第13話 メイド少女と異形の神編
路地裏から出た俺たちは、そのまま商店街にある喫茶店『レイニーブルー』へと足を運んだ。
「いらっしゃい。……って、なんだお前らか」
ドアベルのついた扉を開けると、渋みがかったバリトンの声が俺たちをぶっきらぼうに出迎える。
彼の名は
俺の妹の幼馴染、美羽ちゃんの父親であり、この喫茶店『レイニーブルー』のマスターでもある。
整えられた
「で? そのリーゼントはなんだ」
「空腹で目ぇ回してぶっ倒れたんすよ」
「ウチは病院じゃねーぞ」
「いや、カレーの匂い嗅がせりゃ起きるかなと思って」
「んがっ!? ……あ? んだココは」
と、ここで店内を漂うカレーの匂いに誘われたのか、
「マジで目ぇ覚ましやがった。で、量はどうすんだ」
「大盛で!」
「晩飯食えなくなるぞ」
「大丈夫っす。晩飯は別腹なんで」
「そうかい」
この店はマスターの一存で全席禁煙(娘のためなのは言うまでもない)なので学生でも利用しやすく、なおかつ壁一面の本棚を埋め尽くす漫画がいつでも読み放題という事もあり、小学生の頃からお世話になっている。
ちなみに今日の目当てはここの名物のオムライスカレー(六四〇円)だ。
お値段据え置きで好きな量へ変えられるので、食べ盛りの高校生や大学生に人気のメニューである。
窓際のテーブル席に座ると、こちらに気付いた奥さんの美麗さんがお盆に水を乗せて持ってきてくれた。
……やっぱりいつ見ても綺麗な人だな。とても子持ちの人妻とは思えな――――
「――――っ! あー!」
そうか、美羽ちゃんの写真を見た時に感じた違和感はこれだったのか。
美羽ちゃん、お母さん似の美人さんだもんな。そりゃあ、アイツとも似ているわけだ。
「あら、どうしたの? 急に大きな声出して」
「あ、いえ。すんません、ちょっと思い出した事があって」
……やはり似ている。
となると、やはりそうなのか?
だが、そうだと仮定すればアイツのこれまでの妙な態度や言動にも納得がいく。
もし、アイツだけが過去の記憶を失っていなかったとしたら。
実の親すらも自分の事を忘れてしまった『自分だけがいない世界』で、もしも偶然再会した幼馴染が、僅かにでも自分へ既視感を感じて声をかけてきたら。
だけど、その既視感がその場限りの奇跡のようなものだとわかっていて、どうせすぐに忘れられてしまうなら。
今にも泣き出しそうな顔で殴りかかってきたアイツの顔を思い出す。
……どうせ忘れられるなら、嫌われて喧嘩別れした方が気が楽ってか。
あんな顔するくらいなら最初から喧嘩なんて吹っ掛けてくんじゃねぇよ。あのツンデレ馬鹿。
「どうしたの? 顔色が悪いわよ?」
「いえ……ホントに大丈夫っす」
「そう? 無茶しちゃだめよ? ところで今日は新しいお友達も一緒なのね。もしかしてみんなバイト帰り?」
「いえ、俺だけっす。和尚の知り合いのとこでちょっと働かせてもらえる事になりまして。この二人は仕事手伝ってもらったんでお礼に奢りです」
「あら、太っ腹ね。どんなお仕事なの?」
「うーん、町の清掃……ですかね」
悪霊を祓えば淀んでいた悪い霊気が消えて場の空気も清まるので、あながち嘘でもない。
とっさの思い付きだったが、今度からバイトについて聞かれたらこう答えよう。
「そうなの。大変そうねぇ。あ、そういえば晃弘くん、小春ちゃんからウチの子のこと何か聞いてない?」
「いや、特に何も聞いてないっすけど。何かあったんすか?」
「うーん。うまく言葉に表せないんだけど、なーんか迷子になって帰ってきた日から様子が変というか、違和感があるというか……。落ち込んではいないみたいなんだけど」
なんだろう。母親しか気付かないような微妙な変化があったのか?
