第18話 メイド少女と異形の神編

「ねぇ美羽ちゃん。最近何か悩んでる事とかない?」


 その日の昼休み。机を向かい合わせて四方山話に花を咲かせている最中、小春がさりげなく切り出した。


「え? どうしたの急に」

「いや、ほら。新学期だしさ、はじめての中学生活で慣れない事も多いでしょ? 美羽ちゃん真面目だし、ストレスとか抱えてないかなって心配になっちゃって」

「あ、うん……ありがと」


 少し照れたように礼を言う友人の姿は、やはりいつも通りのものに見える。


「でもそれを言うなら小春の方こそ大丈夫なの? 忘れものとか、忘れものとか、あと忘れものとか」

「わ、私そんな忘れっぽくないよ!」

「どうだか。小春、ぽやーっとしてるから。勉強もちゃんとついて来れてる?」

「わ、わかんない所はお兄ちゃんに聞くもん」

「まぁヒロにぃがいれば勉強は大丈夫か。あの人アホだけど勉強はできるし」


 心配していたら、いつの間にか心配し返されていた。これもやはりいつも通り。

 何一つ変わらない、普段通りの光景だ。

 そこに疑いを挟む余地などなく、美羽が特に悩みを抱えている様子も見られない。


 では、美羽の母が感じ取った違和感とはなんだったのだろうか。


(うーん……特に悩みがある感じではなさそうだし。新学期で少し疲れてたのかも?)


 会話の様子から異変を感じ取れない以上、そう結論付けるしかなかった。

 昼休みの喧騒が彼女の中に芽生えていた小さな違和感を押し流していく。


 一見、普段と変わらない、いつも通りの日常。


 しかし彼女は気付けなかった。

 周囲のクラスメイトたちから向けられる、人形のように無機質な視線と、その裏に隠された悍ましい事実に……。



 ◇



「遅くなっちゃったな……」


 その日の放課後、玲は剣道部の副部長として、明日に控えた部活見学会の打ち合わせに参加していた。

 しかし話し合いが予想以上に長引き、帰路に着く頃には辺りはすっかり暗くなり始めていた。


(嫌だなぁ……。暗いところは苦手なのに……)


 ただでさえホラー映画とかそういうの、苦手なのに。

 最近では近所のお寺で始めた秘密の修業のおかげで、「そういうモノ」の気配を感じとれるようになったせいもあって、余計に暗い所が苦手になってしまった。


 なんでも、お寺の和尚様曰く、最近そういうモノが町中に溢れて困っているらしい。なんとも恐ろしい話だ。

 最も有効な対処法は、何か感じても無視すればいいとの事だが、どうしたって意識はしてしまう。

 などと考えている間にも、背後から湿り気を帯びたヒタヒタという足音が……。


(あーもう! 無視無視無視! 僕は何も聞いてなーい!)


 気持ち速足になりながらも、家までの道のりを寄り道せずに真っすぐ帰る。

 と、ここで玲は自分の前方を歩いていた後輩らしき女の子が、連れ添っていた黒髪の女の子に手を引かれて細い路地へ入っていくのを見た。


「あ、君たち! 暗い道は危ないよ……って、あれ?」


 親切心から声をかけようと慌てて駆け寄り路地の奥を覗き込むが、そこに女の子たちの姿はどこにも無かった。

 誰もいない路地の奥を白々しく照らす切れかけの蛍光灯がなんとも不安を誘う。


「見間違い……?」


 まさか……幽霊?


