12.BPの過去と朱と呼ばれた子供

「……まだ気にしてるんかよ」


 かすれた、小さな声が、彼の耳に届く。

 真夜中に目が覚めてしまって、奇妙に目が冴えてしまって、眠り方がよく思い出せない。申し訳程度に付けられた仕切りの布の向こうに気付かれないように、BPは身体を起こして、膝を抱えていた。


「そりゃあな」

「別にいいじゃんかよ? どう言われたトコで、オマエが思い出せるってワケじゃねーし?」


 それはそうだ、と彼は思う。


「ほらこっち、来いよ!」


 相棒はそう言って彼の腕を引っ張った。バランスを崩して、彼はそのまま敷いた毛布の中に倒れ込む。気分がいきなり高まってしまったのか、と思いきや、そうでもないらしい。

 あの冬の惑星でよくそうしていた様に、ただ強く自分を抱きしめているだけだ、ということに彼は気付いた。触れる身体に、欲望の存在は無い。


「だいたいオマエ、過去が過去がってこだわりすぎなんだよ? いったいそれが何だって言うんだよ? いまさら」


 相棒の言うことは、間違ってはいない、と彼は思う。実際、考えたところでどうにもならないことなのだ。

 だが、そう割り切るには、あの集団の人間達が証言する自分の姿というのは、ひどく自分の中では重いものだった。


   *


「七年前、私はウシュバニールの近くのエンゲイで参戦していました」


と傷跡の無い方の青年が、代表ウトホフトの許しを得て、当時の話をし始めた。


「同じ様な場所です。やはりそこも、反乱軍の方が優勢になっていました。当時の辺境武装地帯における軍は、どちらかと言うと、軍における外れ者がふきだまった場所でした」

「つまり、良くも悪くも寄せ集め」


 ヘッドは青年の言葉を言い換える。青年はうなづいた。


「はい。統制の取れた軍隊ではありませんでした。無論その中には、それなりに手練れの者もおりました。手練れで、しかし中央の空気には馴染まなかった者などが、半ば処罰の意味を込めて流されてきていた場合も多かった様に思われます」

「そりゃーそーだよなあ。そんな、タノシミも無いよーな場所に戦いにだけ行けーっなんて言われちゃ」

「ですので我々の方が逆に、地道に統制をとって行き、次第に軍を追い込んで行った訳です。我々にとっては死活問題でしたから」

「彼らの地方は当時、天災により、農作物の収穫がひどく落ち込んでいた。その状態であったというのに、当時の政府は、彼らに通常の税を要求した。死活問題だ。彼らは当初はただの抗議という形だった。だが」

「政府の方が、軍を差し向けてきたという訳ですか」

「そうです。……起きたのは、大きな竜巻でした。当時私はまだ、初等学校の終わりぐらいでした。いつもの年でしたら、家あたりでも、中等へ行かせてやろうと言ってもらえたのに、それができなかった」


 学費はこの星域においては、そう高いものではない。中等学校は義務ではなかったが、普通に税を納めている家庭が行けない所ではなかった。場合によっては援助も出る。


「それどころでは無かったのです。まず家々が壊れた。家畜が死んだ。農作物に被害が出た。そして、……家族が怪我をした。それが一つ二つの家なら、我々もお互いに助け合うこともできたでしょう。ですが、通り過ぎる竜巻は、我々の住んでいた地帯を一度に」


 それはひどい、とジオは顔をしかめた。


「そういう場合には、政府が援助を出すのが当然だ」

「ですが、結局政府は視察に来ることも無く、我々には、毎年と同じだけの税が課された訳です」


 妙だな、とヘッドはつぶやいた。


「何で、視察に来なかったのかな? 政府にしたところで、そんな風に被災地帯を見殺しにすれば、星系民の信頼を失うことくらい、よく知っていたろうに」

「情報が、何処かで寸断されていた、と我々は見取ります」


 ウトホフトは静かに口をはさんだ。


「中央政府まで、その情報が届かないままに、お役所は毎年のようにその要求を出したということです。さてそこで、気付いたらすぐに行動すればいいのに、そこでまた何かが停滞していた様に見受けられます」

「それは」

「この青年の故郷の場合、中央政府がそれに気付く前に、煽動された訳ですな」

「された」

「幾ら不平不満があろうとも、普段の生活に反乱とか反抗とかいう概念が無い様な地帯の人間が、幾ら窮したからと言って、いきなり反旗を翻すというのはおかしいと思いませんか?」

