(48)自由の交叉

 夕食後、懲りない渡会の枕投げに巻き込まれた後、一〇時過ぎに消灯となった。しかし、このような夜はなかなか眠れぬというのが道理であり、既に寝息を立てている土の柄を除けばどこか浮ついた空気が漂っている。手元の灯りをつけるという選択肢もないことはなかったのであるが、暗闇の中で会話の口火を切ったのは、珍しくも山ノ井であった。

「皆さん、なかなか寝付けないようですね」

「おう。委員長から切り出してくるなんて珍しいな」

「僕も人の子ですから」

「皆で寝泊まりするなんてなかなかねぇからな。その夜があっという間に終わっちまったらもったいねえだろう、な」

 渡会と山ノ井の笑い声が交わされ、それを土柄の寝息が追いかける。五人の部屋の中に灯った会話の火が次第に広がっていく。初めのうちは今日の戦闘に関するやり取りであり、渡会の方でも妙な技令士を追いかけて撒かれるという一幕があったらしい。山ノ井と水無香が戦ったリトアスは黒死弾こくしだんという闇技令を駆使する難敵だったようで、やはり松原橋でやり過ごしたあの気配の持ち主であった。その一方で、今日の私といえば円柱技令に巻き込まれて戦線離脱し、そのリトアスとの戦闘も回避せざるを得なかったお荷物のような在り方となってしまった。

「ま、そんな日もあるさ、な。いつも二条里ばかりが前線で戦ってたんだからたまにはいいだろ」

 渡会のこの一言で多少は救われたのであるが、確りと回復しておかなければという思いを新たにするには、充分であった。

「で、こういったときの話題なんだけどよ、やっぱりどんな奴が好みかって話になるんだが、この面子じゃなあ。俺は稲瀬がいるからもう決まってるし、水上もあのこうとかいう中国の女が好きなんだろ」

「いや、わたかず、俺は――」

「じゃなかったら、個人戦でこいつと霧峯のペアに肉薄できてねぇだろ。大体、おめぇが勝ちにこだわるなんざ、それ以外に心境の変化を説明できねえんだよ。な、かわいい顔立ちしてるし、スタイルもそれなりによくて趣味も合う。とっととこくっちまえばいいだろ」

「い、いや、そんなこと言われても」

 声だけで水上の赤面が分かるほどには動揺している。相槌あいづちを打つような山ノ井の微かに見える笑みが、この件に対する彼の見方を表している。

「でもよ、図書館とかでデートしてんだろ」

「で、デートなんかじゃなくて、一緒に本読んでから飯食いに行くぐらいだって」

「十分じゃねぇか。修学旅行のお土産でも持って行ってくりゃいい」

「失敗したら」

「自分が恥ずかしいだけだろ。全部が上手くいくか失敗するか最初から分かるなんて本の中だけさ。こんな死が隣で寝てるような生活送ってんだ。失敗を恐れるよか、自分の気持ちを裏切る方を恐れろよ」

 珍しく渡会の言葉が胸に重く圧し掛かる。水上も同じであったのか、何かを口にするではなかったが、布団による衣擦れの音でそれに納得したと窺い知れる。

「さて、水上の方はけりが付いたとして、山ノ井はどうなんだよ。風呂場じゃ優等生の発言してたけどよ、好きな奴の一人や二人、いるんだろ、な」

 渡会の思わぬ切込みに、私も息を呑んでしまう。

 確かに、山ノ井も同級生である以上、異性に興味を持ったとしても不思議ではない。ただ、山ノ井の普段の姿からそうした質問をすることはどこか禁忌に触れるような気がして差し控えられるところがあった。

「ええ、いますよ」

「お、どいつだ」

「渡会君です」

 げという声が部屋を包み、その後を山ノ井の笑いが追う。

「冗談ですよ。僕は男色趣味ではないと思います。ただ、僕には分かりかねる部分があるんです。そうした愛情としての好きという想いと、皆さんを大切にして一緒にひと時を楽しみたいという好きの感情がどのように異なるのか。明確な差異があればいいのですが、今の僕の中ではまだそこが曖昧模糊あいまいもことしているようにしか思えません。逆に、渡会君が稲瀬さんに抱く思いというのはどのように違うのですか」

 山ノ井からの逆落としに、流石の渡会も言葉を失う。明確な答えを返せない相手には強い渡会も、理詰めでやられると対しようがないのはいつものことなのだが、ここまで綺麗にやり込められるのは珍しい。

