24.「尋ね人の時間」とリタリットの自白、そして誰かの帰還

「はい、こちら中央放送局『尋ね人の時間』です。ご用件の相手のお名前と、そちらのお名前をどうぞ……」


 ずらりと並んだ机に、通信端末が並び、そして受付のバイトが並んでいる。ひっきりなしに、放送局にはコールがかかってくる。


「まさかこんなに反響があるとは思わなかったすよ……」

「君のアイデアの勝利よ。ほら今日だって、通信もだけど、直接の申し込みの人だって多いじゃない。お天気がいまいちだっていうのに」


 ぽん、とゾフィーはリルの肩を叩く。


「いやアイデアも何も…… 彼らが『政治犯』で無くなるのだったら、彼らの過去を探すことは必要じゃないか、って思っただけなんすが……」


 新年のスタジアムの事件から、既に半月が経過していた。その短い期間の内に、事態は急速に変化して行った。

 あの時、首府警備隊のアンハルト少将は、スタジアムの演壇で待機する形となっていた閣僚の中から、スペールン建設相を拘束した。

 何故自分が、という顔で反論しようとした野心家候補のこの男を、アンハルト少将は、二つの理由で封じ込めた。

 一つは、この様な事態を巻き起こす様なつくりのスタジアムを設計したこと。もう一つは、その中における、総統及び宣伝相の殺害未遂である。無論スペールンは否定している。実際どうだろう、とゾフィーも首をひねらない訳ではない。

 だが、これも一つのクーデターなのだ、と考えれば、ある程度の納得はいく。だとしたら、ただの放送屋である自分は、口を出すのは控えた方がいいだろう、と彼女は思うのだった。

 とは言え、アンハルト少将も、政権を勝ち取ったという訳ではない。

 この人物はあくまで自分は軍人であるから、とその場に立つことは拒否した。またその一方で、手を組んだとされる、反政府集団の代表も、表に立つことは拒否した。

 そしてまた、四年前の繰り返しがそこにはあった。帝都からの派遣員は、このレーゲンボーゲンを代表する政府の中の発言者を求めてきた。ただ、その時、その役に抜擢されたのは、かつて総統ヘラが「代理」として立つ前にスキャンダルで失脚したグルシンだった。


 グルシンは、元々政治家としての手腕は定評があった。

 しかし、一度自分のミスで失脚してしまったこの男は、それに懲りたのか、それとも政治の世界そのものに嫌気がさしていたのか判らないが、あくまで自分は次の選挙が行われるまでの顔つなぎであってほしい、と主張した。そして選挙終了とともに、引退するということを、派遣員にもはっきりと告げていた。

 珍しく、帝国正規軍のカーキに赤のラインの入った軍服をつけたこの派遣員は、満足そうにうなづいた。

 そして穏やかな口調でこう訊ねた。


「それではパンコンガン鉱石についての見解は、これからどうなるのですか?」

「それについては、彼が語りましょう」


 グルシンはそう言って、スノウにゼフ・フアルト助教授を紹介した。

 「本名」で紹介されたジオは、ケンネルから託されたデータを提示しながら、政府としての見解を、一通り説明した。

 レーゲンボーゲンは、この鉱石の採掘権を全て帝都に委譲する。いっそのこと、惑星ライ自体をそっくり渡してもいい。ただその代わり、今後半永久的に、レーゲンボーゲンの、アルクの自治権は認めて欲しい、と。


「それは、私の一存では決められないな」

「そうかもしれません」


 ジオは予想していた答えに、動じることは無い。


「しかしそちらにしても、これはそう悪くない取引ではないですか? あなた方の欲しいのは、あくまでパンコンガン鉱石だけで、決して他の鉱物資源にも宝石にも興味がある訳ではない。それは、あなた方にとって、これが特別なものだからだ」

「と言うと?」


 隣で座るグルシンには意味の判らない言葉を、ジオことゼフ・フアルトはスノウに向かって放つ。


「あれは、あなた方があなた方であるためのものだったんだ」


 くす、とスノウは笑みを浮かべた。


「なるほど、君はあれが何であるのか、判ったのですね」

「運が良かったから、かもしれませんね。……でも我々には、あの鉱石は、別に何の意味も持たない。逆に、その存在があることで混乱するものが多いはずでしょう。だったらいっそのこと、そんなものは、そっくりお譲りする、と言う訳ですよ。これはケンネル科学技術庁長官と、当時一緒にあれを見てしまった僕ですから言えるのかもしれませんが」