「思うね」


 ヘッドはうなづいた。


「何かの意志が、働いている」

「そういうことになります。そもかくそれで、彼らはそれでも勇敢に立ち上がった訳ですよ。そうだね? アリケ」


 はい、とアリケと呼ばれた青年はうなづいた。


「我々は、元々確かにそんな、反乱だの武装だのということとは無縁な生活を送ってきました。いくら家族が増えすぎても、軍隊に入ることはさせない、という風潮があった程です。ただ、その時は、何故か、皆その気になってしまった、というように思われました。私も、何故その時その様になってしまったのか、今になっては判りません。ただ大人達が、ひどく熱狂していたことを覚えています。その大人達を見て、我々子供は、手助けをしなくては、と考えました。その程度です。でも一生懸命でした」


 うんうん、とリタリットは何故か感心したように腕組みをしながらうなづく。


「……私くらいの子供も、銃を取った訳です」

「訓練を受けたのか?」


 マーチ・ラビットは訊ねた。はい、とアリケは答えた。


「誰がそんなことをしたんだ?」

「誰だったか、今となってはよく判らないのです。外から来た誰かだろう、とは思うのですが」


 それはくさいな、とビッグアイズはつぶやいた。


「歳はそう関係無かったです。とにかく素質がある者は、どんどん前へ前へと持っていかれました。そして、そのせいか何なのか、我々はとうとう、ある時軍の基地を一瞬占拠するというところまで行ったのです」


 ほお、とBP以外の彼らの口から一斉に声が上がった。


「……しかし、それは束の間のことでした。占拠した、その夜に、それが来たのです」

「それが、コイツってわけ?」


 リタリットは相手の先手を打つ。


「そうです。そうだと思われます」

「そうだと思ってるんだろ、アンタはさ」


 おい、とBPはまたリタリットの服を掴む。だが今度はそれにも構わずに言葉を続けた。


「コイツが、アンタらに夜襲をかけたんだ、って言うんだろ? 言いたいんだろ?」

「……まだ、同じ人であると確定は」

「でも、アンタらは、皆そう思ってるって言うんだろ? どっちでもイイじゃないか、んなことは」

「おいリタ」


 BPは今度は肩をぐっと握った。そして、続けて、と彼は言う。


「俺も聞きたい。俺であるかどうかは判らない。しょうもないことだし、それがどうしてなのかあんた等も判っていると思う。俺だって、俺が何をしてきたのかは知りたいんだ」

「だけどBP」

「それに、さっき二人の男、って言ったよな? もう一人、俺……らしい奴以外にも、居たのか?」

「はい」


 アリケはうなづいた。


「今でも、覚えています。その時の夜襲の様子は。……軍用の陸上車が唐突に突っ込んできて、裏側からあっという間に、管制室を占拠したのです」

「えらく簡単に言うなあ」


 マーチ・ラビットは物足りない、という表情でつぶやいた。


「ですが、実際、その場に居た私としては、そういうしか無かったです。私は、その時足を撃たれ、その場に動けなくなり、見ていることしかできませんでしたから」

「足だけで、済んだのか?」


 ヘッドは訊ねた。はい、とアリケはうなづく。


「その二人は、とにかくそこに居た者の足と武器を止めることに全てを集中している様でした。だから実際の、彼らによる死者はさほどではありません。ですが」

「彼らが来たことで、応戦しようとして、反撃を受けた者は多い、ということかな?」

「……そういうことです。ただ、あまりにも、その二人の行動は、見事すぎました」

「どんなふうに?」


 リタリットは短く訊ねた。そして短すぎたと思ったのか、こう付け足した。


「その二人は、どんなふうに、アンタには見えたんだ?」

「……おそろしく、いいコンビネーションでした。今から思えば。一人は……あなたであると仮定させて下さい、BP」


 勝手にしてくれ、とBPは内心思う。


「小柄で、ちょっと見には華奢な…… 子供の様だ、とは思わなかったけれど、ちょっと信じられなかった程でした。それが、長い髪を後ろで束ねて揺らせて走って行くんです。……私は足を止められて、痛さで何もできなくて、見ていることしかできなくて…… けどその小柄なほうが、私のほうを見た時には、正直、かなり怖かったです」

