11.ゾフィーは気付いてしまう

 がちゃがちゃ、と何かが落ちる音がした。彼女は眉をひそめた。続いてどーん、と何かが倒れる音。彼女は手にしていたリモコンを床に置いた。


「どうしたの!」


 廊下で機材のチェックをしていたゾフィーは、音のしたビデオルームの中へと飛び込んだ。入ってみて彼女は呆れた。スタッフの青年が、どうやら棚を倒してしまったらしい。


「あ、す、すいません……」

「すいませんじゃなくて、あなた、ケガしなかった?」

「や、ケガは…… あ、そー言えば、あらら」


 持ち上げた左の腕の裏側がひどく擦れていた。


「そう言えば、痛いです……」

「そう言えばじゃないわよ! こっちいらっしゃいこっち」

「だけどビデオが……」

「あなたのケガ手当している間に壊れる様なものだったら、とっくの昔に壊れているわよ! ほら!」


 そう言ってゾフィーは、ぐずぐずしている青年の手を引っ張って、そのまま最寄りの事務所へと入って行った。

 格別医務室などある訳ではないこの放送局では、事務所ごとに救急箱が備え付けてある。スダジオによっては、突然昏倒する俳優や素人のために、担架が置いてある場合もある。もっとも、この中央放送局の隣は病院なのだから、いちいちそんなものを作らないともいい、とも言えた。

 しかし擦り傷切り傷くらいは自分で手当したほうが早い。


「はい腕を出して」

「大丈夫ですってば……」

「あなたは良くても、見てるほうが痛いのよ! それに、あちこちに血がつくってのも見られたもんじゃないでしょ!」

「は、はあ……」


 素直にその青年はうなづく。ゾフィーはその様子を見ながらふう、とため息をつく。


「……別に取って食おうっていう訳じゃないから、そんな顔しないでよ」

「あ、すいません……でも、ほら、レベカさんはやっぱり、何か……」

「何かって何よ」

「だから、あの…… 才能あるひとだから……」


 彼女は消毒薬をガーゼに取ると、傷の上を撫でる。青年の顔が大きく歪み、ひ、と声が上がった。


「才能じゃないわよ」

「でも」

「才能だけで人間やっていけたら苦労は無いわよ」


 彼女はそう言って言葉を止めた。政府対応の役についてから三年。その間、決して平坦な道を歩んできた訳ではない。その役についてからも、常にそこを追われる危険はあったのだ。

 ただ、追う側が疲れた、ということはあっただろう。そのくらい、この三年間に政府関係で起きた物事は多かった。何度か起きたテロの時には、彼女自身、軽いカメラをかついで奥の奥まで出かけたものだった。放送用端末では大した映像にはならない。

 結果、彼女の印象は、最近この放送局に入ってきた者にとっては、「怖い」ものになる。女だてらに、成り上がってきた、と。


「……でも、俺、レベカさんの特番『砂のゆくえ』見ました」

「え?」


 それは、二年前に彼女が政府絡みではなく製作を指揮した数少ない作品の一つだった。現在の西の辺境に住む独特の文化を持った種族をテーマに作られたそれは、彼女の作品の中では、決して目立つものではない。

 忙しい政府関係の仕事の合間を縫って製作されたその作品は、決して評判が高いものではなかった。


「あと『残光』と」

「……マニアックねえ」

「でも、俺、あの作品が凄く好きだったんです」


 彼女は手と、言葉を止めた。そして目を丸くして目の前の青年の顔を見る。何やら赤くなっている様にも見える。


「ああいうのは、もう作らないんすか? 俺、あれ見てこの放送局に入ろうって思ったんすけど」

「口が上手いね、青年」

「青年じゃないですよ、レベカさん。俺、ちゃんと、名前あるんすから」

「ふうん? 何って?」


 彼女はやや上目づかいに訊ねた。


「ヘルシュル・リルです」


 ふうん、とゾフィーは言いながら、リルの腕に包帯を巻いた。



「あの、レベカさん、忙しいんではないんすか?」

「忙しいわよ」


 そう言いながらゾフィーは手を動かしていた。このリル青年の落として散らしてしまったビデオ・ブロックの山を、その背に書かれている日付ごとに分類するのである。


「だけどこういうものが、いきなり必要になる場合だってあるのよ。今は時間あるから、無駄口叩く前にさっさとやった方が早いわ」

「はあ……」


 うなづくと、リルも黙って手を動かし始めた。だがさすがにお互いに黙って作業をするというのは、どちらの性にも合わなかったらしい。耐えきれなくなったのは、ゾフィーが先だった。


