第19話 メイド少女と異形の神編

 時は少しさかのぼり、その日の夕方。


『おいケンスケ』


 橋を渡り、国道と県道が交わる交差点で信号待ちをしていた健介の頭上から声がかかった。

 周囲には電線の上にカラスが一羽いるだけで、辺りに人影はない。


 電線の上から健介に話しかけるようにカラスがカァと鳴いた。


『奴ら、ますます増えてるぞ。もう偽物の方が多いくらいだ』


 ここ最近、町の人々が偽物にすり替わっている。

 獣たちが言うには、偽物は泥臭いからすぐにわかるとの事だが、健介には全くその違いが分からなかった。

 なにせ、近所の犬に偽物だと教えてもらわなければ、その飼い主が入れ替わっていた事にすら気付けなかったのだから。


 獣たちの話では、最初は山際の集落にしかいなかった偽物だが、最近では町の中心部に近いこの辺りでも見る事が多くなってきたらしい。


『やつらは普通の生物ではない。ケンスケも用心しろよ』

「ああ、教えてくれてありがとな。お前も気を付けろよ」

『なに、私にはこの羽がある。いざとなれば空に逃げるさ』


 カァカァ鳴いて伝えるべきを伝えたカラスは勢いよく夕暮れの空へと舞い上がった。

 道中化け物に襲われるといったアクシデントもなく、家まで帰った健介は、そこで自分のスマホが無いことに気付く。


「あっ、そういや机の中だ」


 頭の中で今日を振り返りスマホの在処ありかに見当をつけた健介は、自転車を駆り出して一路学校へ戻る。

 人に成り代わる偽物の話は気になったが、手元にスマホがないのも困る。


 カラスと別れた交差点を渡り、国道から狭い横路へ入ると、周囲の虫たちがざわめいた。


『……この先キケン』『怪物いる……』

『……女の子が危ない……』


 虫の知らせでふと思い浮かぶ、クラスメイトの顔。

 こんな時、いつも決まって厄介事に巻き込まれる女の子を健介は一人しか知らない。


 安藤朱莉。黙っていても怪奇現象を引き寄せてしまう、難儀な体質を抱える女の子。

 健介とは中学の時から同じクラスで、彼女の体質に巻き込まれたことも何度かあった。


「くそっ、こんな時に限ってスマホ忘れるか普通!?」


 自転車のペダルを漕ぐ足に力が入る。


 朱莉が初めて健介の能力を知った時、彼女は大げさにもてはやしたりもしなければ、健介を頭のおかしい奴だと笑いもしなかった。

 ただ淡々と事実を受け入れ、認めてくれた。

 それがどれだけ凄い事か、健介は身をもって知っている。


 人は集団の中に混じる異物に敏感だ。

 そして、人は自分達と違う者に対してどこまでも残酷になれる生き物でもある。

 だが、朱莉は違った。

 彼女が同じクラスにいてくれたおかげで健介は救われたのだ。


 路地の角を急いで曲がると、そこには誰もいなかった。


「そんな、まさかもう……」


 と、ここで健介は道端に小さなお守りが落ちているのを発見する。

 それは朱莉がいつも鞄に付けていた厄除け祈願のお守りだった。


「あれ、こんな所に落ちてたんだ。いつの間に落としたんだろう」

「っ!?」


 健介が振り返ると、そこに朱莉がいた。

 どこからどう見ても、普段と変わらない安藤朱莉にしか見えない。

 だが、周囲でざわめく虫たちの声が、健介に恐ろしい事実を突きつける。


『ニセモノだ』『ニセモノだ』『泥臭い』『臭いぞ』『ニセモノだ』『気をつけろケンスケ』

「どうしたの小林くん? そんなオバケでも見たような顔して」


 声も、姿も、そして恐らくその中身さえも。見かけ上はいつもと全く変わらない。安藤朱莉の姿をしたナニカ。

 では、本物の朱莉は一体どこへ……?