「確かにそれはちょっと心配ですね。一応俺の方でも小春に聞いておきます」
「ありがとう。ごめんなさいね、急に変なこと聞いちゃって」
「いえいえ。いつもお世話になってるんで、これくらいなんてことないですよ」
「ほれ、カレーお待ち」
雑談を交わしている内に三人分の大盛りオムライスカレーがやってきた。
ターメリックライスをふわとろの卵が包み、そこに洋風のビーフカレーを惜しみなくかけた贅沢な一皿である。
「やべぇ! お、おい! これ食っていいのか!?」
「おう、遠慮せず食え。あーもう我慢できん! いただきまーす!」
とうとう我慢の限界を超え、俺たちは夢中で目の前のごちそうにかぶりつく。
卵トロットロ! うまぁーい!
「うっま! なんだこれ超ウメェ! けど、なんで急に飯なんか奢ってくれたんだよ」
「腹減ってたんだろ? ならいいじゃんか」
「いや、確かにウメェけどよ……」
どうやら宇治原は身に覚えのない親切に警戒しているらしい。
正直、俺もコイツの第一印象はあまり良くないが、下手に放り出してあれこれ言いふらされても困る。
「理由が知りたきゃ正直に答えてくれ。……今日の事、どこまで覚えてる?」
「あ? なんでそんなこと」
「いいから」
「なんなんだよ。学校終わって、校門出て……あれ? それから……くそっ、またか」
「また? こういう事はよくあるのか?」
「ああ。たまにあんだよ、こういうの。けど、ここ最近は特にひでぇ」
「って事らしいけど、専門家的に見てどうなん?」
いつの間にか大盛りのオムライスカレーを綺麗に平らげていたタッツンに視線を向ける。
「そういうモノを引き寄せやすい体質の人はおるよ。普通はご先祖様とか、ゆかりのある霊が守ってくれるけど、宇治原の場合はちょうど守護霊が入れ替わる時期に幽霊の大発生が起きて、守護霊がどこかへいってしまったんやね」
「守護霊って入れ替わるもんなのか? はじめて聞いたぞそんなの」
「そりゃずーっと誰かを守っとったらいつまでも転生できんやろ。まあ、三原先生のアレは例外だけど」
なるほど。つまり宇治原はタイミングが悪かったと。
俺たちの話を聞いて何か思い当たったらしい宇治原の顔がみるみる青くなっていく。
アイデア成功。SANチェックのお時間です。
「……まさか昨日の朝のアレってお前たちが?」
「まあ、引き金を引いたのはコイツだな」
「いや、だってあのまま
「え、何。俺マジで憑りつかれてたのかよ!? つーかお前らそういうの見えたりするわけ?」
素直に頷きかけたタッツンを片手で制し、俺はニヤリと笑いながらカレーの皿を指差して言った。
「ま、そういう事だ。あんまり言いふらさないでくれると助かる」
「そんなこったろうと思ったよクソが」
やけ気味に残りのカレーをかきこんで一気に平らげた宇治原は、しばらく考え込むように腕を組み、やがて何かを決意したのか、姿勢を正して俺たちに向き直る。
「こんな事言えた義理じゃねぇのはわかってるが、お前らを見込んで頼みがある。……ウチのおふくろを止めてくれ!」
「どういう事だ?」
聞けば、どうやら宇治原の母親は、息子が度々夜中に徘徊したり暴れたりするのを悪霊の仕業だと思い、怪しげな霊感商法に手を出しはじめたらしい。
事実として悪霊のせいだったのだが、問題は母親がオカルトにどっぷりとハマってしまった挙句、胡散臭いカルト教団へ入信してしまった事だった。
母子家庭で女手一つで頑張ってきただけに、悩みを相談できる人がいないところをつけ込まれてしまったらしい。
「俺が何を言っても聞かなくてよ……。でも、お前らガチの霊能力者なんだろ? なんとなくだけど、お前らが変なピエロと戦ってたの覚えてるんだ。あんなマンガみてーな動き、普通はできっこねぇ! だからさ、本物のお前らがガツンと言ってやれば、多分おふくろも目ぇ覚ますと思うんだ! 頼む! この通りだ!」
宇治原がテーブルに額を打ち付けんばかりに頭を下げる。
やっぱりちょっと覚えてたんじゃねーか。口止めしといて正解だった。
だが、
タッツンもすでにその気なのか俺の方を向いて一つ頷いた。
