第28話 メイド少女と異形の神編

 触手の壁に行く手を阻まれ道を迂回していくと、やがて辰巳は崩落した壁の隙間から研究所の屋根の上に出た。


 高い屋根の上から見渡すと、広大な地底世界が一望できた。

 地底世界の天井には大小様々な光の粒が散りばめられていて、その光を蓄えたかのように、大地には光るキノコの森がどこまでも広がっている。

 

 そんな神秘の世界を穢すように、研究所の天井を突き破った黒く禍々しい肉の大樹が地底世界全体に枝を伸ばしていた。

 枝の先には泡立つ光の玉が果実のように実り、肉の木が脈動する度に、切り離された触手がボタボタと地面へ降り注ぐ。

 

 降り注いだ触手に浮遊霊たちが憑依して異形の怪物へと姿を変え、地底の生物たちを目に付いた傍から虐殺していく。

 聞くに堪えない断末魔があちこちから響き渡るその光景は、まさに地獄の再現そのものだった。


「クソッ! 止められんかった!」


 こうなるのが怖かったから目を離したくなかったのに、まさか霊力量で時間の流れ方が変わる呪いなど誰が予想できようか。


 過去や未来は見通せても、時間の流れそのものを視る事はできない。

 見たくないモノばかり見えて、肝心なところで役に立たないこの眼だが、それでもまだ希望がないわけではない。


「くそっ! くそっ! なんなんだよ畜生! どうして俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだクソがぁぁあああああああ!」


 大樹の根元で、一人の少女が紫電と黒炎を纏いながら異形の獣たち相手に立ち回っていた。


 右が赤で、左が黒。それぞれ色の違う瞳と、漫画のキャラクターみたいな大きな胸が印象的な少女だ。

 町を歩けば十人中十人が振り返るであろう美少女。

 なのに、全身から滲み出るどす黒いオーラが全てを台無しにしていた。


 どんなに見た目が可愛くても臭くて穢れた子は好きになれそうにもない。


 そして辰巳の眼は、少女の隠された真実をつぶさに暴き出す。


「なっ!? ヒ、ヒロの奴、なんてことを!?」


 男を女にして殺した分だけ生ませようだなんて、何をどうしたらそんな狂気的な発想が思いつくのか。


 確かに彼(今は彼女だが)の人生は悲劇的で、幼い頃から超能力開発のために過酷な実験を受けてきた。

 大人たちに言われるがまま殺したし、殺されそうにもなった。


 天魔に選択肢など無く、逆らえば待っているのは死よりも恐ろしい拷問の数々。

 予算をかけて開発された能力者は、そう簡単には死なせてもらえない。


 そんな環境に疑問を抱き、自由を求めたからこそ、天魔は決死の覚悟で組織を抜け出したのだ。


 彼の過去を思えば、新たな人生を与え、一つの生き方を提示したのはある意味慈悲とも受け取れるだろうが、それにしたってやり方が悍ましすぎる。


 友人がやらかした善意百パーセントの邪悪な行いに辰巳は戦慄した。

 一番与えてはいけない人間に神の力が与えられてしまった。

 早くあのバカを止めないと、次は何をやらかすか分かったものではない。


 というか、現在進行形で増え続けている眷属たちが地上に解き放たれたら、それこそ世界の終わりだ!


「そこの人! 明日の朝日を拝みたかったらちょっと手伝ってくれ!」

「あぁ!? 誰だお前!」

「あのバカを神の座から引きずり降ろす! じゃないと世界は破滅する!」

「知るかぁ! こんな世界ぶっ壊れちまえばいいんだ!」

「気持ちは痛いほどわかるけども!」

「うるせー! 俺の気持ちがわかられてたまるかバカヤローッ!」


 天魔の荒ぶる感情に呼応するかのように彼女の視線の先で黒炎が爆発的に燃え上がり、異形の獣を業火の中へ消し去っていく。

 