「だが君は、それで我々の様になってみたい、とは思ったことは無いか?」

「別に、ありませんね」


 君、とグルシンは若い学者の非礼をたしなめようとする。しかしスノウは軽く手を振る。


「少なくとも、僕はこれで充分です。だから下手なこと考える人が増えないうちに、あれはあなた方に進呈致します。僕達の観点で言えば、あれは何の役にも立たない。エネルギー源にもならないし、コミュニケーションを取るには、能力が足りませんからね」


 スノウはうなづいた。実際この若い地質学者の言う通りだったのだ。完全とは言わずとも、このフアルト助教授が、良いところまで掴んでいることは、間違いない、とスノウはふんでいた。

 パンコンガン鉱石は、彼ら帝都の「皇族」や「血族」が、遠い昔、現在の様な特性を持つために必要なものだった。

 当時はまだパンコンガン鉱石、とは呼ばれていなかったし、その場所にあった訳でもなかった。スノウもまた、遠い昔、「それ」に触れたことがある。いや、触れただけではない。

 位相の違う生物。それがこの鉱石だった。

 それを取り入れることによって、ただのホモ・サピエンスは、天使種という、不老不死の生き物になってしまった。

 だが彼等は遷都の際にその故郷を破壊し、先住の種族をも破壊してしまったはずだった。

 はずだった。

 なのに、数百年が経過した時、とある植民星で、同じ性質を持つものが発見された。

 発見、なのか、それともかつての破片がそこに飛んだのか、そのあたりは判らない。

 それが一体本当にどういう性質の生物であったか、など、位相の違う人間でしかない生物には、理解できなかったのだ。

 見つけたからには、回収が必要だった。

 だが、その破壊の記憶が何処かにあるのだろうか、パンコンガン鉱石、とその地方では呼ばれていた「それ」は、人間の気配がある程度以上の複数になると、身を翻すのだ。仕方なしに、帝都政府は、少しづつでもいい、とこの地の人間に採取を義務づけたのである。

 そしてまた、その一方で、この様な提案をする者を、待っていたと言ってもいい。


「前向きに検討しておこう」

「良い返事をいただきたいですね」


 ジオは不敵な笑みを浮かべた。


   *


「でも最初は、やっぱりあの再会のせいすよ。俺が思い付いたのは」

「ああ…… あのヘッドさんと」

「ええ、奥さんだった人との」


   *


 あの日。疲れ果てたゾフィー達が、放送局に帰り着いた時には、既に夜になっていた。丸一日以上、外でずっと騒動の中に居たのだ。

 さすがにくたびれた、と局の入り口のカウチにとりあえず腰を下ろしていると、待っていた、とばかりに局の事務の女性が飛び出してきた。


「どうしたんですか?」


 問いかけたのはリルだった。すると、事務の女性は、とにかくこちらへ来て下さい、とゾフィーの手を引っ張る。役者の控え室に使われるその小さな部屋には、ゾフィーよりやや年かさと見られる一人の女性がドーナツ椅子に掛けて、所在なげにしていた。