「こんな所で何してるんですか?」

「うひゃぁ!?」


 突然背後から声をかけられて、玲は思わず変な声を出して飛び上がってしまった。

 慌てて振り返れば、ついさっき路地の奥に入っていったはずの、栗色の髪の女の子と、黒髪の女の子の姿が。


「あれ!? き、君たちさっきそこの路地に入って……」

「何の事ですか?」


 本当に身に覚えが無いらしく、女の子たちは怪訝な顔で首を傾げる。

 では、先程見たアレは一体何だったのだろうか。


 と、そこまで考えたその時である。


『眠れ』


 背後からそんな囁きが聞こえたかと思えば、玲は抵抗する間もなくそのまま落ちるように意識を失った。

 彼女がもう少し早く霊的な修業を始めていれば、あるいは別の結果があったのかもしれない。

 だが、全てはあったかもしれない「たられば」の話だ。


 その場に崩れ落ちた玲の身体が、暗い路地裏にズルズルと引きずり込まれていく……。


「……帰ろ」

「うん……」


 一部始終を見ていたはずの小春と美羽がぼんやりとしたまま帰路につく。

 目の前で人が攫われたというのに、彼女たちの様子は異常なほどに冷静で、無感動だった。


 そして、誰もいなくなった路地裏の影から、玲が何事も無かったかのように表の通りへ姿を現す。


「……帰ろ」


 やはり彼女もぼんやりした様子で、それまで起きた事に一切の疑問を持たず家路についた。



 ◇



 その日は部活も無く、和尚が朝から留守にしているということもあり、溜まっていた簡単な除霊バイトを何件か片付けてから家に帰った。


 ここ数日の除霊バイトの甲斐もあり、俺のレベルは現在の上限値の二〇まで上がっている。


 それに伴って過去の記憶もかなりの部分が補完され、これでレイラに関する記憶は日常の他愛ないものも含めてほぼ思い出せたはずだ。

 だがやはり五年前の事件については、俺が見た以上の情報は得られなかった。

 臥龍院さんは何か知っている風だったし、いっそ素直に彼女から聞くのもアリかもしれない。


 時刻は十九時を少し過ぎた辺り。

 玄関のドアを開けると、中華っぽい匂いが漂ってきた。

 今夜は野菜炒めか。


「おかえり晃弘。あら、小春は一緒じゃなかったの?」

「なに、小春まだ帰ってねぇの?」

「部活見学は明日からだし、何やってるのかしら、あの子」

「ただいまー」


 と、ここで丁度小春が帰ってきた。


「おかえり小春。遅かったじゃない。何してたの?」

「えっとね…………あれ? 私、何してたんだっけ」


 本当に思い出せないといった様子で、小春は首を傾げてうーんと唸る。

 これはまさか、最近話題の記憶喪失か?


「ちょっと、ホントに大丈夫なの? 頭ぶつけてないわよね?」

「たぶん……」

「うーん。見たところ、こぶにはなってなさそうだけど……一応病院行って診てもらいましょうか」

「えー! 大丈夫だよ、どこも痛くないし」

「今はそうでも後で症状が出てくるかもしれないでしょ」


 ……違う。


 何か変だ。

 だけど、その違和感の正体が分からない。

 どこからどう見ても小春で間違いないのに、どこか違うと感じてしまう。


 もしかして、これが美麗さんの言っていた違和感なのだろうか。

 けど、やっぱり何度見ても小春は小春だし……。少し調べてみるか。


「熱とかは無いんだよな?」

「うん、特にどこか具合悪いわけでもないよ」

「どれどれ」


 小春(?)のおでこに手を当てて、軽く霊力を流し込んでみる。

 和尚曰く、霊魂の波長は一人一人異なるため、その波長を感じ取れるようになれば、その人物がどこにいるのか分かるようになるらしい。


 俺は霊力コントロールの修行も兼ねて、ここ数日は毎晩、霊円波で家の周囲の幽霊を徐霊していた。

 なので、その時引っ掛かった小春たちの霊魂の波長は感覚的に覚えている。

 ただの思い過ごしだといいのだが……。


「っ!」

「どうしたの?」

「…………いや、なんでも、ない」


 思わず出そうになった悲鳴をどうにか飲み込めたのは、殆ど奇跡に近かった。


 目眩がする。

 脳が目の前の現実を受け入れるのを拒否している。

 こんな現実、認めてたまるか。


「ちょっと、お兄ちゃん大丈夫? 顔真っ青だよ?」


 小春じゃないナニカが、俺の顔を心配そうに覗きこむ。

 姿も性格も、そしておそらく記憶すらも同じだが、魂の波長をまるで感じない。


 これは、なんだ?


