第27話 メイド少女と異形の神編

「な、なんだ今の揺れは!?」

「分かりません! マシンへの電力供給量が低下しています!」

「侵入者の対処に向かった警備員たちからの通信が途絶しました!」

「くそっ! ここにきてトラブルなんて冗談じゃないぞ!」


 研究も最終段階へ入り、いよいよ最後の大詰めという場面で相次ぐトラブルの知らせに、研究主任の男は苛立ちも顕わに声を張り上げる。


 一族が四世代もかけて挑戦してきたテーマがいよいよ実ろうとしているのだ。

 せめて装置だけでも起動してデータを採取しなければ割に合わない。


「主任! マシンルームが!」

「何っ!?」


 モニターに映るマシンルームのリアルタイム映像に、主任の男は己の目を疑った。

 マシンルームを覆っているはずの厚さ十五メートルのコンクリート壁に罅が入っていたのだ。

 しかもその亀裂はこうしている今もどんどん広がっていっている。


 瞬間、亀裂を喰い破るように無数の触手がマシンルームを覆いつくし、カメラの映像が途絶した。

 続いて攫われた人々を閉じ込めたカプセルがズラリと並ぶ保管庫の映像も、触手に蹂躙された映像を最後に途切れる。


 映像を見た全員が言葉を失い呆然とその場に立ち尽くす。


 今まで準備してきた全てが一瞬にして台無しになったのだ。

 その絶望は筆舌に尽くしがたいものがあっただろう。

 中には喪失感に耐え切れず叫び出す者や、壊れたように笑い出す者までいた。


「……まだだ。まだ予備機が残っている!」


 主任の男の言葉に騒然としていた場が静まり返る。

 そうだ。こんな時に備えて整備用のパーツを組み上げて作られた予備のマシンがもう一台あったではないか。


「急いで予備機を起動させるんだ! データのバックアップは取ってあるな!?」

「ですが生体部品が……」

「……こうなれば仕方ない。生体部品は我々の影を使う。人質と警備員たちも影で人数を水増しすれば一応理論上の必要最低数は揃う」

「そんな!? 危険すぎます!」

「じゃあここまできて諦めろと言うのか!? 皆は諦められるのか!?」


 諦めたくないと、誰かが言った。

 その声に賛同するように、次々と声が上がり、やがてそれは大きなうねりとなって部屋を揺るがした。


「ここまできて諦めてなるものか。トラブルがなんだ! 科学者の意地を見せてやれ!」


 研究者たちが思い思いの返事を返し、すぐさま予備機を起動させるために全員が動き出した。


「誰だか知らないが、僕たちがこの程度で諦めると思ったら大間違いだぞ」


 研究者たちに指示を出しながら、主任の男はカメラが壊れて非表示になった画面を睨みつけた。




 ◇



 ――――緊急事態発生。緊急事態発生。これよりプランBへ移行する。繰り返す、プランBへ移行する! 全職員は直ちに作業を開始せよ!