「ずっとこの方が、待ってるんです」

「待って、って……? あたしを?」

「というか、レベカさん、今回の責任者ですよね。ですから、御存知でしょうということで…… とにかく私達じゃあ、その場に居たひとのことなんて判らないし……」


 事務の女性は、回りくどい言い方をしながらも、とにかく自分達には責任は取れないから、という意味をほのめかす。


「その場に居た人って」

「あの……」


 座っていた女性は、立ち上がった。


「今朝放送が再開された時に、カメラが映していたひとのことを知りたいんです。わたしの、昔の知り合いかも、しれないんです」

「映していたって言っても……」


 ゾフィーは口ごもる。その時映していた人数など、とんでもない数だ。一口にそう言われたところで。


「……いえ、あの、……でも、少なくとも、あの首府警備隊の方は、御存知じゃないか、と思うんです」

「首府警備隊? だったら軍の方に」

「でもやっばり、……あの……」


 ひどく言いにくそうな女性に、ゾフィーはもしや、と思って一つの質問を口にする。


「もしかして、あの時、軍の人達と一緒に居た……」

「ええ!」


 女性は、顔を上げた。


「ずっと、行方が知れなかったんです。もう十年にもなります。何処でどうしてるかと思ってました……あの……」

「って…… で、でもあの時映していたのは、四人程居たけれど……」

「名前は……」

「名前では駄目だわ。だって、彼らは」


 彼らには、本当の名前は判らない。皆が皆、その場で暗号の様な、記号の様な名前を呼び合っていた。ヘッドでか目ビッグアイズ地学ジオ。……文学者リタリット


「じゃ、会わせて欲しいんです。会いたいんです。……見れば、判るんです」


 その女性は、胸の前で手を組み合わせる。


「でも、会って――― どうするんですか?」


 それは、ゾフィー自身、自分に幾度となく繰り返してきた問いだった。しかもこの女性は自分より二年も長そうだ。


「そのひとは、昔わたしの夫だったんです。……でも、今わたしには、別の家庭があります。彼との間の子供も、今の夫を父親と思ってます。もう、会ってもどうにもならないのかもしれません」

「だったら会わない方がいいんじゃなくて?」

「でも」


 女性は顔を上げる。


「せめて、ちゃんとさようならを言わないと、いけないような気がして」


 ああ、とゾフィーはうなづいた。確かにそうだった。自分にも覚えのある感情だった。

 それなら、と彼女はリルに、一度別れた首府警備隊の方へと回線を開き、そこからその夜は首府にてキャンプ状態となっている「赤」「緑」の連合実働隊に連絡をつけてもらった。

 ゾフィーは疲れてはいたが、その女性を連れ、リルの運転する地上車でキャンプへと向かった。

 キャンプは、ひとまず、新年休暇中の中央大学の体育館の中へと設置された。

 新年休暇が済むまでにこの事態に収拾がつくかどうかは判らないし、学生達がこの集団にどんな影響を受けるか判らない。だがひとまず休戦協定を結んではいるし、その過程で、それまでの政治犯を一度白紙に戻すという提案が出されてもいた。事態は確実に代わりつつあったのだ。


「用事?」


とその場に居た中で、ヘッドとビッグアイズと名乗った男が出た。ジオはゼフ・フアルト助教授ということが判明していたし、リタリットは――― その場には居なかった訳ではあるが。


「……!」


 小柄な女性は、短い髪のヘッドを視界に入れた瞬間、その場にしゃがみ込んだ。そのままうっうっ、と泣き出す姿を見て、二人が二人とも、少しばかり戸惑っている様に、ゾフィーには見えた。


「もしかして、あんたこいつの奥さんだったとか、言うんじゃない?」


 口を開いたのはビッグアイズの方だった。女性はそのまま何も言わずに首だけを上下させた。ヘッドはそれを見て、すっとその場にしゃがみ込んだ。

 そして、ふうんそうなの、と言って、ビッグアイズはそのままキャンプの中へと戻って行く。ゾフィーもまた、リルの服を引っ張り、少しばかりこの再会の人々から離れて行った。

 どのくらい経ったのだろう。やがて二人とも立ち上がると、一度抱き合い、そして離れた。女性は目にハンカチを当てながら、お待たせしてすみません、とゾフィー達の方へとやってきた。見ると、ヘッドはヘッドで、キャンプの中へあっさりと戻って行く。


「いいのですか? もう」

「ええ。充分です」

「本当に?」

「ずっと、気になっていました。彼のことは。でも……」


 女性は、目に当てていたハンカチを一度広げると、畳み直した。


「十年は、長いですね。わたしにとっても、彼にとっても」

「……」

「わたしにとって十年経っていたように、彼にも彼の十年が、あったってことですよね」


 ありがとうございました、と女性は言って、そこから一人で家へと戻って行った。首府に住んでいるのだという。夫と子供が待つ、家庭へ。

 ゾフィーはその女性の後ろ姿を見ながら、自分は一体八年の間、何をしてきたのだろう、と思う。そして、自分が一体本当に、ヴァーミリオン=リタリットに何を言いたかったのか、少しばかり判らなくなっていた。


 一方、キャンプにあっさりと戻ってきたヘッドに、ビッグアイズは立ち上がると、その大きな目をいっそう大きく開けた。


「あんた…… 何やってんだよ」


 ビッグアイズは問いかける。


「何って。何?」

「あんたのずっと気にしてた、奥さんじゃないのか?」

「……だと、思うんだが」

「そんな他人事のように……」


 ぽん、とビッグアイズの肩を叩くと、ヘッドは体育館の床の上に座り込む。そして集結した実働隊メンバー――― 主にライの脱走者達が、再会を喜びつつ、次の事態に対する備えをしている姿を眺める。