「う、うわぁぁあああああああああああああああ!」


 恐怖に突き動かされ、健介は一目散にその場から逃げ出した。

 やられた。とうとう友人にまで被害が及んでしまった。

 だが、あんなもの、一体どうしろというのか。真実を知っていた所で、解決するための力が無ければどうすることもできない。


 学校まで全ての信号を無視して駆け抜け、昇降口の前に乱暴に自転車を乗り捨てた健介は、教室へと飛び込んだ。

 自分の机の中で着信音が鳴っている。晃弘からの電話だった。


「もしもしケンか!? 頼む! 力を貸してくれ!」

「ひ、ヒロっち! 大変なんだよ! 朱莉っちが攫われた!」


 電話に出ると同時、二人の声が重なった。



 ◇



 電話でお互いの状況を伝えた後、俺たちはケンが待つ学校近くの公園へと向かった。


「で、安藤さんと小春はこの奥にいるんだな?」

「ああ。動物たちに協力してもらったから間違いない」


 学校近くの公園で落ち合った俺たちは、そのままケンに案内されて町の郊外にあるトンネルへ向かった。

 ここは十年ほど前に廃線になった私鉄のトンネルで、山を貫いて隣町の方まで繋がっている。


 ケンが指笛をピィーっと鳴らすと、茂みから大きな熊が二匹と立派な角を持った牡鹿おじかが一匹顔を出す。


「俺の身はこいつらが守ってくれる。行こう。虫たちが案内してくれるってさ」

「お前、動物と喋れるってガチだったんだな」


 宇治原が驚いたように言った。

 こらこら、熊にメンチ切るなよ。危ないだろ。


「ま、普通は信じられねぇよな。ほら、行くぞ」


 ケンの言葉が真実であると証明するかのように、様々な虫たちがトンネルの中へワサワサと雪崩れ込んでいく。

 味方と分かっていても生理的な嫌悪感を感じる光景だ。

 そのまま鹿の背に跨ったケンの後に続いて、俺たちはトンネル内へと足を踏み入れる。

 

 スマホのライトを頼りにしばらく進むと、虫たちの行進が止まった。

 周囲をライトで照らすが、どこにも横道らしきものはない。やっぱりあの噂は嘘だったのだろうか。


「……変だな。虫たちはここだって言ってるんだけど」

「いや、ここであっとる」


 サングラスを外したタッツンが眉間にシワを寄せて右側の壁をじっと見つめる。

 すると今まで壁だった場所が蜃気楼のように揺らいで隠された横道が現れた。


「この前と同じ仕掛けか」

「こっちの方が強力やけどな」

「はぁ!? なに今の!? 急に道が現れたぞ!?」


 ケンが驚いて声を上げ、宇治原は自分の目で見たものが信じられないのか、口をポカンと開けて固まっている。


「こういう人の認識を惑わす術があるんだとさ。まあ、コイツには関係ねぇみたいだけど」

「辰巳っちパネェ……」

「いや、動物や虫と話せる能力も大概やと思うけど」


 周囲の壁に張り付く大量の蟲たちを微妙な顔で見ながらタッツンが言った。

 ともあれ、開かれた道の奥へと俺たちはさらに踏み込んでいく。

 螺旋状に緩やかな下り坂がしばらく続き、やがて暗闇の奥に光が見えてきた。


「すげぇ……」


 そう呟いたのは果たして誰だったか。

 通路の奥に広がっていたのは、無数の横穴が掘られた巨大な地下空間だった。

 壁や天井には蛍光色に光る不気味なキノコが張り付いており、東京ドームがいくつも収まりそうなほどの広大な空間を照らしている。


 なんだろう。この光景、前にどこかで見たことがあるような……。

 ゲームでありがちな光景だが、これはそういう感じじゃない。俺は前にここに来たことがある……?


「なんやろ、ここ、なんか懐かしい……」


 地下空洞の噂。隠された入り口。

 タッツンの呟きが引き金となり、俺の中で一つの推理が電撃的に組み上がる。


 八咫鉄神社と、頸切神社。

 地上を移動するなら山を迂回して橋を渡る必要があるため、かなり時間が掛かるが、直線距離なら子供の足でもなんとか移動可能な距離だ。


 その推理が呼び水となって、失われた記憶のピースが蘇る。


「……そうだ、そうだよ! 俺たち、前に一度ここに来たことあるんだ!」

「言われてみれば……。あ、そっか! 思い出した。夏祭りの日に神社の本殿の床下からここに来たんやっけか」


 けど、なんでそんなことをしたんだっけと、不自然な記憶の抜けにタッツンは眉をひそめる。


「っ!? うぐっ……!」


 すると、タッツンが頭痛を堪えるようにこめかみを押さえてその場にうずくまってしまう。

 心配したケンが鹿の背から飛び降りてその背中をさすりながら声をかける。


「お、おい、大丈夫か辰巳っち!?」

「だ、大丈夫。一気にきてちょっとクラっとした」

「……何が視えた」

「あの日俺が見たモノ、全部思い出した。……そうか、そういうことやったんか」

「だ、誰かそこにいるのか!?」


 と、ここで近くの横穴の奥から声が聞こえた。

 声のした方へ振り返ると、横穴の奥から見覚えのある人物が顔を出す。


「ああ! あの時のおじさん!?」

「き、君はいつぞやの少年じゃないか!」

 