「ねえ、あなた一体何でこんなに落としてしまったのよ」

「捜し物、してたんす」

「捜し物?」

「トッパーさんから、今度の特番用の『材料』探してこいって言われてるんすよ」

「トッパーが? ああ……じゃ、あれね。『前首相の功績』みたいの。何って言ったかしら? タイトルは」

「さあ、俺はそこまでは」

「何、マニアックじゃあなかったの?」

「別に、キョーミあるものならともかく」


 そう言いながら、リルは見つけた年代ごとにブロックを積み上げていく。ビデオ・ブロックは3センチ立方の黒いプラスチックでできている。ゾフィーはリルに背を向ける形で、同じ年代のブロックを手に盛り上げて、元あった棚の、その年代の書かれている場所に積んでいった。


「この管理の方法にも問題があるわ。せめて色違いを買えって言うのよ!」

「御言葉ですが、レベカさん、このブロックは、黒しかないんです」

「じゃメーカーが悪いわ」


 彼女はきっぱりと言う。


「で、見つかったの? その過去の映像」

「それ自体は、見つけるのは簡単すよ? 特に、現在の総統閣下が側近としてつかれるようになってからのはすごく多いし。だけど、昔の映像ってのが少なくて」

「昔の。首相になってから、じゃなくて?」

「や、首相になってからでも、なんすが、ある時期のがすっぽり抜けてるんすよね」

「抜けて?」

「だから、その部分をちゃんと調べようってこと言われたんすが……」


 それはゾフィーにとっても初耳だった。


「いつ? 具体的に言うと」

「えーと。前の首相が亡くなったのが、今から三年前すよね。その五年前ってとこっすか。その一年間くらいの映像が極端に少ないんすよ。まあその時期、政府も落ち着いていた、ってこともあるわけっしょーが」

「……すると今から、八年前ってとこ?」

「ひいふう…… そうすね、八年前」

「その出なくなる前と、後で何か違いがある?」

「違い?」


 リルはふい、とゾフィーの方を向いた。そしてああ、と大きく首を前に振る。


「……あることはあるんすが…… 何っぇばいいんでしょ?」

「そんな、微妙?」

「微妙…… じゃないんすが、何っか俺にはイマイチ言葉には」


 そしてんー、と腕を組む。


「ボキャブラリイの貧困! 頭使わないと馬鹿になるわよ!」

「あ、もう俺とっくにそーっすから」


 は、とゾフィーは肩をすくめた。するとリルはざっくりと切っただけの様な耳よりやや下の髪を揺らせて笑った。


「……じゃあもっとスピードアップして。あたしも見たいわ。それ」

「レベカさんが?」

「これはただの興味よ」


 あ、と小さく声を立てて、リルは笑った。

 だがそれから、整頓が一段落つくまで、約一時間半を要した。ゾフィーは時計を見ると、いけない、とつぶやいた。


「あたしちょっと打ち合わせがあるから、あなたここで待ってなさい、いいわね?」

「ちょ、あの、レベカさん」

「いいわね!」


 はあ、と残されたリルはうなづくしかなかった。そしてふう、と息をつくと、ピックアップしておいたブロックを更に年代別に積み上げた。

 積み上げられたブロックは、露骨に年代によって高さが違う。前首相がその地位に居た18年間。じゅうはちねんか、とリルはそのブロックを眺めながらつぶやく。そして暗殺されてから三年。合わせて21年。それはちょうどこの青年の生きてきた年数と同じだった。



 ああ遅くなった、とばたばたと音を立てながらゾフィーがその部屋に戻ってきたのは、もう深夜に掛かっていた。夜食のローストビーフのサンドイッチと、パッケージドリンクを紙袋に入れて彼女は扉を開けた。