 彼女の黒炎は「燃える」という概念を対象に付与する。


 そのため、本来なら燃えるはずのない物まで燃やす事が可能で、あらゆる物理的な攻撃を無効化する獣たちに対しても有効だった。


「言っとる場合か! せっかく自由になれたんやろ! ここで諦めてええんか!? 諦めたくないから戦っとるんやろ!?」

「っ! ……ちっ、どいつもこいつも、人の事わかったような口聞きやがって!」


 記憶を取り戻した今となっては、ここにいる理由も無くなってしまった。


 突然女として生きろと言われて納得などできるはずもないが、それでも自由を求めて鳥籠とりかごから飛び出した終点がこんな地の底なのはもっと嫌だった。


 黒炎が空を翔る龍の如くうねりを上げて、辰巳に襲いかかろうとしていた獣たちを一瞬で消し炭に変える。


「今回だけだからな! 仲間になったとか思うんじゃねえぞ!」

「こっちだってお前みたいな臭いやつと仲良くなりとうないわ! いいから俺が指差した所を燃やしてくれ! まずはあの眷属たちの生産を止めんと!」

「おいコラ!? なんだよ臭いって!? いい匂いだろうが! だあぁぁぁッ! なんで俺から女の子みてぇないい匂いがすんだよ畜生! あの野郎いつかぜってーぶっ殺す!」




 五年前のあの日、臥龍院尊は自分に全てを見届けろと言った。


 箱の中の猫は箱を開けてみるまで、生きているか死んでいるか分からない。

 分からない以上、そこには生きている可能性と、死んでいる可能性が二分の一の確率で同居している。


 あの時の彼女は、まさに生きているとも死んでいるとも言えない曖昧な状態だった。

 そして、影の子宮を通じて疑似的に生まれ直した麗羅を辰巳が観測した事で、彼女の存在はこの世界に生きているものとして確定した。


 同時に晃弘も箱の中で生きている状態と死んでいる状態、二つの可能性を持つ存在となり、箱の外へ出て辰巳がそれを観測した事で彼は死から蘇生したのだ。


 ならば、あの悍ましい異形の神の中から晃弘が元の姿で戻ってこれる確率だって二分の一のはずだ。

 観測することで事象が確定するなら、望む未来の可能性を見通す事で運命だって変えられるはず。


 目の前の真実から目を逸らすな。

 生まれた時から持て余していたこの眼を使いこなせ。

 誰もが笑って終われる最高のハッピーエンドを観測しろ!



 かくして、二人の奇妙な共闘が始まった!