「怖かった」

「ひどく冷たい目で、見下ろされた時に」

「こいつらしい奴ってのはどうなんだ?」


 ビッグアイズはBPを指して訊ねる。


「……とにかく、素早かったです。そして銃の腕が正確だった。正確に、銃と手と足だけを狙って、それこそ、こっちが狙う一瞬前に、こっちがやられるというような」

「……お前って凄い奴だったんだな」


 マーチ・ラビットは苦笑ともつかない表情を浮かべて彼を見た。彼はそれを敢えて無視し、アリケに向かって問いかける。


「そういうことを、そいつは、当たり前にやっていた、というんだな?」

「はい」

「それと、もう一つ聞いてもいいか?」

「はい」

「そいつと、その小柄なもう一人、って奴は何って呼ばれていた?」

「……それは覚えています。彼らは名乗りましたから。一人は、ザクセン。もう一人はアルンヘルムと。……だけど、ザクセンというほうは、そのもう一人をヘルと呼んでました」

「地獄?」

「そう聞こえただけです。どういう意味かまでは」


 アリケはリタリットが不意に返した発音に対してそう補足した。だが、そんな補足など構わず、リタリットは続けた。


「なるほど、地獄からの使者って訳かよ? すげえ。似合いすぎじゃん」

「おいリタ」

「だから、それが、どうしたって言うんだよ?」



 相棒の言うことも、判る。だが向こうの主張ももっともだ、と彼は思う。

 それが全く自分で無い、のなら何も問題は無い。だが聞けば聞くほど、それは自分である、という確信が強くなっていたのだ。

 自分がそれほど、向こうが言う程に強かったかどうか、はどちらでもいい。とにかく向こうにとって、そう見えたのなら、そうなのであろう。とかく自分から見た自分と、他人から見たそれはずれが生じるものである。


「……まあ百歩譲って、向こうがそれでいちゃもんつけるのはイイけどさ、……オレは、オマエがアレを引き受けるのは、嫌だよ」

「……」

「断ればイイんだ。あんなの」


 リタリットは短く決めつける。


「けどなあ、それじゃ」

「だいたいBP、オマエ、何でそこまで言われてわざわざ参加しようって言うんだよ。オマエが参加しなきゃなんない理由なんかないじゃんか」

「けど、仲間だ」

「仲間だからって、自分を全部捧げなくちゃならねってのはヘンだ」

「お前は、そう思うのか? リタ」

「思うよ」


 きっぱりと、断言する。


「オレだったら、そこまで向こうに条件突き付けられたら、すぐケツまくって逃げるよ」

「けどお前は、あのポスターを切り裂いてたじゃないか」

「それとこれとは別だよ」


 彼は相棒のおさまりの悪い髪に手を入れた。


   *


「条件があります」


 代表ウトホフトは、テーブルに肘をつけ、手を前で組むとそう切り出した。


「もしも彼を、この集団にどうしても加えたいというのなら、こちらにも条件があります」

「条件」


 ヘッドはその言葉を返す。


「どんな条件ですか。それは、我々が呑むのにひどく難しいものですか?」

「あなた方、にはさほどのことはないでしょう。しかし彼には」


 そう言って、代表ウトホフトはBPの方をちら、と見る。


「彼にとって、ひどく厄介なことかもしれませんね」

「何です?」


 そう問い返したのは、BPだった。


「俺がすれば済む、という様なことなのか?」

「そう、あなたならきっと成功する。そうすれば、こちらの詰めもきっと上手く行くでしょう。あなたが、本当に忘れてしまっているのなら」


 ひどく含みのある言葉だ、と彼は思い、眉を微かに上げる。


「では、何なのだろう?」

「一人の人物の、暗殺を」


 がた、とリタリットは思わず音を立てて立ち上がっていた。やめろ、とBPは思い切り力を入れて相棒を椅子に引きずり下ろす。反射的に相棒は彼の方を向いたが、それに構っている場合ではなかった。

 彼自身、自分の中で、危険信号の様なものが出ているのを気付いていた。


「それは、誰ですか」

「総統です」


 ひどく短い答えだった。だが、その答えは、ひどく彼の胸に重く響いた。そんな彼の感覚に気付いたのか気付かずか、ウトホフトは確認する様に、付け足した。


「現在の首府において、この星系の政府を一手に納めている人物、総統ヘラ・ヒドゥンを、暗殺していただきたい」

「あんた方は、それを俺が断る、と考えているのか?」

「可能性は、否定できません」

「何故そう思う?」


 彼は追求する。ウトホフトは一度自分のあごをざらりと撫でると、アリケの方をちら、と見た。


「先程彼が説明した、君と君の相棒のことだが…… ある日急に君達の姿が消えたので、その後捕らえた捕虜を尋問したところ、君達は、首府警備隊の方へ転属になったらしいですな」

