22.スタジアムでテルミンとリタリットとゾフィーは

「……あと数分で、共通歴830年も終わろうとしています」


 ライトが不自然なまでに強烈に当たる、フィールドの中、中継するカメラの前で、中央放送局の女性アナウンサーがマイクを手にしていた。

 ゾフィーはそのカメラの映像を、スタジアムの放送室の中でチェックしていた。これから新年の訪れと共に始まる祝賀祭の模様を全星域に中継するのは、彼女の役目である。彼女が陣頭指揮を取っていた。

 と言っても、事前準備をスタッフに任せる所は任せておいたことから、彼女自身の当日の仕事というものは、責任はともかく、量的に多くはない。

 実際この中継において、「すること」は単純だった。これから行われる祝賀祭の模様を、より効果的な方法で、全星域に流すこと。ただその「効果的」がいつも彼女の問われるところである。そのあたりをいつも彼女は宣伝相テルミンと相談してきたのだ。

 しかし今回は、彼女自身「任せる」と言われたのだ。

 あの書庫で会って以来、テルミンとは事務的な会話しかしていない。何かを彼がやらかすのではないか、という懸念は明らかにあるのだが、ゾフィーにはどうすることもできなかった。

 とりあえず「効果的」にするには。ゾフィーはものごとを単純に考えようとした。今回の目玉は、何と言っても、このスタジアムそのものだった。この祝賀祭をめどに建設された、新しいこのスタジアムそのものだったのだ。

 この星系において、それは最も大きな多目的円形会場となる。だが、最も大きな目的は、やはり政府の示威行動だった。

 ゾフィーがテルミンから伝えられている今回のプログラムは、大きく分けて三つのパートに分かれる。

 まずはオープニング。あらかじめ配置された音楽隊と、各地から召集された学生達による集団のダンスが披露される。旗や布を使って行われるマスゲームの様なものもあれば、その地方特有のフォークダンスの様なものもある。それが次々に披露される。

 一通り終わったところで、総統の登場である。そこで、新年の祝辞が述べられ、続いて各閣僚の祝辞が、総統よりは短い時間で述べられる筈だった。閣僚は総勢10人。現在の陣営になるまでは、八人だった。宣伝相と建設相が、元々のポストに加えられ、そしてその加えられた新ポストが、現在の内閣において、総統の次に力のある存在と言ってもいい。

 それは他の閣僚が、自分の手に権力の重みを掛けるのを厭った結果だ、とゾフィーは了解している。

 宣伝相も建設相も、新しいだけではなく、曖昧なスタンスの閣僚である。二人ともその曖昧さを利用して、力をつけてきたのだ。

 それにしても、とゾフィーは窓からスタジアムを眺める。馬鹿馬鹿しい程のセットだ、と彼女は理解していた。

 この巨大な、白い建物は、すり鉢状の形をとる、客席だけで七万人の収容ができるものだった。これまでにその形のものが無い訳ではなかったが、この規模のものはこの星系では初めてだった。また、あったとしても、それはスポーツ利用が主体のものであり、式典・祝典といったもののためではない。

 ところが、このスタジアムは、むしろそちらの用途を目的としている様だった。

 一目で判る、とゾフィーはモニターに映る中央演壇に視線を移す。モニターは様々な位置に取り付けられているカメラの受け取る画像を映している。時と場合により、その映像は切り替えられ、全星系に流されるのだ。

 演壇は……大きかった。無闇に大きい、とゾフィーは最初にこのスタジアムに足を踏み込んだ時感じた。

 彼女達放送スタッフを自らその時案内したのは、建設相スペールンだった。テルミンともよく話すことがあり、都市計画に確固たる信念を持っていると聞くこの男は、彼女に向かい、この建築物の作りを説明した。


「基本は白です」


 短い言葉をスペールンは好んだ。そんな色のことに始まり、演壇の背後に立つ四角い塔の様なものの意味、外側にずらりと並ぶ柱の意味などを短い言葉で、しかし長々と説明した。


