第20話 メイド少女と異形の神編

 気絶したタッツンを軽々と背負いあげたおじさんに連れられ、俺たちは彼らの集落へと案内された。

 岩壁を削って作られた階段を下り、すり鉢状の地下空間の最下層を目指す。無数の横穴と階段からなるその構造は、トルコの世界遺産カッパドキアを彷彿とさせた。


 やがて階段を下りきり、地底世界の最下層へとたどり着いた俺たちは、一際大きな横穴へ通される。

 穴の奥は岩を削りだして作られたテーブルや椅子があり、奥の方にはさらに広い空間があるようだった。


 おじさんの後に続いて奥の部屋に入ると、そこには拐われた人々がござの上に寝かされていた。

 部屋を見渡すと、奥の方に安藤さんと小春、それから玲の姿もあった。


「朱莉っち!?」

「小春っ!」

「玲までいんじゃねーか!?」


 小春の身体をゆするが、目を覚ます気配がない。

 おそらくタッツンにかけられたものと同じ魔術だろう。


「なっ!? その子はいつぞやの夢の中にいた女の子じゃないか!? ……そうか、知り合いはできる限り避けていたんだが、仲間の誰かが連れて来てしまったか」


 おじさんが安藤さんの顔を見て、失敗したとばかりに額を押さえて項垂れる。どうやら仲間内でもあまり連携が取れていなかったらしい。


「くそっ! ちゃんと起きるんだろうな!? 後遺症とか出たら絶対許さねぇぞ! 人の妹をこんな風にしやがって!」

「その子は君の妹だったのか。本当にすまない。ただ、身体に害は無いからそこだけは安心してほしい」


 おじさんが安藤さんの隣にタッツンを横たえさせると、見計らったように地底人の一人が水薬の入った水差しを持ってきた。


「これを飲ませればじきに目を覚ますだろう」

「だったら朱莉っちにも……」

「私は必要ないよ」


 ケンがおじさんに頼みかけたところで、安藤さんが何事もなかったかのように立ち上がる。


「あ、朱莉っち!?」

「な、なぜだ!? この薬がなければ丸一日は眠りっぱなしのはずなのに!」

「多分これのおかげですよ」


 そう言って安藤さんはスカートのポケットから文字のようなものが刻まれた平たい小石を取り出して見せる。

 あれはルーン文字か? 微かにだが、霊力とは違う不思議な力の波動を感じる。


「知り合いに自称魔術師の変な男の子がいるんですけど、その子がお守りにって作ってくれたものなんです。まさか本当に役に立つとは思ってなかったけど」

「退魔の印か。……なるほど、よく魔力が練り込まれている。どうりで魔術が効かないはずだ」


 魔術師! 実在したのか。

 いや、自称だからやっぱりいないのか? どっちだ。


「それで、寝たふりして逃げ出す機会を伺ってたんだけど、まさか小林くんたちが助けにきてくれるなんて予想外だったよ」

「そりゃ来るに決まってんだろ! 心の恩人を見捨てておけるかよ」

「うーん? 私、何か小林くんにした事あったっけ?」


 とんと心当たりがないという顔で安藤さんが小首を傾げたのを見て、ケンがたまらずずっこける。

 こりゃあ攻略難度高いぞ。まあ、頑張れ。


「と、とにかく! 無事でよかったよホント」

「ありがとね。助けに来てくれて。ところで、熊谷くんは眠らされちゃってるみたいだけど、何があったの?」


 タッツンが目を覚ますまでもう少しかかりそうなので、安藤さんに事のあらましをざっくりと説明する。

 ついでに先程から疑問に思っていたことをおじさんに聞いてみることにした。


「さっき、浄玻璃眼じょうはりがんとか言ってましたけど、アイツの眼の事、何か知ってるんすか?」

「もちろんだとも。あの眼は我々にとって信仰の対象だからね」

「信仰?」

「過去、未来、現在。現世うつしよ幽世かくりよ。この世のあらゆる全てを見通し、真実を暴き出す最高位の魔眼。あれこそはまさしく、現世に落ちた閻魔大王の鏡の欠片。名を『浄玻璃眼』という」


 浄玻璃の鏡とは、閻魔大王が亡者を裁く時に使うとされる鏡の事だ。

 その者の現世での生い立ちや行い、その時その者が何を思っていたかまで映し出すと言われており、その鏡の前ではあらゆる嘘が暴き出されるのだという。


「我々は地獄の妖怪の子孫でね、地獄にまつわる力を畏れ崇める本能みたいなものがあるのさ」

「あんたら妖怪だったのか……。つーかよ、アンタらにあんな事させてた連中ってのは何者なんだよ」


 腕を組んだ宇治原が難しい顔で聞いた。


「分からない。普段私たちは地上で普通の人間として暮らしているんだ。いつも通り仕事を終えて家に帰った時はもうすでに妻と娘はいなかった。言う事を聞かなければ家族の命は無いという書置きだけ残してね……」


 聞けば、おじさんは交通事故で死にかけていた一家から成り代わったため、家族全員が泥人間だが、妻や子供が普通の人間という人もかなりの数いるらしい。


「じゃあ、地上の偽物たちは?」

「言い方は悪いかもしれないが、我々の残飯だよ。私たちは特殊な術で人間の『影』を実体化させて、それを喰らう。自分が実体化させた影はある程度自由に操れるから、普段なら絶対に逃がす事はないのだがね……」

「影、ですか……?」

「影とは本体の写しだ。そこにはその人間のあらゆる情報全て刻まれている。私たちの本質は何者でもない不定形の泥だ。だから他人の情報を取り込んで身体を安定させなければそもそも存在すらできない」


 本来なら跡形も無く食べられて痕跡すら残さないはずの『影』。

 だが、そんな彼らの奇妙な食事方法に目を付け、利用した奴がいた。

 攫った人間の影を作らせて、影だけ地上へ送り返す。


 影にすり替わった人間は自分が偽物であるという事実に気付かず、普段通り社会へと溶け込み、さらなる影を生み出す協力者になる。


「……あの、影を食べられた人間はどうなってしまうんですか?」

「消える。跡形もなくね」


 安藤さんの質問に、おじさんはただ真実だけを告げるように淡々と答えた。


「影とは物体が無ければ存在し得ない。そして、影の無い物体もまた、この世に存在し得ない。影を失うというのはつまり、この世に最初から存在しなかったのと同義だ。そして、影を食うのに失敗した我々もまた、この世から完全に消滅してしまう」


 己の罪を懺悔するように、おじさんは顔を伏せてさらに語る。


「本来なら数十年に一度食べればそれで十分なんだ。短い間に食べ過ぎると記憶が混濁して気が狂ってしまうからね。だから普段食事をする時は人の世に極力影響が出ないように、自殺志願者に交渉したり、事故で死にかけている人の影を食べさせてもらっているのだが……本意ではなかったとはいえ、随分と多くの影を生み出してしまった。あれらを全て元に戻すのは最早不可能だろう」


