第24話 メイド少女と異形の神編

「久しいな高時よ」

「はい。あれから千年になります」

「……そうか、あれからそんなに経つか」


 松明の光を、よく磨かれた銅鏡がチラチラと跳ね返す。

 老執事、逢魔高時の面前に座る緋袴の女は、久方の再会を喜ぶように、くすりと笑みを深めた。


 長い黒髪の女だ。その容姿は麗羅と瓜二つであるが、その身に纏う神秘的な雰囲気のせいか、また違った印象を与えてくる。


「ですが貴女と過ごしたあの日々は、何年経とうと色褪せることはなかった」

「お主も千年の間に少しは世辞を覚えたか」

「時間だけならいくらでもありましたからな」

「そういう所はまるで変わっておらんの」


 かつては夜鳥羽の巫女と呼ばれた女と、その守り人だった男。

 実に千年ぶりの、二度と叶わぬはずだった再会。

 どうやら結界を通り抜けた拍子に時空のひずみに落とされてしまったらしい。


「まさか千年も思われ続けるとは、妾もつくづく罪な女子おなごよの」


 かつて、決して叶わぬと知りながらも男は巫女に恋慕の情を抱き、女もまたそんな守り人を愛していた。


 だが、二人の愛は最悪の形で引き裂かれることになる。


 不死の霊薬を求めた時の帝は、万に通じる巫女を后に迎え、その知識の全てを得ようとした。

 巫女は屋敷の奥深くに閉じ込められ、長い軟禁生活の果てに、とうとう神の叡知の深淵を覗いてしまう。


 邪悪な知識に精神を犯され、生きたまま祟り神へ成り果てた巫女は都に災厄をもたらし、微かに残った記憶を頼りに己の生まれ育った地を目指した。


 通りすぎた土地に死と呪いを撒き散らしながら、七日七晩の果てに故郷の土を踏んだ祟り神は、都から追ってきた高名な陰陽師と、巫女の血を分けた分家たち、そして巫女の守り人だった男の手により討たれ、そのくびは今もかの地に建てられた社の下に眠っている。


