第4話 師匠の実力

 金猪子〈ボアウルム〉。

 イノシシのような風貌に、黄金の鬣を生やした大型魔獣。


 見上げるほどの巨躯と輝く鬣に反し、その生態は極めて臆病で注意深く、故に目撃情報の少ない魔物である。


 だが、ひとたび遭遇してしまえば、気性は一変。超攻撃的なまでの破壊行動に出る。


 その場合に引き起こされる事態は、天災に匹敵するとされる、危険度SS級の特級魔獣である。


「よりにもよって、そんなヤツに遭遇するとはのう!」


 額に脂汗を浮かべながら、ルドルフは森の中を駆ける。

 まさか、こんなところに伝説級の魔獣が棲みついていたとは!


「おい、こら! なにを逃げておる!」


 ジタバタ、と。

 ルドルフの脇に抱えられた黒ドレスが吠える。


「あんな豚から尻尾を巻いて逃げるとは、魔王の配下として情けないぞ!」

「やかましいわっ! そもそも誰のせいでこんなことになってると──⁉」


 咄嗟。

 背後から急速に迫る圧力を察知したルドルフは、横に跳ぶ。


 その直後、バチンッと。

 高圧力の突風が吹き抜けるとともに、掠めた肩口から全身に渡って、激しい電撃痛が体中を巡った。


「ぬぅ……ッッ‼」


 衝撃は流し、なんとか着地はした。

 にも拘らず、この全身を駆け巡る麻痺痛。


「帯電した体毛か……厄介だのう」


 憎々しく呟きながら、ルドルフは木陰から突風の正体を睨みつける。


 逆立たせた金色のたてがみ。そこからは、バチバチと音を立てる紫電が迸っている。


 おそらく体内の魔力を電気エネルギーに変換して、体毛から伝導しているのだろう。


 致命傷にはならない。

 しかし一瞬だが、身体の自由を奪われる。


 跳んだ場所が死角となる木陰でなければ、こちらの身動きがとれないことを悟られていたことだろう。


 場所とタイミングによっては、それが命取りになる。


「逃げようにも脚力の差は歴然。戦おうにもあの電撃に触れれば、今度はこちらがやられかねない……」


 せめて武器さえあれば、と、ルドルフは歯噛みする。


「いい加減にせよ、戦狼」


 そんな思索に暮れるルドルフの小脇から、鋭い𠮟責の声が飛ぶ。


「いつまで呆けておるのだ。あのような家畜もどき、即刻に駆除してもらわねば困る」

「勝手なことばかり言いおって……。そう言うなら、貴様がやれ」

「無理だな。いまの余はほんの少し魔力と知識に富んだニンゲンの子どもと大差ない。手も足も出ずに一撃であの世行きだ」


 「だが」と、自信満々に白状した元魔王が、ルドルフを見詰める。


「おぬしは違うだろう。その身は、神の肉体と魔王の力で形作られた器。そこにおぬしの戦闘技術を組み合わせれば、そんじょそこらの野良に後れをとるわけがない。いや、あってはならぬのだ。そんなことは」