 廊下の暗さに慣れた目に、中の灯りはひどく明るかった。そしてその明るい部屋の真ん中で、青年はデスクに突っ伏して眠っていた。モニターからは波の音が延々流れていた。

 彼女はその安らかな眠りを貪っている青年に近づき、夜食をデスクの上に置くと、平手で後頭部をはたいた。青年は弾かれた様に飛び起きた。


「は」


 リルは何ごとが起きたか、と慌ててあちこちにと首と目を動かす。そしてようやく事態を把握すると、そおっと後ろを向いた。


「実に良く寝てたね、青年」

「俺、だから、リルって名前が」

「そういうのは、ちゃんと起きて待ってた時に言うんだよ? ま、でもお腹空いたでしょ。食べない?」

「あ、これ」

「無論あたしのも入ってるからね」

「あ、じゃ、一緒に食べようと」


 彼女は首をひねる。


「そう言えばそういうことになるのかな?」

「そう言えばじゃなくても、そういうことじゃないすかあ」

「そこに意志があるのかどうかは、ずいぶんな違いなのだよ? 青年」

「リルですよお」


 彼女はにやり、と笑いながら紙袋の中からパックとサンドイッチのつつみを取り出した。


「角の店のですね? 俺好き」

「全部食わないでよ。あたしもお腹空いてるんだから」

「今までずっと仕事だったんすか?」

「そーよ仕事。明日の政見放送の打ち合わせ」

「って言うと、テルミン宣伝相じきじきに」

「まあね」


 凄いなあ、と彼は大きくうなづく。


「あなたね、そうは言うけど」


 ゾフィーは言いかけて言葉を切った。そしてパックのコーヒーに穴を空ける。


「それより、さっきの話の続きをしましょ。とりあえずあたしも映像、見たいわ。出してくれない?」


 はい、と素直にうなづくと、リルは年代ごとに積み上げたビデオ・ブロックを指して、いつからにしますか、と訊ねた。


「最近のはいいわ。古いのから適当に見せてちょうだい」

「はい」


 そしてリルはブロックを再生装置に入れた。


「これが最初ですね」

「まだ若いわね」

「そりゃあ、20年も昔ですから」


 実際、画面の中のゲオルギイ首相は、それまでの政治家の中でもその座についたのは若い方だった。当時まだ三十代だったと彼女は記憶している。

 現在の「総統」は別だ。正当な手段でその地位を手に入れた「政治家」として、確かにゲオルギイ氏は相当優れた人物であったということらしい。


「それでも最初は、ごくごく普通の、政見演説であったり、ニュースにおける議会の様子とかそんなものばかりです」

「ふうん。それだけではなくなったっていうの?」

「氏の任期が長くなるにつれて、ゲオルギイ氏自身に関する報道も多くなりました。これなんかいい例すよね」

「あら」


 ゾフィーは思わず声を立てた。


「可愛いじゃない」


 そこには、ゲオルギイ氏がまだほんの少女である娘と一緒にピアノを弾いている映像があった。広い、光がいっぱいに入る様な邸宅の中で、二人は明るく笑っている。


「あら、娘さんは首相とは髪の色が違うのね」


 画面の中の少女は、赤みがきついブラウンの髪をしていた。大きなウェーブがついた髪に、オリーブ色の大きなリボンをして、同じ色のワンピースを着ている。ゾフィーはそれを見ながらサンドイッチを大きく噛みしめた。みずみずしいレタスのしゃく、という音と共に、こくのあるローストビーフの味が口いっぱいに広がった。


