第12話 抜腰虫


 日の出と共に、朝の支度したくが始まり、近所からまきの焼ける匂いがしてきた。


 トラテロルコは、販売する商品ごとに区画整備されていて、テオの家周辺は医薬品を扱う店が集まっている。


 生の薬草を扱う店や、加工して軟膏にして売る店、切り傷腹痛の薬を売る店、治療用の呪具を扱う店、テオのように修治して治療家に生薬を売る店などがある。

 大通りは、トラテロルコ以外から来た物売りが場所代を払って、所定の場所にゴザを敷いて出店するらしい。


 散髪屋から料理屋まで何でもあり、もうすでにいい匂いが漂ってきている。

 ウーパールーパーやチワワの焼いたものや、油でトウモロコシを爆裂させたもの、トウモロコシの粉を水で溶いて薄く焼いたもの、それらにトウガラシと香辛料を効かせ、包んでさらに蒸したもの。

 アステカ一族は食にうるさく、質素倹約をとしつつも他の部族より、断然うまいものが多い。


 トラテロルコは、日々数万人の出入りがあり、夜が明けると一斉に活気づくのだった。


「朝ごはん〜朝ごはん〜♪」


 台所に来てみると、テオの姿がなかった。朝食の準備しようとした気配すらない。

 

「うん?」


 テオの気配を探すと、わずかに“邪”の気配がある。

 テオのいる方を探して歩きつつ、もう一度よく見てみるが、怨霊や呪術のような悪意は感じられない。

 そもそも、真心まごころを込めて仕事する人の精霊は、背後で光を放って低級霊や呪いを打ち消してしまう。テオの家には入ってくることさえ無理なはずだ。


「ということは、“虚邪”かな」


 邪には、虚と実があって疲れて体力が低下した時に、不調を引き起こすのを虚邪という。


「あれかな、もしかして、昨日ドチンピラ三人組相手に張り切っちゃったからかな……」


 寝室を見つけ、壁を叩いて声をかけ、中に入るとテオが寝込んでいた。

 こちらに背を向け、綿を入れた布団をかぶっている。


「おはようテオさん。どしたの」


「遅いよ。もっと早く来な」


「ごめんね。でも、元気そうでなにより」


 憎まれ口は出るものの、体はピクリとも動かなかった。


「元気じゃないよ。あんたちょっと、呪術師の先生を呼んできておくれ」


「もちろんいいけど、うちが治療しよか?」


「あんた、呪術師だったのかい?」


「違うけど、違わない」


「遊んでる暇は、ないんだよ」


抜腰虫ばつようちゅうに食いつかれてるのは分かるよ」


 怒りだしそうだったテオが息を飲んだ。


 体の不調は、目に見えない虫が引き起こすとされていて、抜腰虫にまれると動くと激痛がして、身動きできなくなる。

 抜腰虫は、巨大なトンボのような姿で、長い尻尾で腰に巻きつき、尻尾の先の毒針で刺すか口で噛み付くかする。


 呪術師は、そう言うがエナは今まで一度も虫の姿を見たことはなかった。

 それでも、患者に説明するとき、世間一般に知れ渡っている呪術理論で言うと、話が早くて済む。


 ただ、腰の辺りになにかあるのは感じられた。

 

 体を循環する正気せいきが弱り、腰の周辺はくすんで、虚邪がこもっている。


 こういう時、不足している正気を補い、虚邪を追い出す力を付けさせる。

 その後、虚邪は虚邪でほどよく抜いてやると、正気が全身を隅々まで循環し、痛みの根源が消え去るのだ。

 

 痛みの発生は、正気の流れの停滞と、邪との抗争で引き起こされると、幼いころに祖父から叩き込まれた。


 病理機序が、明確に分かればあとは簡単だった。

 患者の状態から、病の根源を突き止め、除去するように、薬草なり呪術なり按摩をすればいい。

 一つの病につき治療法は一万八千通りあり、どの手法で治していくかは術者次第だ。


「幸いここには、材料は全部そろってるし」


「その材料ってのは、薬剤のことかい? あたしのことも含んでるんじゃあないだろうね?」


、必要なの、取ってくるね」


 テオが動けないのをいいことに、ニヤリと笑いかけ、エナは修治室に向かった。




参考資料

『商業上の主な集積地は、トラテロルコに置かれた。ここの、ピラミッド脇のアーケードに囲まれた大広場で商取引を行なった。

 莫大な量の衣服、織物、羽毛、宝石、黒曜石、銅、陶器、薬草。また、薬屋、床屋、飲食店としてシチュー屋、タコス屋もあった。

 そして、特別警察が市場を見回った。

 三人の司法官で構成された裁判所は、常時開かれていた』

アステカ文明 白水社


『腰抜けの虫:オニヤンマような勢いで、どこからともなく飛んでくる。(中略)長い胴体で背骨に巻きついて締め付け、尾のトゲで突き刺して、ギックリ腰を引き起こす』

戦国時代のハラノムシp25 国書刊行会

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