 断言した言葉には、脅迫めいた強制力があって。

 どうにも過大な期待を寄せられているよう気がして、ルドルフは渋い顔を浮かべる。


「……簡単に言うがの。アレは野良などと揶揄するほど雑な存在じゃないぞ。アレは魔物の王だ」

「だからどうした。余たちがこの先、相対するのは魔界を治める五つの国とその王だ」

「あの電撃に触れるのはまずい。身動きが取れなくなる」

「では。こちらが動けなくなる前に、あの豚の意識を断てばよい」


 さっきから無茶苦茶である。まともな問答になっていない。


「どうやら本当に気付いておらんようだな。ならば、一度でよい。余の言う通りにしてみよ」

「言う通り?」


 反芻することで、ルドルフは答えを促した。


「あの豚のドタマに向かって、全力のゲンコツをお見舞いしてやれ」

「……はぁ?」


 何を言っているのだ、と、ルドルフは猜疑的な表情で訴えかける。


「騙されたと思ってやってみよ。それで余の真意と、おぬしの真価が明らかとなる」

「何を言って……ちっ、見つかったか」


 声か物音か。

 隠れているこちらの気配を察した金猪子の殺意によって、その問答は唐突に終わりを迎える。


「余がいると全力を出せぬというなら、ここで捨ておけ。弱体化したとはいえ、おぬしに介護されねばならぬほどではない」

「そうかい。それは無用の荷物がなくなって助かるわい」


 言われた通り、ルドルフは脇に抱えていたラストを降ろす。


 木の根が剝き出しとなった地に足を着けると、ラストはとたとたとすぐさまその場から距離を取って。


「ではな。あまり余を失望させるなよ、英雄」


 そう言って、小走りにその場を離れていった。

 不用意に思えたが、幸か不幸か。

 あの金猪子はどうやら完全にルドルフへ狙いを定めているらしい。


「出会った矢先から、勝手なことばかりぬかしおる……」


 安全域まで避難する小さな背中を見送って、ルドルフは悪態をつく。


 ここまででハッキリした。

 あの魔王は厄災だ。暴君だ。問題児だ。


 絶対的な支配者としての振る舞いしか知らぬ、エゴイズムの権化。

 

 今後もおそらく、このようにしてトラブルの種を撒き散らしていくのだろう。


「まったく。昔から仕える相手に恵まれぬなぁ、儂は」


 溜息ひとつ吐いて。

 ルドルフは猛り狂う魔獣の前に、姿を現す。


 相対する黄金の獣は、まさしく怒髪天を衝くといった様相で、バチバチと帯電した鬣を逆立たせ、排除すべき外敵を睨めつける。


 凄まじい存在感と威圧感である。


 野獣というには神々しく、神獣と呼ぶには荒々しすぎる。

 怒りも尊大さも、すべてを体現する、森の主がそこにいた。


「おぬしも、しつこいヤツだのう。出来れば、見逃してほしいが。そうもいかんのだろう?」

『ブルルルッ……』


 荒く吐いた息を、ルドルフは肯定とみなした。

 仕方がない。逃げることも、隠れることもかなわんのだ。

 

 であれば、残された道は、ひとつだけ。


「一か八かじゃ。お互い、魔王の戯言に付き合ってやろうではない……のう、森の主よ?」

『ブオォォォンッ!』



 挑戦的な敵意を感じ取った金猪子が、荒々しく哮り立つ。

 

 大気が震え、木々が揺れる。

 まるで森そのものが怒っているような、そんな気さえしてくる圧力を伴って、森の主は突進した。


 走行上にある木々などお構いなしに、その巨躯を以って局所的な地震を引き起こしながら、電撃と突風を纏った魔獣の王が迫る。


 まさしく、疾走する災害である。


「真正面から来てくれるとは、好都合だ」


 それに対し、ある程度の距離まで呼び込んだところで、ルドルフはあらかじめ目を付けていた大木の裏へ身を隠す。


 だが、そんなルドルフの浅知恵を嘲笑うように。

 金色の暴風は難なくと大木を突き破り、薙ぎ倒す。


 ──そこに、ルドルフの姿はないとも知れずに。


「隙ありだ」


 金猪子の頭上。

 大木に隠れて、高々と跳び上がったルドルフに、千載一遇のチャンスが訪れる。


 完璧な死角。意識の外側。

 叩くなら、ここしかない。


「一度きりだ。試してやるよ、魔王様」


 やけくそに右腕を振りかぶって、拳を固める。


 ルドルフは、魔法を使えない。

 魔法を扱うセンスも、使うだけの魔力量も、持ち合わせていなかったからだ。


 だから、限界まで肉体を鍛え、剣技を磨き。

 限りある魔力を搔き集めることで、持たざる者は到達した。


 体内の流れを感じ取る。

 空気の流れ、血液の流れ……そして、魔力の流れ。


 その流れを掌握する。

 全身に行き渡る



「──<闘気とうききょく>ッ!」


 めいっぱい振り上げた拳を、金猪子の脳天めがけて、振り下ろした。


 全力全霊。

 ありったけの魔力を打撃の瞬間に、右拳へ乗せて放つ。


 すると──……ドッゴォォォオオオンッ!