「それが……」

「まあ最後まで聞いて欲しいですな。その転属先が、その後、どうしても見つからない。我々が同盟している組織から、首府の情報を回してもらったりするのですが、その中でも、ザクセンとアルンヘルムの名は何処にもない。ですが、あなたがここに居る、ということで、一つ推測ができることがあるんですよ」

「それは、俺が、そこで軍事クーデターに加わったんじゃないか、ってことか?」

「その通り。そしてあなた方が転属してのちの軍事クーデターは一つしかない。七年前の4月の、あの首府警備隊の若手士官達の起こしたものです。無論、あの時の逮捕者は全て銃殺刑に処せられた訳ですが」


 それが当然だろう、と彼は思う。


「ですが、あなたはそうやって、生きてここに居る。軍人の政治犯ではなく、一般の政治犯と同じ扱いを受けて、ライに居た。これは一体どういうことだと思いますか?」

「だから別人だって」


 黙れよ、とBPはリタリットの口を両手で塞いだ。


「どういうことだ、とあんた方は思うんですか?」

「残念ながら、それだけでは、説明がつかないんですよ。だけど、もう一つ。このアリケが、ひどく驚いたことがありましてね」


 言ってごらんなさい、とウトホフトは青年をうながす。


「……この街にも、現在あちこちに貼られているポスターを御覧になりましたか?」

「あの、皆が彼の声を欲してる、って奴かい?」


 マーチ・ラビットが口をはさむ。そしてさっきサンドイッチ屋の近くで見たんだ、と付け足す。


「ええ、あれです。あれだけではない。もっと様々な場面で、あの顔が、今ではあちこちで見られますよね」

「そりゃあ、『総統閣下』なのだから」


 ビッグアイズは何のことだろう、と怪訝そうな顔をする。それだけではない。BP本人と、リタリットとヘッド以外の、ここに居る顔ぶれは、何を相手が言いたいのか、よく判っていない顔つきだった。

 BPは一度目を伏せると、ふう、と息をつく。相棒は、確かに次に向こうが言いたいことの予想がついているのだろう。そして無論、自分は何よりも早く、その嫌な予感に気付いてしまっていた。


「我々は…… あの頃、あの二人の『化け物』から生き延びた我々は、最初にあの『総統閣下』が首相代理として画面に現れた時、目を疑いました」


 BPは唇を噛む。


「彼は、アルンヘルムです」


   *


 長かった髪は短くなっているが、あの小柄で華奢で、それでいて化け物の様に強かった姿の強烈な印象が、彼らの中には残っているのだ、とアリケは言っていた。


「向こうは、オマエをザクセンとかいう奴だって言ってて、それでいて、アルン

ヘルムって奴らしい総統ヘラをその手で殺せって言ってんだぜ?」


 相棒は、真っ直ぐ自分を見据えながら言う。


「それがどんだけ残酷かって知ってんのかよ?」

「けどなリタ、だとしても、俺に断る理由がある訳じゃない。俺がザクセンって奴だ、っていう確証が無いんだから、アルンヘルムって奴が、俺の相棒だったという確証もない。俺はだから、昔の友人を撃つということにはならない」

「何でオマエ、そんなコトが言えるんだよ?」


 だがしかし自分=ザクセンである可能性が高いのは、彼も判っていた。

 自分の「記憶」とあの総統の顔がだぶっていることを、この相棒にしか話したことは無いが、それだけに、向こうから突き付けられる「事実」はひどく説得力があったのだ。


「正直、俺だって、何で、あの顔がだぶるのか、よく判ってないんだ」

「好きだったんじゃないのか?」

「判らない。気にはなる。だけどそれがどうしてなのか、俺にはさっぱり判らない。だから、それを確かめたいとは思う。だけど」

「それじゃ、オマエ、今度記憶を消されたら、オレのことも撃つのかよ?」

「リタ?」

「どうなんだよ?」

「お前は……」

「え? どうなんだよ?」


 言いながら、相手の手の力がひどく強くなるのを彼は感じる。

 絶対にそんなことは無い、とこの相棒に言ってはやりたい。言えば、リタリットは安心するだろう。

 それはよく判っている。この相棒は、本当にそうであるかどうかを、ここで求めている訳ではないのだ。ただそう言って欲しいのだ。嘘でもいいのだ。彼もそれはよく判っていた。