「よほどこの建物がお好きなのですね」


とゾフィーはその時スペールンに対して感想を漏らした。すると建設相は、当然でしょう、という顔をした。


「これは私の夢の第一歩ですからね」


 何故かその時ゾフィーは男のその口調と態度にぞく、とするものを感じた。

 正直言って、彼女はこのスタジアムにあまりいい印象を抱いていなかった。大きすぎるのだ。確かにカメラはあちこちに設置され、放送設備としては、悪いものではない。上手い切り替えは、すなわち上手い映像効果となるだろう。それは確実だった。また、この全体の白さは、夜の式典の際には、ライティングに都合が良いだろう。

 だが。

 彼女は思う。この広い会場は、誰のためにあるのだろうか。舞台装置。それならいい。あくまで、自分達がTVの映像を作るためのセットであるなら、これは非常に都合のいい会場である。その七万人の観衆すらも、映像のためには良い小道具となるだろう。


 だが、それでいいのだろうか。


 彼女は疑問に思う。ここに集まった人々は一体、何のために来ているのだろうか?

 疑問に思わなかった訳ではない。今までテルミンと一緒に政府担当の映像を作ってきて、ためらいを感じなかった訳ではない。ただ、それはその時必要だった。自分と、あの友人にとって。……しかし……

 彼女は頭を軽く振る。どうしたすか、とスタッフの一人に加えられていたリルが訊ねる。何でもないわ、と彼女は答える。


「カウントダウンが始まります」


 リルは彼女に告げる。ゾフィーは身を乗り出し、すり鉢の底をのぞき込む。


「……5・4・3・2・1……」


 0。

 その瞬間、スタジアムの全ての照明が消えた。

 そしてすり鉢の底に、きらきらと細かな光が、その時一斉に点った。

 みっしりとその「底」を埋める、その日の出場者達が、手にひどく小さな、だが光の強いライトを持ち、それを一斉に掲げたのだ。

 同時に、音楽隊の演奏が始まる。古典的な、管楽器と打楽器で構成される楽隊は、中央大学と、軍楽隊がその日一日だけの共同戦線を張っている。高らかにトランペットが学生側から鳴るかと思えば、呼応する様に、トロンボーンの音が長く伸びる。細かなスネアのロールを学生が鳴らせば、向こう側では、銀色に輝く金属音のメロディを響かせる。

 そして花火が上がる。ぽん、ぽんという連続する音とともに、色とりどりの花火が、次々に空へと上がる。弾ける。空を明るく染める。


「新年おめでとうございます!」


 アナウンサーの声が弾む。OK、とゾフィーはつぶやく。局の中でも、とりわけ明るい声の、だけど軽くならない女性を使った。

 花火とアナウンスの声につられる様に、階段座席に居る観客は、拍手と歓声と帽子を一斉に投げた。

 すり鉢の底の光は、そんな声や音の中、やがて左右に分かれて、渦を巻きながら出口へと流れて行く。

 ライトが復活する。その時には最初の演技者達が、既に用意を済ませ、手に旗を持って待機していた。音楽が鳴る。整然と並んだ地方学生の集団が、旗を回しだした。



「……ほう」


 腕を組みながら、来賓の一人としてその場所についているスノウは声を上げた。


「なかなかにいい眺めだ。一体いつの間にこの様に訓練させたのですか?」

「各学区の中等学校から代表を出す様に指示しておいたのは、もう半年前になります。それから時々全体訓練を行い、現在の様に。それぞれ同じ曲を用意し、同じ振り付けを訓練させましたが、全体で合わせるのはそう回数が多い訳ではありません」


 テルミンはそう答える。あくまでその口調はよそよそしい。


「なるほど。ではずいぶんとその全体練習は苦労したことだろう?」

「そうですね。しかし一回の集中が問われることですから」


 くす、とスノウは笑う。横に座るテルミンは、この男が戻ってくることは知っていたが、閣僚にも誰にも、そのことは通達していなかった。したがってこの日、スノウの出番はこの祝賀祭には無かった。来賓、あくまで観客の来賓として、この男は今この場に居たのだ。


「それにしても、総統閣下は未だお姿を見せないのか?」

「ここの所、体調を崩されてまして」

「確かに。体調を崩されたなら、この場は決して楽なものではない。しかし年頭の演説に関しては、無論行われるのだろう?」

「それは無論です。それが無くては、何もならない」


 それは確かだった。このスタジアムは、あくまで総統ヘラのパフォーマンスのために作られたと言ってもいい。

 テルミンはそれができる人材だからこそ、スペールンをヘラに紹介し、建設相という地位に抜擢し、この都市計画を進めたのだった。

 実際、スペールンという男は優秀だったし、それに加えて野心家だった。自分など居なくても、このまま都市計画を進めていくことは、この男には可能だろう、とテルミンは踏んでいた。自分がその昔そうした様に、スペールンが各地に手を回しつつあることは、調べがついていた。

