第9話 懺悔草3



「まぁ、そんなとこやな」


「へーー!」


 遠慮なく蛇肉を食べながら、マリナリは考え込むような顔をした。


「それで、チチメカ地方の古い言葉を使う部族の、精霊を得ていない呪術師の娘が、一人でマヤまで下りて来るっていうことは……、豹神官の予言書チラム・バラムの書を読みに?」


 学があり、頭の回転も早い。


 それがエナのマリナリへの評価だった。そんな娘が、街道から外れた森の中にいるのは怪しすぎる。


 だが、それを言うとエナもそうだった。

 心の中だけで、苦笑いした。


 信用できるかどうか。

 それは、いつも出会った瞬間に決める。裏切られるのは、自分が愚かだからだ。


「せや。マヤには予言書を求めてきたんや」

 

 ただ、最終章以外の大まかな内容はすでに伝え聞いている。

 予言書の最終章には、滅びについての記述があるらしく、それを読んだ時、自分は何を思うのか。

 

 マヤ族の信頼を得、読みさえすれば試練を越えたことになるのかもしれないが、本当の試練はいつも心の中にある。


 生け贄石を見れば終わるような、あるいは予言書を読めば終わるような試練なら、そもそも受ける必要などないのだ。


 試練を通じて、己の中の怪物ダマァゴメと向き合い、対話し、為すべきなにかを見つけられるかどうか。


 それができなければ、最終試練であるヴィオシュトリと向き合った時、なにも出来ず終わり、なにも知り得ず、なにも為せぬまま死ぬ未来があるだけだ。


 雷一族とは、一体なんなのか。たそがれの怪物とは、なんなのか。激震によって滅ぶという四の動ナニオリンの現世で、これからなにが起きるのか。

 

 細い細い糸を手繰たぐって進んだその先で、くら御蔵みくらうてなの上で、煙に包まれ煙吐く、大いなる黒曜石の鏡。そはテスカトリポカ。

 この世すべてに試練をいる存在もの

 “入り口も出口もない、その場所ミクトラン”で試練を乗り越えた者を、ずっと待っている。


 生け贄石と予言書とヴィオシュトリ。

 三つの試練を乗り越え、テスカトリポカの御前おんまえまで、たどり着いた時、ようやくエナの旅は終わるのだ。

 

「それだったら、私が役に立つネ! マヤ族はマヤ語を話せない人間を相手にしてくれないから」


 そう言って、聞きなれない言葉で話し始めた。


「キニチ・ヤシュ・クック・モとか、分かる? マヤ語とナワトル語は、全然違うでしょ」


 アステカからの交易商人のツテと自分の治療技術で、エナはマヤ族の間に入り込むつもりだった。


「いまの意味は、太陽、みどり、ケツァル鳥、コンゴウインコ。そこから転じて、天空の聖なる鳥ってとこかな。ちなみに、昔のマヤの王さまの名前ね」


 言語を学びながら、中枢に近づくのは時間がかかりそうだと思っていたところだ。


「それに私、神聖文字も読めるよ!」


 有能すぎる。

 文字のないアステカにも絵文字はあるが、それを読めるのは、貴族の神官学校カルメカックを卒業した高位神官のみだ。


 豹神官の予言書は、さらに特別な神聖文字で書かれていて、読める人間はほとんどいない。


「うちも自分のこと、怪しい自覚あったけど、あんた何者やねん」


 苦笑いするしかなかった。

 有能すぎる人間が近づいて来るときは、必ず面倒ごとを持って来る。アステカのことわざにそうある。


「私、“長距離武装商人ポチテカ”の“第零番隊ネモンテミ”のマリナリ。よろぴく〜」


 おどけたように笑うマリナリに対し、エナは頭を抱えた。


 アステカ王国お抱えの諜報商人部隊ポチテカ。部隊は十二あり、その中でも存在しないことになっている、十三番目の特殊部隊がネモンテミだった。





† チマルマ回想編 了



参考資料


『強力な商業組合を持ったポチテカたちは、豪勢な外国貿易を独占していた。固有の神イヤカテクゥトリを持ち、その祭儀、首長、裁判権を有し、私有財産、豪奢、裕福な最も有望な階級であった』

『彼らは、国王から「親族」と呼ばれ、金の宝珠を身につける特権を得た。商人でありながら、精力的な闘士、また巧みな情報屋としておくすることなく、その土地の風を装い、言葉を使い、未征服の地へも分け入って行った』

アステカ文明 白水社


『アステカ皇帝は、各地を巡る商人を軍事目的に利用し、色々な部族の動静を探らせ、その情報に対して栄誉と褒美を与えた』

アステカ文明の謎 講談社現代新書


『高価な品々を、山のように積んで帰還したポチテカの隊商は、人々の妬みや欲望をかきたてないよう夜風に乗じてこっそり首都に入った』

『彼らは、一種の世襲制ギルドを形成し、独自の神と儀式を持っていた。彼らの仕事は、大勢の運搬人を引き連れ、隊商を組み、低地にある商港、とくにマヤの商業中心地であるシカランコや、帝国随一のカカオ豆産地であるショコノチコまで旅をすることだった』

『「パンヤの木の国から来た人々」を意味するポチテカという呼び名そのものが、パンヤの木がある熱帯低地との関係を、密接に示唆している』

『帝国中心部には、十二のポチテカのギルドがあった』

『彼らは武装して遠くの市場まで往復し、敵意を抱く異国の商人と激戦を交えることも少なくなかった』

チョコレートの歴史 河出文庫

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