21.時間が、無いのだ。

「……死んではいない、って…… テルミン!」

「頼むからひとまず手を貸して。いくら薬が効いているからって、こんな寒いところに放り出していい訳が無い」

「当たり前だ!」


 ケンネルは慌てて、もう一人をも、そのトランクから引きずり出す。だがそちらには見覚えは無かった。黒い髪、黒い服の、見覚えの無い男。

 まさか、とケンネルはつぶやく。


「テルミン、まさか、こいつは」

「先輩は、知っていた? 知っていたよね。ヘラさんに聞いて。彼のずっと待っていた相棒のことを」

「……」


 ケンネルは目を見開いた。


「そうか、こいつが……」


 力を無くした二つの身体を、ソファの上に横たえると、それを見下ろす形で、二人はその脇に立つ。


「だけど何で、ここに居るんだ?」

「俺が撃った」

「テルミン!」

「官邸に侵入者があった。……明らかにあれは、『総統閣下』を暗殺するための集団だった。陽動するための連中は、ヘラさんが主に片付けた。このひとは結局俺なんかよりずっと強い。そして容赦が無い。……だけど、本当、そいつらはあくまで陽動で…… こいつが、本命だったらしい」


 そう言ってテルミンは、ちら、と横たわる黒髪の男を見る。


「だけどそれがどうして、ヘラさんの相棒だって、気付いた? お前」

「抱きしめてた」


 ぽつん、とテルミンは言う。ケンネルもまた、息を呑む。


「明らかに、何度か銃を撃ち合った跡があるのに、俺が行った時、あの官邸の、隠し通路の一角で、ヘラさんはこの男を抱きしめてた。くちづけてた。……泣いてた」

「泣いて」

「それだけで、判るってものじゃないか?」


 確かに、とケンネルもうなづく。そんな、あの人物が涙を流す様な相手というなら。

 自分自身と引き替えにしても、生かしておきたかった相手ならば。


「それで、テルミン、お前はどうしたいんだ?」


 ケンネルは乾いた声で訊ねる。


「逃がしてやりたい。何処とも知れない場所へ」

「無茶だ」

「無茶は判ってる。時期だってまずい。だが、あまりにも、この男は危険だ」

「だったらとっととお前の権限で、ヘラさんの気が付かないうちに逮捕して消してしまえばいい」


 ぞく、とテルミンは背筋が悲鳴を上げるのが判る。


「先輩」

「俺だったら、そうするかもしれないよ」


 テルミンは黙って首を振った。だろうな、とケンネルはつぶやき、肩をすくめる。


「お前は、そういう奴だよ、テルミン。政治家は似合わん」

「俺だって、そう思うよ。ただ、このひとが……」


 このひとを、あの場所から引きずりだすことができるなら、自分は何でもできたのだ。良心の呵責も、全て飲み込んで、似合わない役割を演じることができた。

 このひとのためなら。


「でも、俺は、見間違えてた。結局このひとの望みは、そんなところにあったんじゃない。このひとはただ、相棒が生きていて欲しかったから、あの場所を選んだだけだったんだ」


 握りしめた両手の上に、伏せた顔から、ぼとり、と水滴が落ちる。


「だったら、俺ができるのは、こんなことしか無いじゃないか」


 ケンネルは何も言わずに、起き抜けの乱れた髪をかき上げた。そして後輩が、濡れた拳で自分の顔をぬぐうのをじっと見る。ふっとその足は、彼を置いて、階段を上がる。しばらくして降りてきたその手には、煙草と灰皿が握られていた。