 だが、それを言い切れる自信が、彼には無かった。嘘でもいいから、という相棒に、彼はどうしても、本当のことを言ってやりたかった。できれば、本当に、そう言いたいのだ。

 それなのに、そう言い切れない。


「……向こうは、事の成功か失敗かは問わない、と言った」

「それで、やるつもりかよ?」


 彼はうなづいた。


「それが、本当であるかどうか、俺にだってわからん。だけど、会って、……会わなくとも、実物を目の当たりにした時、俺自身が、何をそいつに感じていたのか、判ると思う」

「だけどオレは、嫌なんだよ!」


 声の端が、震えていた。BPはそれに何も答えずに黙って背中に手を回した。すると、背中がひく、ひくと痙攣している。ぴったりと顔を押し付けた胸に、何となく、濡れた感触がある。


「泣いているの、お前」

「泣いてねえよ」


 嘘つけ、とBPはつぶやく。声が引きつっているじゃないか。


「そうやって、皆、オレを置いてくんだ」

「皆? ……皆ってことはないだろ?」

「なくなんかねーよ、けっきょくオレには。何やっても、ドコに居ても、みーんな、オレを置いてくんだ」


 リタ、と彼は相棒の名を呼んで、回した手でゆっくりとそのぴくつく背中をさする。

 その背の体温が、手を通して伝わってくる。暖かい。いつも、この相棒は、あの寒い惑星でも、そうだった。


「……記憶じゃあない」


 つぶやく様にリタリットは言う。


「記憶じゃあない、と思う。だけど、オレ時々、ムチャクチャに、そう思う。何でかなんて、知らない。だけど、何か、すごく、怖くなる。リクツじゃねーんだ。何か」


 BPは初めて聞く相棒の言葉に、返す言葉を探そうとしていた。だがそれがなかなか見つからない。


「オレは、誰かと、仲良くやってきたいと、思うのに、気がつくと、誰もいねーんだ。オレが悪いのか? って思っても、何かそういうのじゃなくて、何か、オレの知らないトコで、オレの周りの誰かが、オレから離れてく。そんな感じが、時々、背中にやってくんだ。何でだろ? オレは、そんな悪い子だったっていうのか?」


 憑かれたかの様に、リタリットは言葉を吐き出した。


「オレは…… オレが…… 何を……」


 そして、また、言葉の端が引きつっているのに彼は気付く。何か一番、この相棒の欲しがる言葉をかけたい、と彼も思っていた。

 BP自身、この自分のことがひどく好きで、欲しがって、すぐに行動に起こしてしまう相手のことのことは、とても好きだった。

 相手が自分にする様に欲情するという訳ではないが、それを受け止められる程度に、相手のことを愛しく思うのは確かだった。

 言葉にする訳ではない。だがぼんやりとした感情の正体が、それであることは、彼もよく判っていた。

 だがそれは言葉にする類のことではない。そしてリタリットが欲しがっている言葉は、そういうものではないということも、何となく判るのだ。

 だが今の自分にとって、それは保証できない。


 相棒が、泣き疲れて眠ってしまった後も、彼はなかなか寝付くことができなかった。


   *


「ひどい顔、してる」


 結局彼が起きだしたのは、昼近くになってからだった。相棒の姿はそこには無く、泊まったそのがらんとした部屋の中には、ヘッドが一人残って煙草をふかしながら新聞を読んでいるだけだった。

 彼は乱れて重く感じる黒い髪を無造作に束ね、洗面台に向かった。

 勢いよく出る水で顔を洗う。そしてそのまま上げた顔が、鏡の中の自分と視線が合う。これが俺の顔だったか、と彼は改めて思う。

 ライで解放された時、自分がどんな顔をしているのか初めて見た時、それが自分の顔という気がしなかったのを彼は思い出す。かと言って、それまでの自分が、どんな顔をしていたのか、はもっと判らない。

 慣れないだけだろう、とテーブルで新聞紙を広げている男は言った。そうかもしれない、と彼はその時答えた。

 今見る自分の顔は、自分だ、とはっきり認識できる。向こうでの雪焼けは、そのまま肌に染みついてしまって、なかなか取れない。


「よぉ、何かずいぶんとよく寝てたな?」


 ヘッドは新聞を閉じながら彼に声をかけた。


「ビッグアイズとリタは?」

「BEは表の仕事に出てる。リタリットは知らん。お前何も聞いてないのか?」

「聞いてない」


 起きて出ていくのも気付かなかったくらいだ。だが普段だったら、蹴飛ばしてでも起こしてくる。

 ここから少し離れた場所での彼らの表向きの仕事は、ごくごくありふれた工場の作業員だった。物をあっちへ動かしたりこっちへ動かしたり、の単調な仕事の場所では、周囲はそれ以外の部分に追求することはない。