 キディがあの店で鍛えた小回りの利く足で、めいめい好きずきに座り込む人の輪の間をすり抜け、首府警備隊からの差し入れの食事と飲み物をメンバーに配っていた。


「奴は元気だな」

「奴? ああ、キディか」

「あれは確か、思い出したくない類、だったよな」

「そうだったが…… どうしたっていうんだよ、ヘッド、あんた」

「思い出せなかったんだ」


 え? とビックアイズは眉を大きく寄せる。


「さっきの女。俺の女房だったらしいっていうけど、俺は、あの女を見た時、判らなかった。ずっと俺は、見れば判るだろう、と思っていたのに、だ」

「……ヘッド……」

「そしてあの女は、もう今は、新しい家族が居る。俺との間の子供も、新しい家庭に馴染んでいる、ってことだ。……結局、その程度のものだったらしいな、俺にとってそれは」

「それは…… でも……」


 ビッグアイズは低い声で口ごもる。何か反論してみたいとは思うのだが、それが全く浮かばない。こんな事態は、予測していなかったのだ。きっと自分は、再会して喜び合う夫婦を、多少の苦笑混じりで見ることになるだろうな、と予測していたのだ。なのに。


「何、お前その顔」

「何って」

「何か、変な顔してるぜ」


 そう言ってヘッドは、ビッグアイズの額をこつんとつつく。


「……ま、こうなったら、別にもう捨てて惜しいものもないし…… これからも、長いつきあいになりそうだよな、相棒」

「……」

「だから何って顔してるんだよ?」


 ビッグアイズは、何も言わず、うつむくと、「相棒」の首に大きく腕を回した。

 何だかなあ、という顔をしながら、ヘッドはそのままどうやら泣き出してしまったらしい相棒の背中をぽんぽんと叩いた。



 何やらひどくノイズがひどい、とリタリットは思った。

 構内の放送端末の中継点にしてある部屋で見つけて持ち出してきた小さなラジオが、ずいぶんと今日は雑音がうるさい。きっと空をぶんぶんと、電波をかき乱すモノが飛び散らしてるんだろーな、と彼は内心つぶやく。

 新年休暇の校舎は無論人の姿は無い。警備員すら新年休暇らしい。

 そんな人のいない校舎の鍵をマイナスドライバー一本で簡単に開けて、リタリットは屋上の、階段室の上に登った。そしてラジオを傍らに置くと、ぼんやりと曇った空を眺めながら煙草をふかしていた。

 どのくらいそうしていただろう。事態が変わりつつあると言ったところで、さし当たり「海賊放送のDJ」なんていう役割には、ひとまずの終止符は打つことができた訳だ。

 しかしそうなってみると、この男は何をしたものか、いまいち判らないらしく、他の実働隊メンバーからもふらふらと離れて、こうやって何をするでもなく、ぼんやりとすることが多くなっていた。

 実働隊に加わったドクトルKも、また始まった、と両手を上げる。忙しく立ち動いているうちはいい。だが。

 実際、彼自身、あの事件から半月経った今、何もする気力が起きなかった。


「半月だぜ?」


 そして小さくつぶやく。


「半月たす半月で、一ヶ月だぜ?」


 膝を抱えて、遠くを見ながら、リタリットはつぶやく。

 相棒が消息を絶って、一ヶ月になろうとしていた。その間に、季節は春の暖かさが日に日に増してきていて、その反面、天気が不安定な日も多くなっていた。今日も今日とて、青空は顔をのぞかせそうにはない。

