第15話 メイド少女と異形の神編

 学校近くのバス停からバスに揺られて二〇分弱。

 田んぼや畑を横目に町の郊外へと出たバスは薄暗い林の前に停車する。


 部室にあった資料によると、頚切神社くびきじんじゃの歴史は古く、平安時代の資料にもその名が出てくるものの、いつ建てられたかはよくわかっていないらしい。


「風水的にかなり悪い位置にある事から見ても、町全体の悪い気を集めて近くの川へ流すために意図的にこの位置に建てられたんだろうね。ここの神様って祟り神らしいし、悪いモノをお祀りして災厄から逃れようって類の神社なわけよ」


 神社へと通じる一本道を歩きながら、唐木部長が得意気にそう説明してくれた。

 部長いわく、この手の神社は正しくお参りすれば自分の悪い気を吸い上げてもらえるので結果的に運気が上がるらしい。


 タッツンにも確認したが、部長の言っている事は概ね正しいが、精神的に疲れている人間がこの地に近づくと、それだけで祟り神の気に当てられて死に魅入られてしまうらしい。

 そうして自殺した人の魂は祟り神に取り込まれその一部になってしまうのだとか。


「へぇ、流石にそこまでは私も知らなかったよ。やっぱ本物がいると安心感あるね。頼りにしてるよ! 熊やん、ヒロっち!」


 熊やんとはタッツンの事だ。ここに来るまでのバスの車内でそれぞれ部長からあだ名を付けられていた。

 ちなみにケンがコバケンで、宇治原は名前が愛斗なのでラブやん、安藤さんはアカリン、そして俺がヒロっちである。


 なんでも部長の話によれば、初代部長も『視える人』だったらしい。

 在校中はその凄まじい霊視能力で怪事件や難事件を何度も解決しており、オカ研では未だに伝説の部長として語り継がれているのだとか。


 薄暗い林の中を進むと、やがて赤い大きな鳥居が見えてきた。

 境内は鎮守の森の木々の影で覆われており、まだ明るい時間だというのにそこだけ夜のように暗く陰鬱な雰囲気が漂っていた。

 ……木々の影から得体の知れない視線を感じる。


 それに、この景色には見覚えがある。

 境内を見回して確信した。この場所は、あの悍ましい儀式が行われた場所だ。

 生きたまま腐り落ちていく女の死に様が脳内でフラッシュバックして、込み上げてきた吐き気をなんとか飲み下す。


「さあ、ここから先はガチでヤバイ場所だから気を付けてね。最初に私がお手本でやるからよーく見ててね」

「ま、待った!」

「およ? どったの熊やん」


 唐木部長が鳥居に向かって一礼し境内へ入ろうとしたところをタッツンが止めた。


「境内に悪い気が溜まりすぎてます。これ以上進んだら危ない」

「……そんなにヤバイの?」

「はい。一刻も早くここから離れるべきです」


「鳥たちの声が止まった……?」


 ふと、ケンが呟く。

 確かに、耳をすましても鳥の鳴き声は聞こえない。どころか、周囲から生物の気配がまるで消えている。


「って、おい! 道がねぇぞ!」


 宇治原の声に振り返ると、ここに来るまで通ってきた一本道が消えていた。


「おい大丈夫なのかよコレ!? 俺たち帰れるよな!?」

「落ち着いて。こういう時はこの場所の主にしっかり謝って元の場所に返してくださいってお願いするしかないよ。そうだよね? 熊谷くん」

「た、確かにそれが一番確実やけど……やけに冷静やね?」

「慣れてるだけだよ」


 流石に場数を踏んでいるだけあって安藤さんはこんな時でも冷静だった。メンタル強すぎだろこの子。

 だが、安藤さんがどっしりと構えているおかげで宇治原もひとまずは大人しくなった。

 女子の前でみっともない姿を晒したくなかったのだろう。


「ど、どうしよう!? まさかこんな風になるなんて思ってなくて……!」

「せ、先輩のせいじゃないっすよ。むしろオカ研部員としては願ったり叶ったりな状況じゃないっすか」


 顔を青くして狼狽うろたえる部長をケンが無理に笑って励ます。

 オカ研の部長と言えど、本物の怪奇現象に巻き込まれる事などそうそうありはしないだろうから狼狽えて当然だった。


「で、謝るつっても具体的にどうすんだよ」


 むっつりとした仏頂面で宇治原が聞いた。明らかに怖いのを我慢している顔だ。


「基本的な作法は一緒だと思うから、まずは鳥居の前で一礼して、手水舎は無いみたいだから、そのまま本殿の前まで行って二礼二拍手一礼。最後に鳥居の前でもう一度本殿に向かって一礼して、鳥居を出る。けど、謝る時に何か要求されるかもしれないから、懸念すべきはそこだけかな」