「委員長、俺もよく分からんけど、一緒にいたいっていう思う気持ちば抑えられんようになるとが、違いじゃなかかな」

 それを真正面から受け止めたのは、以外にも水上であった。

「一緒にいたい、ということでしたら友人とも一緒にいたいと思うのが普通ではありませんか」

「いや、その気持ちが大きくて、もっと長く一緒にいたかなぁ、もっとよう知りたかなぁと思うことやと思う。俺も委員長とかとはまた明日会えればよかけど、どうしようもなかくらいに会いたいって思うことのあるけん、多分、そいやと思う」

「それが孔のことなんだろ」

 何とか勢いを取り戻した渡会が水上の言葉に被せる。やはりこうした時に三つ巴の様相を呈するのがこの三人の面白い所なのかもしれない。

「成程、自分の欲望を制御できるかどうかという観点ですね。そういうことでしたら、僕にはまだそれ程のお相手はいないように思います」

「へぇ。図書部の内田や霧峯とかどうなんだよ」

「一緒にいて心地の良い方々だとは思いますが、離れたくないという欲望に呑まれるほどではありません」

「じゃあ、雨澄とかどうなんだよ」

「接点もあまりありませんので、特に何かを感じるということもありません」

 次々と挙げられる名前に、山ノ井は丁寧に答えていく。先生の名前や芸能人の名前まで飛び出したのであるが、それを全てあしらった山ノ井は最後に微笑みながら告げた。

「それほどまでに激しい感情を、僕は未だ知らないのかもしれませんね」

 これには白旗を上げた渡会は、いよいよ来たとばかりにその口先を私に向けるまでそう間はなかった。

「まあ、山ノ井はまだという結論が出たところで、問題は二条里なんだよな。こいつの場合、候補が三人いて絞れねぇ」

「三人って、どういうことだよ」

「内田に霧峯はいいとして、おめぇの場合は雨澄も十分にあるからなぁ。いや、正しくはお前をそういう対象として見ていそうな奴なんだが」

 これまでと異なる物言いに、息を呑む。逆を向いた矢印が一斉に私を貫こうとするかのような感覚が、背筋を僅かに震わせる。

「お前、まさか気付いてないってことはないだろうけどよぉ、この三人のお前への視線は普通の友達のそれじゃないぜ。正直、このうちのだれがお前に告白しても俺は驚かねぇ、なあ」

「いやいや、霧峯と水無香は百歩譲って分かったとしても、雨澄はおかしい。二度も襲われたんだ。憎しみこそあれ、好かれるいわれなんてないぞ」

「さっき水上が言っただろ、自分じゃ押さえられねぇ気持ちがそれだ、って。雨澄の場合、その気持ちが整理できなくて敵視と勘違いしてんだろ。本当に興味がなけりゃ、関わらねぇよ」

 こういう時の渡会の切り口の鋭さは見事なものであるが、今日ほどそれを痛感させられたことはない。

「まあ、雨澄はおめえの眼中にねえだろうから一旦置いておくとして、あの幼児体型と内田のどっちが好きなんだよ」

 入浴後にその件で右フックを喰らいながらも繰り返される放言に苦笑する。

「私も山ノ井と同じだ。そんなに激しい感情を持ったことはない」

「嘘つけ。山ノ井の場合はまだその言い訳が通用するけどよ、おめえの場合は内田も霧峯も命懸けで助けようとしたんだぜ。強い気持ちがないなんて言わせるかよ」

 渡会の一言に、山ノ井と水上の耳目も集まるのを感じる。普段、こうした話をしないため、図書部の面々はあまり興味がないのかと思っていたが、それは私の幻覚だったようだ。

「いや、そうじゃない。そうすると、二人ともに強い感情を持っていることになってしまう。私の場合、誰か一人に強い気持ちを抱いたことがない、というのが正しい」

「二人とも付き合ってしまえばいいじゃねえか」

「いや、そういう訳にもいかないだろ、社会通念上」

「難しいことはよく分かんねえけど、両方とも好きならそれでいいじゃねえか。三人がよけりゃハーレムじゃねぇか。夢のような世界だぜ」

 渡会の言葉に溜息を吐く。こいつには常識も何も通用しないらしい。

「確かに、人の恋路は舗装されたようなものではないのかもしれません。二条里君でしたら、あるいは」

 渡会の一言に山ノ井も見事に乗っかる。非常識が哲学性によって裏打ちされてしまうとこうまで凶暴なものかと思い知らされる。

「いや、だからそれはない。それに、私は二人を同時に愛するなんて器用さを持ち合わせていないし、それはあまりにも二人に失礼だ。本当にどちらかを好きだという気持ちがあるなら、きちんと、伝える」