 一日が、ひどく長く感じる。ごろん、と彼はその場に寝転がった。雲の動きが早い。雨が降るのだろう、もうじき。


「だからそんなとこに居ずに、帰ったほうがいいよ」


 彼は声を投げた。その先には、階段室から出てきたゾフィーの姿があった。


「話があるのよ、リタリット君」

「よくオレの居場所が判ったね、レベカ女史。ウチの連中に聞いた?」

「いいえ。あなたの持ってる放送用端末から、逆探知したのよ。何かとうちのスタッフにも有能なひとはいるものよね」

「どっちかというと、雑学の大家じゃない?」 


 よ、と腹筋の要領で身体を起こすと、リタリットは見上げるゾフィーの居る側に座り、足をそこから宙にぶらぶらとさせる。


「で、話って何なの? レベカ女史。オレに何か用事?」

「ええ。降りてくる気は無い? リタリット君――― いえ、ヴァーミリオン」

「降りてもいいけど? でもだあれ? そのヴァーミリオンってのは」

「さあ。あたしだって知りたいくらいだったわ。結局あたしは彼のことは何も知らなかったのね」

「ふうん?」

「別に、あなたがそのひとのことを知らなくてもいいわ。あたしが一方的に、勝手に話したいだけだから、だから、聞いて。それだけでいいわ」

「聞くだけでイイなら、聞きましょーか」


 しかし降りる気配は無く、彼は相変わらず、足をぶらぶらとさせていた。


「昔、そういう名の知り合いが居たの」

「ふうん」

「彼は、あたしの兄貴の、恋人だった、と思うの。少なくとも、寝てたわ。そういう関係だった」

「そういう関係だった訳ね」

「そういう関係だったわ。八年まえよ。水晶街の騒乱の年よ。兄貴はこの大学の学生だったわ」

「頭良かったんだね」

「そうよ良かったわ。嫌になる程良かったのよ。でもその兄貴の相手は、もっと良かったのもしれないわね。だってストレートに入ることができたんですもの」

「それは秀才だね」

「そうよね。だけどそのひと、何故かたった数ヶ月で、勉強から離れてどっか行っちゃったのよ。そして戻ってきた時には、そのヴァーミリオンって名前だったわ。兄貴とくっついたのも、その後だったわ。あたしは彼を嫌いだったわ」

「へえ。どーして?」

「どうしてだか、判らないわ。でも何か、嫌だったのよ。彼が、兄貴と寝ていたのもそうだったわ。何か、その言葉が行動が、気に障って仕方なかったのよ」

「それはお気の毒な」

「ええ全くよ。でもだから、あたしは、彼が兄貴から、ある計画を知らされてなかった、なんて、初めは知らなかったわ」

「はじめは?」

「だから途中から気付いたのよ。きっと知っていると思ってたわ。だって、何かそれは、突拍子もなくて、でも絶対、一緒だろうと思ってたのよ」

「ふうん?」

「でも、途中で気付いたのよ。兄貴達は、彼を、その計画から抜いているって。途中で」

「あなたは、気付いていたのに、言わなかったの? 女史」

「言わなかったのよ」

「何で?」

「彼が嫌いだったからよ。喋りたくなかったのよ。大事なことだったのに、言ってやるもんか、って思ってたのよ。そしてずっと、彼が知らないってことを知らない顔で居たわ。彼があの水晶街の前日、あたしに会ってね訊ねた時にも、そんな顔をし続けたわ。でもそれは」


 リタリットは口を開かなかった。


「言っていたら、変わっていたかもしれないのに。兄貴は地下鉄で死ななかった。水晶街は起きなかったかもしれない。ヴァーミリオンは行方不明にならなかったかもしれない。あたしは知っていた。なのに言わなかったのよ。ねえ、どう思う?」


 吸いかけの煙草を口から外すと、コンクリートの上にぎ、と彼はそれを潰す。そして上着のポケットに両手を突っ込むと、リタリットは首を軽く回す。


「ねえ、レベカ女史」


 少しばかり姿勢を前に落とした彼をゾフィーは見上げる。空の白が目に入って、少しばかり鼻がむずむずする。


「オレはアンタが何をダレに懺悔したいのか、さーっぱり判らないんだけど」

「はい?」

「ちっとばかり、オレの話も聞いてくれる? オレの知ってる馬鹿の話なんだけど」

「―――いいわ」

「むかしむかし、あるところに、一人の王子さまが居ました。その王子さまは、王様の一人息子で、下には王女さまが一人居るだけでした。小さな頃から、王子さまは、王様譲りで頭も良くて、お后譲りで可愛らしく、皆から愛されてると思ってました」

 

 何をいきなり、とゾフィーは思う。しかし彼女はすぐに気付いた。


「―――あなた」

「王子さまにとっては、その頃が一番シアワセでした。だってそうです。誰もが自分を、好きだと思いこんでいたのですから。でも違いました。ある日王子さまは、自分が王様の息子だからちやほやされているというのを知ってしまったのです。まあ気付かない方が馬鹿ですね。でもそれでもまだ王子さまはシアワセでした。だってそうです。王様もお后さまも、王女さまも、まだ居たからです」

