第2話 師匠、蘇る

「おはよう。憎くも愛おしき我が英雄」


 狭い空間に、玉を転がしたような女の声音が響いた。


 くたびれていた首を持ち上げる。

 じゃらっ、と鉄の擦れる音が聞こえて、鎖に繋がれていることに気付く。


 辺りを照らすのは、ゆらゆらと揺れる一本のロウソクだけで。

 その心許ない灯りに浮かぶのは、粗削りな岩盤とちいさな人影であった。


「……何者じゃ。儂は死んだはずだが」

「ああ、死んだとも。そして蘇った。それだけだ」


 そう短く切り捨てる小さな影が、ひたりひたりと歩み寄る。

 

 目の前まで迫ってきたところで、ルドルフはついにその姿を認めた。


 腰の丈まで伸びた漆黒の髪に、夜色のドレス。

 くすりと歪ませた瞳は血のように紅く、艶やかに浮かべる微笑みが無邪気な見た目に反して、妖しさと怪しさを掻き立てる。


 そこには、真っ黒な少女が立っていた。


「初めましてだな、戦狼ワーウルフの名を持つ者よ。余は魔王……いや、元魔王と名乗るべきか」

「元魔王、だと?」


 微笑を貼りつけたままの少女に、ルドルフは怪訝に眉を寄せる。


「ああ。レグルスの害獣のもとにいたとき少しは聞いたことがあるのではないか? 魔界には主に七つの大国があり、それぞれに魔王がいると」


 初耳、ではない。


 彼女の言う通り、魔王レグルスの番犬として潜伏していた際、魔界七国の話は耳にしていた。


「余もまたそのうちのひとつ、フォーマルハウトという国を統べていた」

「フォーマルハウト……確か、吸血鬼族を中心としたアンデッドの息づく地下帝国だったか?」


 「然り」と短く、少女は肯定する。


 夜魔帝国フォーマルハウト。

 魔界最古とするその国力は魔界随一であり、七国の中でも最高の権威を握っていたと聞く。


「だが、他の魔王たちと仲違いしてしまってな。四面楚歌の内輪揉めに遭い、泣く泣く亡命してきたわけだ」


 「可哀相であろう?」と言葉とは裏腹に。

 どこか愉しさを滲ませる口調で、元魔王は続ける。


「そこでだ。余はかつて戦狼ワーウルフと呼ばれた伝説の力を借りたいと思った」

「……ほう」


 一息の間に、ルドルフはひとまず、状況を呑み込む。


 実際にルドルフ・フォスターとしての意識を保ってここにいる以上、どういった形で蘇ったのか。それは然程、重要でない。


 問題は、その内容にある。


「して、いったい何をするつもりだ?」

「なに、事はシンプルだ。余とともに、余を迫害した者共を、魔族を一掃する手伝いをしてほしい」


 なんてことなく、あり得ない言葉を聞いて、ルドルフはぎょっとする。


「……にわかには信じられんな。そもそも儂ひとりでどうとなるものでもあるまい」

「だろうな。だが、信じてもらわねば困る。互いのためにもな」

「互いのため……?」


 ことさら重ねられた意味深な言葉に、ルドルフは繰り返す。


「そうだな。まずは状況を率直に伝えよう」

「状況? 貴様の経緯についてか?」

「副次的にその意味も含まれるが。正確にはこの世界──魔界と人界の状況についてだ」


 そう丁寧に前置くと、ラストは端的に続ける。


「いま魔界を代表する五国の魔王たちが、人界への侵略を企てている」

「なん、じゃと……⁉」


 ルドルフは愕然とする。

 生前、相対したレグルスの一国でさえ、王国は滅亡寸前だったのだ。


 それが魔界全体が一挙に攻めてくるとなると、結果は火を見るよりも明らかだ。


「おぬしら王国がレグルスを打倒してから四年。魔界と人界、それぞれの世界の均衡は崩れ始めた」

「四年……」


 何気なく明かされた年数に、ルドルフは自覚する。

 あの日から、四年の年月が経っているのか。


 そんなルドルフの感慨もよそに、黒い魔王は魔界の状況について説明を続ける。


「アレで魔界の三本指に入る武装国家だったからの。魔界では序列を争って小国や名も無き都市国家が小競り合いを始めた」

「内戦か」

「然り。そして人界では、レグルスを占拠した王国が生き残ったレグルスの民を奴隷魔族として運用し、領地を広げた。さらには拮抗が崩れることを嫌った人界のシリウス帝国とやらが奇妙な兵器を使って台頭してきよる始末だ」


