第11話 修治室


 朝、日の出前。目が覚めるとエナは離れにある、修治しゅうち室に向かった。


 採取した薬草を、すぐ治療に使えるように、また、保存が効くように加工することを“修治”という。

 部位ごとに切り分けたり、乾燥させたり、毒のあるものは毒を抜いて弱毒化させる。

 これを“制法せいほう”と言って、切制、水制、火制、火水両制など手法は多岐にわたる。


 昨日、初めてテオに会った時、背負っている荷物を見て、ひそかに目論んでいたのだ。


 庭先を修治室に向かって歩いていると、テノチティトランから吹く風に乗って、濃い死臭が流れ込んできて、エナは聖域のある南方を見上げた。

 東の空は、薄っすらと明るみ始めているが南はまだ暗い。


 今ごろ、聖域の大神殿では生け贄の儀式がり行われ、終わったころだ。

 捧げられた心臓と血により、太陽は活力を取り戻し再び昇ってくるのだ。

 

 二百年かけて、大神殿では生け贄を捧げ続けたせいで、血は聖域に染み込み、風はけがれている。

 風向きによっては、死臭がトラテロルコにまで届いて来て、慣れた臭いとはいえ心地よいものではない。


「まぁええけど、殺しすぎじゃね? ええけど」


 ボソリとつぶやいた。

 大神殿の落成式には、四日間かけて八万と四百人の生け贄を捧げたという。


 チチメカの隠れ里では生け贄の風習はなく、その後も精霊を得ないまま、旅に出たせいで、エナには伝統や地方の風習という概念が希薄だった。


 修治室に着いた。

 修治室と保管蔵に入る許可は、昨日寝る前にテオからもらっていた。


「ひょーー」


 朝日が窓から入り始めた室内は薄暗いものの、整理は行き届いていた。

 保管蔵は別室で、ここは修治専用になっている。

 部屋の中央に大きな作業台があり、脇には水の入ったかめや、竈門かまど、液体の入ったつぼがある。

 ざっと見たところ、必要な道具もすべてある。


 植物は、正しい姿、正しい形にされるのを待っていて、制法が行き届いて正しく修治されると、輝いて喜びの色を放つようになる。


「うひょー、いいじゃんいいじゃん。やるね、テオさん」


 修治は、長年の経験が必要な上に、手を抜いたり、混ぜ物をしてかさ増しされると見抜くのが難しく、信頼できる薬草屋は驚くほど少ない。


「やべぇ。これは、超やべぇ」


 隣の保管蔵を覗くと、ほとんどが乾燥させて刻んだ状態で、粉にしたものまであった。

 品質を見分けるのに、エナはよく仙術の“聞”を使うが、使うまでもなく、いい匂いが充満している。

 品質は、のが一番正確なのだ。


 懸念けねんに思うものが、なに一つなくすべてが正しい状態で、あるべくしてそこにあった。インカでもマヤでも、ここまで高品質な品揃えは見たことがない。


 医術の基本では、“正と邪”があり正しいものは光り、正しくないものはくすんで見える。

 修治室と保管蔵の中にあるものは、どれも鮮明で輪郭りんかく明瞭めいりょうに見えた。


 エナは、しばらく生薬を見るのに没頭した。

 見つめていれば、だいたい分かってくる。

 いつの頃からか、そういうことが出来るようになっていた。

 なにに効くのか、どう効くのか、どう使えるのか。

 真摯しんしに見つめていれば、薬草に宿る精霊は必ず応えてくれるのだ。

 

 中には、気難しい精霊もいて、そういうのはたいてい毒草で、力を貸してもらうための正しい制法を見つけて、正しく向き合う必要がある。


 呪術師は、いずれかの毒草を盟友にし、語り合って制御する方法を見つけるが、精霊が強すぎる場合は、取りかれて殺されてしまうことも珍しくない。


 大地の龍脈の力が強い地域は、強い毒草も多く、アステカ王国は毒草が多い。

 エナは、“たそがれの怪物ツィツィミネ”の手がかりを毒草の中に感じ、ずっと探し続けてきた。


 それも、今日すべてが分かるか、旅そのものが終わるかする。


 行き着く先は、栄光の“天界十三層オメヨカン”か、はたまた暗き御蔵の“地下九層ミクトラン”か。

 

 それは、もう考えるまでもない。



参考資料


『太陽こそが、暗黒を照らし夜と死と悪の恐怖から人類を救ってくれる。宇宙とは、破壊と無慈悲の支配する恐怖の象徴だった。

 地震、雷、日照り、火山噴火、ちょっとしたことで太陽の光は消え、人類は永遠の破滅の淵に陥る危険に満ちている。

 宇宙に潜む、超自然の力を怒らせてはならない。

 アステカ人は考えた。

 太陽は夜の闇の中の、無数の星と戦っている。その星の数のように多くの捕虜を捕まえ、生け贄に捧げなくてはならない。

 破壊的な大宇宙との、きわどい戦いを続ける太陽に栄養を与え、人類世界の生存を確保せねばならない。

 美しいピラミッドも、無敵の軍隊も、神官階級の組織も、みなこの殺戮の非常手段によって、人類の安全を確保するために行われた』

古代アステカ王国 中公新書


『森本「医学面では、麻酔剤や薬草を千二百種類以上も知っていたそうですが、医学書のようなものは残ってないんですか?」

増田「私の知る限りなかったようです。医学の点では、薬草、麻酔剤、幻覚剤については大変な知識を持っていたようですが」』

黄金帝国の謎 森本哲郎編 文春文庫


修治入門 たにぐち書店

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