「前首相のお嬢さんは、奥さん似なんすよ」

「へえ。……あれ、ゲオルギイ氏って、お嬢さんだけだったっけ?」

「や、そうではないんでしょうが……」


 えーと、と言いながら彼は別のブロックを取り出す。


「息子も居たらしいんすが」

「らしい?」

「何っか資料調べても、そのへん曖昧で」

「曖昧? 何それ」

「いや、途中までは、確実に『居る』んす。だけど、途中から急に『居ない』ように見えるんすよ」


 そう言いながら、リルは一つのブロックを入れる。やはり先程と同じ様な、邸宅が映る。


「えーと。やっぱり基本的には、お嬢さんのほうがよく映し出されてますよね」

「そうよね」


 彼女はうなづきながら、パックのコーヒーをすする。


「ですがこの時は、後ろにそれ以外の家族も映っているんですよ。ほら、これっす」


 そう言って、彼は画面の右の隅をクローズアップさせる。


「これは、夫人? ……と……」


 やや粒子の荒くなった画像の中で、赤毛の女性と、そのそばで何やら居心地悪そうに、しょうもなく付き合わされている、という様子でふてくされて歩いている金髪の少年が、そこには居た。


「どうもこれが息子らしいんすよね。ただし、こっちのほうが、お嬢さんよりは上っす」

「あら、なのに息子はこうなの?」

「そうなんすよね……」


 リルは画像を元に戻す。そしてフェイドアウト。


「どうも首相は、この息子をあまり我々のよーなマスコミ屋の前には出したくなかった様なんす。……ってまあ、俺もこれ見たり、資料見て思ったんすが…… どーもこの息子、素行があまり良くなかったようす」

「あらら」


 ゾフィーは思わず声を立てる。


「ぜーたくなガキね! 食うに困らない生活なのにグレてたった訳?」

「や、それはちょっと…… 結構食うに困るガキのほうがグレなかったりしませんか? ……って言うとまたこれもか。つーか、何か性に合わないウチに生まれたら、ちょっとかわいそっすね」

「あら、優しいのね?」

「や、無責任なんすよ」


 あっさりとリルは言う。


「ま、色々なとこがありますからねえ。頭はいいガキだったよーですが」

「そうなの?」

「ちゃあんと、中央大学にはパスしてるんすよ。それも正規の試験で」

「……そりゃすごいわ。あたしの兄貴もそこに行ってたんだけど、結構頭いい兄貴だったんだけど、それでも一回落ちてるのよ」

「あ、お兄さんがいらしたんすか?」

「もう死んだけどね」


 あ、とリルは声を立てて、すぐにごめんなさい、と付け足した。


「いーのよ別に。もうずっと昔のことだから。……で、その素行が悪いけど頭はいい息子が中央大学にパスしたっていうのはニュースにはなっていないの?」

「残念ながら、その辺りはもう、出て来ないんすよ、家族は」

「そうなの?」

「ちょうど、そのちょっと前あたりすか? えーと……」


 あったあった、とラベルの日付を見ながらリルはつぶやく。


「お嬢さんの中等学校入学、くらいですかね。『楽しい我が家』な図は」

「見せて」


 ごくん、と彼女はサンドイッチの最後の一片を飲み込んだ。

 画面には、再び邸宅が映し出される。今度は庭だった。それはあの官邸とよく似ていたが、違った。


「そう言えば、結局家族の人達は、官邸には住まなかったんだわね」


 ゾフィーはつぶやく。そしてようやく手が空き、サンドイッチを口に頬張ったリルは、それに対してうなづく。


「首府の近くの市に住んでたとか。今でもそこには夫人は住んでるんではないすかねえ」

「お嬢さんは?」

「とっくの昔に結婚して出てったんじゃないすか? 今二十代半ば? くらいじゃないすかね」

「そう…… え?」


 止めて、と不意にゾフィーは言った。その声があまりにも鋭かったので、リルは思わずサンドイッチを落とす所だった。


「どうしたんすか?」

「いいから、も一度、今のとこ、戻して。スローにして」

「え? ええ……」


 ゾフィーは胸の前で両手を握りしめると、じっと画面を見据える。

 ゆっくり、ゆっくり、その映像が、彼女の目の前で動いていく。


「止めて!」


 ぴた、と画像が停止する。思わず彼女は口を押さえた。


「嘘……」



 夕方の光が、図書館の書庫の「休憩所」に差し込んでいた。テルミンは久しぶりに来るそこで、辺りをきょろきょろと見渡した。彼はやや苛立っていた。今日はさほど時間が無いのだ。

 この後、ヘラの元に、スペールンが都市改造の現在の段階ほ報告しにやってくる。それまでには、確実に戻っていなくてはならない。彼にとって、この「総統閣下」も「都市改造」も大切なことだった。

