。

 何よりも、日下部自身の理性が持たないだけだ。

「それは言えません」

「ふざけるな」

 叫ばず、だがドスの利かせた声に、日下部は和泉を睨みつけた。

「わき見運転ですよ」

「……」

 いつもの口調で和泉が言うも、日下部は答えず、ただ睨みつけ、そしてアクセルペダルを少しずつ踏み込んでいった。

 速度メーターが40から50を超え、60に近づいていく。

 前方車もなく、次の信号まではまだ距離がある。

 だが、危惧すべきは事故ではなく、取り締まりの方だ。

 このまま60を超えてもまだ踏み続ければ、速度超過となる。

 それが何を意味するのか、馬鹿でなければ理解もできるはず。

「速度を落として」

 和泉の表情から余裕が消える。

 その言葉に、日下部はグッとアクセルを一瞬だけ踏み込んだ。

 座席に押さえ込まれるような一瞬の加速が、拒絶を告げる。

「……」

 エンジンが少しずつ唸り声を上げ、メーターの針が60に重なる。

 日下部と和泉は視線を交わしながらも、その表情は真逆だった。

「……っ」

 信号が近づく。

「……」

 青が黄に変わり、

「……ぅ」

 黄から赤になる。

「……」

「アステリオス計画!」

 急ブレーキによってロックされたタイヤがアスファルトに削られるのを、座席越しに感じた日下部だったが、和泉はそれどころではない様子だった。

 肩で息をする和泉に対し、日下部は変わらず睨み続けていた。

「あなた、正気じゃないわ」

「あんたが何者か知らないが、俺はこれでも勤続二十年を超えてるんだ」

 そう言いながら左ウインカーを出す。

「あまり大人の舐めるなよ」

 信号が青に変わると、日下部は安全運転で車を走らせた。

「で、アステリオス計画ってのは何だ?」

 訊ねるも、まだ落ち着けていない和泉に、日下部はさりげなく煙草の箱を差し出した。

「吸うか?」

「吸わないわよ!」

 ぺしっと手の甲を叩かれるも、日下部は煙草の箱を落とすことなく、ポケットに戻した。

「忠告しておくけど、私が正体を明かさないのは、あなたのためなのよ。訊けば、戻れなくなる。口外すれば、僻地に飛ばされるか、やってもいない不祥事を擦り付けられて、今後の人生を路上で暮らすことになるわよ」

 和泉は『警告』ではなく『忠告』と言ってくれた。

 それが彼女なりの最大限の配慮なのだろう。

 だが、日下部にも意地がある。

「親友が殺された。その娘は、すでに母親を失っている。史人と秋乃が結婚したとき、仲人は俺がつとめた。娘の春花ちゃんが生まれた日、俺は出産祝いを両手に産婦人科に駆けつけた。残された春花ちゃんのためなら、俺はなんでもする」

「……人というのは厄介ね」

「ただ言われたことをするだけなら、機械で十分だ」

「……そうね」

 そう呟く和泉が、今まで二人の間にあった壁を取り払ったかのような、素の表情を垣間見せたような気がした。

「そんなあなたにとって、アステリオス計画はきっと、反吐が出るようなものなんでしょうね」

「そのアステリオス計画っていうのに、史人は関わっていたのか?」

「……正確には違う。アステリオス計画は氷山の一角に過ぎない。小畑史人が関わっていたのは、むしろその大元の方」

「大元だと? 史人は防衛省関連の職場で働いてるって言ってたが……」

 信頼しているが、史人がどんな仕事をしているのか日下部は知らない。

「そうよ。彼は、IAT――先進技術研究所の主任で、ある防衛システムの開発責任者だったのよ」

「IAT……聞いたことがないな」

「当然よ。元は防衛庁の技術研究本部でも非公開の部門だったんだから」

 防衛庁の技研ならば名前くらいは聞いたことがある。

 だが、技研が何をしているかなんて知るはずもなく、ましてや内部編成など知る由もない。

「昔は、十年先を行く技術の研究開発を目的とした部門で、あまり注目されていなかったけど、急速なITの発展によって、むしろ今では最も研究開発が進んだ部門となって予算もつぎ込まれ、一部門だったのが防衛省への移行に伴い、ひとつの独立した研究所を与えられた。それが、IAT」

「で、そのIATとやらで、史人がある防衛システムを開発していたと?」

「ええ。それは『Lシステム』と呼ばれていて、国防の要となるはずだった」

「はずだった?」

 不穏な言葉に、日下部はオウム返しに訊いた。

「事の発端は、彼が事故死に見せかけられて殺されたあの日から一週間前のこと。内部告発があったの」

「内部告発……ってことは、あんたは――」

「ええ。私は内部監査室に所属している監査官よ」

 和泉が正体を明かした――と思ったが、違う。

 まだどこに属しているのか、彼女は言っていない。

 内部監査官であることを告げながら、一方で所属先を絶対に口にしない。

 それほどまでに秘匿しなければらない――言い換えれば、口外できないと言うこと。

 それが逆に、日下部に確信に近いものを匂わせた。

「春花ちゃんの母親——秋乃が亡くなった理由を、あんたなら知ってるだろ?」

「……ええ」

 ほんの少しの間を空けて、和泉が首肯する。

「ビル爆破テロ。自爆テロだったため、犯人は不明、目的も不明。人質となったのは、当時オープン予定だった複合施設の関係者の十人。そのうちのひとりが、春花ちゃんの母親——秋乃だった」

「そうだったわね」

「世間には自爆テロと報道されていたが、戦後初のテロに、警察も自衛隊も即応できず、そして何よりも連携をとることができず、むしろ情報を隠したり、攪乱したりと足を引っ張り合い、結果、こちらの動きを察知され、自爆を許した」

「そういう噂もあるわね」

「この散々たる結果を重く捉えた国家は、国民からの強い非難もあり、足の引っ張り合いをした警察庁、国家公安庁、そして当時の防衛庁の三庁による合同組織を創設されたと言われている。それが本当に存在するのかどうかは分からない。むしろ、そういう噂を流し、俺たちのような警察関係者たちを納得させるための偽情報だったって噂もあって、嘘かまことか曖昧なままで噂どまりになった組織。まさか本当に存在してとはな……」

 横目に向けた視線が和泉と交わる。

「日本を国内外から守るための、防衛と防諜を兼ね揃えた非公開組織。SIAシア――それが私が所属する組織の名前です」

 至極冷静な声音で和泉が告げる。

「これでやっと、スタートラインに立てた気がするな」

「ゴールラインを越えられる保障はありませんからね」

「分かってる」

 少しずつ、この事件の真相に近づいている。

 だが、それと同時に、日下部は春花の身を案じずにはいられなかった。

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