コロロッチェは塩辛い海を渡る(後)

「ねぇあなた、ひょっとしてさぁ。女の子と初デートする時に、わざと乱れた服とか髪型とかで、『忙しい男』を演出するタイプ? そういうの女は引くだけだからやめた方がいいと思うよ」

 コロロッチェは自由になった手をブラブラさせながら、若い人へ容赦なく噛みついた。

「塩辛いサラミを欲している人に、こんな甘いクリームパン。……イケてない。全然気遣いってものがなってない。あなた、舌は健康?」

「お前その時な、人質なんだから、少しは大人しくしてろ!」

 若い人は心底怒った様子で、しかしだからといって、暴力に訴える気力もないようで、ただ苛立たしく床を踏みつけてばかりいる。いったい、船室の外へ出て薬を取りに行っている間に、何があったのか。コロロッチェは知るつもりもないが、若い人が器に合わぬ苦労をさせられているのはひしひしと感ぜられた。

 老人は薬のおかげで、いくらか落ち着いたようだ。大きく深く息をつくと、若い人へ落ち着き払った態度で、

「何度も言っているだろう。その娘は無関係だ。カタギの者を巻き込むのはそちらとしても本分ではあるまい。そろそろ解放してやってはどうだ」

「そうはいかねぇんだ。上じゃあ兄貴たちが……あっ!」

 銃声というものを、コロロッチェはその時初めて聞いた。意外と驚かないものね、と思ったのも束の間、直後に船が揺れる程の衝撃とともに、凄まじい爆音が轟いた。浮足立っていた若い人がゴロゴロ床を転がった。

「ちょっとー、砲撃ってさぁ……。もはや抗争じゃなくて戦争じゃないの?」

「け、警備隊とかち合ったんだ。畜生、兄貴たち賄賂をケチったのかよ」

「お前たちの組はジリ貧だったからな。私を捕らえて一稼ぎするつもりだったのだろうが、こうなってはおしまいだ」

 三者三様わめく間に、銃撃、砲撃、人の叫びと船の揺れは酷くなる。地獄のようなただ中で、突然、コロロッチェはクリームパンの包みを破り、口に咥えて器用に叫んだ。

「逃げるわよ。あんた、私たちの拘束を解きなさい」

「馬鹿、俺は外へ加勢に行く」

「人質相手にビビってる奴なんて、流れ弾喰らって死ぬのがオチってものよ。それより生きて役に立ちなさい。このおじいさんを警備隊に渡すより、確保したまま脱出できた方がお手柄でしょう?」

 コロロッチェは不思議な魅力を持つ。彼女が決めつけると、そうなってしまうのだ。ただでさえ焦りに囚われていた若い人は、頭の中でグルグル考えたあげく、どうも、外のしくじり兄貴より、この居丈高な女についていく方が良いような気がしてきたのだった。

「よし、窓をぶち破って海に逃げるぞ。陸はすぐそこだから泳いで行ける」

 若い人はコロロッチェの足の拘束と、老人を椅子に縛っていた縄を解いた。そして拳銃を抜くと船窓めがけ、続けざまに二、三発。腰の定まった綺麗な射撃を披露した。きっと、この若い人の中で、己が力で女、老人を守らんとする英雄めいた心持が生じていたに違いない。

「やれば出来るじゃない。ありがとう」

 感謝を込めて。

 コロロッチェは、全力で若い人の股間を蹴り上げた。

「あげぅっ」

 悶える人を尻目に、コロロッチェはひびの入った窓ガラスを取り払い、老人の方へ向き直った。

「じゃ、逃げましょう。おじいさん」

 クリームパンをゴクンと飲んで、コロロッチェは軽やかに窓を越えた。


 沖の船でまだドンパチやっているが、コロロッチェにはどうでもいいことだった。

「よく自力で泳いでこれたわね、おじいちゃん」

「まだまだ若い者には負けんよ」

 老人の瞳は船室に囚われていた時とは別人のように、生き生きと光輝いていた。日焼けした皺より顔にこの眼光では、なるほど、マフィアの要人として狙われる価値りそうに見えた。

「異国のお嬢ちゃん。あんたは大した肝だ。色々と話をしてみたいところだが、まずは約束を果たさねばなるまいな。サラミの美味い店へ紹介しよう」

「残念だけど、いらないわ」

 コロロッチェはポニーテールの頭を振り、海水まみれのシャツを絞った。

「塩辛いのは、お腹いっぱい」

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