「選ぶ余裕がある奴は言うことが違うねぇ。ま、手遅れにならないうちに決めるんだな。もう、気付かねえだけで決まってるのかもしれねぇけどよ」

 他愛もない話をさらに重ねながら、京の夜は更けていく。その微睡まどろみの先に、再び赤い英雄の夢を見た。


 翌朝、皆と同じ時間に朝食をいただいてから、九時には宿を発ち、三条京阪さんじょうけいはん前よりバスに乗って太秦うずまさへと向かう。昨日の今日ではあったが、校長先生からの技石が補充されたことで中で何かがあっても周りを巻き添えにせずに済むという確信が得られたからであった。それに、昨夜の夕食から明らかに水無香が映画村へ行くのを楽しみにしており、その予定を遂行するにはバスなどでの移動が必須であった。まあ、昨日の渡会のように私的な欲求のために能力を用いればできないこともないのだが。

 着いてからすぐに私達は予約をしていた通りに、着物に着替えることとなった。これについては山ノ井の発案なのであるが、興味津々で食いついた霧峯以上に水無香が目を輝かせたのを今でもよく覚えている。

「それにしても、内田さんは時代劇がお好きなんですね」

「ああ、家でもよく見てるよ。老人趣味かと思ったら、どうにも殺陣たてが気に入っているらしい。実際の戦闘とは違うから、その差を楽しんでるみたいだ」

「そうだったんですね。ですが、それだけではないのではありませんか」

「ああ。今と違う街並みも気に入っているらしい」

 手伝ってもらいながら、何とか慣れぬ着物を着込んでいく。足元をスニーカーのままにしてあるのは玉に瑕であるが、こればかりは致し方ない。やがていつもと違う格好に震えながら外へ出ると、丁度、霧峯と水無香が姿を現した。

 群青ぐんじょうと真紅の装いは、褐色の制服とは異なる雰囲気を与える。馬子にも衣装ということわざを知ってはいたものの、それで頭を殴りつけられるような感じを覚える。静かに佇む水無香の姿は冬日に浮かび、真紅の振袖で舞う少女の姿は私から言葉を失わせる。

「お二人とも、よくお似合いですよ」

 何とも体のよい言葉を、山ノ井のように吐くことができないでいる。昨日の夜の会話ではないが、こうして対してみると確かに、どうしようもないほどの強い感情が際限もなく湧いてくるような気がしてくる。

「ねぇ、似合う?」

「まあ、悪くはないんじゃないか」

 直視できずに、心にもない言葉を紡ぐ。ただ、デジカメを向けて少女の姿を収めることだけは欠かさなかった。

 それから園内を山ノ井の解説と共に回ったのであるが、その話題の的確さは見事なもので、江戸文化と時代劇の背景とを共に学べるお得なものであった。しきりに頷く水無香の姿が印象的であったのだが、霧峯もまた楽しそうに聞いている。その姿を見て、昨夜の湯上りを思い出したのであるが、首を振ってそれを頭から振るい落とした。


 昼前になって太秦を後にした私達は、しかしその前で予想だにしなかった姿を目にする。

「あれは、昨日の」

 門のところに四人して身を隠し、息を潜める。

「あの女性は間違いなくは昨日の技令士ですね。そして、向かいで話をしている相手もそれなりの技令士のようです」

「ああ。僅かにだが殺した技令の気配がする。日本人ではなさそうだが、何者なんだ」

「それが分かれば苦労はしないのですが」

 そうこうするうちに二手へ分かれた男女は、私達に気付かなかったのかそれぞれにゆっくりとその場を離れる。そこで、私達は言葉を交わすことなく二手に分かれ、私と霧峯は男の方を追うこととなった。高架を潜ってから左手の道に入ったのであるが、身を隠す場所があまりないため細い技令の気配を頼りに、十分な距離を取ってさり気なくつけるより他にない。