 討たれた頚が眠る社は、いつしか頚切神社と呼ばれるようになった。


「お主にはつらい思いをさせた」

「……いえ。謝らなければならないのは私の方だ」


 男はかつて、愛した女を守れなかった。

 愛する者に刃を向けた後悔と呪いにその身を苛まれた男は、長い苦しみの果てに鬼となった。


 過去を悔やみ続けた男が時を操る妖力を手に入れたのは、果たして如何なる皮肉であろうか。

 だが、時の流れを操り、人の死すら無かったことにできても、一番やり直したいあの時へ戻る事だけは叶わなかった。


 高時が遡れるのは、鬼となりこの力を身に付けたその時までだ。

 全てを救うには何もかも手遅れで、力を得るにはあまりにも遅すぎた。


 それからしばらく、二人はとりとめのない話に花を咲かせた。

 やがてかつての思い出話も尽き、心地よい沈黙が場を満たした頃、巫女がどこか名残惜しそうに口を開く。


「そろそろ行かずともよいのかえ」

「……時間なら無限に作り出せます」


 そう、時間なら無限にあるのだ。

 失敗したなら、何度でもやり直せばいい。

 偶然とはいえ、こうして時空間のひずみの中で奇跡のような再会を果たせたのだ。

 そしてここから出れば、このひずみは時空の流れの中に消え、彼女と会う事も二度と叶わなくなる。


「じゃが、お主の力でもどうにもできない事もある」

「……」


 愛した女と瓜二つの少女の顔が、瞼の裏に浮かぶ。

 最初から存在しなかった者は、どれだけ時を遡っても助ける事はできない。

 この歳になってまた一つ増えた、新たな後悔。


「行け。これからも我が子孫を、頼むぞ」

「はい。……まあ、私の手助けが必要なほど柔な鍛え方はしておりませんが」

「……もう少し優しくしてやれ。女子おなごじゃぞ」


 だからこそ、どんな状況でも一人で切り抜けられるよう、高時がマンツーマンで「時間」をかけて徹底的に鍛えたのだ。

 おかげであらゆる面において超一流のパーフェクトメイドが爆誕したのだが、それはさておき。


 こんなやり取りもいつぶりだろうかと、高時は小さく苦笑して、脇に置いていた大太刀を手に取り立ち上がる。


「……心からお慕いしておりました」

「…………千年遅いわ馬鹿者」


 千年越しの愛の言葉に巫女の表情がふっと緩む。

 高時は一つ頷き、巫女に背を向け大太刀の柄にそっと手を添える。


 つい太刀たち


 刀を構えた時にはすでに全てが終わっている。故に一にしてつい

 かつて、最後の瞬間、一刀の下で彼女の首を斬り落とせず惨い苦しみを与えてしまった後悔から磨き続けた必殺の剣。


 空間が蜃気楼のように揺らぎ、高時の目の前に巨大な裂け目が生まれた。


「ふりかえるでないぞ」


 背後からの言葉に、振り返りかけた我が身を鋼の意思で押しとどめる。


「……では、行きます」

「……ああ、


 これが最後の別れではないと信じて。

 高時は巫女の言葉に僅かに口元を緩め、振り返ることなく目の前の裂け目へと足を踏み出した。



 ◇



『また会ったな』

「……相棒」


 気付けば俺はまたあの夕焼けに染まるカオスなビーチにいて、振り返ればもう一人の俺がそこにいた。

 なんか特攻服着たフランスパンが浜辺でお喋りなジャガイモと相撲してるが、そんな事は今はどうでもいい。


「俺は……死んだのか?」

『いや、まだギリギリ生きてる。今お前がここにいるのは、ちょっと変わった走馬灯みたいなものだ』


 人間は死の危機に瀕した時、それを回避するため過去の記憶から状況を打破するためのヒントを得ようとする。

 その結果起きるのがいわゆる走馬灯と呼ばれる現象だ。


 つまり、心臓をブチ抜かれてもどうにかできるかもしれないヒントが、俺の忘れている記憶の中にあると? んなアホな。


『ま、そういう事だ』


 ……やはり、コイツは俺がまで知っている。


「……改めてもう一度聞くぞ。?」

『前にも言っただろ? 俺はお前、お前は俺だって』

「それならなんであの時、お前は俺が知り得なかった情報を知っていた? あの女の死因が呪術の失敗による反動だったなんて情報は、あの時点では俺もお前も、どうあっても知り得なかったはずだ」


 あの日の真実を知った今だからこそ、違和感に気付けた。

 宮司の死因が呪術の失敗による反動だったなんて、泥人間の証言と、こうして本人の日記を読んだからこそはじめてたどり着けた情報だ。


 そしてコイツは以前「突然元いた場所から呼び出されて、気が付いたらこうなっていた」とハッキリ証言している。

 だがそれなら五年前コイツはあの場で何が起きていたか知らないはずだし、証言に矛盾が生まれてしまう。


『いや、俺の証言に矛盾は無いぜ。ただ順序が逆だっただけさ』

「どういうことだ?」

『俺はお前と融合する前から、あの場で何が起きるか知っていた。そしてお前と融合した事で俺は初めて自我を獲得した。だから「気が付いたらこうなっていた」というのも嘘じゃない。いや、むしろ自我を得たからと言った方が正しいか』