「わかった。できる限りの事はやってやるよ」
「俺んちお寺やし、ウチの親父ならお袋さんの相談にも乗れると思う」
「お前ら……! ありがとう! 恩に着る! 今日はちょうど教団の集まりがある日なんだ。今から案内するから一緒に来てくれ」
オムライスカレーで腹を満たした俺たちは、宇治原に案内されさっそく件のカルト教団の本部へと向かった。
◇
カルト教団の本部だという建物は商店街から歩いて十五分ほどの場所にあった。
大きな塀で囲われた瓦屋根のお屋敷で、そうと言われなければヤクザの親分の邸宅にしか見えない。
門は開け放たれており、玄関の脇には『霊光真理教団本部』と書かれた物々しい看板が掲げられていた。
玄関の下駄箱は信者たちの靴で埋まっていて、奥の方から誰かが話している声が聞こえてくる。
「――――さあ、心を鎮めて。邪念を捨てて祈れば、ご家族のカルマも御霊石は吸い取ってくださります」
屋敷の奥、ふすまが取り払われた畳の大部屋で、大勢の信者たちが座禅を組んで丸い石に念を送っている。
そんな信者たちの前には数名ほど白いローブを着た男女がいて、それぞれ近くにいる信者たちに教えを説いている。
どうやらあの白いローブは教団幹部の証のようだ。ダッセェ。
と、こちらに気付いたメガネの男が声をかけてきた。
「おや、君たちは……」
「こんな石材屋で加工した石ころなんかに特別な力なんてあるわけないやろ」
「っ!?」
サングラスを取ったタッツンが霊視で見抜いた『御霊石』の正体を暴露する。
「きゅ、急に何を言い出すんだね君は! これは盟主様が霊力を秘めた巨大な一枚岩から削りだした神聖な石で……」
「へぇ、そこのおじさんの家で加工しとるんか。河原で拾った石を適当に削っただけの物が五万円か。随分と儲かっとるみたいやね。子供たちを食わせるためとは言え、親として恥ずかしくないんか」
「なっ!? お、お前に何がわかる!? ガキがいっちょ前に偉そうな口をきくなっ!」
白いローブを着たブルドッグ顔のおじさんが顔を真っ赤にして口角泡を飛ばすが、あれではインチキだと自白しているも同然だ。
「そこのあなた」
「えっ!?」
祈りを中断した信者たちの視線が集まる中、その中の幸の薄そうなおばさんを一人指差して、タッツンの独壇場はまだまだ終わらない。
「あなたの息子さん。別にあなたを恨んどりません。いつも玉子焼き、仏壇に供えてくれてありがとうって」
「……っ! ……嘘。でも、そんな、まさか……!」
「大丈夫。息子さんはあなたに愛されて幸せだったと言ってます。最後に行った遊園地、楽しかったって」
「そんな……ああ!
本人しか知り得ない情報をピタリと言い当てられたのか、すっかり信じたおばさんは感極まったようにその場に泣き崩れてしまった。
息子の隆司くんもようやく心残りが晴れたのか、穏やかな顔で光の粒子となって溶けるように空へと上っていく。
どうやら今日のタッツンは調子がいいらしい。
「皆さん、騙されてはいけません! 彼の言っている事は全てデタラメです!」
「信者の女性を何人も手籠めにしとるクズに言われとぉないわ。……昨夜も美人のママ二人も侍らせて楽ちかったでちゅか? 『僕ちゃん』?」
「な、なぜそれを!? ……はっ!? ち、違う! デタラメだ!」
「デタラメはこの教団そのものやろ」
メガネの男が叫ぶように信者たちに呼びかけるが、タッツンの霊視ツッコミで自爆した。
信者(特に女性たち)からの白い視線がメガネの男に向けられる。
「いったい何事ですか」
「盟主さま!」
と、ここで裏で控えていたらしい教祖が現れた。
痩身で、年齢は三十代前後。長い黒髪を後ろで束ねた清潔感のある男で、顔もまあまあイケメンだ。
「彼らが突然やってきて、我らの盟主様の教えを嘘だと馬鹿にするのです!」
「まあまあ、皆さん、落ち着いて。まずは彼の言い分に耳を傾けてみようではありませんか」
教祖の男が落ち着いた声音でその場の全員に語りかけると、それだけでざわついていた部屋の中が静かになった。
なるほど、カルト教団とはいえ教祖を務めるだけのカリスマはあるらしい。
「それで、なぜ君は私たちをインチキだと思ったのですか?」