「……」

「周りのことも気にはなりましたが、とりあえず王様の期待は裏切らない様にしよう、と王子さまはがんばりました。もともと頭のいい王子さまですから、少し努力すれば、たいがいのことはできたのです。できないまわりを不思議に思うほどに。だけどそんな王子さまをまわりが面白く思う訳がありません。王子さまは次第に周りから自分が遠ざかってるのに気付きました。でも、王様が、家族が、まだ自分の周りには居ると思ってましたから、彼はそのままそんな奴のまま、続けた訳です」


 ゾフィーは淡々と語るリタリットの調子に、ふと寒気を感じた。これは。


「ところがある日、王子さまは一つのウワサを聞きました。自分の妹である王女さまは、実は王様のこどもではないというのです。嘘だと思いました。だってそうでしょう。王様は、王子さまよりも王女さまを好きであるかの様にふるまいます。実のこどもでないのにそれはないだろう、と彼は思ったのです。でも」

「でも?」

「彼ももう子供では無かったので、子供がキャベツから生まれてくる訳ではないことくらい充分知ってました。そしてよく考えてみると、妹が生まれたあたりから逆算する時期には、父親が戻ってきたことは無いコトに気付いたのです。新聞が、それを証明してました。それでも彼は、父親が気付かないんだ、と思いたかったのです。思おうとしました。そしてがんばってがんばって、その国で一番いい学校に、いい成績で、入った訳です。ところが」

「ところが?」

「父親は彼のためにお祝いのパーティを開いてくれました。しかしその席で出会った一人のエライ人が、言った訳です。『君の父親は、女性には興味が無いんだ。だから女性との間に作ってしまった君よりも、奥方が勝手に作ってきた娘の方が他人で可愛いんだ』」

「!」


 ゾフィーは思わず口を手で押さえた。ゲオルギイ首相にその趣味があったことは、確かに裏では公然の事実だった。妻とは家同士の決めた婚約であったことも、その筋ではよく知られたことだった。しかし子供達は。


「嘘だ、と反論する彼に、その男は続けました。『嘘だと思ったら、ちょっとこっちにおいで』男は彼を、迷宮の様なその屋敷の裏へと連れて行きました。そして彼は見た訳です。父親が、自分より少し上か、自分くらいの年の青年と絡んでいる姿を」


 ひっ、とゾフィーは息を呑んだ。


「彼は混乱しました。だってそうでしょう。それまでに努力したことは一体何だったのか。人に嫌われても、とにかくがんばってきたのは、誰のためだったというのか。可愛さ余って憎さ百倍。その男は、そんなエライ人だったくせに、その王子さまに、王様を打倒する革命集団に入ったらどうか、なんて勧めた訳です」

「えらい人……」


 彼女はそんな人居ただろうか、と考える。どうしても彼女にはそれが誰なのか、思い当たらなかった。


「彼は一も二もなくそれにすがりつき、そしてその革命集団とやらで訓練を受けました。それは結構色々なことを教えてくれる親切な組織で、おかげで彼はのちのちそれを色んなところで役立てることができました。例えば牢屋を脱走する時とか。例えば対戦車砲の入っている部屋の鍵を開ける時とか」


 にやり、とリタリットは笑う。


「彼はそこでもやっぱり優等生だったので、その革命集団は彼を使って王様を打倒しようと考える訳です。そこでえらい人は、集団に、彼を都へと帰す訳です。ただし、本当の名前を隠させて。別の身分証明を与えて。彼は学校へ戻りました。だけどもうそこで動くのは学生としてではありません。あくまで革命集団の一員としてでした。そこで、学内の集団を組織するのが彼の役目でした。彼は今度はその役目を一生懸命こなそうとする訳です。そこでも」

「……」

「ところがある日、その役目で近づいた一人の青年が、彼に言う訳です。『何で王様を倒そうとするんだ、王子さま』青年は、彼が王子さまだということを知っていました。彼は青年のことはその時は別に好きでも何でも無かったのです。だけど、その青年があまりにも熱心にそれを訊ねるので、とうとう彼は父親の秘密を口にしてしまったのです。すると」

「すると?」


 リタリットは苦笑する。


「その青年は言う訳です。『そんなに嫌なものなのか? だったら一度試してみたらどうだ』と」


 え、とゾフィーは思わず声を立てた。まさか、そんな。

 リタリットが自分自身のことを延々語っているのは、既に彼女も気付いていた。だとしたら、この青年は。


「彼は青年に、そんなコトができるのか、と訊ねました。すると青年は、自分は別段そういう趣味ではないけれど、王子さまが相手なら、できるかもしれない、と言いました。彼はその言いぐさに呆れ、試してみることにした訳です。―――やってみると何ってコトはない。そこでまた彼は少し迷う訳です。だとしたら、何で自分は王様を憎まなくてはならないのか」