 一本を口にくわえながら、ケンネルは後輩が落ち着くのを待つ。火をつける。一息吸う。だが煙が眠っているヘラの方へは行かないように、明後日の方を向いている。

 その煙草が半分を過ぎたあたりで、ようやくテルミンは揺れる口調で口を開いた。


「ごめん。泣くつもりはなかった」

「気にするなよ」


 ケンネルは煙草を灰皿に押し付けた。そして後輩のすぐ前にまで近づく。


「テルミン」


 そして後輩の名を呼ぶ。それはそれまでの長いつきあいの中で、初めて聞く、重々しい口調だった。そのやや高めの声には不釣り合いな程の口調だった。


「全ての後始末をするつもりがあるんだな?」

「もちろんだ」


テルミンは即答した。その胸に、微かな、甘い痛みが走る。


「それでも、お前は、このひとを逃がしてやりたいんだな?」

「ああ」

「俺はもしかして、この男を、途中で放り出して、ヘラさんをさらって逃げるかもしれないよ。それでも?」

「それでも。先輩はそんなことはしないでしょ?」

「どうかな?」


 ケンネルは苦笑する。


「たとえそうだったとしても、俺には、先輩しか、頼れるひとは居ないんだ。今は、もう」


 あの派遣員の姿が頭をよぎる。だがスノウはこの地にはいない。遠い帝都の空の下のはずだ。戻ってくる、と約束した。だけど自分は。

 あの腕の中は、とても暖かかったと思うのに。


「それに、先輩でないと、頼めない理由があるんだ」

「何?」

「あれを、動かしてほしいんだ」

「あれ?」

「依頼したもの。出来てはいるはず」


 ケンネルは眉をひそめた。


「出来ているのでしょう? 彼のダミーは」

「できてはいる。だけど、駄目だ」

「何で。こういう時のための、ダミーでしょう?」


 首を横に振る。ケンネルは壁に背をもたれさせた。


「確かに、姿形は、充分だ」

「と言うと?」

「いつの時代のクローン研究もそうだったんだが、人間はメカニクルとは違う。脳はそう簡単なものじゃない。身体は育成できたとしても、脳はそうもいかない。本当だったら、そんな短期間での育成は、同じ姿になることは無いんだ。同じ遺伝子だったとしても、成長過程における外的要素が異なれば、出来上がる姿形は違う。まあうちの研究所の場合は、彼の姿を作ることを目的にしているから、姿は、何とかできる様にした。だが、その中に知性はない」

「いい。要らない」


 テルミンは即座に言い切った。


「むしろ無い方がいい」

「だけどそれで、彼を総統の座から下ろすまでの期間、保つのか?」

「半月保てばいい」

「半月」


 あ、とケンネルは思わず声を立てた。


「スタジアムの新年祝賀祭まで保てばいい。それまでで充分だ」

「テルミン、お前……」

「後始末は、つける。それが、俺が彼に見てきた夢の代償だ。……つけが回ってきたんだよ。俺は、それを払わなくちゃならない。俺が陥れてきた政治家達にも、俺達が殺したあのゲオルギイ首相にも」

「は、自己満足だね」


 腕を組み、ケンネルはもう一本と煙草に火を点ける。


「そうだよ、それは判ってるさ」


 自嘲気味に彼は笑う。


「それに先輩、いつから煙草を吸い出した?」


 ケンネルの手が止まる。


「聞いたよ、ヘラさんから」

「パンコンガン鉱石のことか?」

「ああ。確かにあんなものだったら、先輩が吸わなかった煙草を吸う様になっても仕方が無いね」

「エネルギー源にはならないさ。俺達の手に負えるものじゃない」


 そしてふう、と煙を吐き出す。


「だから、そっちの研究には気を入れなかったんでしょう?」

「判っていた?」

「長いつきあいだから」


 くす、とテルミンは笑う。

 その笑顔に日射しが降り注ぐ。ケンネルは目を細めてそれを見る。既に陽の光が、高い窓から入り込んでくる時間になっていた。


「そろそろ俺、行かなくちゃ。先輩、必要なものを俺が仕事につく時間までに考えて。俺はそれを宣伝相名義で急いで操作しなくちゃならない」

「判った。それから後で、ダミーを連れて行くから、目立たない場所を指定してくれ」


 テルミンはうなづいた。

 そしてちら、とソファに横たわったままのヘラに視線を投げると、そのままくるりと背を向けた。

 ケンネルはしばらくその場から動かなかった。



「……総統閣下は具合がお悪い。静かにお休みさせなくてはならない」


 彼が戻ってすぐに警備の兵士達に命じたのは、このことだった。

 昨夜の侵入者がとうとう見つからなかったことで、官邸の兵士達も疲れていた。そしてテルミン自身の姿にも、ひどい疲れが見えた。部下達は命令に従順なものだが、その時のこのテルミンの姿は、総統ヘラが「具合が悪い」という言葉に説得力をもたせた。