 だが彼を呼び出した人物も、また彼にとって大切な一人だった。


「……ここに居たの」


 すぐに判る場所に居ればいいのに、という気持ちが混じって、彼の声音はややささくれだったものになっている。無論相手が相手であったせいもあるだろう。この「宣伝相」たる彼は、表で不機嫌を顔に出すことはまずない。


「どうしたの、ここへ呼びだすなんて、珍しい」

「ちょっと前まで、資料を調べていたのよ」


 ゾフィーは額に落ちる乱れた髪をかき上げる。その様子を見てテルミンも少しばかり苛立ちが薄れた。彼女は政府担当になったおかげで、この書庫に入り込むことも容易になった。黙認でフリーパスという訳にはいかないが、それでもパスを提示すれば入って資料を自由に閲覧することができる。


「それにしても、君、何か顔色良くないよ? 座ったほうが」

「そうよね。そうなのよ」


 何かおかしい、とテルミンは思った。いつもの彼女らしくない。時間は無い。だが放ってもおけない。だったら話はちゃんと、そして早く済ませよう、と彼は考え、彼女をうながし、休憩所の椅子に座らせた。手には何やら「資料」を掴んだままである。


「何か、いい資料があったの?」

「いい資料? ええ、いい資料だったわ。全くもって。あたしは一体何処を探していたっていうの?」

「落ち着いて、ゾフィー」


 さすがにこれは何か違う、とテルミンは感じた。そして座る彼女の前に回ると、ひざまづき、ひざの上の彼女の手に手を乗せた。


「君が探していた、あの、バーミリオンのことが判ったっていうの?」


 彼女は黙ったまま、自分の上に置かれた手を強く握った。


「……判ったのよ。判ってしまったのよ。けどそれって」

「それは……」

「聞いてよテルミン!」


 彼女はテルミンの手をぐっと掴んで、まっすぐ彼と視線を合わせた。彼は思わず息を呑む。


「聞くよ? 聞くから……」

「信じられないのよ? 今の今でも、あたし、これだけ資料見て、これしか無い、って思った今でも…… 冗談じゃないって思ってるのよ? こんなの、嘘だって……」

「そんなに…… 信じられない人、だったの?」


 テルミンはちら、と彼女を立ち上がらせた床の上を眺める。資料があちこちに積まれている。こんなにたくさんの、「ここで見られる資料」の中に、その人物は居た、ということなんだろうか。


「言って。ゾフィー? その人は、君の、バーミリオンは、そんなにとんでもない人物だったの?」

「あたしのじゃ、ないわ!」


 またそこに行く、と彼は興味とじれったさが半々な気持ちになる。しかしそこで下手につついてはいけないのだ。


「……こないだ、局で、古い映像を調べていたのよ。ゲオルギイ首相の……」

「ああ、何か特別番組を作るから、って映像の許可を求めてきたね」

「そんなことが、あった? そう、あったのよ。だから、あたし、たまたま、見てたのよ? そこに居た子が面白かったから……そしたら、何よ」

「何だったの?」

「居たのよ、彼が」

「彼……って」


 テルミンは、眉をひそめた。


「君の、バーミリオンがか?」

「あたしのじゃないってば! 彼は、兄貴のだったのよ! そんなことどうでもいいわ」


 どうでもいいことにしてないのは君だと思うが、と彼は思ったが、それは口には出さない。とにかく興奮している彼女を静めなくてはならないのだ。言うべきことは、言わせてしまわないと。


「……首相の映像の中で、……街に居たの?」

「違うわ。首相の邸宅よ。居たのよ。あたしの記憶よりは、もっと若い、彼が……信じられる? 首相の、息子、なのよ!?」


 え、とさすがにテルミンもその時には言葉を無くした。


「ゲオルギイ首相の…… 息子?」

「あたしが、あの顔を間違えるものですか。あの薄い金色の髪、通ってるけど決して大きくない鼻、ちょっと厚めの唇、それにあの人をどっか見下したような視線!」


 そういう奴だったのか、と改めてテルミンはそれを想像する。ゾフィーの「バーミリオン」に関する描写はいつも何処か曖昧だった。ここまで明確に表現したのは初めてだった。

 いや違う、と彼は思い返す。おそらく、彼女は自分の中でも曖昧だったその顔が、映像を見たことによって鮮明にさせられたのだろう。


「……つじつまが、合うのよ。年格好も、ちょうど首府に…… 兄貴が居た中央大学に居た年代、とか、そういうのも。だけどこのひとは、首相の息子のハイランド・ゲオルギイは、中等学校を出て、大学に合格した時点で、消息を断ってるの。ねえこれって、何だと思う?」

