第26話 メイド少女と異形の神編

 全身に毒が回るのを待つことにしたのか、ドールマスターは麗羅たちから距離を置いて遠巻きに見つめるだけでなにもしてこない。


 右近と左近も襲ってこない相手に構っている暇はないとばかりに、出口を探して部屋中を駆け回ったが、とうとう出口を見つけることはできなかった。


 そして、ついに麗羅の霊力が尽きたのか、右近と左近は煙のように立ち消えてしまった。

 投げ出された麗羅の身体はもうピクリとも動かない。


「もう指一本動かせないだろう? 身体の感覚も無いはずだ。全く、良く持った方だと思うよ。やはり君こそ私の最高傑作に相応しい素材だ」

「…………」


 数百、数千という数のドールマスターたちが麗羅を取り囲む。

 すでにどこにも逃げ場は無く、逃げる体力も無い。

 まさしく絶体絶命。圧倒的優位に立ったドールマスターたちは愉悦に顔を歪め、口々にこの素材をどう仕上げるかの算段を立てはじめる。


「やはり自然の造形美には敵わないな」「特に下半身のラインが良い」「弄りようが無いほど完璧だ」「だが、胸が無さ過ぎるのだけはいただけないな」「胸は後で付け足してあげよう」「君にぴったりな形のいい胸のストックがあるんだ」


 無数の手が麗羅に迫り、その身体に触れようとした……まさにその時。


「余計なお世話よ! くたばれ変態野郎!」

「「「「「!?」」」」」


 毒で動けないはずの麗羅が力一杯の罵声と共に爆炎を上げて木端微塵に吹き飛んだ。

 続けざまに部屋のあちこちで連鎖的に爆発が起こり、瞬く間に人形だらけの異様な空間は炎の海に包まれ、監視カメラの映像が次々と途絶えていく。


「なんだこれは! 一体何が起きている!?」


 離れた場所にあるモニタールームから部屋の様子を監視していたドールマスターが、頭を掻きむしりながら悲鳴を上げた。


「私の人形劇、楽しんで貰えたかしら」

「っ!?」


 背後からの声に振り返ると、そこにはつい先程まで画面の中で死にかけていたはずの麗羅の姿があった。


「まさかあの部屋にいたのは偽者!? そんな、一体いつから!?」

「さあ? 自分で考えたら?」

『騙された騙されたー』

『やーい間抜けー』


 麗羅の背後から二匹の化け狐たちがするりと姿を現し、ドールマスターを小馬鹿にするようにクスクス笑う。

 種明かしをすれば、麗羅は最初から罠になどかかっていなかったのだ。


 事前に忍び込ませた式神たちによる調査で、研究所内の危険な能力者たちに関する情報はすでに調べがついていた。

 罠にかかったフリをしていたのも、ドールマスターの気を引き付け、その間に攫われた人々を救出する時間を稼ぐため。


 攫われた人々を救出するにあたり、一人で一軍に匹敵する数を運用可能なドールマスターは最も警戒すべき能力者だった。

 だから麗羅は自分を囮にして一芝居打ったという訳だ。


「……なるほど、どうやら私は狐に抓まれたらしい」

「眉に唾でもつけておけば?」

「効果があるなら是非ともそうしたいところだね」

「それはそうと、私、貧乳って言ってきた奴は例外なくブチのめす事にしてるの。……死ぬ覚悟はできてるんでしょうね?」


 麗羅が般若の形相で拳をポキポキ鳴らしながら、ドールマスターへと一歩、また一歩と近づいていく。

 鬼気迫る麗羅の迫力にドールマスターは思わず後ずさりそうになるが、どういう訳か指一本動かせなかった。


「くっ、影縫いの術か!? ま、待ってくれ! 胸がフラットなのは欠点ではない! むしろ弄り甲斐のある素晴らしい素材だと私は思う!」

「床にキスして死に晒せ!」


 有無を言わさぬジャーマンスープレックスが炸裂し、悪は滅びた。


「ちっ、やっぱりこれも人形だったか」


 人形の首がゴロンと取れて、クラッカー音と同時に口から「残念ハズレ」と書かれたテープが飛び出す。

 やはり噂通り、本体は決して人前には姿を表さないらしい。

 ここにいる麗羅も式神が化けた偽物なので、人の事を言えた義理ではないが、それはそれである。


 だが、研究所内に配置した人形を動かすための中継器は破壊できた。

 これでもうこの任務中はドールマスターはこの研究所へ干渉してくることは無いだろう。


「……あの野郎。いつか絶対地獄に送ってやる」


 研究所の各所に配置されていた戦闘人形が動かなくなったのを式神たちの「眼」を通じて確認した麗羅は、急ぎ隠れていた部屋を後にしようと動き出した……まさにその瞬間。


 ――――ゴッッッ!!!!


