(49)打ち込まれた楔

 その後、霧峯と二人で昼食を取った後に、山ノ井たちと合流を果たした。向こうでも今日は戦闘になったようであるが、円柱技令を技令界の暴力で上手く封じ込めた二人は、結果として逃げられたものの難なく対処することができたという。

「ええ、博貴を襲ったのですから、地の果てまで追っても良かったのですが、これ以上修学旅行の時間を割かれるのも癪ですからね」

 水無香の一言に四人の意志が凝集されていたのであるが、その後、三時過ぎに山ノ井に導かれるままに訪ねた先で私は思わず声を上げてしまった。

「すごい、活気のある市場だ」

 四条烏丸から向かった錦小路は両脇に商店が連なる道幅の狭いアーケードになっており、その威勢の良さは私を童心に返した。魚屋も総菜の店も今すぐに使うという訳ではないのだが、どうしても心の中で沸き立つものがあるのを感じる。千枚漬けの試食も普段であれば恥ずかしくてできないことであるが、お店の方の好意を私は素直に受け取ってしまった。

「気に入っていただけたようですね」

「ああ、行ってみたいとは思ってたんだが、流石に言い出せなくてな。だって、市場なんてそれこそ子供が行く場所じゃないだろ」

「ええ、そうだと思います。ですが、ご覧になって下さい」

 山ノ井に促されるままに視線を向けると、そこには同じく興味津々で売り物を眺める水無香と、お菓子を買い求めては頬張る少女の姿。

「二条里君、あまり我慢なさらなくてもいいと思いますよ。時に、二条里君は自分の感情を押し殺し過ぎるきらいがあります」

 飛び交う言葉に山ノ井の一言も溶け込んでいく。しかし、確かにそこに在った言葉は私の胸の中に落ち着き、心の中で渦を巻く。それはまるで昨日の延長線のようであり、だからこそ私は珍しく返した。

「それは、山ノ井もそうだな」

 追いかけてきた霧峯によって打ち切られた会話は小路の奥へと消え、後に山ノ井の穏やかな頷きがただ続くだけであった。


 他の生徒と同じように時間までに戻った私達は、今日は皆と同じような班分けでお風呂の時間を得ることができた。ただ、一班めの入浴の前に私は渡会に呼ばれ、館外で落ち合っていた。

「なあ、渡会、何かあったのか」

「ああ、今から入浴時間だろ。今日こそはやるぜ」

 言うや、渡会は壁に手をかけ、そのまま上へと上っていく。

「おい、まさか」

「大丈夫だ。今日は俺だけで行く。ただ、もし何かあったらそこから教えてくれ」

 そう言って、壁にある微小な凹凸を利用して上っていく。まるで蜥蜴か蜘蛛だなとうち笑っていると、僅かに、鋭い技令の気配がこちらに向けられているのに気付いた。夜の帳に覆われつつある街並みで、私は慎重かつ大胆に歩を進めながら辺りを伺う。やがて、御池大橋の下に強い敵意の籠った技令を確認すると、私はそこで逡巡した。

 多くの車の音に流されながらも、これだけの気配に誰も動いていないことが気にかかる。ならば、それは私に向かって指向的に技令が向けられたということになるが、そのようなことがあり得るのか。そして、果たしてそのような芸当のできる相手とまともに戦えるのか。不安が少し頭をもたげ、しかし、意を決すべきという思いが背中を押す。

 意を決して河川敷へと降りた私は、そこに佇む山ノ井の姿を認めた。

「なんだ、山ノ井ももう来てたのか。なら」

 そこまで口にして気付く。そこに在る気配は私を除けば山ノ井のものしかない。人がいないのではなく、純粋に登り立つ技力が一つしかないのである。

「やはり、この時間でしたら二条里君だけが来ましたね」

「やはり、ということは意図的におびき出した、ということだな」

 傀儡技令の気配もなければ何か気を違えた雰囲気もない。ただ、そこに在る山ノ井はいつものようでありながら、明らかに私とのみ戦う意志を見せる一介の技令士となっていた。クラクションが高らかになる。河川敷に人の姿が見えないのは、山ノ井の結界の所為なのだろう。