 確かにそれなら矛盾は無いが、でも、それではまるで……。


『神様みたいだってか? 実際、似たようなモノだったとだけ言っておこうか。なんにせよ、記憶の封印はすでに解かれてる。全てを知りたきゃこの手に触れろ』


 言って、相棒は俺に手を差し伸べてくる。

 どの道、この手に触れなければ俺は死ぬのだ。選択肢なんて最初から一つしかない。


『……本当はこんな風に選ばせたくなかったんどけどな。ただ、これだけは言わせてくれ。俺はどこまでもお前の味方だし、お前は間違いなく犬飼晃弘だ』

「ああ。ありがとな、相棒」


 差し出された手を握り返す。

 分離していた魂が一つになり、封印されていた記憶が流れ込んでくる。

 俺の意識は五年前のあの日へと引き寄せられていく――――。



 ◇



 俺の意識は時を越え、あの日、あの瞬間へと舞い戻る。

 今の俺は様々な角度からこの場を俯瞰するだけの亡霊みたいなものだ。

 だから過去を変えることはできないし、誰も俺の存在には気付かない。



 篝火に照らされた薄闇の中、男が少女の影に食らいつく。

 傷口から鮮血が滴り落ち、少女の悲鳴が夜の闇をつんざいた。


 少女の肉を貪るほどに、男の身体はみるみる美しい女の姿へと変わり、そこから次第に少女のそれへと肉体が若返っていく。


 過去の俺から恐怖の感情が逆流する。


 何が起きているのか分からなかった。


 普段は憎たらしくて生意気で、口を開けば喧嘩ばかりしていたはずだ。

 だけど、俺はアイツが本当は優しい奴だと知っている。

 ふとした拍子に見せる笑顔が好きだった。

 あんな風に死んでいい奴じゃなかったはずだ。


 その時、少女を喰らう女と視線が合った。


 篝火の光を照り返し爛々と輝く狂気に濡れたその瞳が、驚愕に見開かれる。


 この世のものとは思えぬ絶叫があった。


 頭を掻きむしり血反吐を吐いてのたうち回る女。その身体は瞬く間に腐り落ち、骨すら風に煽られ風化していく。


 鎮守の森がざわめき、境内に一陣の風が吹き荒れる。

 篝火の炎が吹き消され、死の臭いに満ちる境内を夜の帳が覆い隠す。


 闇に包まれた境内に誰かの嗚咽が木霊する。

 俺の後ろでタッツンが頭を抱えて震えていた。おそらく、その眼でそこで行われていた儀式の意味を知ってしまったのだろう。


 次第に眼が暗闇に慣れてくると、雲間から覗く僅かな月明りに死んだように眠る少女の姿がぼんやりと浮かび上がる。


 そこには食い殺されたはずの無惨な死体も、それを食らう女の姿も無かった。


 近づき、眠る少女の頬に触れる。

 が、まるで空気にでも触れたかのように手ごたえがない。

 黒かったはずの髪は真っ白に色が抜けていて、それも合わせてまるで魂の抜けた置物のようだった。


 そこにいるのに、どこにもいない。

 俺とタッツン、二人の観測者がいるから辛うじてそこに存在できるだけの希薄な存在。

 すでにその名前すらも思い出せない


 祭壇に飾られた鏡に自分の顔が映りこむ。……酷い顔だ。


 鏡に映る自分の瞳に吸い寄せられるように、鏡に手を伸ばす。

 鏡の奥からこちらを見ていた「何か」と、俺の意識が繋がった。


 自分の意識がどこまでも広がっていく。

 拡張した意識は肉体を飛び越え、星を飛び出し、宇宙の最果てまで届いた。

 現実の時間にすれば一瞬にも満たない僅かな間だったが、俺はその時確かに、過去、未来、現在、ありとあらゆる宇宙で起きている全てを知覚した。


 次の瞬間、俺の身体が粉々に弾け飛ぶ。

 刹那の間に宇宙に匹敵するほど引き伸ばされた精神と、莫大な情報量に身体が絶えられなかったのだ。

 血と臓物が少女の身体を赤黒く濡らし、肉体から解き放たれた巨大な魂がブクブクと泡立ち、さらに膨張を続けていく。


 こうして俯瞰して見ているからだろうか。

 自分の死を目の当たりにしたというのに、どこか他人事のように感じてしまう自分がいる。

 まるでB級スプラッタでも見ているかのような、安っぽい恐怖と嫌悪感とでも言うか。死の実感があまりにも薄い。


「……一足遅かったようね」


 俺の魂が太陽の如く世界を煌々と照らす中、喪服の女と老執事の姿が影のように浮かび上がる。

 俯瞰した視点から見ても、どこから現れたのか全く分からなかった。


「……これはまた、なんとも厄介ね」

「『影』が大きく破損しています。これではもうこの子は……」


 死んだように眠る少女を見て、逢魔さんが悔し気に目を伏せた。


 影を失った人間は、最初から存在しなかったことになる。

 だが、アイツの場合、中途半端な所で影食いが中断したから、身体だけが辛うじてこの世に残った。

 最初から存在しなかったモノは、いくら時を操れても元には戻せないという事なのだろう。


「は、ははは、はははははははは」


 タッツンが涙を流しながらケタケタと笑い出す。

 その小さな身体は今にも死にそうなほど震えていて、すっかり血の気が引いてやつれた顔はまるで幽鬼のようだった。

 あまりにも狂気的な光景を立て続けに見たせいで、とうとう気が触れてしまったのだろう。


「その眼……そう、全部知ってしまったのね。なら、あなたは最後まで見届けるべきだわ。最後までちゃんと全部『視て』、彼と彼女がここにいた証をその眼に刻み込んでおきなさい」