 ◇



「ここは……?」


 麗羅が目を覚ますと、そこは巨大な本棚の迷宮だった。

 壁はおろか、床や天井、柱すらも全て本棚で構成されており、そんな光景がどこまでも無限に広がっている。


 ここがどこかは分からないが、ひとまず出口を探そうと勘だけを頼りに本棚の縁に沿って歩いていく。

 やがて本棚の迷路の向こうに開けた空間が現れた。


 部屋の中心には巨大な扉があり、そこからはみ出している触手と光の泡の塊を見上げていた少年がこちらへ振り返る。


「よぉ、

「なんでアンタがここにいるのよ!?」

「ここは俺の精神世界だぞ。むしろ俺がいなきゃ嘘だろ」


 晃弘の言葉に麗羅はそういえば触手の壁に取り込まれたのだったと思い出す。

 え、ちょっと待って。という事はつまり……。


「え、何。じゃああの触手の壁アンタだったの!? って、自分で言ってて意味分からなくなってきた。え、待って、えっ!?」

「それ以上考えるな。死ぬぞ」

「うにゅ……」


 突然両手でほっぺたをむぎゅっと挟まれ、麗羅の意識はそちらへと引き戻される。

 ついでに、彼女の中で形になりつつあった恐ろしい想像もどこかへ霧散してしまった。


「っ! 突然何すんのよバカッ! こんな所でいつまでも遊んでる暇はないのよ! 早く行かないと美羽が……っ!」

「落ち着けって。マシンは相棒が取り込んじまったし、攫われた人たちも部屋ごと触手で覆って保護してるから大丈夫だって」

『ぷぇっ』


 晃弘が指差した先には、力を使い果たして溶けたチーズみたくへたばるもう一人の晃弘の姿が。


 扱いきれない無限の情報は一旦本の形に整理、封印され、本体との接続経路も扉の形に具現化された。

 本体とのスペック差は取り込んだマシンを並行世界の晃弘たちの脳を使って動かすことでどうにか補った。


 だが、マシンを動かすために未来の自分から霊力を前借りした影響で、霊力が回復しなくなってしまったのである。


 あまりにも無茶苦茶なやり方に麗羅は呆れた様子で胸倉を掴んでいた手を下ろす。


「相変わらず無茶苦茶やるわねアンタ……。あちこちで暴れてる触手の化け物も何か考えあってのものな訳?」

「いやー、悪い悪い! あれは普通に想定外だわ!」

「アンタねぇ!」

「いや、でもああやって余計なモノを切り離してねぇとアレに意識持ってかれちまうし。そうなったらそれこそ一発でこの宇宙はシャボン玉みたく弾けてジ・エンドだ」


 そう言って晃弘が指差す先には、扉からはみ出すよく分からない触手と光の玉の集合体が。


 あの浮かんでは消えていく光の玉はもしや……。


 そこまで考えて、麗羅はすぐに考えるのをやめた。

 これ以上その事について考えたらまともでいられなくなる。そんな予感があった。


「それより、アレをどうにかしたいんだが、手伝ってくんね?」

「ふん……っ。どうにかって、具体的にどうすんのよ」

「力ずくで元の場所にお帰りいただく。相棒が頑張ってここまで舞台を整えちゃくれたが、それで殆どパワーを使い切っちまった」

「よく分かんないけど、とりあえずアレを扉の向こうに押し込めばいいのね?」

「そゆこと。……やれるか?」

「愚問ね。私を誰だと思ってるのかしら」

「ははっ、だよな。頼りにしてるぜ■■」


 それはすでに失われてしまったはずの『誰か』の名前だった。


「っ!? あ、アンタ、まさか……」

「ああ、ようやく全部思い出した。悪かったな。忘れちまってて」


 けど、と一息置いて、晃弘は扉の方へ向き直りさらに続ける。


「ようやく見つけたんだ。お前を元に戻す方法をよ。しかもおあつらえ向きに、お前がここに来てくれた事で条件は全部揃った」


 今、二人の精神は一つの身体に同居している状態だ。

 そして曲がりなりにも晃弘は全知全能の神と同化し、その一端とはいえ神の叡智を扱ってもみせた。

 その過程で得た知識を使った結果、一人の少年の人生が大きく狂ってしまったが、それはそれ。


 ともあれ後は邪魔な本体を時空間の奥底へ押し返して、持ち出した情報を麗羅に定着させれば全ては丸く収まる。


「邪神ブッ飛ばしてハッピーエンド。これ以上分かりやすいエンディングもねぇだろ?」

「何でアンタは昔っからそう無茶ばっかり……!」


 アレが何かは分からないが、おそらく理解しようとしてはいけないものなのだろうという事くらいは分かる。


 そんなものから何かを得ようとすれば、人の精神など用意に破壊され、その先に待つのは破滅の未来だけだ。

 それが分からないほど、犬飼晃弘という少年は馬鹿ではない。


 だが、それでも。


「命の恩は倍にして返すって決めてんだよ」


 男にはやらねばならない時がある。


 すでに自分が死んでいたって関係ない。

 助けられたら助け返す。恩には恩で報いる。それが人情というものであり、人生を切り開く上で最も大事なものだと、祖父から学んだ。


 なにより、本当は寂しがりやのくせに寂しいと言えない、素直じゃない幼馴染を助けるのに御大層な理由なんてそもそも必要ないのだ。


「それに、勝算がゼロだったわけでもねぇしな」


 言って、晃弘の手の中で光の粒子が寄り集まり、武骨な金棒へと変化する。


 それは概念すらも叩きのめして破壊する、地獄の拷問具。


 本来は亡者たちの歪んだ精神を叩き直すための道具であり、このような使い方はそもそも想定されていないのだが、そこは流石のメイドインヘル。

 想定外の使用方法にも壊れず主の期待に応えてくれた。


 これがあったから、彼はこうして今も人としての意識を保つことができたのだ。


「さあ、ラストバトルだ! 無くしたもん全部取り戻す覚悟はできてんだろうな!」


 ……ああ、そうだった。

 自分が知っている幼馴染の少年は、一度助けると決めたらどんな無茶苦茶な事をしてでも絶対に助け出す。そういう奴だった。


 知っていたからこそ、あえて突き放そうとした。

 彼が無茶な事をしないように。すでに手遅れの自分なんかのために、彼が傷つく事のないように。


 だというのに、コイツときたら。

 会う度に突っかかってきて、勝手に無茶な方へ突っ走って。

 いつの間にか元の居場所に戻れるかもしれない道筋まで整えていてくれた。


 本当にムカつくほどお節介で、生意気で、チビで、スケベで。



 ……だけど、こんなの、嬉しくないはずがない。



 でもそれを正直に言うのはなんだか悔しいから。

 思わず零れそうになった涙を堪えて、いつも通りの態度で麗羅は答える。


「ふんっ、当然よ。奪われたままなんて私のガラじゃないわ! 倍にして取り立ててやるんだから!」

「ハッ! お前らしいな。行くぞ!」


 麗羅がレッグポーチから取り出した札を指に挟み、目の前で構える。

 すると札が青く燃え上がり、その手の中に彼女の身の丈の倍はある薙刀が現れた。


 それぞれ武器を構えた二人に反応して、触手が俄かに動き出す。



 二人だけの最終決戦が、今、始まる――――!

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