「迷ったの?」

「迷ったの。彼は。何度か身体を重ねるうちに、青年にもその迷いが通じたらしく、青年は、王様を暗殺する計画を、彼には話さなかった訳です。だけど彼はそれにずっと気付かなかった。青年の妹に言われるまで、ずっと」


 彼女は思わず身を固くした。


「彼は、それを聞いて予想される行動の先回りをするしかない、と駆けつけました。青年はそこに居ました。でも時間が無い、と言って、彼を一瞬抱きしめると、そのまま活動に走っていきました。だけどその時、こう言い残した訳です。『だってお前には、できないだろう?』」


 言いそうなことだ、とゾフィーは思った。

 あの兄だったら、そんなことを言いそうだ、と。それが彼女の、尊敬と嫌悪の入り交じった――― そんな部分だった。


「呆然としている間に、学生達は線路に爆弾を仕掛け……その場所は不発に終わった訳です。彼の目の前には、真っ赤な服の、青年が、散らばって横たわってました。彼は人混みに紛れてふらふらと飛び出し、気が付いたら、学生の波に呑まれて水晶街に出てました。何をするでもなく、その場に居たら、軍に取り押さえられて、王子さまは、王子さまという証明もできないままに、牢屋へと放り込まれた訳です」

「……それで…… 王子さまは、牢屋から逃げ出したの?」

「さあ。王子さまサマなんて、そこで永遠に消えたのかもしれない。ただ、彼は、そこで奇妙に、シアワセだったんだよ?」

「幸せ?」

「何をシアワセというのか彼にもよく判らなかったろーけど、彼は、冷たい惑星の上で、誰でも無くなって、やっと手を伸ばして掴んだものが、ひどく暖かくて、気持ちよかったんだ」

