第23話 メイド少女と異形の神編
「なんだよ……これ」
気付けば日記を読む手が震えていた。あまりの悍ましさに眩暈がする。
八咫鉄神社の宮司は、俺が生まれる前からすでに入れ替わっていた。
あの時見た女の正体は泥人間だったのだ。
日記の最後に書かれている若く健康な肉体とは、間違いなくレイラのことだろう。
そして俺の記憶が正しければ、成り代わりは失敗して、この日記の筆者は悲惨な最後を迎えている。
影にはその人間が辿った人生の記録が刻まれているとおじさんは言っていた。
また影を食べたその時から、泥人間が食った人間そのものになるとも。
だが成り代わりは失敗に終わり、レイラの肉体は消えずにこの世に残った。
その結果、アイツはまだ生きているにも関わらず、誰の記憶からも消え、あらゆる記録からも姿を消した。
生きているのに、そこにいない。
実体はあるから誰かに観測されている間だけそこに存在できるが、少しでも意識から外れると誰の記憶にも残れない。
不自然な記憶の空白からそこに誰かがいたかもしれないと想像はできても、それが誰だったかは思い出すことは無い。
それこそ、魂が時間と空間の制約から解放でもされない限りは……。
「こんな所で何してるの?」
「えっ――――――――」
胸を貫く衝撃。
視線を落とす。自分の胸から血に濡れた腕が生えていた。
背後からの一撃。何故。まるで気配を感じなかった。
遅れて胸に焼けつくような熱さが広がり、胃の奥から鉄臭い熱が口へと逆流してくる。
俺の胸を貫いた細腕の中で、自分の心臓がえぐり取られた事に気付かずまだ脈打っていた。
恐る恐る背後を見る。
同い年くらいの黒髪の少年だ。
左右で色の違う不思議な瞳と目が合った。
「ま、もうどうでもいいけど」
俺の心臓が無造作に握りつぶされ、腕が胸から引き抜かれる。
ぽっかりと空いた穴から俺の命が流れ出ていく……。
ぐらりと意識が遠のき、俺はそのまま気を失った――――――。
◇
宇治原愛斗は所謂、不良のレッテルを貼られた少年だ。
確かに彼に粗暴な面があることは事実だが、その原因の大部分は、彼が無意識の内に引き寄せている悪霊が放つ悪い気に当てられてのことであり、愛斗自身は基本的に曲がった事が大嫌いな真っ直ぐな性根の持ち主である。
「ぐすん……ママぁ、どこぉ……?」
「ほら、泣くな泣くな。俺が一緒に母ちゃん探してやるからよ」
故に、敵地の奥深くで仲間とはぐれた状況にあっても、迷子の子供(?)がいれば手を差しのべてしまうのが、宇治原愛斗という少年だった。
ここの研究員の子供だろうか?
年齢は五歳くらいで、くりくりの大きな瞳が愛らしい、坊っちゃんカットの男の子だ。
こんな場所で迷子になっている時点でかなり怪しいが、それでも親を求めて泣きじゃくる子供を無視するなど
「で、お前は母ちゃんとどこではぐれちまったんだ?」
「ぐすん……わかんない。ぼく、歩いてたら、知らないとこにいて、ママ、いなくて……うわぁーん!」
「だから泣くなってのに。くそっ、まいったなこりゃ」
どこではぐれたか聞こうにも、五歳の男の子の語彙力などこの程度だ。
そもそも自分も迷子なのに、迷子の世話など焼けるはずもない。
「ま、とりあえず適当にブラブラしてりゃその内見つかるだろ。ほれ、おんぶしてやるから行くぞ」
「うん……」
愛斗が男の子をおぶると、背筋がヒヤリと寒くなり、凄まじい重圧が肩にのし掛かる。
「うぐぉぉ!? お、重たっ!?」
「ぐすん……。マ……マ…………」
「お、おい!? くそっ、寝ちまいやがった……」
これでは下ろして歩いてもらうわけにもいかない。
「ったく、しゃーねーなぁ! よいしょーっと!」
五歳児とはこれほど重かったのかと検討違いな事を考えながら、愛斗は霊力で身体能力を強化して先の見えない道のりを歩き始めた。
◇
「おや、これはこれは。誰かと思えばいつぞやのパンチパーマくんじゃないか」
「なんでお前がここに……ああ、なるほど、そういうことか」
迷子になった晃弘たちを追っていた辰巳が廊下の角で出くわしたのは、いつぞやの外道ピエロ、人間バイヤーの「ペットショップ」だった。
ここに来てからますます色々と視えるようになった眼が、目の前の男が辿ってきた人生の軌跡を一から十まで暴き出す。
眼の奥の痛みと、見たくもない一人の男の生い立ちを見せられた不快感から、辰巳は露骨に顔をしかめる。
「先に言っとくけど、アンタはこの先もあの子から逃げられんよ。絶対に」
「……それは予言のつもりかい?」
この機を利用して麗羅から逃げ出そうと企んでいた事を見透かされ、ピエロの表情に険が宿る。
「アンタはこれから先もあの子にこき使われる。まあ、それでも死んだら確実に地獄行きやけどな」
「ったく、どこまで視えてるんだか知らないけど、厄介な眼だな」