 大国が滅びることでもたらされる、混乱と波乱。

 それは波紋となって、山を超え、海を越え、国を超えて。


 やがて、戦乱の世の到来を示す。


 人生のほとんどを戦いに身を投じてきたルドルフだからこそ、理解することができた。


「それら様々な要因から、魔界七国こちらとしては人界への脅威レベルを引き上げざるを得なくなった」

「……それだけか?」


 そんなわけがない、という確信のもと、ルドルフは追及した。


 もし、魔界の七国がそこまでの協力関係にあったならば、もっと早い段階で手を打っていたはずだ。


「無論、理由は他にもある。余が王の座を追い立てられたからだ」


 期待通りの答えと予想外の答えが、同時に返ってきた。


「そういえば、そんなことを言っていたのう。何があった?」

「簡単な話だ。この四年、それよりも遥か昔から。人界への侵攻を食い止めていたのは余である」

「食い止めていた、だと……?」


 にわかには信じ難い、と。

 反芻するルドルフは態度で示し、少女はうっすら笑む。


「何も不思議がることはない。余を含め、フォーマルハウトには多くの吸血鬼族ヴァンパイアが存在する。そして、吸血鬼の生存にはニンゲンが不可欠」 

「……なるほど、生血エサか」


 思い至ったルドルフの答えに「然り」と少女はさらに深く、口元を裂いた。


「弱肉強食とは言うが。弱者である獲物が滅びれば、強者もまた飢え死ぬ」


 「当然の摂理だ」と捕食者の位置にいる少女の皮を被ったバケモノは語る。


「だが、此度の火種もあって。とうとう我慢の限界を迎えた者共が謀反を起こし、余は呆気なく国から追い出されてしまったわけだ」

「それはまた随分と情けない話じゃな。国力と権力にあぐらを掻いた結果であろう。お山の大将気取りが無様だのう」

「身も蓋もないな。少なからず、人界のため尽力してきた陰の立役者だというのに」

「白々しい。レグルスが王国こちらを攻撃した時点で、貴様の言葉は何の価値も持たぬ戯言同然だ」

「そこを突かれると痛い。おぬしの言う通り、あの害獣の手綱を握りきれなかったことは、余の至らなさによるところだ」


 「ともあれ」と落ち度を認めた上で、彼女は平然と語る。


「吸血鬼族の中には満足に狩りができぬ下級の者や病持ちもいる。そのような同胞のことを思えば、ニンゲンとの争いは望まぬのが本音だ」

「それを信じろと?」

「すぐには難しいだろうな。だが、だからこそ。この場において余の真偽を紐解くのは賢明でないことくらいおぬしは理解しておるだろう」


 そう言われてしまえば、ルドルフはもう何も言えなかった。


 得られる情報が限られている現状、考えるべきは図れぬ彼女の真意ではない。


 彼女の話が、真実であったとする場合の仮定だ。

 もし、先ほどの話が本当ならば、彼女という歯止めを失った今、事態は一刻の猶予もない。


「……ひとつ、聞くべきことがある」

「なんだ? 他ならぬおぬしのためだ。どんな問いも許そう」


 不遜に答える元魔王に、ルドルフは殺意を忍ばせ、口にした。


「貴様に仇なした者共を片付けた後、貴様は何を望む?」

「愚問だな。余は魔王だ。魔界を支配し、泰平の世を築く。人界も含めてな」

「人界も含めて……?」


 眉をひそめるルドルフに、元魔王は間髪入れずにその展望を語る。


「余が魔界を支配した暁には、人族と和平を結ぶ」

「なっ……!?」


 ルドルフは仰天に、思わず声を漏らした。

 それは、この話の中で一番の驚きであっただろう。

 

「貴様、さっきはニンゲンはエサと……!」

「ああ。ニンゲンの生血いきちなくして余たち吸血鬼は生きられぬ。だからと言って、それは必ずしも争う理由にはならない」


 要領を得ない、と、ルドルフはなお眉間にしわを寄せる。


「要は血さえ貰えればよいのだ。であれば、例えばの話。献血として血液を譲渡する、又は保存するといった手段を用いれば、その問題自体は解決する」

「あっ……」


 盲点であった。


 弱肉強食というヒエラルキーの中、相互的に干渉せざるを得ないのであれば、いっそ共存共生の関係を築けばよいだけの話。


「だが、そうは言っても……」

「あぁ。単純ではあるが、簡単ではない。魔族も人族も、互いの歴史に刻んだ因縁は思いの外、根深い。いくら条約や制約で隔てたところで、そこからあぶれる者は必ず出てくるだろう」


 だが、と元魔王の少女は夢を謳い続ける。


「それでも、余はそれを実現することを約束しよう。それがたとえ如何に険しい茨の道であったとしても。余を信じる同族同胞のため、余に付き従う臣下のため……余とともに歩むことを決意してくれた者たちを、余は決して裏切らぬ」


 「それは、おぬしも同じだ」と。


 帝王らしく不遜に、魔族らしく邪悪に。

 そして、少女らしく真正直に──魔王は笑った。


 その微かな揺らぎもみせない赤い瞳に、ルドルフは一瞬ながら、目を奪われてしまった。


 そこで、答えは出ていた。


「生前の最期を魔王軍の部下として終えたかと思えば、今度は亡国の魔王に蘇らせられ、付き従うことになろうとは……まったく生き地獄の連鎖じゃ」

「そう邪険にするな。悪いようにはせん。余は、余の味方をする者の味方だ」

「なんじゃそれは、おぬしの美学か?」

「いや、魔界一の魔王となるには必須の資質だ」


 「なるほど」と、嘆息して。


 ルドルフはあぐらを掻いた姿勢から少しだけ背を丸め、後ろ組に手枷を嵌められた不自由な身体に力を込める。


 それだけで、ルドルフを縛り付けていた鎖は甲高い金属音を立てて、砕け散った。


「ひとまず、貴様の言葉を信じよう。だが、もし内容に虚偽があれば──」

「その場で煮るなり焼くなり、好きにするがよい。どちらにせよ、余はおぬしがいなければ無力なのだからな」


 そう難なく交わした少女は、立ち上がったルドルフにちいさな手を差し伸べる。


「改めて、余は元魔王──ラスト・フォーマルハウト。敬意と信頼を表して『ラスト』と呼ぶことを許そう。我が英雄」

「儂の名はルドルフ・フォスター。貴様に英雄と呼ばれるのはイヤミが過ぎるが。まぁ好きに呼べ」


 こうして伝説の老兵と亡国の魔王は、互いに手を結んだのであった。

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