「何って……」

「大学で、地下活動に入ってしまったから、そこでハイランドとしての足取りを消してしまったって、ことなのよね?」


 そう同意を求められたところで。テルミンは困ってしまっている自分に気付く。

 そう自分は困っているのだ。この友人の、大切な事実が判明したというのに。ただ自分は困っているだけなのだ。


「落ち着いて、ゾフィー」


 そう言って、彼はゾフィーの手首を握り返す。


「それでも君は、まだ知りたいことの、半分しか知ってないんだよ?」


 テルミンは思わず口に出してしまったこの言葉にうなづく。


「君は確かに、バーミリオンが、ハイランド・ゲオルギイってことは知ったかもしれないけど、今その彼が、何処に居るのか、ってことはまだ知ってないじゃないか」


 彼女はすっと息を吸い込む。


「終わった訳じゃない。まだ君には調べることがあるんだよ?」


 彼女のパニックは、事実が衝撃的だったから、というだけではない。自分の知りたかったことが、「判ってしまった」からなのだ、とテルミンは気付いた。

 それが彼女のテンションを上げていたのだ。無論映像の仕事に関しても彼女は夢もあるだろうし目標もあるだろう。だがそうでない部分において、この兄の恋人…… だったらしい「誰か」を突き止めること、そのこと自体が、彼女の生きていくための原動力になっていたことをテルミンは知っていた。


「……そう…… よね。まだあたしは、彼が今どこに居るのかまでは、知ってないのよね」

「そうだよ。君は、彼に対して、言ってやりたいことが、あるんだろう?」

「……そうよ……」


 ゾフィーはうなづく。


「そうよ、言ってやらなくちゃならないことがあるのよ。そうなのよ……」


 そして自分に言い聞かせるかの様に、同じことを何度か繰り返した。テルミンはそんな彼女を見ながら、内心時間を気にしている自分に気付いていた。だがそれは気付かれない様に、彼は笑顔を取り繕う。


「ほら、そうそう、まだ調べることはたくさんあるんだって」


 テルミンはそう言いながら彼女を立たせた。そして肩を抱くと階上まで連れて行く。その間に彼女が置いた資料の位置を確認しながら。彼は、また彼女とは別の視点で、その事実に衝撃を受けていたのだ。

 またね、と手を振ると、彼は一度書庫へと戻り、彼女が持ち出した資料を手にした。そしてそれを上まで持ち出すと、借りるから、と司書にそれを見せた。司書は黙ってその量の多い資料を入れるための手提げ袋を出してきた。