「ええ、僕は君を越えなければなりませんから」

 山ノ井の周囲に技力が凝集していく。既に実体化した杖を見れば、冗談で済むものではないと察せられる。司書の剣を握りながら、しかし、疑問の残る頭を必死で切り替えようとする。

「しかし、山ノ井。私を越える必要なんてないだろうし、越えるような価値のある人間でもないぞ」

「単純に力量の面で考えれば、確かにそうなのかもしれません。ただ」

 薄暮の街に、静かな詠唱が広がる。

「我が手には、古からの技令がある。自然の法則に反し、我が希望を手にする。今、再びその力を手に、新たな世界を創造する。我はこの世界の創造主なり、我が下に新たな精霊よ、新たな御霊よ、新たな人々よ集い給え。無属性技令界」

 私と山ノ井が世界から隔絶される。否、正しくは私達が世界を隔絶する。山ノ井の意志が成した空間に、私はただ呆然としながらも応えようとする。

「僕ももう感情を押し殺すのに限界が来ていましたから」

「感情……」

「そう、僕の中に在る、内田さんを愛する気持ちです」

 一つ高鳴った心音は、果たしてどちらのものであったのか。背丈ほどある杖を片手にした山ノ井は悠然と私の前に立つ。

「驚いた、という顔をされていますね」

「ああ。昨日の今日でそんな話を聞かされたからな。私には、俄かには信じられない」

 隔絶された闇の中で、鴨川のせせらぎだけは変わらずに耳へ届き、それが私を現実に繋ぎとめる。

 足元が酷く柔らかく感じられる。相対しながら向こうで何かが崩れるような音がするが、それはきっと幻聴なのだろう。山ノ井の表情は厳しい。明らかに難敵と対峙するときの顔だ。それを向けられたのは私であり、常であればそれを躱そうとするだろう。しかし、それができないということは渡会との試合で心得ており、とはいえ、今のこの対峙が試合という生半可なものでないというのは眼前の少年の気合から容易に察することができた。

 それでも、頭は理解が追い付かぬと叫ぶ。その悲鳴を、一先ずは山ノ井にぶつけなければならない。司書の剣を展開できぬまま、私は左腕を右腕で握り、真直ぐに山ノ井を見据えた。

「それでも、私には関係がない。山ノ井が水無香を好きなら、その気持ちをぶつければいいだけだ」

「ええ、本来であればそれで全てが片付きます。それでも、二条里君が内田さんにとって特別な存在、それこそ愛する存在である以上、僕は君を倒さなければなりません」

「いや、それこそ分からない。水無香が私を好きだなんて、そんな」

「僕が前に話した内容を覚えていますか。内田さんは今年に入ってから僕への口数は増えたのですが、その多くは君の話なんです。君の言動に呆れた話や世話が焼けるという話、そうした話を僕は散々に聞かされてきました」

「いや、話の内容からすると、別に私のことは」

「好きの反対は無関心です。そうした話をしながら、彼女の見せる笑顔というのは何とも穏やかなものでした。口を開けば二条里君の話ばかりをする彼女を、僕も見守ろうと思いました。彼女の境遇は知っていますから、内田さんが幸せなら、それでいいとも思いました。僕は彼女への思いを抱きながら、その笑顔さえ見られればいいと。それでも、彼女と話をする度に、君が輝く度に、僕が陰る度に、僕の胸はどうしても痛くなってしまうんです。彼女のことを考える度、僕の頭はどうにかなってしまいそうになるんです。そして、僕は君の代わりにはなれないと、いつも思ってしまうんです。そして、君の視線は内田さんに定まってはいないんです。それが、僕には分かってしまいました。だから、僕は君を促すようにしながら、自分の首を縄で締めるような苦しみを味わっていたんです」

 否定の言葉が続かない。思えば、全てのピースは山ノ井の熱い想いを、水無香の淡い想いを明示していた。それからある意味では無意識に、ある瞬間からは意図的に視線を逸らしていたのは、紛れもない自分自身であった。司書の剣を具象化できない。あまりにも山ノ井の姿が大きく見えてしまう。

「今から、僕は二条里君と戦います。初めて、僕の意志で、僕のためだけに。子供染みた感情だと分かってはいますが、僕はまだ、子供ですから」

 山ノ井の周囲で技令が練られる。八つの気が周囲に漂い、それだけで何が成されるかは明白だ。それでも、司書の剣を具象化できずにいる。それでも、現実を受け止めきれずにいる。それでも、何とか戦いを避けようとする自分がいる。