 テルミンは、それを使って、スペールンを追い落とすことも、自分には不可能ではないことは知っている。無論、かつて陥れた閣僚に比べれば、厄介であるのは目に見えてはいるが、適切なデータを集めて、適切な行動を起こせば、それは不可能ではない。それはよく判っていた。

 だが、それをする気は無かった。

 そして彼はちら、と遠い前方に視線を飛ばす。

 ぐるりとこの来賓席から大回りしてたどり着くだろう向こう側の壁には、三つのブースが取り付けられている。

 右の一つは中央のすり鉢の底や、演壇を映し出す、メインのカメラを取り付けた部屋。ゾフィー達の居る場所に、そのカメラの映像は送られる。

 同じ様に、左の部屋からも、サブのカメラが置かれている。場合により、こちらがメインになる場合もある。ややカメラの置かれる角度が違うのである。その方向からのアングルのほうが、総統の姿が良く映るなら、その時はそれがメインになる。

 そして、真ん中の部屋は、空いていた。

 一応機材倉庫と名目は打たれているが、そこには鍵が掛けられていて、使用不能だった。少なくとも、ゾフィーはテルミンにそう報告していた。


「それにしても、君の設計したこの建物は素晴らしいことだ」


 スノウはテルミンとは逆の隣に座る建設相に向かって話しかける。


「光栄なことですね。建築家としては、自分の設計した建築が依頼主や観る人々に好まれるの程嬉しいことは無いことですからね」

「ああ、実にいい舞台装置だ」


 穏やかな笑みを浮かべながら、あっさりとスノウはそう口にした。


「それは、どういう意味でしょうか?」


 対するスペールンの口調も、あくまで穏やかだった。テルミンはそんな会話を聞きながら、微かに目を細めた。


   *


「悪趣味」


とリタリットは周囲に聞こえない程度の声でつぶやいた。

 善良なる市民の観客に混じって、海賊放送のアナウンサーは祝賀祭の観客席に居た。

 全く悪趣味だ、と彼は更につぶやく。身を乗り出す様にして、すり鉢の底の様なグラウンドと、近くに据えられている大型モニターの間に視線を走らせる。

 何かあるかもしれない、と言うのが、ハルゲウの「赤」のウトホフトからの情報だった。

 首府の情報なのに、どうしてハルゲウに居る方が詳しいのか、そのあたりはリタリットにしては知ったことでは無かったが、とにかく「何かあった時」に、電波状態を混乱させる役割を仰せつかってしまったため、そこに潜り込むことにしたのである。

 とはいえ、その役目を抜きにしたならば、なかなか面白い眺めだ、と彼は思っていた。悪趣味過ぎて、笑えてくる。

 古今東西の独裁者が好む方法を、そのまま踏襲しているに過ぎない。統一させた行動、統一させた意志。見た目には美しいけれど。

 そんなものが何処にあるんだよ、と彼は思う。

 見た目はともかく、中身はそんな訳が無いのだ。それを美しい舞台で、美しく演出したところで、中身が違えば、何にもならない。

 もともと現在の政治の情勢は、所詮、暫定的なものだとリタリットは考えていた。

 元々、総統ヘラは首相の「代理」として任命され、事態が事態だっただけに、承認されたに過ぎない。

 その後に、権力を次々に手にし、独占して行ったとしても、そこに、果たして正当性はあるのだろうか。

 もっとも、と彼はくっ、と笑う。政治というのは、正当とか正当ではない、という言葉ではくくれないものであることは、よく判っているのだ。

 そして一般庶民にしてみれば、結果さえ良ければよい。あの青物屋の女主人の言った様に。ゲオルギイ首相だろうが、総統ヘラだろうが、表に見える結果さえ良ければ、大した変わりは無いのだ。