 官邸の、自分の部屋に資料を置くと、彼はそのまま大会議室へと向かった。

 廊下で警備をしている兵士に、誰がもう来ているか、と問いかけると、若い兵士は、スペールン建設相が既に在室だと告げた。

 扉を開けると、やあ、とスペールンは手を上げた。その建設相の前には、精巧な模型が置かれている。それはこの首府の改造プランをそのままミニチュア化したものだった。

 この首府は、元々この官邸や議会堂のある地域がきっかりと生活圏と分けられている。その特性を利用して、更にその傾向を強めよう、というのが基本的な構想だった。

 元よりある大規模建築を、更に大きなものに。つぎはぎな傾向のものを一つの傾向に。道路は拡張し、駅はもっと多くの人々の通行が可能な様に。


「総統閣下はまだ?」

「まだのご様子だが。君は一緒ではなかったのかい?」

「俺は所用があって今来たばかりだ」


 ふうん、とスペールンは眼鏡の下の目を軽く細める。スーツの上着は椅子に掛けて、いつもの様に腕まくりをしている男は、何処かテルミンの様子を伺っているようにも見えた。


「で、状況はどうだ?」

「まずまずだ、と言いたい所だが、ちょっとばかり、厄介な問題も入っている」

「何だ? 例のテロのことか?」


 テルミンは先日この男と会った時のことを思い出す。確かそんなことを言っていたはずだ。


「ああ。各地で起きている最近の活動状況なんだが、彼らは古い建築物よりは、こう言った新しいものばかりを狙っている」

「最近、と言えば」

「辺境武装地帯はどうなんだ? 軍の方は」

「ああ」


 うなづくことで、テルミンは自分の内心の動揺を隠した。

 辺境武装地帯は、ヘラの過去が少なからず存在する場所だった。テルミンにしてみれば、反乱分子共々消してしまいたい存在ではあるが、そういう訳にもいかない。共倒れを願っていた、というのが正直な所である。

 テルミンは、現在の「総統」の地位が永遠である、などという幻想は持っていない。彼はそこまで誇大妄想狂ではなかった。

 彼がヘラをその地位につけることで欲しかったのは、ヘラという人間の自由だったから、それは、あと数年その地位に居て、平和裡に引退すれば手に入るものだ、と考えていた。

 ただ、それを手に入れるために汚してきた手のことを忘れている訳ではない。そのために、現在の急ピッチで行われる作業の数々があった。とにかく何かしらの功績を。

 対外的には、それなりのものがあった。例えば、全員が脱走した流刑惑星ライから採れるパンコンガン鉱石。これが一定の量採取できなくなってしまったことは、帝都政府に対して大きな問題となる。

 帝都政府がこの星系に対し、強圧的になってでも要求するのは、この鉱石くらいなものである。しかしそれは逆に言えば、この鉱石だけは、「絶対に」保証されなくてはならない、ということである。

 ところが番狂わせの脱走事件が起きてしまった。皮肉なことに、これがまずヘラを表に押し上げる原因となった。

 テルミンは当時のことを思い出す。帝都の派遣員により、「代理」という形で全権を押し付けられたヘラにとって、最初の問題でもあった。

 さて、それに対し、まず外側からは、帝都政府からの厳しい追及があった。レーゲンボーゲン政府の代表として、ヘラ・ヒドゥンはその矢面に立たされた訳である。

 連日行われるこの会談は、閉ざされた扉の向こうで行われたが、その直後に、必ず中央放送局のカメラがこの「代表」の姿を追ったのである。

 そして内側からは、反政府主義者達が、そんな風に追求されなくてはならないことに憤り、帝都政府からの独立を叫ぶ。

 テルミンはその時はまだヘラの側近に過ぎなかった。しかしその時彼は、特命という形で、反体制主義者達を半ば強引に逮捕したのである。

 もっともそれは、期間限定のものだった。その時必要なのは、その危険分子達を引き留めておくことで、刑罰を食らわせることや、転向を求めることは必要では無かったのである。それに彼は、そんなことを強要すること自体、人々の政府離れを招くことを知っていた。あくまで一時的なもの、と彼は説明し、それを実行した。

 テルミンは無用な血が流れることは好まなかった。それは彼の性質もあるが、それ以上に、無意味な弾圧の持つ逆効果を恐れたとも言える。

 実際、ヘラが帝都政府との交渉において、パンコンガン鉱石の採取を一年遅らせることで決着をつけた時、テルミンは即刻一次拘留していた反体制主義者達を解き放った。

 そして彼は言った。あくまでこのレーゲンボーゲンには思想の自由がある、と。

 その直後、ケンネルをはじめとする軍の技術研究所や、科学技術庁のスタッフといった者が、ライへと調査・研究のために飛んだ。そこには、パンコンガン鉱石の採取も義務づけられていた。

 そしてケンネル達が戻ってくるまでの三年で、テルミンは側近から秘書官、そして宣伝相という新しい地位を手に入れた。

 この指導者自身も、帝都政府向けの矢面に立つ存在として、「首相」ではなく「総統」という位についた。結果、その役名になって後、この指導者の持つ権限が増えたことは言うまでもない。