「それではお医者様を」

「いやそれには及ばない。過労の様なものだから、とにかく眠りたいと言われている。だから君達もできるだけその様に、騒がしくならない様にしてくれ」


 兵士達は判りました、とうなづく。実際彼らも疲れていたので、交代で休息に入る必要があったのだ。

 だがテルミンには休む間は無かった。するべきことは山ほどあったのだ。

 朝一番に、ケンネル科学技術庁長官から、惑星ライへの研究派遣要請があった。

 自分のよく知る先輩の姿からは想像ができない程、詳細な計画と、必要な備品のリストがそこには記されていた。まるでそれは、何週間も前から計画されていたかの様に。テルミンはそれに総統命令で即座に受理させた。必要なものは、これで短期間で手に入るはずだ。

 彼は自分の権限は、最大限に利用するつもりだった。意識する必要もない。そうしなくては、いけないのだ。

 ライまで二人を運んで、その後は? 想像ができない。だが、ケンネルのことだから、何かしらの考えがあるのだろう。それより先は、既に自分の考えるべきことではなかった。彼は、あの二人を自分の最も信頼できる友人に託したのだ。既に自分ができることは、無いのだ。

 次にすることは、一つの要請だった。彼は回線を、遠い南のフラーベンへとつないだ。そこには、彼のよく知る将官が居るはずだった。


『……やあテルミン! ……おっと、今は宣伝相閣下か』


 明るい声が、たちどころに返ってくる。


「呼び捨てでいいですよ、アンハルト少将。お久しぶりです」

『本当に久しぶりだなあ…… 懐かしいよ。君、元気かい?』

「変わりませんね、少将。またドアノブを壊したりしてませんか?」

『いやあ、僕は少しばかり変わったよ』

「え?」


 すると向こう側から、含み笑いが聞こえてくる。


『以前より多少脂肪がついたよ。こっちはいい気候で、食事が美味しい。テンペウ中尉が、意外にそういうところをよく心得ていてね』

「なるほど」


 テルミンはくす、と笑った。彼付きだったテンペウ少尉は、階級を一つ上げて、アンハルト少将について南へと行ったはずだった。あの割合に地味な女性士官にそういう部分があったとは、彼も知らなかった。


『君も一度こっちへ来るといい。果物が美味しいよ』

「それが、そういう訳にもいかなくて」

『忙しいんだな。まあ当然か』

「いえ、それだけでなく、実は、少将に、首府に戻ってきてもらいたいのです」

『おいおい冗談はよしてくれよ』


 笑い声が後に続く。本当に冗談だと思っている様である。だが、テルミンはそれに構っている余裕は無かった。


「いえ、アンハルト少将、本気です。これはまだこれから命令を出す段階ですが、おそらく今日中に、そちらへ転属命令が届くでしょう。首府警備隊に、今年中に戻ってきてもらいたいのです」