 目の前、鼻先数ミリの所を極大の霊撃が通過した。



 ◇



 鞍馬天魔くらまてんまには一年より前の記憶が無い。


 故に今の彼の人生は暗い夜道を当てもなくさまよっていた所を、全身白ずくめの女に拾われた所から始まっている。

 それより昔の記憶は全くの空白で、鞍馬天魔という名前すらも白ずくめの女、稲火から授かったものだ。


 その名の由来にしても、左右で色の違う目が昔会った鞍馬山の天狗に似ているからという何とも胡散臭いもので、彼自身、自分が空っぽの存在であると自覚していた。


 だからこそ、稲火が主導するこの計画は彼にとって人生の目標となりえた。

 世界の全てが記されているというアカシャの叡智、またの名をアカシックレコード。

 そこには間違いなく、自分の失われた過去についての記録もあるはずで、忘れてしまった自分の過去を知りたいと願うのは当然の欲求と言えた。


 そうしてこの一年、稲火の下で様々な知識を吸収しながら、天魔はその呪術的な才覚をメキメキと伸ばしてきた。

 実戦もそれなりの数をこなしており、すでに何人もの手練れの能力者を闇へと葬っている。


 だが、目の前の存在はこの一年で得た経験や知識のどれと照らし合わせてもまるで底が見えない。


「アハハハハハハハハハハハハ! 齲ゾ痲べ⑥ン儺ス! すぺぺぺぺぺぺめそ!」


 それは無数の触手を無理やり人の形に押し固めたような見た目をしていた。

 触手を編み込んで形作られた身体の奥で、玉虫色に輝く泡が浮かんでは消えていく。


 その泡の一つ一つを見つめていると、まるで不吉な星辰が揃った夜空を眺めている時のような、言い知れない不安が押し寄せてくる。


 その不安は彼の中で像を結び、一つの真実として浮かび上がる。

 

 天魔は気付いてしまった。

 目の前で輝く玉虫色の泡は、あらゆる時間と空間に接し、またそれらを内包している「宇宙」そのものであると。


 あの消え行く泡の一つ一つが宇宙の終演を意味しているのだとすれば、自分が立っているこの世界も、あの泡のようにいつ儚く消え行くとも知れない。


 そこまで考えて天魔は、目の前の存在と比べて自分が如何に矮小で取るに足らない塵芥であるかを自覚した。

 そして、そんな三千世界そのものの化身が、明確な意思を持ち自らの前に立ちはだかっている事実に、彼の心は恐怖という名の混沌に飲み込まれ、脆弱な自我は忘我の彼方へと消え去った。








「目覚めるのだー。矮小なる人間YO!」

「――――っは!?」

「謝って! よくもオレサマのピュアぴゅあハートを鷲掴みにしてくれたわねぇ? 痛かったゾ!」


 触手がより複雑に絡み合い先程よりもさらに人型に近づいた神が、戯れに天魔の頭を掴み、狂った心を無理やり元の形に整えてから脳内に直接語り掛けてきた。

 この神の前では狂って楽になる事すら許されないとでもいうのか。


「ひぃ!? ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「いいヨ☆ ユルしてあげYOじゃぁないか。今のオイラは心がユニバァァァァス! 些末な事じゃ怒らないのSA! アハハハハハハハ!」

「へ……?」


 謝ったらなんか許された。

 本当に何なんだ、コイツは。いったい何がしたいのかまるで分からない。

 というか、鼻とか耳を触手でこちょこちょするのはやめてほしい。


「なにナニ? イルミナティ? 超能力開発……ほー、脱走時に記憶喪失! なぁにこれぇ、中学生の考えた妄想みたいな人生してるねチミィ」

「え、ちょっと待って!? そんな重要そうな情報こんな風に知りたくなかったんだけど!?」

「FUFUFU☆ 仲直りのしるしに記憶を戻して差し上げYOじゃないか。そぉれ、たみふるるるいえびびでばびでぶー!」

「あばばばばば!?」


 耳から侵入した触手に頭の中をかき混ぜられ、白目を剥いて痙攣する天魔。

 だが、雑に扱われているようで一切痛みは無く、それが逆に得体の知れない恐怖を与えてくる。

 次第に頭の奥がフワフワしてきて、忘れていた記憶が徐々に蘇り……。


「って、猫のキ○タマの記憶しかねぇ!? 嘘だ! 嘘だよね!? 俺の今までの人生、猫のキ○タマの観察だけに費やしてきたの!?」

「それはワシの小五の夏休みの自由研究の記憶じゃ」

「お前小五にもなってしょーもねぇな! つーか人の身体で遊ぶな!」

「チミだってオレのハートを弄んだくせニ。これでおあいこだヨ。ちなみに自由研究は先生にめっちゃ怒られタ」

「あたりめぇだ馬鹿! つーかその言い方は語弊を生むからマジでやめてほしいんだが!?」

「美少年と触手、間違いが起きないはずもなく……」

「やめろっつってんだろ! あ、コラ! 鼻の穴を勝手にほじるな! チックショー! いっそ殺せぇーっ!」


 しかし動かせるのは口だけで、身体は全く反応してくれない。

 脳を弄られた時点ですでに天魔に勝ち目など無かった。


「うん、よしよし。この身体にも慣れてきたナ」

「人の身体で慣らし運転しないでくれますかねぇ……。俺をどうするつもりだ」

「そうだナ……よシ、じゃあこうしようカ」


 しばし考えるそぶりを見せた神は、この先の世界の行く末を決めたのか指先を天魔の鳩尾へ向ける。

 