 ……さて。

 テルミンはこの筋書きを自分が全て書いたものである、とは思ってはいなかった。

 ある程度までは。自分が動く範囲においては、それは間違ってはいない、と思う。そして、そこで必要な場合において、彼はあの帝都の派遣員の手を借りた。

 正直、パンコンガン鉱石については、テルミンは何も知らないに等しい。あくまで彼にとっては、それは政治的な材料に過ぎない。だから彼はその意味を帝都からの派遣員であるスノウに聞いたことはなかった。その意味を聞くこと自体、この派遣員の疑念を招くだろう、と考えていたのだ。

 だがしかし。

 時々テルミンは思う。全てが、この男の手の中にあるのではなかろうか、と。

 それがいつ、どの時点からなのか判らない。だが、少なくとも自分というコマが現れるのをあの男がじっと待っていたとは思えなかった。

 それは自分が自分以外の誰かをコマとして操る様になってから、初めて判った感覚である。

 その意味では、この目の前の男もコマの一つであるはずだった。ただ、このコマは、自分からその身を差し出してきたのだが。


「総統閣下は、このミニチュアがかなりお気に召した様だな」

「実際、君の進呈したこれは実によくできている。俺だって欲しくなるくらいだ」

「あいにく、これは特別だからな。そういう訳にもいかないな」


 戸口から声がしたので、二人は勢いよく立ち上がり、敬礼する。彼らが敬愛なる総統閣下、が部屋の中に入ってきたのだ。その身体には、軍服に似た紺色の服が実にきっちりとつけられている。その身のこなしにはスキが無い。

 朝のあの姿を見たことがある者には、とうてい同じ人物であるとは思えないだろう。


「テロ対策がどうとか言っていたが?」


 真ん中の席につき、二人に座る様にうながしたヘラはテルミンの方を見る。


「現在また、増加している反乱分子なのですが」

「具体的に言ってみろ」

「はい。調べましたところ、特に、西のエンゲイを中心とした、『赤』の動きが活発化しているとのこと」

「『赤』か……」

「宣伝相、『赤』とは?」


 スペールンは訊ねる。


「ああ、地方の反乱分子の総称なのだが、最近の輩は、それぞれの組織に色の名前を付けることが多いんだ。『赤』とか『緑』とか『橙』とか」

「色。各地で違う色ということか」

「そう、とも限らない」


 ヘラはテーブルの上に置いた腕をぐっと握る。


「ある都市に、幾つかのそんな組織があったとする。その中の一つが『赤』であったりする場合もあるし、そうでない場合もある。ある都市にはそれしかない場合もあるし、ある都市には全くそれが無い場合もある」

「と言うことは、色のついた名前の組織、はそれ自体、星域中で連携しているということですか?」

「とも、考えられる」


 ヘラは短く答えた。


「何しろ、その連中ときたら、実にするするとこちらの捜索の手をすり抜ける。情けないことに、どうしてもその色の名前がついた集団に関して、こちらは何の手も打てない」

「ふうん。まるでこっちの手を読んでいるかの様に?」

「どうかな」


 ヘラはそう言ってふっと笑った。



「だから、いいんすよって」


 首府の、改装と改築中の駅の改札の前で、一組の男女が口論になっていた。とは言え、それは端から見たら、痴話喧嘩程度にしか見えない。男の方は、大きな荷物を抱えている。


「いや、悪いと思ってるわ。でも、どうしても、お願いしたいの」

「レベカさん混乱してるよ」

「してないわよ」

「だから、レベカさんの頼みだったら、俺は行きますって」

「あたしの頼みだから、ってのは、問題があるのよ。あくまで、番組の」

「でも知りたいのは、レベカさんでしょ」


 ゾフィーはむ、と口を閉じた。


「前首相の息子が現在どうなってるか、ってドキュメンタリーを組もう、って言ったところで、結局はあなたが知りたいんでしょ?」

「そうよ。あたしが知りたいのよ。だから何とでも言ってるんじゃないの。だからわざわざそんなことのために君を飛ばすのは、悪いかな、と」

「理屈になっていないってば、レベカさん」


 ふう、とリルは頭を抱えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る