『今年中に?』


 回線の向こうの声が、真面目なものに変わる。


『本気か?』

「本気です。とにかく身一つで充分です。できるだけ早く、こちらへいらして欲しいのです」

『それは、新年のスタジアムの祝賀祭と関係があるのかな?』

「ええ。その時にテロが急に多くなる可能性は高い」


 少しの間が、回線ごしに二人を隔てる。だが、この優秀な将官は、かつての部下に無駄なことは聞かなかった。


『判った。今日辞令をもらったらすぐに起てる様に用意する。でもできることなら、僕の寝場所は作っておいてほしいな』


 テルミンは再びくす、と笑う。本当にこのひとは、相変わらずだ。どんな場所でも、きっとこの人は楽しんで、任務を遂行していたのだろう。


「わかりました。……アンハルト少将」

『なんだい?』

「ありがとうございます」

『やだなあ、改めて言われると、気恥ずかしいよ』



「一体どうしたの? ここに呼び出すなんて、珍しい」

「うん」


 夜の中央図書館の書庫は、ひどく静まり返っていた。運動靴ですら、足音がずいぶんと大きく耳に届く。

 テルミンは「休憩所」の椅子に座り、ゾフィーを待っていた。彼女の声に、うつむいていた顔を上げる。


「忙しかった? 急にごめん。だけどどうしても、君に会っておかなくてはならないことがあって」

「あたしはいいけど……」


 ゾフィーは首をかしげる。


「どうしたの? テルミン、あなた何か元気ないわよ」

「君は今日も元気だね」

「あたしの話をしてるんじゃないわよ。何か、すごく顔色悪いし、何かやつれてるわよ」

「忙しいんだ」

「忙しいのは判るわよ。総統閣下が、過労で倒れたんですって? それであなたまで過労になってどうするって言うのよ」

「うん」


 彼は力無く笑う。


「ねえ、心配してるのよ?」

「うん、判ってる。ちょっと、黙って」


 そう言ってテルミンは、彼女の手を握った。彼女は少しばかり困った様に眼を瞬かせたが、彼の前にしゃがみ込むと、その顔をのぞき込んだ。


「何かあったの? テルミン」

「まあね。でもそれで俺が嘆いている暇は無いから。ゾフィー、君、スタジアムの後の予定は決まっている?」

「いいえ? 一週間ほど、新年の休暇は取れるから、そのついでに、ちょっと南の方にでも出向いて、次のドキュメンタリーのネタでも仕込んでこようかなと思うんだけど」

「星系の外に出る気はない?」

「星系の外に?」

「そう。どうかな」

「駄目よ」


 彼女は手をひらひらと振る。


「できるだけ何かあったらすぐに駆けつけられる様な位置に居たいの。それには、星系外だとちょっとまずいわ」

「そこをどうしても、駄目かな」

「あなた一体何を言いたいの?」


 彼女は眉を寄せる。


「あたしがスタジアム以降、この星系に居ちゃいけないみたいな言い方じゃないの」

「そうかな? うん、そう言っているのかもしれない」

「テルミン!」


 彼はポケットから、一つのカードを出し、それを彼女に手渡す。そこには彼女の写真は貼ってあったが、名義は異なっていた。


「何よこれ」

「何かが起こるかもしれない。だからその時には、このIDでもって、君は逃げて欲しいんだ。この星系の外へ」

「どういう意味? テルミン」

「別に必要が無かったら、使わなくてもいい。だけどもし、何かあったら」

「だからその何かって、何なのよ?」


 テルミンは顔を上げた。そして首を横に振った。


「言えないこと? あたしにも」


 彼は黙ってうなづく。


「もっと、君の力にもなってあげたかったけど」

「テルミン? 何を言ってるのよ? ねえ、一体何があったの? 何かが起こるっていうの?」


 彼はそれには答えなかった。ただ、掴んだままの手を外すと、彼女の首に回した。

 ゾフィーは思わず身体を固くする。だが、その抱擁が、あくまで抱擁に留まっているのに気付くと、彼女はゆっくりと手を彼の背に回した。

 彼女を抱きしめている男は、声を立てずに泣いているのだ。そんな引きつった様な呼吸が、合わせた身体から伝わってくる。


「ごめんゾフィー……」


 絞り出す様な声で、テルミンはつぶやいた。


「そんなこと言わないでよ」

「君を一番に好きになれていたら、良かったのに」

「駄目よ」


 彼女は短く、断言する。


「あたし達は、友達だわ。どうしたって、それ以上にはなれないのよ。いつ出会ってたって、他の誰かが出て来なくとも、それは変わらないのよ」

「そうだね」


 本気でそう思っている訳ではないのは、二人ともよく判っていた。どうしようもなく、友達にしかなれない人間というのは居るのだ。どうしようもなく、友達以外の感情をもたざるを得ない相手が存在するように。


「何が起こるのか、あたしには判らないけど、テルミン、無茶しないでよ」

「できれば、そうしたいね」

「あたしはまた、あなたとごはんを食べたいのよ。ゆっくり。その時には、うちの面白い若手を連れてくわ。楽しい子よ。あなたもきっと気に入るわよ」

「俺もできれば、俺の一番好きなひとを紹介したかったよ」

「過去形で言わないでよ」

「ごめん」

「あやまらないでよ」

「ごめん」

「……」


 どのくらいそうしていただろう。先に離れたのは、ゾフィーの方だった。ゆっくりとテルミンの身体を押し放すと、一度目を伏せた。そして思い切った様にぱっとそれを開くと、彼女は言った。