 いつから入れ替わっていた?

 少なくとも昨夜の時点では入れ替わっていなかったはずだ。

 恐らく、入れ替わったのは今日の日中だろう。


 なら、本物の小春は一体どこへ?

 まさか、もうすでに……。


 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!


 認めない! そんなの絶対認めてたまるか!


「あっ、お兄ちゃん!?」

「晃弘!?」


 背後から呼び止める声を無視して、家を飛び出た俺は、ポケットからスマホを出して電話を掛けた。

 まずは逢魔さんに連絡だ。あの人ならなんとかしてくれるはずだ!


「くそっ! なんでこういう時だけ繋がらねぇんだよ!?」


 どうやら電波の届かない場所にいるらしく、繋がらない。


 そうこうしている内に俺はほぼ無意識の内に本歩来寺の門を潜っていた。

 頼りの和尚は今日は留守だというのに、染み付いた行動パターンというのはこういう時も抜けないらしい。


 とはいえ他に頼るアテも無いため、ひとまず練武場に駆け込んだ俺は、宇治原と組手稽古をしていたタッツンに事情を説明した。


「……くそっ、とうとう小春ちゃんまで」

「なっ!? テメェ知ってて黙ってやがったな!? 何で言わなかったんだよ!」


 思わずカッとなって、タッツンの胸ぐらを掴み上げる。


「言ってどうにかなるならとっくに言っとるわ!」


 激昂したタッツンに胸ぐらを掴み返され、俺はようやく自分が冷静でなくなっていた事に気づく。


「……悪い。冷静じゃなかった」

「……いや、俺も悪かった。黙っててゴメン」


 馬鹿か俺は。タッツンに八つ当たりしたって事態は何も解決ないだろう。

 それよりも早く小春を探さないと。


「お前の眼で小春の居場所とか分からないのか?」

「そこまで狙って見通すのは無理やって。母さんならできるかもしれんけど」


 一応、タッツンがおばさんに電話を掛けてくれたが、やはり忙しいのか電話は繋がらなかった。こういう時に限って大人たちは頼りにならない。


「つーかよ。そもそもその偽物はどっから湧いてきたんだ? こんだけ沢山入れ替わっちまってんのに、誰も入れ替わる瞬間を見てねぇなんて普通ありえるか? 町中にゃ監視カメラだってあんのによ」


 宇治原がふと疑問を投げかける。

 言われてみれば確かにその通りだ。本物を偽物とすり替える目的が何なのかは置いておくにしても、目撃者が誰もいないなんて普通ありえない。


 入れ替わりが人間が認識できないほど一瞬で行なわれ、本物がその場から完全に消滅してしまうのなら話は別だが、それならそもそも偽物が不自然な記憶の抜け穴を認識する事すらないはずだ。


 入れ替わってから、偽物が自分の記憶が抜けている事に気付くまでに生じる不自然な『』。

 ここに小春を追うヒントがあるはずだ。


「そういえば、ちょうど幽霊が大発生するようになったあたりから街中で偽物をよう見かけるようになったな……」


 思い出したようにタッツンが呟く。

 幽霊の大発生とほぼ同時に偽物が増え始めた……?

 二つの事象に関連性は無さそうに見えるが、実は裏で繋がっているのか?


「とりあえず今俺たちにできそうな事って何にも無くねぇか? 一応、偽物でも妹は家にいるんだからポリ公に相談するわけにもいかねぇしよ」

「やっぱり地道に聞き込みするしかないか……」

「くそっ、どうすりゃいいんだこんなの……いや、まてよ……そうだ!」


 人間の目撃者がいなくとも、それ以外なら?

 例え人間の目を誤魔化せても、動物たちの目まで欺き隠し通すのは不可能だろう。

 俺はすぐにケンに電話を掛ける。数コールの後、彼は電話に出た。


「もしもしケンか!? 頼む! 力を貸してくれ!」

「ひ、ヒロっち!? 大変なんだよ! 朱莉っちが攫われた!」


 電話越しに俺たちの声が重なった。

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