 それは正しい、とリタリットは思う。政治家というのは、誰よりも上手く、演じてくれればいいのだ。

 だが、その台本が、間違っているなら、その時は、その台本が間違っている、と言わなくてはならない。間違っていることを判らせてしまうような馬鹿な行動を役者が取るなら。

 それが観客だ。

 そういう意味では、現在の総統は、いい役者だ、と彼は思う。その容姿、その声、全てを駆使して、ヘラ・ヒドゥンは「総統」という役をこなしている、と判断していた。

 そこにかつてゲオルギイ首相が持っていた様な、何かに対する意志というものが見えない。それが「政治家」でなく、「役者」としてリタリットがヘラを見なしている理由だった。

 ゲオルギイ首相は、あくまで帝都政府に対し、このレーゲンボーゲンを、一つの独立政府として対応させる様に行動してきた。それがゲオルギイ首相の行動の中心となっており、全ての行動は、そこから派生するものだった。それは確かだった。筋道が通っていた。

 しかし総統ヘラに関しては、そういう部分が無い。少なくともリタリットにはそう見えた。

 「意志」は宣伝相テルミンが持っているのかもしれない、とも考えることはある。ただ確証は無い。勘である。彼は自分の勘を基本的に信じていた。

 唇を指でつまんだり、口の端を引っ掻いたりしながら、再び彼は巨大なモニターに視線をやる。

 総統ヘラが現れ、ゆっくりと席に付く姿が映し出される。周囲から歓声が聞こえる。リタリットは目立たないために、適度に拍手を送る。確かに、その容姿に関しては拍手を送りたいくらい見事なものだったのだ。

 元々この「総統」は、軍服に似た格好を取ることが多かった。別段「総統」は服装が決まっている訳ではない。それに、ヘラ・ヒドゥンは一応文民のはずである。だが軍服を身に付ける。これに対して異を唱える者が無かったというのだろうか。いやあったはずだ。だが、それはおそらく、軍人上がりの宣伝相にかき消されてしまったのだ。

 紺色の軍服に似たその服を身に付け、いつも以上にゆったりと席につくヘラの姿を、カメラは追い、モニターにその姿を映し出す。

 彼はポケットに手を入れると、放送用端末に触れた。


   *


「オッケーそのままそのまま」


 ゾフィーはゆっくりと総統の姿を中心に捕らえるカメラに向かって指示を送る。

 遅れて来賓席に到着した総統ヘラは、一度奥に引き返したテルミンに付き添われて入場してきた。既に下では、オープニング最後の舞踊隊が音楽に合わせて花を振っており、出番は迫っていた。


「……あれ?」


 ふとリルが気の抜けた様な声を立てたので、どうしたの、とゾフィーは声をかける。


「や、何でもないす」

「いいわよ、言ってちょうだい」

「何か、元気ないすねえ、と」


 は? とゾフィーは問い返す。


「や、総統閣下すよ。何かお元気が無い」

「そうかしら?」


 ゾフィーはヘラをクローズアップしているモニターに視線をやる。現在星系に流れているのは、この映像では無い。まだ花を振る舞踊隊のほうだ。ヘラを映したモニターは、会場の中だけである。しかもほんの一瞬だった。

 だがその一瞬だけであることに、観客は盛り上がった。


「可哀相な舞踊隊……」


 リルは思わずつぶやく。

 確かに、とゾフィーはつぶやく。それは舞踊隊が可哀相なことだけではない。確かに、彼女の目からも、総統ヘラ自身に元気が無い様に見える。いや違う、と彼女は内心つぶやく。元気が無い、ではなく生気が無い、だ。

 モニターごしに何回も、何十回も、何百回も見つめてきた顔だった。決していつも同じ調子ではない。だが、その声を発する時の姿には、確実に生気があった。単に美貌というだけではない、何か強烈なものが、ヘラからは発せられていたのである。

 テルミンは彼女に言ったことがある。何故自分で政権を取ろうとしなかったの、という彼女の問いに対して。テルミンはこう答えた。自分には、人を引きつける何か、が無いと。何もしなくても、何か人を引きつけてしまうものを、生まれつき持ってる人が居て、自分はそうではないが、ヘラはそうだから、とそう答えたのだ。

 だがどうも、今このモニター越しのヘラの姿には、テルミンの言う様な何か、が見受けられない。確かに美貌はいつもの通りだ。いや、いつもより美貌に関しては、増していると言ってもいい。クローズアップされた肌など、女性の自分が嫉妬したくなる程にきめ細やかに綺麗だった。

