第8話 懺悔草2



 あまり良くない名前だった。


 名前は、“占星暦トレナマカスケ”に従ってつけられることが多く、生まれてきた月日に人は大きな影響を受ける。


 懺悔ざんげと草の日に生まれた人間は、戦乱の星を背負って生まれてくるという。

 乱世においては英雄の星であるが、平時においては争乱の火種とされて嫌われる。


 マリナリと自ら名乗った娘は、ニコニコとしたまま、エナの返事を待って突っ立ていた。


 エナは、ため息をついて頷いた。


「好きにしぃや」


 エナの方言に、一瞬だけ整った眉が動いた。


「ありがとう。正直、すごく助かるぅ〜」


 流暢りゅうちょうなナワトル語だった。ナワトル語はナワ七部族が使う、アステカ王国の公用語で、マヤ語とはまったく異なる。

 エナはマヤ語を話せないので、相手がナワトル語を話せるのは助かることだった。


 マリナリはにへらっと笑って、ちょっと右足首を見せるような仕草をした。

 履き物は、竜舌蘭マゲイの繊維を編んだ草鞋わらじで、足首が大きく腫れている。


「転んだ後、だんだんれてきちゃって」


 水筒と清潔な布を、放り投げて渡した。

 マヤ公国の周辺にまで下りてくると、近くに澄んだ泉セノーテがあって、いくらでも水を補充できる。

 それは、水売りから水を買うこともあるアステカと比べて驚くべきことだった。


「きれいに、洗って拭きや」


 追いはぎのように、直接襲ってこないのであれば、お互い必要以上に干渉せず、助けられることがあれば助け合う。旅人の不文律だ。


「あなた、呪術師なの?」


 呪医術師ティシカル。それは言わなかった。普通、治療家と言えば呪術師か薬草使いで、呪医術師はいないことになっている。


「まぁ、そんなとこや」


 適当に相槌をした。背負い袋から、黒曜石の刃と清潔な布、王樹と呼ばれる化膿止めの葉を取り出す。


 マリナリの傷は、んで腫れあがり赤黒く変色していた。熱も出ているようで、頬が赤く目も少し潤んでいる。

 膿の排出口が皮膚にはすでに出来ていて、腫れはまるでれすぎた果実のような様相だった。


 マリナリが足首を洗って布で拭き終わると背中側に回り込み、角度を一発で決めて、体重を親指に乗せて患部を押し込んだ。


「ぐっ」


 マリナリの口から出た痛みの声は無視した。背中から抱きしめるようにもしているので、身動きもさせない。


 ピュッと最初の膿が飛び出すと後は、赤黒いドロドロとしたものが大量に出てきた。

 まるで砂に指が沈み込んでいくかのような手ごたえがある。

 膿を押し出しながら水をかけて洗い、黒曜石の刃先で皮膚をわずかに切開して、皮膚の中も徹底的に洗い流していく。

 乾いた布で患部をぬぐい、膿の吸い出し軟膏を塗った上に王樹の葉を被せ、さらに布で巻き上げた。


「すごいすごい。一気に楽になった」


 エナは肩をすくめた。膿みきった患部は、皮膚の下でほぼ完治さえしていて、膿を出しさえすれば終わるような、治療と呼ぶまでもない状態だっただけだ。


「こんなん普通や。治療家なら誰でもできるで」


「いや、こんな手際見たことないネ!」


 はしゃぎだしたマリナリに、蛇肉の串を一本放りつけた。


「ええから、食って寝ぇや」


「いいや、この恩は返さないとささやかな祝福の精霊ディニホゥイに怒られるヨ! ねぇ、どうやって返したらいい?」


 成人の儀式を終えた者には精霊が宿り、その者が死ぬまで共にあり続ける。

 誰が見ていなくとも、精霊はいつも人のかたわらで人を見ている。


「うちは、まだ精霊を得てないから、ええよ」


 本当のことを言った。エナは儀式を途中で中断し、精霊に出会うことなく終わった。


 もう、五年近くも前のことだ。

 儀式の中断は、わざわいの元で精霊を得ていない者はいつまでも忌み嫌われる。


「へー! じゃあ、嫌われ者同士だね!」


 面白そうにマリナリが見つめてきた。


「それで、自分で自分の精霊を探しているの?」


 怪物けもの

 エナが探し求めているのは、“己の中の怪物ダマァゴメ”だった。


 それも言わなかった。

 

 故郷を壊滅させ、祖父を殺した人間に出会った時、エナの心の奥底にいる怪物はきっと表に出てくる。

 それが、一体どんなかおをしているのか。

 エナは、それが知りたかった。


 連中は、この世を滅ぼすという“たそがれの怪物ツィツィミネ”と関係があり、喋る生け贄石と豹神官の予言書という試練を乗り越えた時、真実を話すと呪術師長のヴィオシュトリは言ったのだ。



参考資料


占星暦トナルポワリによると、「ミキストリの一日」生まれの人は呪術師、「ショチトルの七日」生まれの人は絵描き、「コアトルの一日」生まれの人は商人、「イツクィントリの九日」生まれは妖術師、「カリの一日」生まれの人は医師か産婆と言った具合である』

アステカ文明 白水社 ジャック・スーステル


『医者が求めるヴィジョンを、わしらは「ダマアゴメ」と呼ぶ。普通の人が求めるものは「ディニホウィ」だ。ダマアゴメは、喧嘩好きの嫌なやつで、ディニホウィは、もっとずっとずっとピースフルだ』

カリフォルニアのピット・リバー・インディアンの話


『スペイン人たちが直面した最大の困難のひとつは、メキシコの言語多様性だった。メキシコでは、ナワトル語のほかに、百以上の異なる言語が話されていた』

アステカ王国 文明の死と再生 創元社

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