「な、何かって、例えば?」


 ケンが少し顔を青くしながら聞いた。


「わからない。けど、何を要求されても絶対に逆らっちゃダメ。それと何かの気配を感じても絶対に見ちゃダメだよ」

「お、オッケー、わかった」


 そのまま安藤さんを先頭にして一列に並び、一礼して参道の端を通って鳥居を潜る。


 場の空気が変わったのが肌で感じられた。息が苦しい。

 ここはもう俺たちの住む世界じゃない。古の祟り神が支配する禍々しい異界だ。


 一歩進むごとに足が重くなり、内臓が締め付けられるような圧迫感を感じる。

 このまま進んだら内臓が潰れて死ぬのではないか。

 そんな恐ろしい妄想が脳裏を瞬く間に埋め尽くし、俺の足を鈍らせる。本殿までの十数メートルが恐ろしく遠く感じられた。


 腹の底で霊力の炎を回し、自分に喝を入れて、勇気を振り絞り前へと足を踏み出す。

 境内の奥へと進むほどに、今まで忘れていた記憶がジグソーパズルのピースを埋めるように次々とフラッシュバックする。





 そう、あれは確か五年前のことだ。

 あの日はたしか十年に一度の、町を挙げての大きな祭りの日だったはずだ。

 それで俺は友達を誘って近所の神社へ遊びに出かけて――――。


 遠く響く祭囃子。屋台が立ち並ぶ境内の喧騒。

 今よりもずっとチビで臆病だったタッツンと、それからもう一人。


 長い黒髪を結い上げて普段よりもずっと大人びた雰囲気の、人形みたいに綺麗な女の子。

 あの日、確かアイツは神事の巫女役に抜擢ばってきされていて、神事が始まるまでの間、屋台を三人で一緒に回っていたはずだ。


 それでタッツンがトイレに行っている間に、クラスメイトのタケルにアイツと二人でいる所を見られて、それをからかわれた。


 それを俺がムキになって否定したら、アイツが怒りだして、それで喧嘩になって、アイツだけどこかへ走って行っちまって……それから……。


 ……それから、どうやってここへ来た?

 ここは俺の家からバスで二〇分以上はかかる場所にある。


 直線距離なら然程でもないが、地理的に山を迂回して橋を渡らなければここへは来れないから、子供の足だけで迷子を捜しにくるのはあまり現実的ではない。


 それに、この違和感は何だ?