 なのに。

 ふと、彼女はその下のモニターを見る。その一つは、もう少しヘラから引いて、近くに居るテルミンの姿をも映しだしていた。


「……あら?」


 彼女は友人の手が、ポケットに入るのを見る。そう言えば奇妙な形に、そのポケットは脹らんでいる様にも、彼女には見える。変だ、と彼女は思う。この友人は、軍服の型が崩れるのを嫌っていたはずなのに。

 そしてまた暗転する。舞踊隊の演技が終了したのだ。

 暗転した会場に、ゆっくりと、重々しい音楽が響く。会場の全景が外部向けのモニターには映っているはずだった。

 白い内壁が、ぼんやりと下部から浮き上がる様にライトが次第に光度を増していく。

 ゆっくりと曲を奏でる軍楽隊の、ドラムのロールが次第に大きくなっていく。

 カメラが引く。中央の演壇を中心に、全体が画面に入る。トロンボーンとスーザフォーンのクレッシェンド。ドラムのロールと相まってそれは一気にヴォリュームを上げる。

 一瞬のブランク。

 そして次の瞬間。

 光が一斉に、外壁から空へと上った。

 外壁にぐるりと取り付けられているライトが、その瞬間、空に向けて、最大出力で光を発したのだ。

 陽の色だ、とゾフィーは思った。春の日射しの、降り注ぐ光の色。暖かな、穏やかな、そんな明るい色の光が、その瞬間、遠く、長く、高く、空へと一気に走った。

 光の塔が、そこにはあった。それは確かに塔に感じられた。遠く、天まで突き抜ける程の―――

 楽器が一斉に音を立てる。

 トランペットの金色の音が、空へと駈け上る。音が光に絡まる。

 それに少し遅れて、歓声が上がった。

 カメラは段取り通り、演壇へと一気にズームインする。

 その視界の中には、立ち上がった総統閣下、が、ゆっくりと演台に向かう姿があった。

 ゆっくり、とゾフィーはつぶやく。無論カメラマンはその様な指示を既に受けている。ゾフィーはその指示の結果を待つだけだ。それでも見ている彼女の手は強く握りしめられている。

 総統ヘラ・ヒドゥンは演台に立つと、ゆっくりと眼下に広がる七万の聴衆に向かって視線を巡らす。ズームイン。その表情は余すところなく、星域中に送られる。

 ヘラは手を上げる。歓声が上がる。その手を高く上げる。そして身体をゆっくりと動かしていく。


「やっぱり綺麗な人だな……」


 リルのつぶやきが、緊張した空気を少しだけ破る。ゾフィーはちら、とその発言者をにらんだ。リルはおっと、と肩をすくめる。

 だが、その時だった。



 何だ? とリタリットはその時、腰を浮かせた。

 胃の底から突き上げる様な低音が、その時、身体の芯から響いた。

 音楽のヴォリューム? リタリットは自問する。いや違う!

 きぃん――― 鼓膜に嫌な音が響いた。

 覚えがあった。

 彼はこの音には覚えがあった。

 だがそれは、遠くで聞いていたものではない。近くで。すぐ近くで、自分が扱っていたかもしれない、そんな。


 ちょっと待て!!


 彼は思わず立ち上がっていた。ちょっと見えないよ、と後ろの客が文句をぶつける。

 だがそれどころではなかった。リタリットは慌ててその場から、近くの通路へと駆け上がった。走りながら、ポケットの端末のスイッチを入れる。そして、なるべく、そこから、よく見えるところへ。

 う、と彼は立ち止まった。

 光の線が。

 

 視線を、正面へ。


 花火にも似た、爆音が。

 

 リタリットは、立ちつくした。


   *


「総統閣下!」


 被弾のショックから真っ先に立ち直ったのは、厚生相のトルフェンだった。離れた席に居たのが、この男の運の良さだった。

 そしてそのトルフェンの声に、う、とうめきながらも身体を起こしたのが、建設相スペールンだった。演壇に比較的近い場所に席を置いていた男は、出来上がったばかりの演壇の壁のコンクリート片で軽く額に傷を作っていた。