「いいわねテルミン、いつか必ず、あなたはあたしとまたごはんを食べるのよ」

「ゾフィー……」

「いいわね!」


 彼女はそれだけを叫ぶ様に言うと、彼の身体を突き飛ばす様にして、離れた。そして立ち上がると、ぱたぱたと靴音を響かせて、書庫の中を走って行った。


「本当に」


 テルミンは、椅子の背に腕を広げてもたれると、つぶやいた。


「本当に、彼女をそう思えたら、良かったのに……」


 もし彼女と、あの時友達ではなく、それ以上の気持ちになっていたなら。あれはまだ、あの派遣員と、そんな風に通じる前だった。そういう選択もあったはずだった。

 だけどそれは、仮定に過ぎない。そうできる選択肢はあったはずなのに、自分は、彼女ではなく、スノウを選んだのだ。その状況がどういうものであったにせよ。

 ふう、と大きく息をつくと、彼は反動をつけて姿勢を起こした。まだしなくてはならないことがある。だけど時間は無い。急がなくては。


 時間が、無いのだ。



「……連絡がナイ?」


 回線の向こうの相手に、リタリットは声を低める。


「……って、それは何よ ヘッド」

『成功にせよ失敗にせよ、何かしらの連絡があるはずだ。生きていれば』


 ヘッドは重い声で、それだけを仲間に告げた。


「何ソレ」


 リタリットは即座に問い返す。


「アンタはあの馬鹿が、死んでしまったとか、そういうコトを言うわけ?」

『いやそんなことは言ってはいない。ただ、連絡が取れない、ということなんだ』

「同じことでしょ。……首府では、総統閣下が殺された、って知らせは何処にも出てないよ。まあ本当に殺られたとしても、きっとソレはしばらく隠されるんだろうけどさ。……現在総統ヘラ・ヒドゥン閣下は、『ご病気』だそうだよ。宣伝相テルミン閣下、がそんなコトを政府公報で言ってた。そっちにも伝わってるだろ?」

『……妙な気は起こすなよ、リタ』

「なーにが」

『……BPが捕まっているとかそんなことを考えて、下手な動きはするなよ、と言うんだ』

「そんなコトするかよ、ばーか」 


 リタリットは軽く答える。その答えに、回線の向こう側の方が驚いた様に、言葉を失う。


「奴は、帰ってくるよ」

『リタリット?』

「暗殺なんて、出来やしねーんだ。そして、帰ってくるんだ。絶対」


 そう言って彼はハルゲウとの回線を切った。何か言いかけているな、とは思ったが、知ったことか、とポケットから煙草を取り出して火をつける。

 ふと視線を上げると、伸びかけた金髪が視界に入る。けっ、と声を立てると、広げた指でリタリットはそれをかき上げた。そして端末の回線を、別の場所へとつなぐ。数回のコールで、相手は出る。


「……よお」

『万事快調、っていう感じの声じゃないかな?』


 穏やかな声が、回線の向こう側から聞こえる。何処が、とリタリットは即座に吐き捨てる様に返す。


「心配せんでも、やるコトはやってる。それより、何が一体起こっているのか、あんたはオレに説明できるのか? 代表ウトホフト」

『残念ながら、今この状況に関しては、私も説明ができない』

「BPからの連絡が途切れているとオレは聞いたが」

『事実だ。実際、一緒に行動させた四人についても判らない』

「……」


 ヘッドに対しては反論できることが、この男に対してはできなかった。情報量が、ヘッドに行くそれとこの男に行くそれでは違いすぎる。そもそも、ヘッドは彼がウトホフトと直接話していることは知らないはずだった。


「それで、オレはこのまま半月もの間、お馬鹿な放送を続けてりゃイイのかな?」

『新年まではな』

「ふうん。新年に、何か起こると思ってるんだ、あんたは」

『そう思うなら思えばいい』

「あんたは、一体何だ?」


 リタリットは問いかける。


『おや、それはよく知っていると思ったが』

「それはあんたの考え違いだ。オレはそんなコト知らない」

『私の考え違いかな?』

「考え違いだろ」


 そして念を押す様に、もう一度新年までの放送を約すると、彼は再び回線を切った。端末はそのまま、煙草と共にジャケットのポケットに放り込まれる。モードを変えれば、それは普通の通信回線にも使用できる。