 自分の記憶とこれまで得た情報に何か大きなズレがある気がしてならない。

 思い出せ。違和感の正体を手繰り寄せろ。


 だが、核心へ迫ろうとするほど記憶にもやがかかり、思考が乱れる。






 気が付くと俺は古びた本殿の前に立っていた。

 すでに周囲の空気は物理的な圧力すら感じるほど重たく肩にのしかかり、息をするのもつらい。

 全員で横一列に並んで、二礼二拍手、最後に深く頭を下げて一礼する。


「お騒がせしてしまい申し訳ありませんでした。すぐに立ち去りますので、どうかお許しください」


 全員を代表して安藤さんが謝罪の言葉を述べる。

 すると、風も無いのに本殿の戸が独りでにギィィ……と開く音がした。

 思わず確認したくなる衝動をぐっと堪えて、静かに頭を下げ続ける。


 本殿の奥からずるり、ずるり、と這い出てきたナニカが、俺たちの前をゆっくりと通り過ぎる。

 やがて全員の吟味が終わったのか、ナニカの視線が俺に向けられたのを肌で感じ、背筋をひやりと冷たい汗が伝う。


 すると、急に俺のシャツの内側から緑色の光が溢れ出した。

 はっとなって首からかけていた翡翠の勾玉を取り出すと、温かな翠緑の光が俺を包み込む。


 次の瞬間、恐ろしく冷たい手が俺の首筋をぬるりと撫でる。

 あまりの冷たさに心臓が止まったような気がした。

 すると光がナニカの手の中へと吸い込まれ、光を失った勾玉にひびが入る。


『《……タチサレ……》』


 勾玉の光を受け取ったナニカが本殿の奥へと引き返していく。


 ――――残機が 一 減った。


 戸が完全に閉まると身体を押さえつけていた圧のようなものがふっと軽くなった。

 残機ってこの勾玉の事だったのか。

 どういう仕組みだったのか気になるが、ともあれ今はこうして助かっただけでも十分だ。


「……みんな、帰ろう」


 安藤さんの声に全員が恐る恐る頭を上げる。

 そこには古びた本殿があるだけで、恐ろしいモノの姿は無かった。

 再び一列に並んで鳥居まで戻り、最後に本殿へ一礼してから鳥居を越える。


 消えていた一本道は当たり前のように林の外へと続いていて、バス停まで戻ってくると、そこでようやく全員が肩の力を抜いた。


「た、助かった……」

「……やべぇ。祟り神怖すぎだろ」


 部長とケンがその場にへたり込む。

 この二人は特にこういう体験への耐性が無かっただろうから、余計に怖かったに違いない。


「は、ははは。お前らビビりすぎだろ」


 宇治原が強がって二人を笑うが、その足は生まれたての小鹿のように震

えていた。


「いや、お前だって足めっちゃ震えてんじゃん」

「こ、これはアレだ! 震いってやつだ!」

「それを言うなら『武者震い』だねー」

「ぐぬぬ……」


 ケンと部長からツッコまれて反論の言葉が思いつかなかったのか、悔しげに黙り込む宇治原。

 別に強がる必要などないのだが、宇治原の気持ちはわからなくもない。

 クラスメイトの女の子がケロッとしてるのに、自分だけビビってたらカッコ悪いもんな。


「まさか私が見つけた勾玉があんな風に役立つなんてね。犬飼君に渡しておいてよかったよ」

「ほんとにな。アレがなけりゃ今頃どうなってたか……。ってか、安藤さん割と平気そうだな?」

「あ、うん。物理的に痛いのは嫌だけど、ああいうよくわかんないモノをやり過ごすだけならそれほどでもないかな」


 ……やっぱこの子の精神力おかしいわ。やめとけ宇治原。この子には勝てねぇ。


 ふと、冷たい手の感触を思い出してしまい鳥肌が立った。

 アレは人の手に負える存在じゃない。けど、逢魔さんたちが放置しているという事は、アレにもこの地のバランスを保つための役割があるのだろう。


 人間にとって都合の悪いモノにも役割はある。陰と陽、どちらが欠けても世界は成り立たない。

 案外、世界とはそういう繊細なバランスの上で成り立っているのかもしれない。


「さっきからずっと気になっとったけど、それ、安藤さんから貰った物だったんか。ちょっと見せてくれんか?」

「さっき罅割れちまったから慎重にな」


 罅割れた勾玉をタッツンに渡す。

 サングラスを取り、めつすがめつ勾玉をしばらく見つめ、やがてタッツンが「へぇ」と驚いたように声を漏らした。


「これ、相当古い物みたいやな。溜め込んだ霊力を身代わりにするまじないが込められとったようやけど、もう壊れとるし、呪いも消えとるから使えんな」

「マジか……。まあ、おかげで全員助かったからいいさ」


 壊れた物にいつまでも執着したって仕方ない。

 けど、逢魔さんなら直せるかもしれないし、一応大事にとっておこう。


「そういやオレたち、呪われてたりとかしないよな?」


 宇治原の手を借りてどうにかバス停のベンチに腰掛けながら、ケンが不安そうな顔でタッツンに聞いた。


「あはは、ないない。むしろ全員ここに来る前よりオーラが綺麗になっとるから心配いらんよ」

「そういや最初に部長もそんな事言ってたっけか」


 タッツンの言葉に霊感の無い部員たちがホッと息をつく。


「だとしても来年からは場所変えた方がいいかもね……。創部から続いてきた伝統だったんだけどなぁ」

「まあその事は次の部長に任せればいいんじゃないっすか? 部長のせいじゃないのは皆わかってますって」


 部長として責任を感じているのか、がっくりと肩を落とす部長をケンが慰め、全員が頷いた。


「みんな、ありがと。……うん。そうだよね。よし! あとは任せたよ次期部長!」

「えっ!? わ、私ですか!?」


 会話の流れで安藤さんが次期部長に指名された。

 まあ、彼女が部長ならこの部は安泰だろう。

 どんな怪異が襲ってこようとも、持ち前の鋼の精神力で皆をまとめ上げてくれるはずだ。


「私なんかに務まりますかね……」

「さっきみたいな感じでやれば大丈夫だって! ね? おねがーい」


 部長から上目遣いにお願いされ少しモニョモニョと視線を彷徨わせた安藤さんだったが、やがて決心したのか頷いてみせた。

 どうやら頼まれたら断れないタイプらしい。根っからの委員長気質ともいう。


「……わかりました。頑張ってみます」

「よっ! 新部長! いきなりヤベェ体験できたし、この部、もしかしたら黄金期きたんじゃないっすかコレ!?」

「だよねだよね! やっぱそう思うよね! いやー、やっぱ私の眼に狂いはなかったわ! あはははは!」


 少し休んですっかり常の元気を取り戻したケンが興奮気味に言うと、部長もしきりに頷いて笑う。

 案外、この二人も図太い所がある。

 二人の笑い声につられて、皆が笑い、俺の頬も自然と緩む。


 確かに、自称ではない本物の霊能力者が二人もいるオカ研なんて、日本中探したってここくらいなものだろう。


 不気味なほど赤い夕焼けが、俺たちの影を色濃く地面に落とし込む。

 物陰から得体の知れない視線がこちらを窺っていたが、俺たちの笑い声を嫌ってか、林の奥へと気配が遠ざかっていくのを感じた。



 ……それにしても、五年前にいったい何があったのだろうか。

 多分、このままレベルを上げていけば、俺はいずれ全ての記憶を取り戻すのだろう。

 だが、それだけではきっと、事件の真相にはたどり着けない気がする。


 全てを暴き出すには俺の主観だけではなく、別の角度から見た情報が必要になってくるはずだ。


 少し自分でも調べてみるか……。


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