第3話 師匠、早くも遭難


「それにしても……つくづく何でもありじゃの、魔族は」


 協力関係が成立してから、しばらく。

 薄暗い洞窟から這い出たルドルフとラストは、森の中を進んでいた。


 深い緑の隙間から射しこむ、温かな木漏れ日。

 近くでは、清らかな川がそろそろと音を立てて、穏やかに流れている。


 そんな生を全身で味わう一方。

 ルドルフは清流を覗き込みながら、ふとボヤいた。


「生き返ったとは聞いたが、若返ったとまでは聞いとらんぞ」


 覗き込んだ川面には、獰猛な若人が映っていた。


 薄金色の三白眼に、色褪せた白髪。


 老化によりたるみきっていた肌やほうれい線は綺麗さっぱり。代名詞であった無精ひげも何処へやら消えてしまっている。


 その中で残った、頬から斜めに刻まれた三本の裂傷が、紛れもなく自分の身体であることを証明していて。


 それが尚更、ルドルフの戸惑いを掻き立てていた。


「これもアレか。貴様ら魔族の持つ<固有能力スキル>の一種か」

「さすがは元魔王軍幹部。よく知っておるな」


 傍らに立つ黒ドレスの吸血鬼が、ニヤリと牙をのぞかせる。


 スキルとは、魔族たちが先天的に備える固有の生体機能。特殊能力のようなものだ。


 各種族によってその能力は異なり、下級から上級へ成長するに伴って変異・変質することもある。


「余は吸血鬼族。そのスキルの中に<従者リード>というものがある。吸血後、自血を混ぜ、送還することで対象を強制的に眷属として操るスキルだ」


 ルドルフもそれは知っていた。

 伊達に人生のほとんどを魔族との戦いに費やしてはいない。


 特に洗脳系の能力は、どれもこれもいい思い出がなく、印象的だ。


「そのスキルを余は究極域にまで進化させている。名を<再臨リバイバル>。大量の生命力──すなわち魔力を宿した血と、蘇生する対象と縁深いアイテムを触媒に、死者の魂を降ろすスキルだ」


 「蘇生術というよりは、召喚術に近いか」とラストは種明かしをしながら、軽やかな足取りでルドルフの前方に躍り出る。


「そうして、降ろしたおぬしの魂を神工人形ピグマリオンへと移植した」

「ぴぐ、まりおん……?」


 聞いたことのない語彙に、ルドルフは分かりやすく眉をひん曲げる。


「先史時代の遺物、星遺物アーティファクトの一種といえば分かるか?」

「アーティファクト……確か、聖剣や魔剣の類もそのように呼ばれていたのう」


 今度は、共通認識のある言葉が用いられたことで、ルドルフのなかで合点がいく。


 いつどこでどのように作られたのか、一切を不詳としつつ、ただそれ自体が人智を超えた強大極まりない力を有した、現代技術では再現不可能なマジックアイテム。


 それらを総称して、星遺物アーティファクトと呼んでいる。


星遺物アーティファクトは、かつてのこの世に存在した神々たちが遺した依り代だとされている。聖剣や魔剣などはすでに彼らの魂魄が宿った、いわば完全体のようなものだ」


 聖剣や魔剣は持ち主を選定する。


 剣そのものに力があり、意思があり。

 彼らに認められた適合者は、多大な恩寵を授かるとともに、大いなる試練と苦難の道を強要される。


 そう考えれば、何かしら宿っていると言われても不思議ではない。


「その中でもピグマリオンは、神々が肉体を持って顕現するために遺した転生の器だ。その空っぽの神器に、おぬしの魂を植え付けてやった」

「それはまた、大層バチあたりなことをしよったのう……」

「ハッ。神だの天使だのは元来、余たちの天敵だぞ? バチなんぞ怖くて魔王なぞやっておられるか」


 大仰に鼻で笑ったラストが、小ぶりな胸を張ってみせる。


「そんな神の肉体に、魔王のありったけの生命力を注いだのだ。おぬしの魂が七十を過ぎる老いぼれであろうと。それは所詮、軟弱なニンゲン換算。いまの貴様は、ほぼ不老の生命力と全盛期の状態に、肉体が固定されていると考えてよい」

「……それはつまり、この先もずっとこの姿ということか?」

「おそらくはそうだろうな」


 その答えに「はぁぁぁ~!」と、ルドルフは露骨なまでに肩を落とした。


「な、なにをしょげておるのだ、おぬしは⁉」

「不老不死の吸血鬼風情には理解わからんだろうよ……儂はこの顔が大嫌いなんじゃ」


 美しい川の鏡に映る、自分自身を見詰め、ルドルフは悪態をつく。


 根拠のない自信に満ちた表情かお。力で全てが手に入ると本気で思っていた若かりし頃の顔。


 まじまじと見るほどに、なんとも醜く卑しい若気の至りを、否応なく思い出させられる。


「そうなのか? 余的にはなかなか好みの顔をしているが」

「どこが?」

「そうだな……強欲に飢えた眼光、傲慢に驕った面構え。その凶暴さたるやまさしく気高き狼のそれだ。きっと血も涙もない極悪非道なヤツだったのだろうな。魔王の配下となるにふさわしい」

「……期待通りの評価で何よりじゃ」


 ハァァ~と再び、深いため息が漏れる。


 その点、老後は心穏やかなものだった。

 特に弟子を引き取ってからの毎日はたまらなく愛おしく、充実した日々であった。


「あぁ、ジジイに戻りたいのう……」

「なかなか聞かん文句だが……。余とてこんな無様な姿になったのだ。お互い様だろう」


 背を向けてそう語るラストに、ルドルフは首をひねった。


「無様な? それは貴様本来の姿ではないのか」

「なわけあるか。おぬしを蘇らせるのにほとんどの魔力を譲渡したゆえだろうな」


 ぐぬぬ、と。

 腰よりもやや低い位置で、魔王の頭が屈辱に震えているのが見えた。


 こちらはこちらで受け入れがたい現実に直面しているようだ。


「本来の姿であれば、あまりの美貌におぬしの身も心も凌辱しておったところだ。命拾いしたな、戦狼!」

「ところで、儂らはこれからどうするのじゃ?」

「歯牙にもかけぬとは! この無礼者め!」


 キィーッと憤慨しつつ、歩を進めるラストは不満そうに続けた。


「ひとまずは態勢を整えたい。さすがに魔界の五大国を相手に、おぬしと余だけでは何もできぬからな」

「つまりは仲間探しか。だが、規模で言えば、国家レベルの話になるじゃろう」


 魔界全土が挙って押し寄せてくるようなものなのだ。


 人類も王国だけでなく、シリウス帝国やその他の大規模組織を結集して対抗しなければ、帳尻が合わないのは道理。


「アテはあるのか?」

「あることにはあるが、ないと言えばない」

「なんじゃそのどっちつかずの回答は……」

「仕方なかろう。剣聖を仲間に出来るかどうかなど、到底わからんのだからな」

「剣聖……⁉」


 その言葉に、ルドルフは大きく反応した。

 脳裏に思い浮かべるのは、愛しい弟子の小さな背中だ。


「なにも不思議がることはない。人界最強のカードのひとつだぞ。ヤツがこちらの話に乗れば、それだけで王国は攻略したも同然。むしろ、今後の戦いにおいては必須項目だろう」

「た、確かにそう言われればそうだが……」


 言い分を認めつつも、ルドルフは改めて、ラストに聞いてみることにする。


「アテは、あるのか……?」

「ない。これから作る」

「……では、所在について目星はついておるのか?」

「ないに決まっておる。これから探す」

「なんじゃそれは……」


 前途多難を旅になりそうだと、ルドルフは額に手を当てたわけだが。


 話はそこで止まらなかった。


「そもそも、ここがどこなのかもイマイチ分かっておらん」

「……は?」


 目が点になる。

 いま、なんと言った? わかってない? ここが?


「人界の王国領であることは把握しておるんだがなぁ」

「いやいやいや、おぬしの国がどの程度だったか知らぬが。王国はかなり広いぞ? 王国出身の儂でも全土を把握してはおらん」

「であれば、尚のこと仕方ないことだな。余は生まれも育ちも魔界出身の魔王なのだから」

「なんでそこで無駄に威張れるんじゃおぬしは」


 これは予想以上にまずいかもしれない、と、不安から焦燥感に変わったところで。


 ルドルフはふと、疑問を抱いた。


「……待て。では、なぜ貴様はそんなにも自信ありげに邁進しておるのだ?」


 問いながら、ざわざわとした嫌な予感が、胸に巣くう。


 それは色濃い人生を積んだ老練の勘。

 こういった良くないことに限って、ルドルフのセンサーは予知じみた精度で発揮されることが、しばしばあった。


 そして──……、それは今回も例外なく的中することとなる。


「ああ、実はな。こやつらに案内してもらっておるのだよ」


 そうラストが手で示す先には、小さな光の玉がいくつも浮かび上がっていた。


「なっ……精、霊だと?」


 精霊。それは空気や魔素と同じく世界を構成する要素のひとつ。


 根源的に世界とつながり、無垢ゆえ一定の魔素濃度と元素純度を満たす環境でない限り、発生することはない希少な存在。


 そんな神秘的な現象を前に、あんぐりとするルドルフには目もくれず、ラストはやや興奮気味に光の玉と戯れる。


『旅人さん? 迷い人さん? あなたたちはどこに向かうの?』

『こっち? そっち?』

『左に向かうといいよ』

『うんうん、左がいいよ』

『左なら問題ないよ』

「ほれ見よ。くくっ、精霊なぞ憎たらしい神どもの末裔であろうと見下しておったが。存外に愛いヤツらではないか」

「……ラスト。貴様は精霊を見るのは初めてか?」


 どこか声音を沈めて訊ねるルドルフを尻目に、ラストは迷うなく、精霊の案内に従う。


「そんなわけなかろう。魔素は言わずもがな。魔界にも自然に富んだ土地は各地に点在しておる。どこもかしこも荒廃した大地と思われるのは癪だな」


 だが、と最後に付け足して。

 ラストはふと考える。


「……そうだな。この類の精霊を見るのは初めてだ。少なくとも、五大元素の精霊ではないだろうな」


 神妙な面持ちでついに気付いたラストに、色々悟ったルドルフは手で顔を覆った。


「そいつらは、幻惑の精霊リューグナー。貴様の言う通り、五大元素とは別の木精霊ドライアドの変異種だ」

「ほう。して、幻惑の精霊とはどんなヤツらなのだ?」


 すっかり愛着が湧いたのか。

 ワクワクと声を躍らせるラストに、ルドルフはもう色々と諦めた。


「奴らの本懐は、森を守ること。人族も魔族も含め、あらゆる危険因子から土地を守るため、催眠作用のある言葉で標的を惑わし、その地に生息する動物や魔物と協力して外敵を排除する。いわば防衛装置のようなものだ」

「ほう。それはまた見た目に似合わず勇まし……ん? 催眠作用?」


 ここにきてようやく勘付いたラストであったが、時すでに遅し。


 相変わらず鬱蒼とした森林が広がる中、ほんの少し不自然に拓けた空間があった。

 

 その前方、そそり立つ巨木の陰から。

 ズサッと重苦しい地鳴りを響かせて、大きな気配が生まれる。


 現れたのは、イノシシ。

 鋭い双牙と、丸い体形が特徴的なあのイノシシに違いない。


 ただ、黄金に輝かせた鬣を生やしていることと。

 遠目ながら視線を上げるほどに巨大であることを除けば、の話であるが。


『ブルルル……ッ』

「おい、アレってもしや……?」

「言うまでもなく、魔物じゃろ。それも超ド級の」


 そう憎たらしく、ルドルフが口にしたところで──……金猪子の咆哮が、森中に響き渡った。


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