 刹那、触手が天魔の鳩尾みぞおちを貫いた。

 しかし出血は無く、痛みもない。ただ異物が身体の中にあるという気持ち悪い感覚だけがあった。

 触手は正中線をなぞるように下へ下へと移動して……。


「おい、待て。待って! そこより下はマジでまずいって!? やめ、やめろぉーっ!」

「はい、切除」


 触手が股の下からスルリと引き抜かれる。

 その先端には天魔にとってはよく見慣れた、しかし絶対にそこにあってはならないモノが握られていた。

 痛みが無いのが逆に恐ろしかった。


「……かえして」

「ドド――――――――ン、パァ☆」

「やめろ――――――――――――っ!」


 神は無造作に切除した「ナニ」を指差すと、その指先から光が迸る。

 光が収まると、その直線上にあった「モノ」は、壁から部屋から全て綺麗さっぱり消え去っていた。


「俺を殺した罪は許しタ。すでに一回死んでタしナ。ノーカンって事にしておいてやるヨ。けどお前、他にも何人も殺してるだロ。大人たちにそうしロって命令されて仕方なかったのかもしれないけどサ、やっぱりどんな理由があっても人殺したら地獄行きなんだヨ」

「    」


 あまりに残酷な仕打ちに、言葉すら出ない。


「だから、お前には女の子になってもらいまス。自分が殺した分だけ生んで育てて償エ。お前が今まで殺した人数と同じ数だけ生んデ、全員立派に育てた時、お前の今生の罪が全て清算されル。そういう風に作り変えてやるヨ。新しい人生を沢山の子供たちに囲まれてせいぜい幸せに過ごゼ」


 心臓に触手が撃ち込まれる。やはり痛みは無かった。

 無茶苦茶な理論を振りかざし、神の理不尽な力が天魔の身体を作り変えていく。


 元々男にしては華奢だった体格は、より華奢に、起伏に富んだ女性らしい体つきへ。

 やがて肉体の変化が完了し、触手が心臓から引き抜かれると、そこには目をみはるほどスタイル抜群な美少女の姿があった。


「サービスで肉体の老化速度を普通の人の三分の一に、ついでにおっぱい特盛の安産体形にしといてやったゼ! これならどんな男もイチコロだロ。せいぜい励めよ天魔ちゃん!」

「……して」

「あン?」

「もどして! 返せよ! 俺のお○んちん返してよぉぉぉぉぉ!」


 まだ童貞だったのに。こんな仕打ちあんまりだ。

 雑に床に放り出され、怒りと悲しみのあまり我を忘れた天魔が善意百パーセントの邪神に掴みかかる。


 とはいえ、これで組織の刺客に追われる事も無くなり、第二の人生を手に入れたのだから、見方を変えれば神の慈悲とも捉えられなくもない。

 が、天魔がそれを受け入れるにはまだ少し時間がかかりそうだった。




 ――――あ、やっべ。ファイアウォール破られた。ごめん相棒! 壁張り直すまで耐えてくれ!




「えっ、ちょ、そんなの聞いてな……がががががが!? くずクズ崩れるるるるるるるる!? 落ちおちちちちちちっちっちちちちちちちち■ゴ邊レぺ痲ゾ!?」

「うわぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 人の形をかたどっていた触手の身体が解け、ブクブクと泡立ちながら膨張していく。


 時間を超越し、あらゆる空間に接する全知全能の神「ヨグ=ソトース」の力は、本来矮小な人間ごときが扱えるものではない。

 故に、それを人が扱おうとするならば、その無限に等しい情報を取捨選択して人が扱えるレベルまで情報量を落とす必要がある。


 元々人の精神は五感で得られる情報量にしか対応しておらず、霊能力者であっても、せいぜい第六感までが人の限界だ。

 晃弘の場合、内なるもう一人の自分に情報の制御を任せる事で、辛うじて人としての意識を保っていた。


 だがやはり本体から分離した欠片では、扱える情報量にも限界があったらしい。

 というかそもそも本体と比較してスペックがあまりにも貧弱すぎた。完全なパワー負けである。


 晃弘の精神に限界を超えた情報量が送り込まれ、彼の自我は瞬く間に激流に飲み込まれ……。


『亜案ダイオBふぅあbfの五Wくぁんふjbrgヴォエうbrgvくぉうぃrhふぃwqんfqwfvwmcうぃえfじゅおwqrhふぉうぇんふぃwくぇんfiwんふぃうぇんfpojepfjeiofefn;jwebfiowえふぃおぉぉぉおあおあえいうえいあうえ。ぷぇっ』


 混沌より湧き出た大量の触手が研究所の壁や天井を突き破り、地底世界の天井の一部を崩落させた!

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