2−7

 アリーシアはすうっと息を吸った。

 そして大きな声で鉄格子の向こう側へと声をかける。

「ごきげんよう、グレン様!」

 竜の姿のグレンは空中庭園の真ん中で呆れたように首をもたげ、溜息を吐く。

「また来たのか。……もう話すことはないぞ」

 言いながらも翼を広げ、一飛びにアリーシアの足元までやってくる。

 グレンの羽が起こした風で、アリーシアのドレスの裾がふわりと巻き上がった。

「きゃっ」

 アリーシアが金の髪とドレスを押さえる。けれどその声は愉快そうに笑っていた。

「ひどいわ、グレン様。髪がぐちゃぐちゃ……」

「より美人になったじゃないか」

 グレンが我関せずと、再度バサリと羽音を立てて羽を畳んだ。

 アリーシアは声を上げて笑った。

 2人は城の天辺の庭園でほぼ毎日会っていた。

 アリーシアは故国のこと、外の世界のことを根気強くグレンに聞いていた。

 グレンははぐらかしつつ、それでもアリーシアを本気で邪険にすることはなくなっていた。

 ただ残念なことに、相変わらず2人の間には無情な鉄格子があった。

 アリーシアは不思議に思っていたことを聞いた。

「グレン様は、いつもそのお姿なのですか?」

 誰をも寄せ付けない圧倒的な強さを誇る、漆黒の竜。アリーシアの読んだ本にはそうグレンが記されている。

 人間の姿に変われるなどとはどこにも書かれていなかった。

「なんだ、この姿がやはり怖いか?」

 グレンが薄く笑いを含んだ声で聞き返す。

 アリーシアは鉄格子の向こうの竜の姿を見上げて、しばし考え込んだ。

「……いえ、怖くはありません。どちらかというと……」

「どちらかというと?」

「……素敵なお姿だと思っています」

 アリーシアは、自分でも驚くほどに小さな声でグレンへ告げた。その一言はなぜかとても恥ずかしく、アリーシアをそわそわする気分にさせた。

 竜の姿のまま、グレンが目を丸くする。そして、大きな体を揺すって屈託なく笑った。

「なんと、物好きな姫だ」

 笑い終わるとグレンは数歩下がり、大きな翼で自身の体を包み込んだ。

 全身をすっぽりと覆い隠し、まずはトゲのある尻尾が縮み、体が小さくなっていく。

 ほんの数秒で漆黒の竜の姿は消え、黒いマントに甲冑を身にまとった、黒髪に褐色の肌の背年がアリーシアの目の前に現れた。

 今度はアリーシアが目を見開く番だった。あの日の青年が今、目の前に現れたのだ。

 青年、グレンはゆっくりとアリーシアへ向かって歩いてきた。

 カチャカチャとなる甲冑の音を聞いて、アリーシアの胸が高鳴った。

 鉄格子を握って、グレンはアリーシアを見下ろす。2人の背丈の差は頭一つ分もあった。

「この姿ではどうですか、アリーシア姫」

 唇の端を引き上げて、グレンがわざと丁寧な口調で笑った。

 アリーシアは高鳴る胸に言葉が出ない。

 それに気づかないのか、グレンは髪をかきあげて息をつき、アリーシアをちらりと見た。

「あんたがどっちが好きかわからないが。……こっちが、仮の姿だ」

「そう、なんですね……」

 アリーシアは速まる胸の鼓動を知られまいと、胸の前で手を組んだ。

(きっと久しぶりにグレン様の人間の姿を見たからだわ、このドキドキは……)

 アリーシアはまともにグレンの姿が見れずに、うつむきがちに答えた。

 グレンは肩のマントを直しつつ、アリーシアへ語りかける。

「あの日もそうだった。あんたが、アンカーディアの元へ行くとなった日。俺は……」

 そこまで言って、グレンが不意に口をつぐんだ。

 アリーシアは不審に思って顔を上げる。

 グレンはこわばった顔をして、アリーシアを越え、遠くを見る表情をしていた。

「いや、なんでも無い……そろそろ時間だ」

 グレンは険しい表情のまま、アリーシアへと腕を伸ばした。

 一瞬躊躇した指先が、鉄格子を越えて、アリーシアの腕に触れる。手首を掴み、グレンは自身の方へとアリーシアを引き寄せる。

「アンカーディアが見ている……」

 耳元に囁かれ、アリーシアははっと顔を上げた。周囲に人の気配はない。

 手は唐突に離れた。突き放すように肩を軽く押される。

「もう遅い、さっさと寝ろ。そしてこの話は忘れて、もう思い出すな」

 グレンはそれだけを告げてアリーシアの前から離れ、靴音を響かせて庭園の端に向かった。

 あっと思う間に庭園から飛び降りたかと思うと、一瞬の後に、漆黒の竜が空中へと高く飛び上がる。

「グレン様……」

(一体、あの日に何があったというの……?)

 アリーシアは一人残され、グレンの名をただ呟いた。

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