「大丈夫か! 皆!」


 は、と周囲の警備兵達も、最初のショックからは立ち直った様だった。だがまだ周囲の様子はよくは判らない。演壇の照明が、被弾した時に、配線が切れたらしい。スペールンはすぐに、通信端末で、ライトをこちらに向ける様に、と指示をした。このままでは、動くにも動けなかった。

 管制室は、会場のライトを一時的に全体照明に切り替えた。非常時である。効果も何も無い。

 その時何があったのか、この建設相もよくは判っていなかった。ただ、いきなり前方の、放送ブースのあたりから、砲弾の様なものが飛んできたのである。

 本当に、それは一瞬だった。それが何だか認識した時には、鼓膜が破れるかと思われる程の音と、身体の上に降りかかってくる破片から身を守ることに精一杯で、何が「起こった」ということに、頭が回らなかった。

 しかし。


「総統閣下! テルミン!」


 スペールンは叫んだ。照らされ、露わになった演台の上には、強烈な現実が横たわっていた。

 直撃を受けたのは、演台そのものだったのだ。

 重なる様にして、そこには総統ヘラと、テルミンが瓦礫の中に埋もれていた。


「医師を……!」

「その必要は……無いようだ」


 横から、声がした。建設相は、それが自分を先程皮肉った男の声だと気付く。服が裂け、明らかにあちこちを負傷していてもおかしくない様な格好なのに、何処にも傷一つない…… 帝都の派遣員が、そこに居た。

 そして派遣員は埋もれている二人に近づくと、慣れた手つきで、その脈と、呼吸を確かめ、首を横に振る。


「……それじゃ……」


 周囲に居た閣僚の、息を呑む姿がそこにはあった。手伝ってくれ、とスノウは近くの無傷の警備兵達に声を掛け、埋もれている二人の身体をゆっくりと引き出させる。


「……ここは、私が何とかしよう。閣僚諸君、とにかく今の状態のまま、この場を放っておいてもいいのかい?」


 はっ、とスペールンはその帝都の派遣員の言葉に明るくなったスタジアムの、観客席をぐるりと見渡す。突然消えたモニタースクリーン。聴衆は、ここで何かあったのか、正確に知る訳ではない。

 スペールンは、端末を掴むと、放送局側に、マイクの替えを持ってくるように要請した。


「どうするのかね、建設相」

「いずれにせよ、この七万もの聴衆が騒ぎ出したらまずいですよ」


 そしてそれまできちんと着込んでいたスーツの袖をまくる。気合いを自分自身に入れる必要があった。

ちら、と見ると、スノウ派遣員は、二人の身体を担架に乗せさせると、ゆっくりと背後の通路から外へと出て行こうとしていた。

 それと入れ替わる様にして、放送局側から、替わりのマイクが差し入れられる。スペールンはそれを掴むと、スイッチをONにした。既に聴衆の間から、ざわざわと波のようにざわめきが立ち始めていた。


「観客の諸君! 安心してくれ、総統閣下はご無事だ!」


 スペールンは大きく声を投げた。


   *


『総統閣下はご無事だ!』


 そんな声が、建設相の口から流れている。ちょっと待って、とゾフィーは背中が一気に冷たくなるのを感じた。


 だって。


 彼女は思う。


 だって、それを言うのは、あなたじゃあないでしょう? 建設相!


 それを言うのは、テルミンのはずだ。彼女の友人の、宣伝相のはずだ。彼は一体何処に居るのだ。

 既に放映は中断していた。星系の全てのTVには、砂嵐が騒いでいることだろう。波の音がしていることだろう。その瞬間、演壇に最も近い位置にあったカメラが破損した。その時ゾフィーは全ての放送を切る様に、と反射的に指示を出したのだ。

 これはまずい、と彼女は思った。

 事実を見せても見せなくても、不安が広がるのは、予想が付きすぎる程だ。だが、とりあえず中断することで、その不安の正体を保留にできる。見せてしまったら、終わってしまうものがある。


「リル君、ちょっと様子を見てきて」

「はい? はい。レベカさん、いいんですか?」

「仕事が先よ。総統閣下のご様子をちゃんと」

「はい。宣伝相閣下にお話を伺えばいいんすね」

「そうよ」


 話を聞いてきて、とゾフィーは胸の中で思った。ひどく嫌な予感がしている。ケガをしているだけなら、それでいい。だけど…… 

 彼女は頭を思い切り振る。今はそれどころではない。中断している放送を何処で復活させるのか。そのタイミングを見計らわなくてはならない。だけどテルミンは。不安はつのる。そしてとりあえずはスペールンが何を言うのか、に彼女は集中することにした。

