第21話 メイド少女と異形の神編

 時刻は少々巻き戻り、朱莉が攫われた日の早朝のこと。


「ウ鋤下p玀スs羽め剃」


 都内某所。廃線となった地下鉄のホーム。

 その奥にある、さらに地下へと続く大型エレベーターの前で、喪服の女の詠唱が反響する。

 聞いているだけで鼓膜が犯され、脳髄が溶けていくような錯覚さえ覚えるその冒涜的な声に、エレベーターに仕掛けられていた呪術が一つ、また一つと火花を散らして解呪されていく。


 その隣には動きやすいように改造した一風変わったメイド服姿の黒髪の少女が立ち、エレベーターの電子的なロックの解除に当たっていた。


 彼女たちの後ろで、大太刀の柄に触れながらその様子を黙して見つめるのは、臥竜院家執事長の逢魔高時。

 絶大なる妖気を大太刀の鞘へと押し込めて、主人の傍でその時を静かに待つ。


 そんな人外の怪物が放つ覇気にも気圧される事なく、熊谷龍虎は凪のように静かに己の内面と向き合っていた。

 しかし、彼の纏う空気は明鏡止水というよりは、嵐の前の静けさを思わせるものだ。


 そんな化け物や強者たちを前に内心恐々としているのは、裏社会においてその名を馳せる人間ブローカー。通称『ペットショップ』。

 麗羅に捕らえられて以来、本当に馬車馬のように働かされており、今回の仕事中のどさくさに紛れてどうにか逃げられないかと密かに機会を伺っていた。


 ペットショップの働きにより、すでに麗羅が用意したダミーたちは敵の本拠地へ潜り込んでいる。

 敵、というのは当然、一連の事件の裏で手を引いていた者たちのことだ。


 場所は東京二三区の地下千メートルに広がる地底世界。そこに作られた極秘研究所。

 潜り込ませた式神によって施設内部の構造と、敵の目的は明らかになっている。


 その目的は、アカシックレコードへアクセスし、無限にも等しい情報の中から必要な情報だけを取捨選択して取り出す技術を確立させる事。


 アカシックレコードとは、宇宙誕生以来からの、この世界に関するありとあらゆる情報が記録されている霊的な記録層のことだ。

 古来より、稀有な才能を秘めた巫女(あるいは神子)は、占いなどを行う際に、無意識下でアカシックレコードの表層に繋がっていたとも言われている。


 物理次元に存在しない霊的プラットフォームから望む情報を抜き出すために、研究所では様々な実験が繰り返された。


 そうして数多くの失敗の果てにたどり着いた答えが、人間の脳を機械で繋ぎ、一つの巨大なコンピュータとする事であった。

 大量の人間を集めていたのは、度重なる接続実験で最重要部品たる人間の脳が焼けてしまい使い物にならなくなってしまったからだ。


 不足を補い、コンピュータの性能を強化する意味でも、人間の大量補充は不可欠であり、ゆえに様々なルートを駆使して秘密裏に『材料』を集めていた。

 昨今の幽霊の大発生も、霊界への過干渉によって地獄の門が一時的に開かれてしまったのが原因だった。



「……全く、本当に愚かな子ね」


 一連の事件の裏で糸を引いていた人物を思い、喪服の美女の真紅の唇からため息が漏れる。

 言霊と共に漏れ出た呪力が、部屋の隅に隠れていたゴキブリたちを異形の怪虫へと変質させ、変化に耐え切れなくなった個体から次々と自壊していく。

 