 断続的に揺れが続く研究所内に、けたたましい警報音が鳴り響く。


「なんだ? プランBって」

「分からん。だが、まだ終わった訳ではなさそうだ。厄介な呪術がある以上、マシンルームと制御室を目指す者でそれぞれ別れたほうがいいだろうな」


 ひとまずの目標を定め、辰虎たちが再び動き出そうとした時だった。


「ケケケッ、主任のクソ野郎もいよいよ焦り出したみてぇだなァ」


 全員が声のした方へ振り返る。

 巨大なチェーンソーを担いだ派手な見た目の女だ。

 頭部の右半分を剃り込んでおり、左半分は虹色に染めた髪を三つ編みにして肩まで流している。


 黒いビキニの上に胸元を大きく開いた水色のシャツを重ねており、首元で光る髑髏のシルバーからは微かに神の力が感じられた。

 よく鍛え上げられた腹筋を惜しげもなく晒しており、シルバーで飾られたホットパンツからはしなやかな美脚がスラリと伸びている。


 ギラリと光る三白眼が高時たちを一瞥して、女はギザギザの歯を剥き出しにして凶悪な笑みを浮かべた。


「あなたは行かなくてもよろしいのですか」

「ハッ! アタイは雇われの用心棒だからな。爺さん、アンタ相当強いだろ。ちょっとアタイの相手してくれや。退屈で仕方ねぇんだ」


 女がチェーンソーの紐を勢いよく引く。ドルンッ! とエンジンに火が灯り、無数の刃が獲物を求めて唸りだす。

 高時が大太刀の柄に手を添えると、辰巳たちの目の前の床がバラバラに崩れ落ち、新たな道ができた。


「行ってください。どの道呪術で縛られている以上、奥に進むほど私は役に立たなくなる」

「分かりました。お前たち、行くぞ!」


 高時の背中へ一礼して、ヨボヨボになってしまったピエロを背負った辰虎は、辰巳たちと共に床の穴へと飛び込んだ。


「金払いがいいから用心棒なんてやってはみたが、待てど暮らせど侵入者なんざ一人も来やしねぇ。少しは楽しませてくれ……よっと!」


 唸る狂刃を女が出鱈目に振り回す。

 神殺しの神器により空間に傷痕が刻まれ、荒く切り裂かれた傷口が大きく


 空間を荒く削り裂くことで、空間が修復する最に生じる世界の「ズレ」を大きくし、その「ズレ」の範囲内に巻き込むことで全てを切断する、殺すことのみに特化した殺意の刃。


 壁が、天井が、床が、周囲の全てがチェーンソーで切り裂かれたような荒い断面を晒してバラバラに崩れ落ちた。


「ひゅう! やるじゃん。今のを初見で見切った奴は初めてだ」

「下品な技ですな。品性がまるで感じられない」


 だが、高時はそれを時間操作能力を一切使わず、目で見てから、脚さばきだけで躱してみせた。


 空間のズレに巻き込まれればいかに高時と言えど命は無い。

 だが、当たらなければ問題ない程度の攻撃など、そもそも高時が食らうはずもなかった。


「さて、あれだけ大口を叩いたのですから、当然、一撃以上は耐えてくれるのでしょうな?」


 高時が大太刀の柄に手を添える。

 直後、女の持つチェーンソーから悲鳴のような異音と共に火花が散った。


「っつ~! ははっ! なんつー重い一撃だよ」

「ほう。今のに反応しますか。どうやら口先だけではなかったようだ」


 一撃で終わらなかった相手など、果たしていつぶりだろうか。

 少なくとも百年は見ていない。

 それほどの手合い。


 久々に出会った骨のある敵に、高時の中で久しく眠っていた武士もののふの血がざわめいた。


「へへっ、俄然燃えてきた。こっからは本気で行くぜっ!」

「いいでしょう。少し遊んで差し上げます」



 ――――予備マシン起動まで、残り一時間。




 ◇




 マシンの起動を阻止するべく、霊力の総量から考慮して辰虎とピエロは制御室を、辰巳と愛斗はマシンルームを目指す事になった。


 すぐさま呪術の影響で辰巳と愛斗とはぐれてしまった辰虎は、精魂尽き果てたヨボヨボのピエロを背負って迷路のような廊下を突き進む。


「こんな時だというのに、迷惑をかけてしまい申し訳ない……」

「御仏の慈悲があった者を見捨てては僧侶失格だからな! 気にするな!」


 そんなお荷物を背負った辰虎の前方を、異形の怪物たちが塞ぐ。


 それは無数の触手を編み込んで形作られた四足歩行の獣だ。

 本来頭があるべき部分は触手の先端が不規則に蠢いており、生理的嫌悪感を視覚に訴えかけてくる。

 虎ほどもある体躯に備わった強靭そうな四肢は、禍々しい暴力性の具現のようですらあった。


 そんな異形の猛獣が三体。


 彼らは元々は研究の犠牲となり、地下空洞を覆う結界に阻まれ成仏もできずに研究所内を彷徨っていた浮遊霊たちだ。


 それが晃弘が無意識の内に身体から切り離した触手に憑依し、そこに残されていた邪悪な知識の欠片によって悪霊とも呼べない悍ましい獣へと変わり果ててしまった。


 すでに彼らには生前の記憶は無く、あるのは純粋な破壊衝動と、欠けた知識を補完しようとする知識欲のみである。


「……ボクを置いて先に行ってください」


 ジリジリと距離を詰めてくる獣たちを前に、ピエロが言った。


「馬鹿を言うな! せっかく助かった命を無駄にするんじゃない!」

「死ぬ気はありません。単純に相性の問題です。ボクならアレを無力化できる」

「アレが何か知っとるのか?」

「ええ。以前、似たような存在を見たことがあります」

「だとしても、そんな身体ではまともに歩けまい。ワシも残るさ」

「……ありがとうございます」


 全く、親子そろって度し難いほどのお人好しだ。

 だが、そんな親切を素直に受け取れるようになった自分の変化に気付き、ピエロは苦笑する。


 無償の善意はこの世に確かに存在した。

 それを思い出せただけでも自分は人生百回分くらいは救われたのだ。


「三〇秒ください。それで終わらせます」

「分かった」


 ピエロを背中から降ろすと、辰虎の背後で呪文の詠唱が始まった。

 背筋が寒くなる音の響きを聞きながら、辰虎が足を前後に開き拳を構えた。次の瞬間。


「ずべあぢあhふぃあjだdぺ!」


 槍のように鋭く伸びた無数の触手が、辰虎たちへと迫る。


「覇ッ!」


 裂帛の気合と共に、辰虎が両手を前にかざす。

 するとたちまち山吹色の壁が二人の前方に現れ、触手の槍を悉く跳ね返した!