「俺だって好きで視とるわけやないわ」
「あっそ、そりゃ大変ねー。まあ最初から天国に行けるとは思ってなかったけどさ。本人の前でそういう事言う? 普通」
「俺、アンタ嫌いやし。あと、
「えっ嘘!? もしかして加齢臭!? 香水変えようかな……」
面と向かって臭いと言われ、しきりに脇の
辰巳が言ったのは悪人が放つ黒いオーラ特有の悪臭の事だが、指摘したところでどうすることもできないので、辰巳は顔をしかめながら数歩後退る。
本当に臭い時の反応に微妙に傷つきながらも、ピエロは話題を変えることにした。
「で、君はなんでこんな所にいるわけ? まさか迷い込んだなんてこたぁないでしょ」
「……まあ、成り行きで」
「あーハイハイ。義憤に駆られて世界の一つや二つ救いたいお年頃ってやつね。わかったわかった」
事実その通りなのだが、あんまりな言い方に辰巳がムッと眉を
「アンタ、そんな生き方でジョンに誇れるんか」
「黙れ」
ピエロの顔から人を小馬鹿にしたようなにやけ笑いが消えた。
ジョンとは、ある男の生涯においてただ一匹だけの親友だった犬の名前だ。
男が最も触れられたくない部分に、辰巳はあえて踏み込んでいく。
「どれだけ人の心を操っても友達なんてできないし、ジョンだって帰って来んぞ」
「うるさい」
「今までどれだけの人を不幸にしてきた? 自分も不幸だった? たかがお前一人の不幸程度で釣り合うとでも思っとるんか」
「黙れ……!」
「誰からも愛されなかった? そんな訳あるか! だったらなんでお前は今ここにいる!? 赤ん坊の時に誰かが愛情を注いで育ててくれたからやろ! それにどんな環境で育っても立派にやっとる人なんて五万とおるわ! 自分の悪行を他人のせいにして正当化するな!」
「黙れ黙れ黙れ! おま、おまおまおまお前に何ががががががが分かわかわかわかわかわかかかかオゲェェェェェェェ」
突如ピエロの目から、口から、鼻から、黒いヘドロのようなものがドロドロと溢れ出す。
ヘドロはゴボゴボと泡立ちながらピエロの身体に張り付き、蝕むように蠢き形を変えていく。
『死ね』「お前に何が分かる」『死ね』「寂しい」『死ね』「おばあちゃん」『死ね』「悲しい」『死ね』「どうして」『死ね』「一人は嫌だ」『死ね』
ヘドロの表面に無数の声帯を模した器官が浮き出て、男が溜め込んでいた心の闇を代弁する。
それは売買の取引を持ち掛けられた時に、本人すら気付かぬ内に埋め込まれた呪いの種。
元々腹の裡にどす黒いモノを抱えていたピエロは、さぞや上質な苗床だっただろう。
「ああ、もう! 余計なもん見たわクソッ!」
あんな悲しい生い立ちを見せられた後に、目の前で勝手に自滅なんてされたら、寝覚めが悪くてかなわない。
見たくなくても見えてしまう、制御の効かない自分の眼を呪わしく思いながらも辰巳は慈悲の心を無理やり捻り出し、手を合わせる。
この男はどうしようもないクズだし、その人生の全てを費やしても罪の清算が不可能なほどに魂も真っ黒に汚れている。
だが、それでも誰からも手を差し伸べられずに死んでは、あまりにも救いがない。
だから死なせない。生かして罪を償わせる。
黒いヘドロが巨大な
するとメキメキと不快な異音を立てながら、黒い繭から無数の腕が突き出した。
『痛い痛い痛い嫌だ嫌だ嫌だ死にたい死ね殺して死ね死ね死ね』
黒い繭が縦に裂け、そこから伸びた長い舌がぬるりとしなる。
八本の手足をペタペタと這わせるその姿は、巨大な蜘蛛を連想させた。
「あれだけ罪を重ねといて、死んで楽になろうなんて許されへんぞ! 絶対生かして罪を償わせたるから覚悟せぇや!」
『イギャァァァアアアアアアアアアアアアア!』
化け物が牙を向き咆哮を上げる。
常人ならば、それだけで死にかねないほどの殺意の波動が辰巳の全身を叩く。
恐怖を意思の力でねじ伏せ、素早く印を組み上げた辰巳は、衆生救済の祈りと共に真言を唱えた。
「オンマイタレイヤソワカ!」
金色に輝く弥勒菩薩の御手が、暴れる化け物を押さえつけ、光の中へと押し込める。
やがて光が尽きると、そこには……。
『オゲェェェ……オロロロロロォォコボッ! ゲッホゲッホ! うぇ……気持ち悪い……』
一回り小さくなった化け物から上半身だけ剥き出しになったピエロが、真っ黒な汚物をゲロゲロ吐いていた。
『あ、まって、また取り込まれるるるるるるるる!? オゴガギグゲゴゴ!?』
「ちょ、おま、こっちくんな! キモいキモい!? うわぁぁあ!?」
かと思えば、またピエロが化け物へと取り込まれ、なにやらゴキブリ感の増したカサカサした動きで辰巳へ襲いかかってきた!
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