「ねぇ、こっちの方で本当に合ってるの?」

「分かんないけど、道があるから大丈夫だろ」

 などというやり取りで道に迷った修学旅行生を演じる。生活道路を進む以上、違和感がないようにしなければならない。線路を越えるとさらに道が細くなるように感じられ、

「ねぇ、やっぱり迷ったんじゃないの」

「いや、多分、こっちの方が近いはずだから」

演技かどうかの境目が曖昧になっていく。やがて一度は広い道に出たものの、さらに細い道を抜けていくこととなる。もう二十分ほどは過ぎたかと思う頃に、私は霧峯に告げた。

「人気の少ない林がある。仕掛けよう」

 点灯した霧峯が、その全力を以って駆け抜け、男の前に立ち塞がる。これで何もなければ単なるカツアゲの現場にしかならなくなるが、幸いなことに身構えた金髪の男はそれとともに技令の気を練り始めた。

「成程、君達がデイシーの言っていた子供たちか。まあ、落ち着き給え。我々は君達を救いに来たんだ」

「突然、円柱技令を仕掛けてきた相手を信じろ、とはあまりにも都合の良すぎる話ですね」

 私の指摘に、やれやれという表情をした男性は技令で剣を具現化する。磨き抜かれたその輝きは野太い両刃の剣であり、名刀かどうかはさておき西洋の栄華を象徴するようなものであった。

「私はヨーロッパ自由平和連合、第一種戦闘員カンベンである。皇帝辻杜により束縛された子供たちよ、もう恐れる必要はない。勇者ジュリアヌス・ブラットンの導きにより、間もなく君たちは解放される」

 意味不明な言葉の羅列に、思わず霧峯と見つめ合ってしまう。しかし、この男の真剣な眼差しは、明らかに偽りのないものである。

「あの、おっしゃる意味が分からないんですけど」

「安心したまえ。仮令たとえ、皇帝と呼ばれるほどの体則師が相手でも、勇者ジュリアヌス様は君達を見捨てはしない。君達の戦士としての隷属は必ずや失われることだろう」

 会話が成立していない。流石のおかしさに霧峯も困惑の色を隠すことができない。

「さあ、昨日の非礼は詫びよう。ただ、悪いようにはしない。かの残虐な男の許を離れ、ジュリアヌス様に忠誠を誓い、神の導きに従うのであれば紛うことなき幸せな人生を送ることができるだろう」

「断れば」

「命を奪いはしない。ただ、天誅を下し、教育しなければなるまい」

 余裕の表れか、その顔から笑みが絶えることはない。ただ、実力としては拮抗に近く、そのような余裕はないはずなのであるが。

 向こうで対する霧峯に視線を送る。少女は認めるや否やただ無言で頷いた。

「何だか分からないが、断る。少なくとも、私も霧峯も戦う理由があって戦っている以上、他人にとやかく言われる筋合いはない」

 私の返答に溜息を一つ吐いたカンベンはその技力を解放させた。

「そうか、それなら仕方がない。君達には痛い目に遭ってもらうことにしよう」

 おもむろかたわらのやぶへ入ったカンベンを追うと、しかし、すぐさま反転されて一撃を司書の剣で受ける。受けた剣の重みに少し引き下がるが、それを強引に押し返す。引いたカンベンは、すかさず練った技力を発動する。

「焼けつく陽光よ正義の名の元に仇敵を焦がせ。サンバーン」

「我らを囲い、仇敵の炎より護れ。円陣」

 かりそめの太陽の熱を、光陣を以って防ぐ。この程度の技力であれば多少の無理は効くが、まだ様子を伺う。ただ、私の次の手よりも先に、霧峯が高く跳躍していた。

「ヒット・アタック」

 霧峯の投擲に合わせて、私も抜刀してカンベンに迫る。これを太刀を構えて迎えようとした男は、しかし、右肩に刺さったナイフに苦悶する。

「鳳凰剣」

 ただ、それでも攻撃の手を緩めず、カンベンの左脇腹を斬り上げる。ただ、あくまでも司書の剣に込める力を調整し、単に鈍器として用いただけであったが。

「くそ、子供風情が生意気な。正義の陽光よ、地上をくまなく照らし、その輝きを示せ。黄日光」

「タイム・スピアー」

 大きく引いたカンベンの技令に合わせ、私は光陣の中へ退き、少女がひと振りのナイフを放つ。それは地上に齎された偽りの太陽を貫き、カンベンの放った技令は瞬く間に収束した。

「なんということだ。それぞれの能力に大きな差はないが、二人掛かりとなると手が全く出せん」

 そう言うや、カンベンは技令による煙幕を焚き、その場から姿を眩ませる。にわかに起こった戦いは、しかし、何をもたらすことも何を失うこともなく終わりを告げた。

 ただ、新たな敵の出現という事実を残して。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る