第10話 懺悔草4
†
エナの足元には、端から端まで粉々になった、チマルマの短槍が落ちていた。
双極が炸裂する瞬間、チマルマはエナの手と自分の腹の間に槍を入れてきたのだ。
闘気をまとわせた槍に、双極のほとんどをもっていかれてしまった。
「ま、そゆことで、あとはこっちで引き受けるから」
マリナリが、貫頭着を被った中年の男に言った。
「チマルマも私が連れて帰るんで、あんたは一人で帰っていいよ」
マリナリは、にこにこした声で片手をひらひらと振った。能天気に話す声は、張り詰めていた空気を和ませ、凍りついた公園の雰囲気をいつもの夜に戻していた。
「ちっ」
あからさまに大きな舌打ちをして、男は去っていった。
「どういうことか、説明してくれるんやろな?」
「もちろん。っていうか、私はエナちゃんをヴィオ爺の元に案内するために来たんだからね。私は、いつもエナちゃんの味方ー」
軽く言いつつ、マリナリは両方の人差し指で口元を笑みの形にわざと歪めてみせた。
「ああ、あんたはそういう奴やったわ。思い出した思い出した」
「それは、よかったよかった。思い出してくれて、私もうれしいよ。よいしょっと」
言いながら、木の根元で気絶しているチマルマを器用に担ぎ上げた。寝込んでいる人間を一人で肩に担ぎ上げるには、身体操作の熟練が必要で、マリナリはいつもそういうことをさらりとやってのける。
「双極で、でっかい音立てたからね。人が集まってくると思うよ。移動しよう」
周囲の建物で、人の起きた物音や夜番の衛兵の足音がし始めていた。
†
トラテロルコ市の北岸まで歩いて行った。北岸は護岸整備されていて、石垣と漆喰で丁寧に塗り固められている。
一直線に対岸まで延びた堤道が、三日月の光で照らされてテスココ湖に浮かんで見えた。
要所と要塞には
堤道の両脇には二本の水路があり、新鮮な水を陸地から運んで来ていた。一本は補修と掃除用で、戦争捕虜か奴隷がいつもそこで働いている。
首都は驚くほど計画的に設計されていて、どこも清潔できれいだ。
「いやー、こうしてまた再会できるのは、うれしいねぇ。どっかの遺跡でのたれ死んでるんじゃないかと、心配してたんだよ。いや、ほんとに」
マリナリは護岸に腰かけ、チマルマは横に寝かせた。チマルマに致命的なケガはなく、今は眠っているだけだ。
「うちは、あんたはどこでものらりくらりと適当にやってると、欠片も心配しなかったな」
マヤでは、一冊目の予言書を読むと、マリナリはどこかへ行ってしまった。その後、エナは一年ほどマヤ地方の遺跡を巡ってからアステカに来たのだった。
「いやー、こー見えても、お仕事とかけっこー忙しいんだよ。ゆーしゅーだからね、
私」
「それで、さっきの男の人は誰の差し金なん」
「あの人は、ヴィオ爺の手駒で、ま、ああいう仕事をしてる人。チマルマは、ほとんど何も知らずにヴィオ爺の命令に従っただけ。特に複雑なことは、なにもないよ」
「さよか」
「ヴィオ爺は、たぶんエナちゃんのことが好きなんだよ。だから、会いたくないだけ」
それは、なんとなく気がついていた。ただ、アステカ王国の呪術師長という立場が、エナの生存を許さないのだ。
インカとマヤの二つの試練を越えて出会った時、三つ目として人間には絶対乗り越えられないような試練を言い渡すのが目に見えている。
立場ある
「チマルマが言ってた、雷一族の災いってのは?」
「王家に伝わる、古い伝承らしいよ。雷一族の秘伝、“知られられざる生命の秘密”ってやつのこと。エナちゃん知ってる?」
「医術の知識のことか? 普通のことしか知らんで」
祖父から叩き込まれたことは、確かにある。だが、インカで医術の応用を学んだ上で振り返ってみても、別に特殊なことは聞いていない。
「まぁ、大人の事情なんて、いつも簡単なことだよ。つまり、雷一族の知られられざる生命の秘密を知りたい連中がいて、皆殺しにしてまで手に入れようとしたけど、手に入らず、そんな時、うまい具合にたった一人の生き残りがいたら、どうする? って、そういうこと」
つまらない理由だった。
真相がやけにあっさりマリナリから語られ、それを聞いて心に浮かぶ感想は、つまらないとしか言えないような、ぼんやりとしたものだった。
そもそも、なんとなくは想像もついていた。はっきりした真相をヴィオ爺の口から直接聞くために、八年かけて世界を一周してきたようなものだ。
「なんちゅうか、あほな話やね」
秘密を知りたい人間と、知らせたくない人間がいて、秘密を知っていると思われているエナは何も知らない。
「人間は、愚かだもの」
「いやーいやいやいやー、まぁしかし、あんたが全部教えてくれるとは思わなんだわ。手間が省けて助かったけど、なんで?」
「なんでもなにも、明日エナちゃんは死ぬからだよ」
マリナリは、あっさりと言った。表情にも声にも悲観的なものはなにもなく、ただの事実を言っているだけの顔をしている。
明日、エナをヴィオシュトリの元に連れて行く。マリナリは、そう言っているのだ。
「ああ、そう言うことか。でも、うちの知りたいことは、その先にあるんや。ま、インカとマヤで磨き上げた仙術が、どこまで通用するか、試してみるわ」
ようやく、ここまで来た。
ここまででさえ、来れないかも知れないと思うことの方が多かった。
目の前にあるのは、ただの頑然たる事実なだけで、明日死ぬかも知れないということに対して思うことはなにもない。
「そうだね。試練を乗り越えた先で、私もエナちゃんと話がしたいよ」
そう言い残して、マリナリはチマルマを担いで帰って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます