7.―6歳―サピスの斜塔(知恵の塔入り口)Ⅰ

 六歳を迎えた頃、お母様のマルデリードは体調を徐々に崩されて往き、ベッドで過ごされる事が多くなった。


 しかも今は例年に見ることの無いぐらい流行り病が蔓延し始め、体の弱ったお母様が掛かったらと言う恐怖に怯える毎日を過ごしている。


 今年の始まりに宰相代行として就任なされたお父様は、朝早く城へと登城する。

 二人の兄も十三歳と十歳で、王立アカデミーに通う学生である。

 朝食を済ませ、一時も立たぬうちに屋敷を出て学校へと向かうのだった。


 必然的に屋敷には、夕刻兄達が帰って来るまでアデレードと母マルデリードの二人きりになる。


 お母様が元気で有れば二人で過ごすのだけれど、今は静養が必要なお体だ。


 記憶体の私は、全属性の魔法を使える筈である。だから母マルデリードの『治癒』を試みたが、こちらは効果が無かった。


 只の病気に対しては、この手の魔法は効果が得られないようだった。


 この頃に成ると、アカデミー入学に先立ち、所作に加え文字の読み書き、計算に、教養学と魔法基礎等の家庭教師を付けられることとなる。


 最近塞ぎがちなアデレードの為に、教養学を教えるクレスンが一つの物を持って寄越してきた。


 斜めに傾く塔の模型だが、斜め四十五度に傾いたそれは、どういう原理なのだか倒れることは無い。


「クレスン先生、これは何ですの?」


「これはね、別大陸でエストニア大陸に有るサピスの斜塔の模型なんだよ」



 細かい説明をするとこんな感じだ。


 サピスの斜塔、又の名を

 何時の時代に作られたとも知れぬその塔には、あらゆる知識が詰め込まれているとも言われている。

 斜め四十五度に傾きながら、決して強い大地の揺れや強風にも屈すること無く変わらぬ姿で有に千年を越える月日を、その場に変わらぬ姿で立ち続けているのだとか。

 その門は簡単には開かれず、中に入るには何かしらの資格が居るようで、それは魔力であったり、その者の抱える事情で有ったりと様々なのだとか。



 そんな不思議な塔を食い入るように見詰めていると、クレスンは『暫く置いておこうか?』と言い、塔の模型を残していってくれた。


 その日の予定はクレスンの講義だけだった為、お昼からはいよいよ暇に成ってしまったのだ。



 それにしても、『知恵の塔』か。

 あらゆる知識が有るのなら、お母様を治す手立ても有るのかしら?


 夕食時、サピスの斜塔の話をグレドリューにするのだが……。


「アデレード、それは無理だよ。サピスの斜塔が有る国までは、広い海を渡らなくては成らないからね。転移門の移動限界を越えるから、船で持って片道三ヶ月の渡航の後、転移をしたとしても往復で軽く八ヶ月は掛かるんだよ」


 往復八ヶ月!!そんなに家は開けられないし、お父様だって仕事は休めない。


 ……それに、そんなに留守にしていたらお母様はその間どうなるの!?


 アデレードは、その事実にがっくりと意気消沈し瞳からはぱたぱたと涙が溢れ出していた。


「ご……ごめん…なさい……。良い考えだと、思った……のに………」


 アデレードのその姿に、『闇』属性の魔力を持ちながら、何とも心優しく育った娘の姿を愛しく感じずには居られないグレドリューだった。




 ***




 翌日、今日はアデレードの家庭教師は誰も訪れない日だった。

 朝食後、母のマルデリードの元を訪れ暫くの談話の後に自室へと戻っていた。


 昨夕のグレドリューの話だと、凡そ物理的にサピスの斜塔を目指すことは不可能であった。


「もっと簡単に此処へ行けたなら良かったのに………」


 この塔に行けば、もしかしたらお母様のお体を治す方法が得られるかもしれない。


 そんな風にアデレードは、考えていた。




 アデレードの想いに応えたのか、その時は、突然訪れた。



 家庭教師クレスンの置いていったが、眩い光を放ちアデレードを飲み込んだのだ――!!





 閃光の様な一瞬の光が消えた後、アデレードの自室に彼女の姿は何処にも見受けられなかった。





 ※※※





 目を瞑らずには居られない程の閃光の光に包まれたアデレードは、光の刺激が止むと同時に自分がいる場所の違いに心底驚いた。


 目を開く直前、先ず感じられたのは熱風。

 その風に混じり、砂が飛び散り肌を刺激するのだ。


 耳に聞こえるのは、人々の喧騒だった。



 私は、なのにだ。



 目を開けば、その答えは直ぐにでも知れるのだが、やはり驚かずには居られない。


 黄色おうしょく色の砂の大地に、同色の固まった岩?を掘り込んだ簡素な空間に木戸を嵌め込んだ『家』。

 やや太めの木を縄で固定し組み立て、白い布を引っ掛け日除けにした簡素な露店が建ち並ぶ、見たことの無い街の風景だった。

 道行く人々は、その殆どが靴など履いては居らず、裸足で茶褐色の肌の人間が多く見受けられた。


「ここは………何処!?」


 頭はパニックである。

 勿論、それは大人意識前世記憶全回通の私とて同じだけど。


 しかし、予見できること…それは『』だ。


 何故ならば…少し離れてはいるが、あの塔の模型と同じで傾いているあの姿が見えているからだ!!



「嘘………。本当に?本当に……サピスの斜塔に来ちゃったの!?」



 幼いアデレードは、ただ単純に驚きそして喜ぶが、記憶体の私はそうは行かない。


 何故って?アデレードの容姿を見てみてよ!