 どうやらあの愚妹は、未だに己の罪を認められないらしい。

 不死の呪いは自分たちが受け入れるべき罰であり、永劫に許される事のない罪の証だというのに――――……。


 自分たちの罪を精算できるなどという幻想に囚われ、あげく多くの人々の命を犠牲にしてこの世の摂理を捻じ曲げるなど、決して許される事ではない。


 不死の呪いは絶対に解けることはない。

 自分たちは未来永劫、己の罪を懺悔しながら生き続けるしかないのだ。


「ロック解除できました」

「では行きましょうか。――――の時間よ」


 その身に怒りの呪力を纏わせた怪物がエレベーターへと乗り込む。

 麗羅がパスワードを入力すると、五人が乗り込んでもまだ余裕がある大型エレベーターは静かに遥か地底を目指して降下を始めた。



 ◇



 白色のLEDライトの光に照らされた無機質なリノリウムの廊下に速足な靴音が響き渡る。

 二十代半ばほどの、白衣の男だった。

 目の下にくっきりと現れた隈と、罅割れた唇が如何にも男の不摂生を物語っているが、その瞳は研究への妄執的な熱意でギラギラと危ない光を放っている。


 ……もうすぐ、もうすぐに一族四代にわたる研究の成果が出る。

 それを思うと中々寝付く事すらままならず、ここ一ヵ月ほど男はまともに眠れていなかった。

 そのせいで寝落ちしてしまった時は『妙な悪夢』も見たが、その程度で男の研究への熱意が消えるはずもなく、むしろますます男を研究へのめり込ませた。


 長い廊下の奥、突き当たりの扉の認証装置に男がカードキーをかざす。

 カードキーのランクは最上の五。

 この施設の全ての部屋へ入室可能なその鍵を持っている事が、男がこの施設で行われている研究の最高責任者である事の証明だった。


 そこは研究所のシステムを統括する制御室だ。

 奥の壁一面が巨大なモニターになっており、床に固定された入力装置が正面に向かって左右対称に並んでいる。


「主任! 実験のデータが出ました! 成功です!」

「そ、そうか! ……もうすぐ、一族の悲願が果たされる」


 メガネの男性研究員から渡されたタブレット端末を見て、男は胸に込み上げてくる熱い思いを噛みしめる。


 霊魂の科学的な立証と、その応用技術の確立。

 しかしその真なる最終目標は、霊界の最奥にあるとされる無限の叡智えいち、アカシックレコードへの到達。


 男の曽祖父が目指し、その生涯をかけても成し遂げられなかった願いは、今ようやく自分の代であと一歩というところまで近づいた。


 思わず溢れそうになった涙を白衣の袖で乱暴に拭い去り、男はタブレットを操作して自身の研究の集大成を部屋の巨大モニターに表示させる。

 様々な数値やグラフの表示が切り替わり、画面に実験施設のライブ映像が映し出された。


 限りなく純度の高い水で満たされた水槽の中心に静かに浮かぶそれは、一見すると巨大な人魂のようであった。 

 水面の底にありながら、炎のように揺らめき青白く輝く半透明の球体。しかしそれを構成しているのは、生きた人間を閉じ込めた無数のカプセルと、それらを繋ぐ無機質な機械の塊である。


 アカシックレコードから望む知識を引き出すには、まず混沌とした情報の塊の中から求めるものだけを抜き出し、人が理解できる形へ変換しなければならない。

 数え切れないほどの失敗と犠牲の果てに辿り着いた答えこそが、人々の脳と魂を組み合わせて作られた、この異形の情報処理装置だった。


 生きた人間を部品として組み込み、脳の演算能力とそれぞれが持つ想像力イマジネーションを以て無秩序な情報の嵐を制御する。

 無数の経験から生み出される多種多様な想像力こそが、無限の叡智を人が理解できる形へ変換するための最後の鍵だったのだ。


 巨大なモニターの前に立ち、これまで苦楽を共にしてきた研究者たちの顔を一人一人見渡して、万感の思いを胸に男が口を開く。


「諸君! これまでよく僕の研究に付き合ってくれた。君たちの努力のおかげで、僕たち一族の悲願がもうすぐ果たされようとしている!」


 魂という神秘の領域が今、自分たちの手により解き明かされ、科学の一ページに刻まれようとしている。

 ここに集まっている研究者たちは皆、魂の科学的な解明をこころざしながらも、研究の倫理性を指摘され学会から爪弾きにされた者たちばかりだった。


 自分たちをバカにした頭の固いジジイや、クソの役にも立たない人道主義者どもを見返してやる。

 その一心で研究に没頭してきたその成果が、もうすぐ完成しようとしているのだ。


 暗い愉悦に研究者たちの口元が歪む。


「我々の計画はいよいよ最終段階に入った! 前回の接続実験で消耗した『部品』の交換と増設が終わり次第、最終実験を行う。あと少しだけ、僕たちの我が儘に付き合ってほしい。もう少しだ、頑張ろう!」


 男の言葉に部屋が万雷の拍手に包まれる。


 そして、そんな研究者たちの様子を部屋の隅から一人の女が静かに眺めていた。

 髪も、ドレスも、肌も、瞳も。全てが白く儚げで、触れれば溶けてしまいそうな、そんな印象を与えてくる。

 だがそんな雪の精のような見た目とは裏腹に、その胸裏にはその身を焼き尽くさんばかりの激しい怒りが渦巻いていた。


(ああ、もうすぐ。もうすぐあの忌々しい売女ばいたを地獄へ叩き落せる)


 この計画に出資したのも、全ては不死身の化け物あねを、ひいては自分自身を完全に殺す術を見つけ出すため。

 今まで様々な方法でアカシックレコードへの接続を試み、その全てが失敗に終わっている。

 ある時は偶然に邪魔され、またある時は姉という災害が全てを蹴散らしていった。


 人として当たり前の死を望む事のなにが悪いというのか。

 自らの罪を受け入れ、宇宙の終焉まで生き続けるなど認められるはずがない。

 何か、何か必ず方法があるはずなのだ。この身を不死の呪いから解き放つ逆転の一手が――――。



「――――っ。結界を抜けられたか」



 やはり来たか。

 ここ数日、研究所内を式神がコソコソと嗅ぎまわっているのは知っていた。

 あの女はいつも薄汚い山犬のようにこちらの居場所を嗅ぎつけて、それまでこちらが苦労して積み上げてきたものを全て台無しにして去っていく。


 野望の成就を前に士気の高まっている研究者たちの様子を一瞥して、女は踵を返して部屋を後にする。

 元より姉の邪魔が入る事を前提にして立てた計画だ。

 むしろこれまでよくぞ見つからずに済んだと喜ぶべきだろう。


 今更手の内を探られた所で、最終実験までの時間さえ稼げれば問題は無いのだ。

 姉の足止めさえできれば、残りの有象無象など無視した所で大局に何の影響もない。


「ふふふふっ、今度こそ地獄へ叩き落してあげる!」


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