ロッチェ・コロッチェ・ブロッサム(後)

 右へ左へすいすいするり。

 迫りくる猪をするする避けて、さして広くもない山道を突っ走って行く。

「お前が小さい頃にやっていたゲームみたいだね」

「ちょっとだけ、楽しいですよ! でもお父さん、いつまでこうしているんです? もうすぐ山を越えて目的の村へ着きますよ」

「ウン。考えたんだがね……」

 軽く汗ばみながら必死にハンドルを握るコロッチェ君とは裏腹に、ロッチェ先生は迫りくる不気味な白猪の大軍を見やりながら、憎いほど落ち着き払っていた。

「一つの案は、私をこの車から追い出すことだよ。奴らの標的は私一人だけだろうからね」

「それは却下です」

「ありがとう。じゃあまだ逃げよう。ところで、お前、何か私に言いたいことがあるんじゃないのかね? 免許を取れたからって、急にドライブに行きませんか、だなんてさ」

「そ、それは、その通りです。言いたいことがありました。でもお父さん、今はそんな場合じゃありませんよっと……!」

 今度は上からドスンと来たが、これも紙一重にコロッチェ君は避けきった。思い切ればやれる子なのである、コロッチェ君は。

 そうこうしているうちに山を抜け、いくらか幅の広い道路に出た。脇には民家も見えている。

「やっと村へ着いたね。じゃあ、そこへ入りなさい」

「大丈夫でしょうね?」

 ロッチェ先生の指示のもと、車は駐車場へ滑り込んだ。それと同時に、ロッチェ先生はシートベルトを外していた。

「呪いの解き方はいくつかあるが……一番手っ取り早いのは『なすりつける』ことだよ。それじゃあ、結論はやっぱり最初の案だね」

「お父さん、ええと、ご武運を!」

 コロッチェ君は、父のやる事をぼんやりと理解したような気がした。そして、それを見ているしかなかった。

 車を降りたロッチェ先生は、先生なりに頑張って、目の前の建物へ走って行った。その後を無数の猪が追って突っ込んでいった。

 向かった先は蕎麦屋だった。


「食べ損ねたからお腹が減ったよ。町のカフェでピザでも食べよう」

 戻りの山越えの最中、ロッチェ先生は疲れた声で呟いた。

 車の後ろに猪はいない。

「お父さん……あのお店の中で、何をしてきたんです?」

「お返し……かな? まあ、うっかりしでかした呪いを、またうっかりに見せかけて他人になすりつけるなど、もっての外だよ。元の人へ返してきた」

 その人はどうなりました、とコロッチェ君は言いたかったが口をつぐんだ。これ以上心を乱されては、運転も疲れてしまいそうだ。

「ところでお前、やっぱり言うことはないのかね?」

「ありますよ、もう。……僕は今、お付き合いをしている女性がいます」

「ほう」

「その人は夜のお店に勤めていて、お子さんが一人います」

「ウン」

「驚きましたか?」

 ロッチェ先生は、窓の外を見たまま言った。

「世の中には、不思議な事があるものだからね」

 会話はそれっきりだった。

 コロッチェ君がハンドルを握りながら、わかったことは一つだけだった。

 父は自分よりも多くのことを知っていて、多くの世界を見ている。

 言いたいことは、言えた。ならばそれ以上は沈黙でも、コロッチェ君にとっては十分だった。

 でも、ロッチェ先生は言うのだ。

「実を言うと、あの呪いには困っていたんだよ。あのまま放ってはおけないが、ノコノコ出向いてはやられちまうってね。だから――」

 先生は、ずっと外を向いていた。だからどんな表情をしていたのかはわからない。

「お前が車の免許を取ってくれて嬉しいよ」

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