 草臥れたスーツが哀愁を漂わせる、どこか疲れた印象の中年男性。

 猿夢の中に捕らわれていた一人だ。


「んだよ兄弟、知り合いか?」

「ああ、前にちょっとな」


 相手が俺の知り合いだと分かり、宇治原が構えていた拳を下ろす。

 それにしたって何故おじさんがこんな場所にいるのだろうか。


「……ヒロ。あの人、人間じゃない」

「やっぱりそういう事かよクソッ!」

「その眼……そうか、君はあの時の……ははっ、やはり悪い事はできないな。閻魔様は全てお見通しだ」


 おじさんの身体がドロドロと崩れ、黒い人型の泥へと姿を変える。

 予想通りとはいえ、中々にショッキングな光景だ。


「悪く思わないでくれ。私にも家族が……守らなければならないものがあるんだ」


 おじさんがすっと手を挙げる。

 すると、近くの横穴から泥人間たちがゾロゾロと顔を出して、俺たちはあっという間に囲まれてしまった。


「待ってくれ! オレらは友達を返して欲しいだけなんだ! ここのことは誰にも言わない! だから、眼鏡の女の子、朱莉っちを返してくれ!」

「残念だがそれはできない。……すまない」


 おじさんだった怪物が苦々しい顔でゆっくりと手を振り下ろす。

 泥人間たちがジリジリと包囲の輪を狭める。

 熊たちがうなり声を上げ、蟲たちがゾワゾワとざわめく。


「しゃらくせぇ! 全員まとめてぶっとばしてやんよ!」


 宇治原が霊力の炎を滾らせる。

 この一週間、毎日のように玲と一緒に寺に通いつめていただけあって、宇治原はメキメキとその才能を開花させつつあった。


 くそっ! 戦うしかねぇのかよ!?


「待った! ……アンタらの家族は研究所の地下牢に捕まっとる」

「何っ!? それは本当か!?」


 と、ここでタッツンが片眼を押さえながら、唐突に場の流れをぶった切った。

 タッツンの眼から霊力の光が炎のように揺らめき溢れ出している。どうやらまた何か視えたらしい。


 文脈から察するに、恐らくおじさんたちの家族、それも女と子供たちだけが何者かに人質にとられていて、彼らは無理やり従わされているようだ。


「ああ、疲れた様子やけど、みんな生きとる」

「お、おい!? さっきから何の話だよ!? コイツら倒して事件解決じゃねーのか!?」


 まだ理解が追い付いていない宇治原が、握った拳をどうすればいいのか分からず戸惑い気味に声を張り上げる。


「この人たちは家族を人質に取られて、脅されて仕方なく人攫いしとっただけや。その家族が捕らわれとる場所がおじさんたちから繋がる縁を通じてたった今視えた」

「そ、そうか、その眼。君はあの時の……随分と大きくなったから分からなかったよ」


 泥人間たちから安堵の声がこぼれた。

 五年前、頸城神社を目指すその道中で、俺たちは迷子になっていた女の子を助けている。

 その後、その子の父親だと言う人物に案内されて、頸切神社へと通じる横穴へとたどり着いた。


 あの時は暗くて顔がよく見えなかったが、口ぶりから察するにおじさんはあの時の女の子の父親で間違いないだろう。


 ともあれ、これはチャンスだ。

 俺は場の流れをこちらに引き込むため慎重に言葉を選びながら口を開いた。


「……俺たちなら、アンタらの家族が捕らわれているところまで案内できる。家族を奪った外道にこのまま従うか、それとも、俺たちと一緒にとり戻すか。今ここで決めてくれ」


 今すぐ助けに行こう!

 そんな声が次々と上がった。

 だが、彼らのリーダーらしいおじさんだけは、失敗した時のリスクを恐れてか、ためらいがちに顔を俯かせる。


「バカを言うな……! もし失敗したら、全員殺されるかもしれないんだぞ!?」


 おじさんの言葉に怪物たちの勢いが一気に萎んでいく。

 だが、状況は彼らに戸惑う事を許さなかった。


「うぐっ!? ああああ! そん、なっ!? このままじゃ、みんな……死、うわあぁぁぁぁああああああああああ!?」

「お、おい!? どうした兄弟!? おい、しっかりしろ!」


 身を切るような絶叫を上げてタッツンがその場に膝から崩れ落ちる。

 その眼からは霊力の炎が止めどなく噴き出しており、力が暴走している事は誰の目に見ても明らかだった。


 このままではまずいと思ったその瞬間、おじさんがタッツンに向けて手をかざして小さく何かを呟く。

 すると糸が切れたようにタッツンが倒れて静かになった。


「なっ!? 気絶しちまった」

「悪いが魔術で眠らせた。手荒な真似をしてすまないが、あのままでは彼自身が危険だったからね。薬を飲ませればすぐにでも目を覚ますから怒らないでほしい」


 おじさんが何を言うでもなく、泥人間たちが包囲を解いた。

 どうやらこれ以上こちらを害するつもりはないらしい。


「彼には聞きたいことがある。我々の集会場へ案内しよう。攫った人たちもそこにいる。ついてきてくれ」

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