 だが。


   *


「お?」


と、首府のある一角で、TVを睨む様にして見ていた男達が声を立てた。

 あれは対戦車砲じゃないか、と「赤」の若い一人はつぶやいた。確かにそうだ、と「緑」の一人もつぶやいた。

 首相官邸に出かけた五人の安否も判らないまま、そのまま首府に留まった、この反政府組織のメンバー達は、その夜、中央放送局の番組に見入っていた。あれが出来上がったばかりのスタジアム。自分達の殺そうとした、総統閣下ヘラのために作られた。

 だが彼らには、それ以上の手出しはできなかった。「赤」の代表ウトホフトからの指示も無かったし、それにあの日出向いた、BPを含めた五人は、この首府に留まるメンバーの中でも、手練れのはすだったのである。

 そんな五人を欠いたまま、下手に動く訳にはいかなかった。

 なのに。


「何で、あんなことが起こるんだ?」


 それは突然消えた放送と同時に起きた、メンバーの共通した疑問だった。


「俺達じゃないぞ?」

「当たり前じゃないか!」


 真っ先に疑われるのは、反政府集団だ、というのは、彼らも容易に予想できるところだった。しかし、自分達ではない。自分達ではないのだ。


「一体誰が……」


 腰を浮かして、今にもその真相を掴みにスタジアムへ走りたいところだった。しかし。

 その時、いきなりTVのスピーカーから、ノイズが走った。


『親愛なる首府民の皆様新年おめでとう! ……そして総統閣下と宣伝相閣下のご冥福を祈りますことよ』


 あ、と構成員達は、口々に声を上げた。


「海賊電波だ」


   *


「海賊電波だわ!」


 ゾフィーは思わずコンソールに両手を叩きつけていた。


「……これじゃ……」


 彼女は唇を噛む。この海賊電波は、他の電波を全て駆逐する勢いで、その場に放送を流すのだ。


「や、でも、音声だけだったじゃないすか、今まで……」


 戻ってきたリルが、そうなだめる様に彼女に話しかける。


「リル君! ……どうだったの?」


 ゾフィーは弾かれた様にリルの方に顔を上げた。しかし、相手は黙って首を横に振った。ゾフィーは口に手を当てる。


「今さっき、廊下を担架が二つ、運ばれていくのを見ました。だけどその様子は、一刻を争うけが人の輸送、という感じではなかったんす」

「ってぇことは?」


 他のスタッフまでもが、声を上げる。


「……おそらく、もう……」


 リルは再び首を横に振った。ああああああああ! と、ゾフィーはその場にしゃがみこんだ。


『偉大なる総統閣下、敬愛なる宣伝相閣下のご冥福を祈ります』


 海賊放送の声が、彼女の耳にも入る。それは決していつもの嘲笑する声とは違う。ゾフィーは立ち上がると、コンソールにつけられたスピーカーに思い切り両手を振り上げた。


「黙んなさい!」


 そして何度も、何度も、彼女はその行為を繰り返した。彼女がテルミンと友達であることを、その場の皆が知っていた。その関係が恋人ではないか、と疑っている者も居た。区別はどうでもいい、とリルも思った。


「この電波は一体何処から出てるの!」


 一陣の嵐が治まった後、ゾフィーはうめく様な声でそう周囲のスタッフに訊ねた。


「たどることはできないの!?」

「レベカさん」


 おずおずと、スタッフの一人が、彼女の剣幕に押されながらも、手を上げた。言って、と彼女は命ずる。


「その海賊放送の発信者が、もし放送用端末、携帯型のそれを使っているなら、方法は無くはないです」

「あるの?」

「はい。ですが、そんなことは……」


 口に出した割には、スタッフの一人は、自分の言ったことを否定する様な勢いだった。ゾフィーは低い声でつぶやく。


「後で教えてちょうだい。役に立たなくてもいいわ」


 はい、とスタッフは、そう答えるしかなかった。


   *


『―――聞こえますか首府のみなさん。このざわめきが! この不安な空気が! お見せできないのが辛いところですね。ああ胸をぱっかりと開けてみせることができれば、いや違う、ではせめてワタクシのこのコトバの魔力が何処まで通じるのか試してみましょうか。ああ新しいスタジアムが何て無惨なことでしょう。白亜の殿堂、美しく白いスタジアム、その姿は夜の灯りの中で一層引き立ち、美しかったことよ。だけど美しいものは儚いことよ。その壁の一面から光の塔が立ち上って、何処までも続く永遠の光の塔をも体現したと思ったその矢先に今度は対面から迫撃砲の光が!』