「なんでも何も、こんな石ころ、怪しさしかないでしょうに」
「では、この石が偽物だという根拠はあるのですか?」
「それは……」
「けど、だからと言ってそれがアンタらの言い分が正しいという証明にもならんだろ」
タッツンが弱点を突かれて勢いを失ってしまったので、俺が助け舟を出してやる。
たとえ真実を言い当てていたとしても、その根拠を問われると途端に弱くなるのが霊能力の弱点だ。
物的証拠がないだけに、信頼も得にくい。だが、それは相手も同じ事だ。
「ふむ……。ならば実際に私の力をお見せした方がいいかもしれませんね」
教祖は静かに目を閉じ、深く息を吐き出す。
すると教祖の体表に微かに霊力の光が揺らめきはじめる。
完全なインチキかと思えば、どうやら教祖にはその手の素養があったらしい。
教祖がむんっ! と唸ると、教祖の手から伸びた霊力の塊が近くにいた信者が抱え込んでいた石を包み込み、そのままふわりと宙へ持ち上げる。
会場からおお! と驚嘆の声が上がった。
「どうです? ちなみにこれは種も仕掛けもありません。疑うならば紐で吊っていない事を確認していただいても構いませんよ」
「いや、別にいいっす。アンタに
「……も? いやいや、まさかそんなはずは……」
見よう見まねだが、早速俺も試してみる。
霊力を圧縮して、大きな掌を作りだす。
形が不格好だが、大雑把にでも掴めればいいので今はこれでいい。
全員の視線が集まる中、俺は右手を庭の
「力を持つのが世界で自分だけだと思ったか? いるんだよ、世の中には。俺たちの想像すら及ばないような途方もない力を持った人たちがな……」
庭の灯篭を持ち上げそのまま粉々に握りつぶすと、近くの池へ沈めてやる。
教祖も信者たちも驚きのあまり開いた口が塞がらないようだった。
逢魔さんとか、臥龍院さんとか、和尚とか。あと、悔しいがレイラも。
今の俺では及びもしない超越者たちがこの世界には確かに存在すると、俺は身をもって知っている。
だが、この教祖はそれを知らず、自分の力に驕り、力を悪用した。
「アンタ、本名は
「なっ!? ど、どこでその名を!?」
タッツンに本名を言い当てられたのか、教祖が目を向いて後ずさる。
「お天道様はお前の悪行なんて全部お見通しって事だよ。いつか力を悪用した報いを受ける時が来る。その時までせいぜい今までの行いを悔いて反省しろ!」
「ひ……っ! ひぃぃぃぃいいい!」
霊力の手で軽く突き飛ばしてやると、尻もちをついた教祖はいよいよ怖くなったのか脱兎のごとく逃げ出した。
教祖が逃げ出してしまい、教団幹部たちも悲鳴を上げながら教祖の後を追いかけ逃げていく。
そうして後に残ったのは、騙され搾取される側の信者たちだけだった。
心の拠り所を失い、不安そうな視線が俺たちに向けられる。
「あー、えっと、コイツの実家、お寺なんですけど。何か悩みとかあればそこの和尚が聞いてくれますし、アドバイスもくれます。お祓いとかもやってるんで、不安なら一度行ってみたらいいんじゃないっすかね。すぐ近くにある
「変な名前やけど、一応本堂は県の文化財に指定されとるんで、スマホで調べればすぐに出てくると思います」
心の拠り所がなくなったなら、新しい拠り所を与えてやればいい。
完全に丸投げだが、お寺とは本来そういう場所だし、和尚なら彼らが自分の力で前に進めるようになるまで導いてくれるだろう。
俺の指示で今まで黙って様子を見ていた宇治原が戸惑っている母親の下へ近づき声をかける。
「おふくろ。もう帰ろう。俺はもう大丈夫だから。アイツらが俺に憑いてた悪いモノ、全部祓ってくれたんだ」
「
「ああ。おふくろも見ただろ? アイツらは本物だよ。おふくろは騙されてたんだ」
「お母さん、もう何がなんだかわかんないよ……」
とうとう頭を抱えて蹲ってしまった母親の背中を宇治原が優しくさする。
俺たちにできる事はここまでのようだ。
宇治原から視線でお礼を受け取った俺たちは静かにその場を立ち去った。
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