 緩やかに波打つ艶やかな黒髪に、くっきりとした深い海の青い瞳。シミ一つ無いモチモチの白石の肌にプックリとした血色の良いピンク色の唇。


 何処からどう見ても美幼女その物!!


 人拐い、悪戯、人身売買何でもアリなこの世界。無防備に一人ほっつき歩いているこの大金の華を見たらどうなります!?



 ああああっ………!!何てことなのよ!?


『危なくなっら私に代わるのよ!?』



 空かさず幼いアデレードに忠告を与えた。


 幼いアデレードは、使

 しかしながら、私なら使える。


 この差で考えられるのは、『前世に関する記憶の有無』だ。


 記憶は、『知識』。

 記憶は、力を解き放つ『鍵』。

 記憶は、力を得るための『道具』。


 だからこそ、記憶持ちと幼いアデレードには違いが生まれているのだ。



 目指すのはサピスの斜塔。

 しかしながら問題は、ここからだ。

 たった一人きりの幼いアデレードで、彼処まで無事にたどり着けるのだろうか?



 これにはちょっと、私も途方に暮れるわ………。






 クヨクヨしても仕方がない!

 幼いアデレードは、とても強気で剛胆な一面も有る。


 普通、見ず知らずの場所に突然移動させられたら、この年であれば泣きわめいても仕方がないのに、彼女は『彼処に行けばお母様を治せる!!』の信念の元、ズンズンと歩き出していた。






 歩き出して暫くの事、人気も疎らになり始めた時に、やはりと言うかなんと言うべきか……は、発生した。


「お嬢ちゃん、一人か?親御さんはどうした?はぐれたのか?」


 口には無精髭、口を開けば口臭が漂う凡そ清潔には縁の無さそうな細身の男が、ニヤニヤと下心丸出しの笑みを浮かべて寄ってきた。


 そんな男は一人じゃない。



 他にも数人、此方に向かってきているのが感じられた。


「一人なのかなぁ~?お兄さん達が、?」


 言い募るその声音には邪な下心が見え見えで、その目は『金になる卵を見つけたぞ!』と書いてあるようだった。



 ガラガラガラガッ………!!!!



 そんな男の元に、凄まじく勢い付いた荷車が突っ込んで来た。



 グワッシャーンッ!!!!



 荷車の龜がバランスを崩し、割れて砕けた。


 何事かと固まる男を余所に、荷車が男に当たる直前アデレードを引っ張る力が加わる。


「馬鹿ッ!!今のうちに逃げるんだよ!!」


 その子はアデレードより少し年上の女の子で、肩に届くぐらいのみじかめに切った髪を後ろ手に結わえたくりっとしたヘーゼルの瞳をしていた。髪色は金、肌はこの地域特有の、茶褐色よりも薄い小麦色の肌をしていた。


 腕を引かれ、走り続けること十数分。

 建物と建物の隙間に彼等の溜まり場が有るようで、その場所で漸く息を着くことが出来た。


「はあっ、はあっ、はあっ……。馬鹿か!あんた!!あんな場所にそんな格好でほっつき歩いて!!人拐いに襲ってくれって言っているようなもんだぞ!?」


 金色の髪、ヘーゼルの瞳の女の子はそう怒鳴って怒った。


「全くだよ。此だから高貴な身の上の者は困るんだよね。無知で何時でも自分が守られる存在だとでも思ってた?」


 そう言うのは、黒髪に黒い瞳、茶褐色の肌の男の子だった。

 上半身に衣服は無く、腰に簡素な布を巻いているだけの………。


 文化の違いと言うものを実体験した瞬間でした。


「…で、親は?助けてやったんだから、それなりの対価は貰わないとね?」


 茶色のやや長めの髪を無造作に伸ばした、茶色の瞳と茶褐色の肌の、此方はちゃんと服を着ていた男の子が言う。

 恐らく、この子がこの中の最年長で、リーダー格かしら?


「居ないわ。私一人よ」


「……な!?…ンだよ!!助けて損した!!」


 リーダー格の男の子が恨めしそうにアデレードを見つめる。


 ………まさか、お金になら無いからって、この子達が私を売る…何て事は無いわよね!?


「何であんた一人なの?もしかして捨てられたの??」

「そんなこと有るのかよ?こいつ身形は良さそうだぞ?着ているもん引っ剥がして、服だけでも売れば金になんないかな?」


 黒髪の男の子の言葉に、金髪の女の子は頭をひっぱたいて怒る。


「アホッ!!女の子にそんなことするな!!変態!!くそったれっ!!」


「変態って………」


 叩かれた方は、『自分はそんなつもりじゃない』と言いたげだったが、腰布一枚の姿の君と、服を常着している我々とでは感覚が違うのよと、金髪の女の子は言いたいのだろう。


 年はどうであれ、女の子が腰布一枚で歩いている何て、私達の感覚ではあり得ないことだ。


「それで………捨てられたの?」


「あ…違います!捨てられたんじゃなくて、私………あの塔を目指していたんです。お母様が病で伏せていて、治して差し上げたくて……知恵を求めているんです…!!」


 母、マルデリードの近頃の弱り振りを思い出し、瞳からはぱたぱたと涙が溢れだしていた。




 女の涙に弱いのは、何も大人に限った事ではない。

 茶髪の男の子と黒髪の男の子は、明らかにアデレードの涙に動揺していた。



 女の涙は武器だ。幼いアデレードは、その武器を惜しみ無く振りかざしていた――!?



 行け!アディー、涙無双じゃぁ―――っ!!





 ***





 アデレードが落ち着き、泣き止んだ所で三人組からサピスの斜塔までの同行を申し出られた。


「何となくだけど、あんたと一緒ならあの扉が開きそうな気がするんだ…」


 金髪の女の子の勘はよく当たるらしく、男の子二人にも異存は生まれなかった。






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