 落雷がごとき凄まじい打撃音と破壊音を伴って、


 雑草に覆われた地面は蜘蛛の巣上にひび割れ、地肌を晒して派手に沈降。

 生い茂っていた木々は衝撃波によってへし折れ、震源地に近いものほど根元からすっ飛ぶ。


 想像を遥かに超える、人智を超えた力。


 さしもの森の主も短い悲鳴のあと、ずどぉんと重たい音を響かせて、その巨躯を横たわせた。


「なっ、なんだこれは……」

「だから言ったではないか。そのような家畜もどき、相手にもならんと」


 自身が生み出した小規模のクレーターの中、呆然とするルドルフに上機嫌な魔王がけらけらと歌った。


「さっきは全盛期の身体と言ったがな。それは肉体としての話だ。魔王である余の魔力のほとんどを受け取ったおぬしの魔力総量は生前の比ではない」


 そうか。

 ルドルフは元々、魔力や魔法といった系統にはめっきり恵まれていなかった。


 故に、この<闘気>という魔力コントロールの極致を究めたわけだが。

 その総量が上がれば、その破壊力も比例して必然的に上昇する。


「いやしかし、想像以上だなコレは。あと少しで余も木々に紛れて揉みくちゃにされていたところだ。さすがは余が選んだ、英雄だ」

「……それはどうも」


 くくっ、とご満悦なご様子のラストを尻目に、ルドルフは横たわる金猪子の様子を伺う。


「気絶しておるだけか。さすがにタフだのう」

「その豚はどうする。せっかくだ、家畜らしく調理してやるのもよいのではないか?」

「いや、まぁ確かに。魔物は魔素により突然変異した動物ゆえ、食べられはするだろうが」


 だからって普通、食べることが念頭にくるか? と、ルドルフは喜々として提案してきたラストへ冷ややかな視線を送る。


 すると、足元にとすん、っと。

 弱々しく、柔らかな感触が伝わってきた。


 その感触から、ルドルフは視線を落とす。


『ぷひー! ぷひ、ぷひー!』

「な、なんだこやつ……黒い、ウリンコ……?」


 真っ黒な毛色をしたウリンコらしき丸い物体が、ルドルフの足元へ体当たりを繰り返していた。


 弱々しい鳴き声と衝撃からは、しかし確かな敵意と強い意志が感じられて。自ずと、その答えが弾き出される。


「まさか……子ども、なのか?」


 ただでさえ珍しい金猪子に、まさかの幼体まで。

 もしもこれを、魔物専門の生態調査チームへ報告すれば、歴史的なスクープとなることだろう。


 そのウリンコの背中を、近くまで寄ってきたラストが摘まみ上げると。


「ほう。恐怖に震えながらも、親の怨敵に立ち向かうとは……。その意気や良し。せめてもの情けとして、おぬしは見逃してやろう。ほれ、大人しく去ね」

『ぷひー! ぷひぷひ、ぷひぃー!』

「わっ、こら。暴れるでない! んぎゃっ!」


 ぷらぷらと、いい気にマウントをとっていたところで。

 まだ柔らかいだろう小さな蹄が、ラストの憎たらしいニヤケ顔を蹴り飛ばす。ナイスキック。


「むぅ、家畜もどきが。ちょおっと愛らしい見た目をしおってからに油断したところを! もうよい。そんなに食べられたいなら、親もろともおぬしも──!」

「食べぬわ、阿呆が。離してやれ」

「なっ、食べぬのか? これほどの珍味なかなか巡り合えんぞ⁉」

「謎の食い意地をみせてくるな」


 喧しく嘆く魔王の手から黒いウリンコを奪うと、身を屈ませながら、気絶した親の元へ下ろしてやる。


「すまんの、おぬしの大事な親を傷つけた。儂らはこれで去るから、どうか許してくれ」

『……ぷひ、ぷひぷひっ』


 『仕方ない、許してやる』

 そんな風に言ってくれた気がして、ルドルフは「ありがとうな」とつい口にする。


「ではラスト、先を行くぞ」

「うぅぅ、余の珍味がぁ~……」

「まだ言うとるか、しつこいヤツだな」


 そんなことを言いながら、ルドルフはその場を後にする。


 親を心配するウリンコの姿が、生前最期に見た愛弟子の涙と重なって見えて。


 それがどうも後ろめたく思えたのは、ルドルフの中だけの秘密だ。

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