 真言の無言詠唱。

 内なる祈りのみで御仏の守護を授かる、徳を積み重ねた高僧にのみ許された高等技術。

 不動明王の力があらゆる災いから二人を守ると同時に、光の壁に触れた悪しきモノへダメージを跳ね返す。


 だが自分が傷つく事などお構いなしに、獣たちは破壊衝動のままに触手を叩きつけてくる。

 獣たちはある意味ではヨグ=ソトースの眷属とも言える存在であり、僅かな神性を帯びた一撃は本来絶対に揺らぐはずの無い防壁を大きくたわませた。


「むぅッ! こいつらッ!?」


 不動明王の守護に罅が入る。

 それは彼らがすでに六道の外に落ちてしまった救済不能の存在である事の証明に他ならない。


 かの尊格は煩悩を抱えた最も救い難い衆生すらも力づくで救済するために、あのような恐ろしい姿をしているのだ。

 それ故、恐怖を感じず力にも屈しない化け物は救えないという事なのだろう。


 外道に落ちた化け物たちの猛攻が光の壁を叩き割り、無慈悲な触手の槍が辰虎たちに迫る。


「我が望むは若さと活力。差し出す対価は右目と左の腎臓、味覚と嗅覚と生殖能力、ついでに髪の毛も持っていけ」


 ピエロの呪文が完成し、ここではない何処かにいる悪魔に願い乞う。

 悪魔の見えざる手がピエロの身体を人形のように握りしめ、願いの対価を奪い取って消えた。


 変化は劇的だった。


「外道には外道なりの救いがある」


 辰虎を押しのけたピエロの鼻先で、触手の槍がピタリと止まる。


 老人のように枯れ果てていたはずの身体は、溢れんばかりの若さを取り戻し、その身に宿る霊力の波動は以前とは比べるべくもなく轟々と燃え滾っていた。


 右目を失った事でさらに凄みを増した、涙でドロドロに溶け崩れたピエロメイクの下で、男は不敵に笑ってみせた。


「さあ、おいで。ボクと友達になろうじゃないか」



 ◇



「ちょっと! ここもなの!?」


 拐われた人々が閉じ込められている保管庫へ通じる通路を塞ぐ触手の壁を前に麗羅は難儀していた。


 マシンルームは保管庫の真下にあり、整備点検用の出入り口は保管庫の中にしか無い。

 マシンルーム自体も分厚いコンクリートの壁で覆われているため、外から物理的に破壊するのはほぼ不可能だ。


 制御室からマシンを緊急停止させるという方法もあるが、制御室に向かわせていた式神たちは全て廊下を徘徊する触手の化け物に倒されてしまっている。


 今から自分の足で向かおうにも恐らく時間的に間に合わない。


「その身を焦がすは龍の伊吹。紅蓮の怒りは天を燃やし、落ちた空は大地を焼き尽くす! 万象一切灰塵と帰せ! 『爆龍砲!』」


 巨大な焔の龍が燃え滾るあぎとを大きく開き、砲弾のように壁目掛けてまっすぐに突っ込んだ。

 灼熱の伊吹が壁や天井を赤々と融解させ、爆轟が空気をビリビリと震わせる。


「なっ!?」


 しかし麗羅の最大の一撃を以てしても、触手の壁に傷一つ付けることすらできなかった。

 触手は周囲の壁をさらに侵食しながら、麗羅を嘲笑うかのように脈動する。

 その煽り方が、何故かどこかのバカを思い出させて、尚の事ムカついた。


「ああもうっ、何なのよっ!」


 苛立ちも顕わに麗羅が地団駄を踏む。

 なんとも形容しがたい冒涜的な感触が足に伝わり、全身に鳥肌がたった。


 いつの間にか退路を触手の壁が塞いでおり、浸食が足元まで及んでいた。


「ヤバっ――――!?」


 と、突然触手がグネグネと蠢き麗羅に絡み付く。

 咄嗟の抵抗も空しく、麗羅はそのまま蠢く床の中へ飲み込まれてしまった。


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