「そうなの?」

「そうなの。だけどその温もりが、どーにも最近何処かに行っちゃって、見つからないから、彼は待ってるんだよ。ずっと」

「…………馬鹿ね。確かに」

「馬鹿だろ」

「手が届かなければ、飛び上がればいいのに」

「飛び上がって済むところなら、彼はとっくの昔に飛び上がってるさ」


 雨がいつの間にか降り出していた。


「―――リタリット君」


 次第に強くなる雨の中、ゾフィーはしばらく閉じていた口を開く。雨の音に、雑音混じりのラジオから流れてくる音楽が絡む。その間を抜ける様にして、ゾフィーは言葉を探す。

 何、とリタリットは問いかけた。


「あなた、これからどうするの?」

「さあ、どうしよう。オレにも良く判らねーのよ。アナタこそどうするの? 次の企画? ねえそれでも探したくない、と思ってる奴のことは探さないでおいてやってよ」

「……ええ」


 彼女はうなづくと、濡れた髪の毛をかき上げながら、階段室へと入って行った。


 雨は次第に強くなって行く。雲の流れが早い。

 リタリットは街を見渡す。ここが一番いい風景だ、とアジン・レベカはあの頃言っていた。

 いい奴だった。恋愛じゃなかったけど、好きだった。

 だから、それを止められなかったことが、ずっと悔いになって、あの光景を記憶の鍵として焼き付けてしまった。大勢の声と地下鉄と、赤い服の。

 欲しかったものは、手に入れたことが無かった。手に入れたと思ったものは、すりぬけていく。その繰り返し。

 もしかしたら、父親は、自分のことを決して嫌ってはいなかったのかもしれない。

 本人に聞いた訳ではない。本人に聞けば良かったのだ。

 だがもう遅い。父親は、死んでいる。殺されたのだ。自分の知らない誰かに。

 手の中には何もない。全てがその間をすり抜けて行った。

 手を伸ばせば。

 彼はふと空を仰いだ。大粒の雨が、顔を濡らす。

 雲の流れが速い。にわか雨の様な気配だ。

 いっそのこと、ずっとこんな風に降っていればいいのに、と考える。


 と。


 突然ラジオから、ノイズが飛び出した。

 リタリットは振り向く。ラジオは水を滴らせながら、それでも音楽を流し続けていた。

 その音楽が全く聞こえない程、ノイズは大きく激しく、スピーカーから飛び出す。


 何だろう。


 彼は思う。

 ―――思った時だった。

 ごぉ………… と、低い音が空から響いてくる。

 空気を震わす。

 立ち上がる足元のコンクリートに響く。リタリットは空を降りあおぐ。

 何か、が、雲間に見えた。

 まさか、と彼は思った。

 自分の目を疑ったことは、無い。だがしかし。

 目を凝らす。


 ちょっと待て。


 リタリットは階段室の上から、飛び降りた。

 飛び降りたショックが足に響く。水たまりが跳ねる。

 ラジオのノイズを背に聞きながら、彼は階段室へと飛び込む。

 濡れた靴の底がビニルタイルの床につるつる滑って、今にも転びそうだ。だが転んでいる暇は無い。

 外の音は次第に大きくなってくる。

 近づいてくる。震動が、校舎を伝って、自分自身の身体を震わせている。


 まさか。


 彼は思った。


 あれは。あれは。あれは。

 自分の目が間違ってなければ。


 大気を引き裂く様な音と、大地を揺るがす音が、同時に鳴り響く。


 何でこれはこんなにあの音を思わせるんだ。地下鉄の、あの。


 階段を一段飛ばしで降りる。

 滑りそうになって、慌てて手摺りにつかまる。

 七階・六階・五階……

 一階まで降りきる。

 廊下を走る。

 湿り気のせいで廊下までつるつると滑る。勢い余って滑る。思い切り滑る。

 ズボンの膝がすれる。その下の皮膚がすれる。痛い。膝をぶつけたらしい。

 だけどそんなことを言ってられない。

 リタリットは入った時に開けた扉から飛び出す。

 見上げる。

 空には四角い箱の様な機体が、ひどく不安定な操縦で、次第に地上に近づいている。

 あれは。

 ばしゃ、と水が跳ねる。

 リタリットは外へ飛び出した。


 小型艇だ。あれは。あの冬の惑星で、食料だけを輸送する時に、使っていた、小型の惑星間輸送船。見覚えがあるはずだ。自分達も、それには乗ったのだ。あの時、すぺーすじゃっく、を試みた時。

 そして、あの時、操縦していたのは、誰だ?


 彼は空を仰ぎながら駆け出す。

 この方向は。

 自分の足が、大グラウンドに向かっていることに気付くのに、時間はかからなかった。


 そうだ。奴なら、そうする。


 リタリットは思う。


 奴だったら、絶対に、自分一人で脱出して、機体をそこらの街に落とそうなんて思わない。


 この学校の広さを彼はその昔、好きだった。人数の割に、広すぎるこの場所が、隠れる場所が多いこの場所が好きだった。

 だが今、その広さがいまいましい。

 どうしてなかなか自分の足はグラウンドまでたどり着けないのか。

 雨のせいで足がとられる。進みにくい。

 雨が目に入る。雨。雨。雨。

 そう言えば、あの時も雨が降っていた。

 あれは、ライから自分達が戻って来た時。

 あの寒い惑星から急に変わった気温に、身体がついていけなくて、どうしようもなく身体の中が熱くて、そして、相棒を、あの時。

 立ち止まる。

 目の前に、箱が。

 息を呑む。

 グラウンドが悲鳴を上げた。


 肩で息をつきながら、ようやくリタリットはグラウンドの入り口へとたどり着いた。

 鼻先を大地に埋めた機体からは、黒い煙が何本か上がっている。

 だがひどい雨のせいか、黒く所々が焦げた様な機体も、火が点くこともなく、そのまま、大地に突き刺さったままだった。

 彼は立ち止まった。足が、それ以上進まなかった。

 この音は、あの音を連想させる。


 中から、赤い服の相棒が出てきたら。


 得体の知れない恐怖が彼を頭から襲う。息を詰めて、思わず両の腕で自分の身体を抱きしめる。


 お願いだ、出てきてくれ。


 がちゃ、と中から音が聞こえた。

 リタリットは手に込める力を強くする。鼻面を突っ込んだ機体は、バランスを崩して、斜めになっているから。


 扉も――― 斜めに開くんだ。


 そんなことを考えながら、腕が扉を。


 相棒は、黒い服をいつも着ているんだ。


 そして、不思議そうな顔で、こちらを見ている。


「……リタ……?」


 BPはつぶやいた。

 そして、扉を大きく開けると、そこからゆっくりと降り立った。

 だらだらと、雨が金色の髪から落ちていく。

 顔が濡れているのは、きっとそのせいだろう。

 そう決して、泣いてるんじゃ、ない。


「BP!」


 リタリットは勢いよく駈けだした。

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