 ただその口からあふれて来るのは、日常の、他愛ない生活の楽しみと愚痴。その愚痴の中に、現在の政府のやり方が含まれていることも多い。だがそれが政府のせいだと気付いている者は少ない。ただぼんやりとした、不平の中に、含まれていると気付いているのは、彼自身だった。

 そこで休みを取って来ていることに、今はなっている。だがそのまま戻らないだろう可能性も、彼は感じていた。


「BPお前さ」


 ヘッドは、ごそごそと冷蔵庫を物色している彼に向かって声をかける。何、と彼は口にパンのつつみをくわえ、手にミルクの瓶を持ちながら問い返す。


「無理はするなよ」

「無理なんかしてねえよ。ほらちゃんとここに置きました」

「パンのことじゃない。お前のことだよ」


 がさがさ、と彼は黙ってパンのつつみを開く。中に入っていたのは、丸い、表面が硬いパンだった。

 彼は一つ取りだしては、それを力を入れてちぎり、カップに入れたミルクに浸す。適度に染み込んだところで、口に放り込むと、水気の多い果物を口に放り込んだ時の様なじゅ、という感触がある。しかし皮はなかなかに湿りきらないから、パンは口の中で、なかなかかみ切れない。

 ようやく一口飲み込み、彼はヘッドの問いに答える。


「断ったっていい」

「あんたはだけど俺達のヘッドだろ」

「別にお前がこの集団に固執する必要はない。それが苦痛だったら、する義務は無いんだ」

「義務ね」


 そしてまた一口放り込み、くちゃくちゃ、と音がしそうな程に硬いパンを噛みしめる。この類のパンは、噛めば噛む程に味が出てくる様な気がして、彼は案外好きだった。


「俺はさ、ヘッド、義務だとか何だとは思ったことは、一度もないよ」

「ふうん?」

「けどあんたは、結構前から気付いていたね。リタならともかく、あんたはやけに鋭かった」

「俺も、気に掛かっているのが『誰か』のクチだからな。敏感になるのも仕方ないだろ」

「奥さんと、子供、だったっけ」


 俺にもくれ、とヘッドは自分の前に置かれたままのカップを彼に突き出した。黙って彼はミルクをその中に注ぐ。


「お前、あの顔が、気になっていたんだよな」


 ああ、と彼は答えた。「あの顔」がどの顔を指しているかは、言わなくとも彼には判っていた。昨日の件があろうと無かろうと、今ここで問うヘッドには判っているのだろう、とBPは思う。


「本当に、そうだったら」


 どうだろう、と彼は思う。何処にも実感が無いのだ。

 例えば相棒が今消えたとしたら。彼は記憶の中のリタリットの姿を探してみる。そこには、確実に何か実感を伴った何か、があった。相手の姿、相手の声、相手の表情、相手の触れた感触。

 そういったもろもろの感覚が、自分の中で、相棒の姿を、居ない今の時点でも鮮明に思い起こさせる。それは確かなものだ。

 だが、あの泣く「誰か」の記憶は、それとは何か違っている。


「ヘッドは、奥さんの顔とか、思い出せるか?」

「いや」


 ヘッドは首を横に振る。


「女房がどんな顔だったか、どんな身体してたか、そういうのは俺にはさっぱり思い出せない。ガキに関して言えば、本当に生まれていたのかすら、俺には判らない」

「だけど居る、ってのは確かなんだろ?