 臥龍院さんが小さく呪文を呟く。

 すると彼女の足元から起き上がった影が飛び散った俺の肉片を掬い集め、少女の身体と、宙に浮かぶ巨大な魂を取り込んで形を変える。

 外から見ると、それは影でできた子宮のようにも見えた。


 脈動する影の子宮の中で、俺と少女の肉が、骨が、臓物が、粘土のように捏ねられ新たに形作られていく。

 やがて、まるでこの世界に生まれ直すかのように、まず少女の身体がぼとりと影の子宮から吐き出された。


 白くなってしまった髪は元通り真っ黒になっており、心なしか顔色もよくなったように見える。


 女の子を抱き抱えた臥龍院さんは、その白い頬をそっと撫でながら、名前の無い無垢な魂を呪いでこの世に縛り付けていく。


「今ここに新たな生を得た汝に仮初の名を授けん。汝の名は『麗羅』。麗しき羅刹、我が従僕よ。その命を我に捧げよ」


 仮初の名が与えられ、今にも消え入りそうだった少女の存在が、しっかりとこの世界に定着したのが感覚で分かった。

 麗しき羅刹で麗羅。そういう字を書くのかと、今更ながら知った。


 続いて、俺の身体が影の子宮からずるりと吐き出される。

 それまで黒かった髪はすっかり色が抜けて真っ白になっており、自分の身体だというのに、まるで知らない他人を見ているようだ。


「あなたたちは全てを忘れ、元の世界で目を覚ます。まずは心の傷を癒しなさい。今は安らかにおやすみ、坊やたち」


 狂ったように笑っていたタッツンが糸が切れたように気絶した。

 同時に意識が未来に残してきた肉体に引っ張られ、景色が遠退き、世界が歪む。


「……ヒ…………ロ……?」


 俺の意識が今へと戻ろうとした最後の瞬間、目を覚ました麗羅と目が合った気がした。











「ま、もうどうでもいいけど」


 自分の心臓が握り潰され、胸から細い腕が引き抜かれる。

 胸に空いた穴から、俺の命が流れ出ていく。



 まだ、だ。



 まだ、死ぬわけには……。



 あれ? でも俺、すでに一回死んでるよな?


 こう、粉々に、パーンて。


 え、じゃあ何。俺、ゾンビなの?


 いや、肉片固めて消えかけの幼なじみとねるねるした名状しがたい何かを、果たしてゾンビと言っていいのか知らんけど。


 というか、アレと繋がった時点で俺は俺であり、俺ではなくなっている。


 全にして一、一にして全。


 混沌の底に潜む究極の虚無であり、ありとあらゆる時空に接するモノ。




 つまり、俺とは世界であり、宇宙とは俺だったのだ。




「…………だっ、たら」

「なっ!? なんでお前、動いて……」



 ――――朞ゾnべ盥q顱ゲビから肉体の情報を取得。再構成開始…………成功。



 胸の穴を埋めるように肉が盛り上がり、瞬く間に傷が治る。

 ウーン、絶好調ダゼ! アハハハハ!



 ――――記憶の再封印処理……は、いらねぇな。やっちまえ相棒。仮想空間の構築と情報処理は俺に任せとけ。



「おkおkおkkkkkkk頼んだぜAIBOOOOOOOOOOOO!」


 手足がぁー、増える増える増える■るる瑠琉婁屡僂。


 自分ががががが広がりング! 


 目玉目玉目玉増え増え増え増え増えイエーイ最高だっぜ! ギャハハハハハ!


 ――――封廴◾弖イΧホ饉。


 レベ屡◾◾九八八六◾五五二④値懈九九九九九九です刃徐ぺぺぺぺゾメ。





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