 それを見つけた時には、よく無事だったものだ、とリタリットは思った。携帯式の放送用端末。

 首府に入り込んだのは、代表ウトホフトからの要請があったからだった。あの時の訪問から少し経った後での再会で、この代表は、何を思ったのか、彼に海賊放送をやる様にと頼んだ。

 彼らライからの脱出者集団に対し、この代表は「お願いする」という形を必ず取っていた。それはBPであるにせよ、ヘッドやビッグアイズと言った、やがて起こるだろうことに対する実働隊にせよ、昼間の仕事をするキディに対してまで、変わらないスタンスだった。


 その時彼は、ビッグアイズと一緒にその依頼を受けていた。ビッグアイズは、本人が思っていた通り、実働隊への加入を「お願い」された。

 だがリタリットに対し、この代表は、特別な「お願い」をした。その内容に関しては、ビッグアイズも席を外すことを「頼まれ」た。

 そして代表が「お願い」したのは。


「我々の仲間が八年前に残した放送機材があるはずなのです」


 あっさりとそんなことを彼に向かって言った。それが何処にあるのだ、と訊ねると、ウトホフトは判らない、と答えた。その当時から、その機材も端末も何処にあるのか判らない、当の指令を受けた本人しか判らない、と言ったのだ。

 だから彼は反論した。


「オレにソレがどうして判るって言うんだよ!」

「判ると思うのですがね」


 腹が立つ程に、穏やかにこの男は言った。リタリットは思わず立ち上がり、座ったままのウトホフトを見下ろした。その姿は、店に出る時のままのギャルソンの黒いエプロンをつけたままだった。


「そう言えば、君を訪ねてきた男が居たらしいね。リタリット君」

「居たよ。でも何であんたがそんなコトを知ってる」

「君の仲間が、問い合わせてきた。ただしそれは、君達のヘッド達のところにだがね」

「ドクトルとトパーズからの通信を、横から聞いてたのかよ」


 自分達脱出者集団が決して信用されている訳ではないのは、彼もよく知っていた。だから彼らのテリトリイ内での会話はまず奪われていると思ってもよかった。少なくとも、リタリットはそう考えていた。