 少しの間が空く。


『灯りは消え、モニターも消え、何が起こったのか誰にも判るものではなく、ただ不安ばかりが周囲に満ち満ちて。しかしさすが最新の設備。灯りはすぐに復活。しかしその復活した灯りの中には、嗚呼! あの素晴らしい、演壇の背後の壁は崩れ去り、そこには、無惨にも崩れ落ちた、コンクリートの瓦礫の山が!』


 水晶街の街頭に置かれたモニターは、相変わらず砂嵐をずっとまき散らしていた。だが、そのスピーカーからは、海賊放送の電波が、延々そのよく響く声を流し続けていた。


「……これ一体……」


 新年を迎える夜の水晶街は、人があふれていた。首府に住む、スタジアムへは行かないが、それぞれの新年を皆で祝おうという者達は、繁華街である水晶街の大きな店に集まっては、それぞれの時間を持っていた。

 春の暖かい大気が、人々の心を浮き立たせる。夜になっても、もう既に寒さはそこには無い。そんな季節のせいか、人々は、水晶街の中でも、外に出て歩いていることも多かった。

 そしてその真ん中に設置されたモニター。何枚も横並びになったそれは、いつもだったらそこで政府公報も、最新の音楽や映像も流されるのだが、今はその全てが砂嵐だった。

 しかし、そのスピーカーからは、夜の世界に慣れ親しんだ若者には、ここしばらく聞き覚えのある声が、そして。


「……この声、俺、聞き覚えがあるぞ」

「俺もだ」


 既に、家庭を持ち、子供の手を引く様な大人達が、スピーカーの声に耳を止める。


「確かに、聞いたことがあるわ!」

「学生の頃だよ!」


 三十代を目前にした様な夫婦が顔を見合わせる。真ん中にはさまれた子供は、不思議そうな顔で両親を見上げる。

 人だかりは、次第に大きくなっていく。


   *


「…………先刻そのスタジアムの裏手から、一台の車が出て行った。行き先は何処だろう? 残念ながら今それを追うことはできない。しかし今この演壇では、嘘の呼びかけがなされている。そうそれはとても妥当だ。この会場に集まった七万人が一斉に暴動にでもなってしまったらとっても危険。とっても危険。とっても危険。一度に七万人が、この会場から動き出すのはとっても危険だ。しかし嘘はいただけない。総統閣下も宣伝相閣下もご無事、なんて、嘘は言っちゃいけないよ、スペールン建設相!」


 リタリットは、端末を持った手のひらを外に向ける。性能の良いその端末は、つぶやく様なリタリットの声も、周囲の不安そうなざわめきも、そして壊れた演壇の上で必死にマイクを握る男の声も、区別して取り分ける。


「したがって現在我々のできることは、まず中断せざるを得ないこの会場から、速やかに退去することです……」


 マイクを通したスペールンの声が、端末に入り込む。

 そのまま中央大学内の中継機械へ飛び、更にそこから、強力な電波に乗せられる。

 中央放送局が必死で隠したとしても、少なくとも、首府に限って言うなら、それは無駄なことだった。

 そして、首府以外にも。


   *


「……嘘だ……」


 乾いた声が、その時、そうつぶやいた。


「……そんな…… ことって……」


 声の持ち主は、人気の無い大きな部屋の真ん中に置かれたモニターのスピーカーの前に立ちすくみ、両手を強く握る。

 それは、足りない機材を取りにやって来た者にとっても、所在なげに煙草をふかしていた者にとっても、同じ衝撃を一度に与えた。

 海賊電波は、基本的に首府にだけ流れる。

 しかし、何ごとにも例外というものはあるのだ。首府の電波は、そのまま垂直に、外に向かっても放出される。

 ―――そして、それは少しのタイムラグと共に、惑星ライにも、同じ情報を送り込むのだ。

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