#3-3

 オペラが店に入っていったのを物陰から見ていたノワールは、はああと深い息を吐いた。「なにやっているんだろうなあ、シャノワール=シュヴァルツともあろうものが……」という空しいひとり言が、ますますノワールの気持ちを落ち込ませる。

「なんだよ、コパンのやつ。形勢逆転のつもりか」とノワールは独り言ちてから、「いや、なにが形勢逆転なんだ」と頭を抱える。そんなノワールの様子を、あろうことかコパンが店内からこっそり見ていた。「なにをやっているんだ?」とコパンが呟いたことには、勿論ノワールは気が付いていない。

 幸か不幸か、オペラからはきちんとノワールは隠れきれているため、オペラ自身はノワールが自分を見ていることを知らない。だからこそ、コパンも「なぜか天敵が自分を見ている」ことしか分からず、小首を傾げていた。コパンは彼なりに考えた末、「もしかして」と目を輝かせる。「シアメーセか!?」と突如、大声を発したコパンに、オペラは当たり前に驚いて顔を上げた。「えっ、なに!?」

「シアメーセがくるのかな、そういうことだよね、あそこであいつが待っているんだから!」

 捲し立てるように言いながら、挙動不審に店内をうろつきだしたコパンに、「えっ、何の話をしているの、コパンさん」とオペラは戸惑っている。そんなコパンの様子を外から見ているノワールも、「なんだ? 突然訳が分からない動きをしだしたぞ」と目を皿のようにして見ているありさまだ。

 ――と、コパンが突然店外に出てきたと思えば、つかつかと迷いなくノワールのもとに歩いてきて、ノワールの腕をがっと強く握りしめた。あまりの急展開に、驚いたノワールが咄嗟の声も出せずにいたが、突然コパンが店の外に出て物陰に歩いて行ったと思えば、そこからノワールが出てきたのを見てしまったオペラも訳が分からずにいる。

「えっ、ノワール?」とオペラが困惑しながら店から出てきたのを後目に、ノワールがオペラに弁明するよりはやく、なにかを勘違いしたコパンがノワールに強い口調で言った――「シアメーセと食事か、ノワール! 良いか、俺の店はうまいが、お前だけは絶対に入れないと何度言えばわかるんだ!」

「……へ? シアメーセさんと、ノワールが食事?」「は? 俺とシアメーセがなんだって?」とオペラとノワールが同時に混乱する。

 肩を怒らせたコパンの様子を眺めながら、まずノワールがコパンの勘違いに気が付き、目を据わらせ、「……ああ」

「あのね、コパン。俺はシアメーセと食事なんて、絶対にしない。お前の店で、っていうのも、あり得るわけがない!」

「はあ? じゃあなんで、こんなところで、誰と待ち合わせを――」

「あのね、話がややこしくなるから、ちょっと黙っていて」と頭に手をやるノワールを見ながら、オペラが首を傾げる。「ノワール、お店に入りたいのかしら。ごめんなさいね、いまお店は貸し切りで」

「貸し切り? 貸し切りの店に、なんでお嬢さんがこいつとふたりでいるのさ」

 むっと眉を顰めたノワールが腰に手を置いたのを見て、今度はコパンのほうがノワールがなにをしにきたのかわかって噴き出す。「いい気味だなあ、ノワール。俺とシアメーセの仲を邪魔するから、自分のときにしっぺ返しを食らうんだ」

「何の話なの、コパンさんとシアメーセさんの仲って? ノワールがしっぺ返しをされたって、一体どういう」

 困惑するオペラと、ますます彼女が混乱するだろうことをべらべらと話すコパンに、ノワールははああと深いため息を吐いた。「……説明するよ、お嬢さん」

 ノワールはそういって、コパンから離れるようにさりげなくオペラの背中に手を回した。「あ、こら、ノワール――」とコパンが大きな声で自分を呼び止めようとしているのも、ノワールは無視する。

「なにはともあれ」とノワールは胸を撫でおろした。オペラがそのノワールの表情を見て、「安心したみたいな顔」と呟く。それをききつけたノワールは、ちょっと図星をつかれたように目を丸くして、それから柔らかく笑った。「まあね」

「さて」と言って、静かな公園にオペラを連れていくことに成功したノワールは、ベンチにふたり並んで座って、オペラにコパンと自分の関係について説明した。

 コパンはノワールのことを目の敵にしていて、その理由が「シアメーセがノワールを好きだから」であるのだった。シアメーセのことが好きだと公言して憚らないコパンにしてみれば、同じようにノワールが好きだと言うシアメーセを見ていれば、コパンが嫉妬してノワールを嫌うのも道理にかなった話である。

 コパンはノワールに対して、「だから、お前はレストランに絶対入れない。出禁だ、出禁」と言って、何度も店から締め出しているのだ。

 だからこそノワールもコパンのことをあまり好きになれず、それどころか苦手な部類の相手だった。そういうことを全部オペラに説明すると、オペラは彼女なりに、ここ最近のノワールの態度に対して、答えを見つけたようだった。「自分の苦手な相手だから、あまり関わらないでほしかったのね」

「子どもみたい」とノワールを揶揄して笑う彼女に、ノワールは首を傾げる。「子どもだって、どうして」

「だって、自分の友達が、苦手な子と仲良くなるのが嫌って、子どもみたいよ、ノワール」

 本気でそう言って、くすくすと微笑ましいと笑うオペラに、ノワールは呆気に取られる。それから彼の胸の内に湧いてきたのは、なぜか怒りに似た感情だった。「……あのさ、お嬢さん」

「俺はお嬢さんのこと、友達だとは――」、ノワールが言いかけたとき、時計塔の鐘が鳴り響く。「あら」とオペラは公園の真ん中に設置された時計塔のほうを見上げて、「もう帰らないと、ノワール。兄さんが心配するわ」

 立ち上がったオペラの腕を強く引いて、バランスを崩したオペラが胸に飛び込むように入ってきたのを、ノワールは簡単に受け止める。「逃げないで、オペラ」

 瞬間、ぐっと、オペラは彼女らしくなく体を強張らせた。それがノワールには伝わってきて、ノワールは「いましかない」と彼女の耳元に唇を寄せる。そっと囁いた。「俺は、君のこと、恋人だと思っているんだけど」

 びく、とオペラが肩に力を入れる。彼女の顔を確かめようと、ノワールがオペラの顔を覗き込んだ瞬間、オペラの片手がべちんとノワールの顔全体を勢いよく覆った。「ぶっ」と情けない潰れた声を出したノワールに、オペラは彼から顔をそらしたまま、その腕から逃げ出す。走り去ろうとした瞬間、彼女は一瞬ノワールのほうをちらりと見て、すばやく逃げるように駆けて行った。

 呆気にとられたノワールは、ずるずるとベンチの背もたれに背中と腰を滑らせる。はああ、と体中の空気を抜くような息を吐いたあと、「ああもう、お嬢さん……」とぐったり身を投げ出した。

「空振り」と呟いて、今度はノワール自身の手で顔を覆う。顔も、耳も、首も熱くて、「まるで十代だ!」と彼は心の中で叫んだ。

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