「それだけ、だ」


 ヘッドは吸っていた煙草をひねりつぶした。


「あいつが俺を抱きしめたとか、あいつと寝てたとか、そういう感覚だけが、何処かに残っている。確かにそういう女が居た、それが俺の女だった。そういう感じ、が残っているんだ。そしてその女が、俺の中で、空気みたいに、生活の一部分になっていた、とかそこに子供の居た気配がある、みたいな、俺の記憶は、そんな曖昧であやふやなものなんだ」

「だけど、それがあんたにとっては実感のあるもんなんだろ?」

「そうだな」

「会いたいとは、思わないのか?」

「当然、思うさ。だけど、探すにも、俺には探す手がかりが何もない。あきらめる訳じゃないが、手も足も出ない。それに比べればお前の手がかりは、ましな方だとは思うが……」


 彼は苦笑する。


「なあヘッド、それでも俺は、引き受けるつもりだ」

「俺達への遠慮だったら、俺は遠慮するぞ」

「そういうことじゃない。ただ、それが成功するかどうかは判らないし、そのあたりはあんたがしっかり話を付けてくれると嬉しいんだが」

「それは構わないが」


 ヘッドはカップの中のミルクを一口飲み込む。


「何故だ?」


 彼もまた、一口ミルクを飲み込んだ。タンパク質特有の濃い、味ともにおいともつきがたい何かが、喉の中に引っかかる。


「確かめたいんだ」

「そんなことで、確かめようっていうのか?」

「奴らが言う俺が、俺だって言うなら、俺は戦場で生きてきた人間だ。そういう場でないと、相手のことを見極められない様な気がする」

「だがもし、それが成功した時に、それがお前の大事な何かだったらどうすんだ?」

「だから、賭けだ」


 違ったら、それはそれでいい。それで自分は、過去を断ち切れると彼は思った。違わなくとも……その時には、その時に、何か、はっきりするものがある様に思えた。


「リタリットが、目ぇ真っ赤にして起きてきたが、そういうことか?」

「あん?」

「あれは、どうする?」

「どうするって、言っても」

「例えば、俺やお前の様に、取り戻したい記憶、だったらいい。だけどあいつやキディの様に、消してしまいたい記憶を持っていた奴にとって、今が楽しかったら」

「それは、判ってる」


 相棒の無意識は、過去を捨てたがっている。そして同時に、現在をどうしても手放したくないことも。


「俺だってさ、ヘッド、今が楽しい。でも、だからこそ、俺は自分の過去とちゃんと向き合っておきたいんだ。そうでないと、いつまで経っても、あの顔が、俺の中で消えない。泣き顔が、俺の前でちらつく」


 虫のいい考えだろうか、と彼も考えなくはない。だがそれは彼の本心だった。


「お前がそう考えてるなら、俺は何も言わない。ただ、記憶はいくら消されようが何しようが、命は一つしか無いんだ。それだけはちゃんと覚えておけよ」


 肝に銘じておくよ、と彼はうなづき、食事を再開させた。



「来ましたね」


と代表ウトホフトは、昼間の訪問客に向かって、温厚そうな笑顔で迎えた。

 この男の顔は、昼間はあくまで居酒屋の店主だった。そのまだ開店前の、窓を開けはなった明るい店の中に、リタリットは足を踏み込んでいた。


「オレが来るって、アンタ知ってたの?」

「そんな気がしていた、ということですよ」


 初老の店主は、もう既に白いシャツに蝶ネクタイ、ギャルソンのエプロンをかけ、準備は万端、という格好になっている。

 腕をまくったその手には、磨いている最中のケトルがある。ごくごく当たり前な、開店前の店の風景だった。


「だったら話は早い。アンタはオレが何を言いに来たか、判ってるんじゃないのか?」

「そうですね。あなたの大切な相棒に、そんな役目を押し付けないで欲しい……そんなところでしょう?」

「当然だ」

「しかし、彼はやる気になってるのではないでしょうかね? あなたのその様子では」


 リタリットはぐっと言葉に詰まる。おや図星ですか、と笑み混じりにこの中年を越えた男は言う。


「だから、わざわざ私のところへ来た。そうではないですか?」

「…………そうだよ」

 両手のこぶしをぎゅっと握りしめ、彼はうめく様に言葉を漏らした。


「しかし私は強制した覚えはないですよ。彼一人が戦線離脱しても構わない。そう言ったはずです」

「奴は、責任感って奴が強いから――― オレとは違って」

「なるほど? あなたは責任感という奴が強くないとおっしゃる? 昔から、そうだったと?」

「昔のことなんか、オレは知らない。思い出したくもない。思い出せないけど」

「そうですね、思い出さない方がいいかもしれない」

「知った口を利くなよ!」


 リタリットは怒鳴った。しかしウトホフトはそれには何も答えず、手にしたスチールウールを持つ手の力を込めた。そして一度それを水でさっと流し、カウンターごしに自分の前に立つ彼の前に置いた。ぎらり、とその銀色の金属の胴体が、外からの光に強く光った。


