コロロッチェは塩辛い海を渡る(前)

『石畳の町へ、サラミを食べに行ってきます』

 そう書置きを残して家を飛び出し早や三日。コロロッチェは外国の運河を渡る船に居た。

 軽やかな潮風。岸辺で鳴らされる陽気な音楽。悠々自適な旅人たち。

 快適な船の旅。超えた先にはおいしいご馳走。

 そうなるはずだったのだが。

「おい、ジイさん。あんたの手下は、どこに集まっている」

「言うものか! 言うものか、若造め。ワシを生け捕ったと己惚れるなよ、下っ端!」

 ――もうちょっと、映画みたいに気の利いたセリフは出てこないものかしら?

 コロロッチェは船室の床に寝そべりながら、眼前の尋問風景に飽き飽きしていた。

 椅子に縛られたお年寄りのマフィア(ギャングとどう違うの?)と、その前で顔を真っ赤にする若い人。確かに珍しい光景ではある。だが、それほどロマンティックなものでもないし、その原因は主として若い方の、いかにもこういう事態に手慣れていない態度のせいであろうが、いまいち見ていて面白くもない。

 第一、お腹が減っている。

「ねえ、そこの人」

 声をかけると、若い人は跳び上がらんばかりに驚いてこちらを見た。サングラスのおかげで瞳は見えないけど、わかりやすい。ビビりすぎ。縛られて床を転がっているのはこちらだというのに。

「向こうに着くのは何時になるの? もうお昼をかなり過ぎてるじゃない。あと三十分ぐらいなら我慢してあげるけど、それよりかかるなら何か食べさせてよ」

「う、うるさい、女、黙ってろ!」

 若い人は不機嫌そうにそっぽを向いてしまった。しょうもない男だ。紳士の国と聞いてはいはいたが、この若者はレディの扱いがなっていない。

 コロロッチェは深くため息をついた。予定がすっかりこんがらがりだ。

 ――船で渡った小さな島の、坂と石畳のこじゃれた町。そこのオープンカフェでサラミを食おう。三日前からそう決めていた。爽やかな日射しの下で、潮風浴びて、塩辛い肉。思い浮かべるだけで唾が湧く。こんなはずじゃなかったのに!

「ねえ、ちょっと」

「まだ言うか」

「おじいさん、体調が悪そうだけど」

「ええ? おい、じいさん。こら、なに咳き込んでやがるんだ!」

 さっきまで憤慨していた老人はいつの間にか青い顔をして、しきりに空咳を繰り返していた。日焼けした皮膚に汗が噴いているようだ。

「持病の発作とかでしょ。お薬飲ませなさいよ」

「薬は、ない」

 老人はかすれた声で呻いた。

「さっき、他の荷物ごと、お前たちに奪われた」

「畜生! 女、お前は持っていないのか。こいつの秘書かなんかだろ!」

 尋問中の老人に万が一があっては困るのだろう、若い人も負けじと汗をかいている。

 コロロッチェは唇を尖らせた。

「私が持ってるわけないでしょ。初対面なんだから」

「あの娘は、無関係だ。さっき甲板で私の体調が悪くなった時、たまたま近くにいたその子が介添えしてくれただけだ。秘書だと勘違いしたのはお前たちの勝手だ……」

「えええい、黙れ、黙れ! 薬を探してくるから大人しく待ってろ!」

 若い人は顔を真っ赤にして怒鳴ると、いじめられて家に帰る子どもみたいに、バタバタと船室の外へ飛び出して行った。

「ちょっとー、無関係だとわかったんだから、私は解放してもいいじゃない」

 コロロッチェはプリプリ怒ったが、どうせあのお坊ちゃんには何の判断も出来はしまい。

 お腹が減る。お腹が減る。頬を膨らせたまま、寝ることにした。

「お嬢ちゃん」

「なぁーに? 起きててもお腹へるだけだから寝てたいんだけど」

「親切なあんたを巻き込んでしまって、すまない」

「そういうの、いいから。何かくれるんならサラミをちょうだい。塩辛いサラミ。それでなきゃ機嫌治せそうにないわ」

「それならば良い店を知っている。ここを乗り越えたらあんたにご馳走しよう」

「本当! うわぁ、マフィアのお墨付きって絶対おいしそう」

 コロロッチェが目を輝かした時、慌ただしい足音を立てて、さっきの若い人が戻ってきた。

「薬だ! あと水だ! あと女、食い物ならやるから、ピーピーわめくなよ」

 ばたばた一人でがなり立てながら、若い人はコロロッチェの目の前にビニール包みを放り投げた。

 クリームパンだった。

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