 しかし何故自分が当然の様にそんな風に考えてしまうのか、はまだその時点ではよくは判っていなかった。

 ただ。


「彼らは君のことを心配しているのだよ」

「それは当然だろ」


 彼は言い放つ。そんなことを、この男からいちいち言われる筋合いは無かった。


「だがアンタには関係の無いコトだ」

「そうかな?」


 ひどく微妙に、ウトホフトは語尾を上げた。その調子がまた、リタリットの神経に触る。


「関係無いコトだよ!」

「そう、関係無いことだね。でも君は、あの少年の話を聞いて、どう思った?」

「は。ひでー家庭に育って、アワレなガキだよね。けどな」

「けど?」

「それでいきなり行方くらましたんだろ? ハイランド・ゲオルギイで『朱』だったヤツってのは。いきなりにしちゃ、馬鹿すぎねーかって思うけどな、オレは」

「そう。確かにそこだけ取ればね」

「アンタは、『朱』は知ってるはずだ」

「ええ、知ってますよ」

「……何で、そいつは、いきなりそんな行動に走ったんだ?」

「そんなことは、本人しか知ることではないでしょう」


 あっさりとウトホフトは答える。


「聞いてはいないのか?」

「私が知ってるのは、その子から聞いた事実だけですよ。それがその子の中にどう影響を及ぼしたかまでは、私の知るところではない」

「じゃあ何があったんだ」

「知りたいのかな?」

「知りたい」


 もっとも、彼は何故自分がこうまでむきになってそのハイランド・ゲオルギイ=「朱」のことを聞きたがっているのか、まだ自分の中では曖昧なままだった。

 ただ、ひどく苛立つのだ。その人物の話をすると。

 何故苛立つのかがはっきりしない。それが余計にリタリットを苛立たせていた。


「何で?」

「そんなこと、知るかよ! ……ただ、痛いんだよ。そいつの話を聞くと、無闇やたらに、このあたりが」


 彼は自分の胸を指す。


「それに何で、オレにわざわざ、皆その話をするんだよ? オレに何か、関係してるって言うのかよ? ……畜生オレは何で、こんなにムキになってるんだよ!」

「……『朱』は、私に言ったんですがね」


 リタリットの嵐がひとまず治まった、と思われたところでウトホフトは口を開いた。


「誰かに、彼は父親の正体を知らされたのだ、ということですよ」

「……正体?」

「君だったら、リタリット、どう思いますか? 小さな頃から家庭のことなど忘れた様に政務に取り組む父親、だけど尊敬している父親、妹ばかりを可愛がる父親、だけど自分のことを振り向いてもらいたいがために、一生懸命努力してきたその父親が、実は、男色家だと聞いたら」

「……え」

「無論それ自体は、珍しくは無いですね。君達の中にも、仲間同士で仲良くやっている場合も多い。だがそれはそれです。少なくとも、家庭を作って、妻と子供二人が居て、そしてその家庭を続けていくポーズを取っている父親が、実はそういう嗜好を持っていたとしたら」


 彼は思わず胸を押さえた。


「その嗜好は元々のもので、結婚自体が、政略的なものでしかなくて、妻のことなど全く愛してもいなく、自分は義務だけのために作られた、としたら」

「……だ……けどそいつには、妹が居たじゃないか」


 だが違う、とリタリットの中で、何かがわめき出す。ウトホフトは続けた。


「その妹は、母親の不倫の相手との間にできた子だった。それは元々彼も気付いていた。それだから余計に、自分が何故父親から目をかけてもらえないのか理解できなかったんですよ。父親も娘が自分の血など引いていないのは知っていましたからね。でもそうではない。父親は、自分が女との間に作ってしまった子供だから愛することはできなかったんですよ」


 彼は息を呑んだ。


「それだったら、妻が勝手に別の男と作った他人の子の方が、他人であるだけ気楽に付き合える。娘は娘としてやっていくことができる。だけど父親は、ゲオルギイ首相は、自分の子だから、遠ざけたという訳なのですよ」

「……嘘だ」

「少なくとも、『朱』は私にそう言いましたよ。そう聞いたのだ、と。そしてそれはつじつまが合うのだ、と」

「嘘だ!」


 耳を塞ぎ、リタリットは首を大きく横に振った。


「嘘だと言われても、リタリット君、これは私が彼から昔聞いたことなのですよ」

「……それでそいつは、父親憎さに、反政府活動に走ったって訳かよ?」

「それは本人にしか判らないでしょう? 私はあくまで、『朱』に何が起こったのか、それしか聞いてはいないのですから」

「……オレには関係ない」

「君に関係がある、と誰が言いました? 聞いたのは、君ですよ? リタリット君」


 顔を歪めて、リタリットはウトホフトを見据えた。


「それとこれとは、別ですよ。だから君への『お願い』は、その彼が残した通信施設と端末を見つけだして、こちらの指示する内容を盛り込んだプロパガンダ放送を流して欲しい、ということなのですよ」

「それを残したのは、『朱』なのかよ」

「ええ。彼は父親の使わない放送用端末を持ち出してました。首府において、携帯型放送用端末は、民間は全て登録されますが、公用はそうではない。これは彼らの特権です。だがゲオルギイ首相は、それを扱いかねて、家に放り出してあったそうで、それを『朱』は、使えると踏んで手にしたらしいですよ」

「見つかる訳ねーよ」

「でも君は、『朱』の気持ちが判るのでしょう?」


 悠然と、ウトホフトは笑みを浮かべた。リタリットは大きく息を吸い込むと、同じ勢いで鼻からそれを吐き出した。


「じゃあ首府に入り込むIDをくれ。BPが入り込んだように、アンタはソレができるんだろう!」


 放送用端末を見つけだしたのは、リタリットが首府に入ってから四日目だった。

 それは中央大学の中にあったのだ。

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