「こんな風に、自分のしたことを全て落としてしまえば、とても楽なものですよね」


 リタリットは眉をひそめる。


「しかし、人間はそうはいかない。あなた方の記憶にしたところで、全くもって消された、という訳じゃあない。ただ道筋を塞がれているだけだから、表面に出てこなくても、あなた方の身体の中に何処かしら染みついているはずなのですよ」

「…………何を言いたいんだよ」

「そういえば、リタリットさん。あなた我々の集団の通称を御存知ですか?」

「確か、『赤』って」


 それは彼もヘッドから聞いて知っていた。このウトホフトの連絡役をしている集団達は、色の名前がそれぞれついていると。


「そう『赤』。何故それが、そういう風に色の名前を付けられているか、知っているかな?」

「オレが、知るワケないだろ?」

「そうあなたは、知る訳が無い。『赤』は元々、私の名なんですよ」

「名?」

「正確には、呼び名ですね。この組織集団を始めた我々の仲間は、昔、訓練を受けたことがあるのですよ。その時、我々の一人一人には、記号の様な呼び名が与えられた。それがその訓練を課した人達の、慣習だとか何とか言われましてね。その時の私の名が『赤』。色の名前でしたね。皆」

「…………だからそれが―――」

「それぞれが、ある程度の訓練を受けて、あちこちで組織を作って行く中で、時々その訓練を受けさせてくれた側から、新しく人を送るから、と言われて預かったことがあるんですがね。その時、私が預かったのは、まだほんの子供でしたね。私からしてみれば」


 じゃ、と水が勢い良く流れ出す音がリタリットの耳に入る。泡立つ洗い桶の中で、幾枚もの皿が、次々に磨かれ、取り出されていく。ウトホフトはその皿をじっと見つめ、彼の方を決して見ようとはしない。


「しかしその子は実に筋が良かった。面白くなって、私も色々なことを教えましたがね。ただ、教えはするが、その子がこんな活動はしない方がいい、と思ってましたよ」

「何で」

「その子がそんな活動に足を突っ込んだのは、家のせいでした。ひどくきかん気の子供でしたから、そう簡単にはそんなことを口にはしなかったですが、どうも複雑な家庭だったらしいですね。父親は忙しいし、母親は浮気に忙しい。もしかしたら、妹は父親の子供ではないかもしれない」

「ひでえ家だな」

「だけど、父親はそれと判っていながら、その妹の方を可愛がっていたとか。母親は父親と仲が良くなく、父親と何処か似ているから、とその子をうとましがる。かと思うと、その反面、父親のことを何処かで思っているから、時々異様に自分に執着を見せる」

「ムチャクチャだな」

「頭のいい子だったから、そこに居ることで、自分が駄目になってしまうと思ったんでしょうね。家を離れる機会ができた時に、家そのものから逃げ出したんですよ。そして我々を育てた所に拾われた」

「それで、そいつはずっとあんたのとこに居たのかよ」

「いいえ」


 ウトホフトは皿を洗い流すと、きゅ、と蛇口を締めた。


「その子は、やがて呼び戻され、ある計画に参加するべく、首都へ行ったんですよ。それから後は、私も知りません。彼が一体どうなったのかは。ただ、ものごとを起こしてしまう時というのは、それまでの生きてきた積み重ねが、何かのきっかけになる、と言いたいだけなんですけどね」

「…………長ったらしい話だったじゃん」

「そうですね。でも私は、その子のことは、とても好きでしたよ。とても可愛らしい子だった」

「ふうん」


 リタリットはそう言うと、ポケットに手を突っ込んで、煙草を取り出し火を付けた。


「つまり、BPがそうしたいと思うのは、あいつの過去が絡んでるから、オレが止めるすじあいじゃあないっていうのね?」

「そういうことですね」

「大きなお世話だ。オレは、ただ、嫌なんだよ? 止めたい理由が、それだけじゃ、いけない訳?」

「いけない、とは言いませんよ」


 あくまで穏やかにウトホフトは言う。リタリットは、近くの洗ったばかりの灰皿にまだ半分も吸っていない煙草を押し付けた。そして帰る、と言ってカウンターに背を向けた。

 だがふと思い返した様にに振り向くと、グラスを整頓しかけているウトホフトに向かい、彼はそう言えば、と声を投げた。


「何ですか?」

「その子供、あんたと同じ様に、色の名前があったんだろ? 何って言ったんだ?」


 ああ、とウトホフトはにっこりと笑った。


「『朱』と我々は呼んでましたよ」

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