「身構えないというのは、余裕の表れですか。それとも、僕への哀れみですか」

「いや、そうじゃ……」

「甘く、見ないでください」

 山ノ井の冷たい一言に、司書の剣が具象化する。山ノ井は明確に私を倒すと言った。そうである以上、生半可な守りではどうしようもない。戸惑いだけが頭を支配する。それでも、気迫で負けぬようにする。

 始まれば、何かが終わる。それだけは確固として私の中に確信があった。

「やっと、覚悟を決めていただけましたか」

 山ノ井の言葉に無言で頷く。強いられた覚悟程弱いものはない。それでも、覚悟を決めなければその先にあるものは一つしかない。それだけは避けるべく剣を取る。

「我らに降り注ぐ災厄を掃え。清らかなる力を以って邪を流せ。聖域の護り」

 一音、共に強襲。四元素が一束となったその輝きは、司書の剣で切りはらおうとも、私を襲う。微弱な守りを嘲笑うかのような猛攻を耐えながら、同時に技力が僅かずつでも失われていくのを感じる。

「流石二条里君ですね。この環境下でも、四音一読を受けて無事というのは、それだけで恐ろしいものです」

 無事なものか、と心の中で愚痴を吐く。前の模擬戦が無ければ、この一撃だけで沈んでいたに違いない。同時に放たれた複数の属性の技令を司書の剣だけで全て打ち払うのは難しい。より強い司書であれば可能であるのかもしれないが、今の私にそのような芸当は不可能だ。そうである以上、最低限の技令を斬り捨てて後は受けるより他にない。渡会が全てを相殺できなかった以上、できることは一つしかない。

 とはいえ、水の力を受けた左腕は酷く痺れている。属性を絞ったのは、各属性の威力を高める意図があったのだろう。

「でも、二条里君はまだ本気ではありません。ない以上、内田さんのことで譲るわけにはいきません」

「本気でない、か」

 山ノ井言葉を反芻する。

 目の前に揃った想いの欠片は、一つの結晶となって私の胸に突き刺さっている。ただ、それを返すには今の私には決定的に足りないものがあった。山ノ井の指摘の通り、私は様々な意味で本気ではないのだろう。

 剣先の震えが止まらない。訳の分からない恐怖が私の両手を支配している。腹の据わった山ノ井に比べ、私のなんと情けない事か。技令界の中でも二月の寒さというのは私を切り裂く。ただ、それだけが私の思考を明瞭にしてくれる。

 単純に考えるのであれば、程よく消耗して負けてしまえばいいのかもしれない。私が水無香に対する気持ちを整理できぬ以上、そこから降りれば最も手早く、最も安易に決着することだろう。

 しかし、それを心の奥で否定する自分が在る。ここで折れてはいけないと、仁王立ちになる想いがある。では、水無香が好きなのかという問いに対しては、何も答えずにいながら。

 もっと突き詰めていけば、少女の横顔が浮かんでくる。私の想いはそちらに向けられているのか。ただ、その思いを捕まえようにも、少女の影は私の手を空舞う羽のように躱してしまう。

 深く息を吸う。山ノ井の周囲に漂う八つの気は先ほどよりもさらに強いものと成っている。前の一撃は各属性の威力を高めるためかと思っていたが、どうやら違うらしい。本気でない、と私を窘めておきながら彼もまた力を抑えている。なぜ、という無言の問いかけは山ノ井の真直ぐな眼差しによって答えを得た。

「本気になれ、か」

 私の言葉に、山ノ井が僅かに頷く。私の戸惑いを、どうやら手を抜いていると思われたらしい。ただ、その想いはどのようであれ、彼が求めているものは超えるに値する本気の私である。それが、酷く目を細めた彼の正直な想いであろう。

 だが、請われただけで本気になることができれば、戸惑いを掃うことができれば苦労はしない。再び放たれた四音一読を往なしつつ受け、さらに傷を深める。嬲るような攻撃をいつかは受けられなくなることだろう。

 もう一度、山ノ井に剣を向ける。その切っ先は絶え間なく震えていた。

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