 彼らなりに気は使っていたのだろう。

 だが、これほど恐ろしい話もそうそうあるまい。


 自分の知人が、あるいは家族が知らない間に偽物にすり替わっているかもしれないなんて。

 真実を知った時、その家族は果たして正気でいられるだろうか。


「ともあれだ。彼が最後に何を視たのか聞かなければならない。あまり時間も無いようだったからね」


 まあ、全員死ぬなんて物騒な予言をされたら誰だって気になるだろう。

 と、ここで薬が効いたのかタッツンが悪夢から目覚めるようにがばっと飛び起きた。


「……ッは!? こ、ここは?」

「おじさんたちの集会所だよ。力が暴走したお前をおじさんが眠らせてここに運び込んだんだ。あれからまだ三〇分も経ってない」

「そ、そっか。くそっ、修行が足らんわ」


 まだ少し眼の奥が痛いのか、眉間を揉みながらタッツンが悔しげに項垂れる。


「起きたばかりの所で悪いが、君が気を失う前に何を見たか話してもらえないだろうか」

「……恐ろしい光景でした」


 タッツン曰く、明日の午前三時ちょうどにある実験が行われ、そのせいで現世と幽世の境界が完全に破壊されるらしい。


 幽世とは、天界や魔界、地獄界など、あらゆる霊的異世界の総称で、破られた境界からそれぞれの世界の勢力がなだれ込み、衝突。

 その後、世界は混沌に包まれ、地上世界は完全に崩壊する……らしい。


 幽霊の大発生も、前回のマシンの起動実験で霊界との境界が揺らぎ、地獄の門が開かれたのが原因だったようだ。


「な、なんてことだ……」

「いやいやいや!? 流石に嘘だろ!? あと五時間くらいしかねぇじゃん!」


 おじさんが頭を抱え、ケンが冗談めかして無理にでも笑おうとするが、タッツンは黙って首を横にふった。


「……嘘だろ? マジで言ってんのかよ……?」


 顔を引き攣らせたまま固まるケン。


「確かにちょっと信じがたいけど、こうしている間にも時間はどんどん過ぎていってる。今は兎に角、世界が滅びる前提で自分たちにできる事をするしかないと思う」

「だな。デッケェ隕石が落ちてくるとかなら別だけどよ、ようは黒幕をぶっ飛ばせば止められるんだろ? だったらやるしかねぇだろ!」

「あ、朱莉っち……宇治原まで」


 安藤さんは相変わらずどんな時でも冷静だった。

 宇治原は多分、暴れたいだけだと思うが、ヘタレて動けないよりはマシだろう。


「安藤さんたちの言う通りだ。今ならまだ止められる。そうだろタッツン」


 俺の問いにタッツンが静かに頷く。


「東京の地下にある極秘の研究所。そこで開発中のアカシックレコードへの接続装置。それの起動さえ阻止できれば」

「ならやることは一つだろ。今からぶっ壊しに行くぞ。おじさんたちはどうしますか?」

「……我々にできる事などたかが知れているかもしれないが、せめて娘たちだけでも助けたい。協力させてくれ」


 虫たちがガサガサと何かを訴えかけるようにざわめき、獣たちがケンの体に鼻の先をグイグイ押し付ける。

 獣たちの瞳は彼に何かを訴えかけているようだった。


「あーもう、わかったわかった! オレっちも協力すればいいんだろ! けど、あんまり期待すんなよな!」


 ややあって、ケンが耳を塞ぎなから自棄ぎみに言った。


「つーわけで、オレっちは朱莉っちと一度地上に戻るわ。山のヌシたちに声かけるくらいしかできねぇけど、アイツらなら、たぶん力になってくれるはずだ」

「私も、知り合いに力になってもらえないかお願いしてみる」

「わかった。そうと決まれば行動開始だ! 絶対に阻止するぞ!」

「「「おう!」」」


 俺の言葉を合図にそれぞれが一斉に動き出す。

 小春たちには悪いが、事態が解決するまでここで眠っていてもらうことにした。

 今地上に帰しても自分の影と鉢合わせて大騒ぎになるだけだし、もしもの時は地上よりもここの方がまだ安全だろう。


 安藤さんとケンが地上への近道へと入っていくのを見送り、俺たちは地底人たちに案内されて地底の横穴を進む。


「この先に秘密の地下鉄路線がある。捕らえた人々を運ぶための専用列車があるから、それを使おう」


 やがて横穴の奥に光る苔とキノコに覆われた地下鉄のホームが現れる。

 ホームには五両編成の武骨な輸送列車が止まっていた。


「すぐに出発させるぞ!」


 おじさんの指示に従い、普段の姿に化けた泥人間たちが続々と貨物車両に乗り込んでいく。

 俺とタッツン、宇治原の三人は、おじさんと一緒に運転席に乗り込む。


 おじさんが発進レバーを前に押し込むと、列車は徐々に速度を上げて闇の奥に向かって動き出した。

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