(50)心の抜刀

 濃密な技令によって支配された空間は、時に息苦しさを感じさせつつ私の力を奪っていく。その中で技令を往なすというのは至難の業。それを成さねば身の安全が図れず、それを成しても消耗は防ぎえず。進退窮まるというのは、こうした状況を言うのかもしれない。

 それでも、対する山ノ井は淡々と激情の籠る技令を放つ。そのいずれもが重く、そのいずれもが想い。

 負ければ気を失うぐらいで許してくれるだろうか、という思考が過る。躱した炎技令の先にあるのが敗北だけであればそれも策なのかもしれない。ただ、

「二条里君はまだ本気ではありません」

この一言が山ノ井の口から出た以上、どのようなことになるか読めないでいる自分がいる。風の刃を受け、水の進撃を抑える。

 それに、わざと負けてしまえばとても山ノ井との友情を保つことは叶わないだろう。気付かれぬようにいくら努力したところで、山ノ井はそのような稚気に塗れた行いなど喝破してしまう。後に残るは侮蔑の眼差しか、それとも、絶望の眼差しか。

 とはいえ、本気を出さざるを得ない状況であると分かっていながら、どこかで踏ん切りのつかない自分がいる。それは、彼の求める戦いが、いや、彼が戦いを求めた理由がそうさせる。いや、それも違う。それを聞いてなお残る、私の悩みがそうさせる。

「鳳凰剣」

 素早い斬り込みも、気が入らなければ無様を晒すだけである。悠々と身を翻した山ノ井に躱され、技令の追撃を受ける。見せかけの攻撃など、土の嘲笑の前に

打ち砕かれる。

「やはり、二条里君らしくありませんね」

 剣を杖に立ち上がる。悠然と構えた山ノ井との対比が我ながら痛々しい。

「僕は、二条里君と戦いたかったのですが、仕方がありません」

 返す言葉がない。言葉で返しても偽りしかない。漂う技力が凝縮していく。山ノ井の気が濃くなっていく。

「無為に長引かせるわけにもいきませんから」

 剣を構える。漂う技令の数を考えれば導かれる答えは一つしかない。四つの力でも受けきれぬ中で、果たしてそれを切り抜けられるのか。

「君が決断をしないことが、最も多くの人に傷を与える」

 今更ながら、オピリスの言葉が反芻される。とはいえ、材料がないものをどう決断すればよいものか。目の前の差し迫る脅威を前に、混乱する脳は過去を掘り起こし、現実から目を背けさせようとする。

 一音。共に轟音。

 放たれた八つの技令を往なし、躱し、斬り捨て、それでも浴びる。灼熱と眼前を暗くする闇とが私を覆い、風の太刀が私の左足を薙ぐ。

 崩れた身体が漆黒に沈む。再び剣を杖にするも、足に入る力が弱い。跪くような私に、山ノ井の冷ややかな視線が下りる。

 再び山ノ井の周囲に技力が終結する。先程よりも濃く、先程よりも厚く。容赦はしないという意思表示なのか。それとも、見下した相手への鉄槌なのだろうか。いずれにせよ、次撃をまともに受ければ後はない。それはそれで致し方ない。


「あんた、覚えとかんねよ」

 ふと、脳裏を母さんの言葉が過る。

「水無香ちゃんば泣かしたら承知せんけんね」

 ああ、と一つだけ声を上げる。その乾いた声が黒一色の空間に吸い込まれ、木霊も反芻も許さず消える。

「最初は何も感じませんでしたが、やはり、一人は寂しいものです」

 闇に彼女の声が浮かぶ。それは酷く寂しく、酷く儚いものであった。

「はい。お母さん、博貴」

 彼女の驚くような笑顔が浮かぶ。食膳で半身となった秋刀魚の顔がどこか面白く、どこか笑えずにいた。

 思えばこの半年、私は彼女の姿を追いかけ続け、時に追い越しながら時に遠いものと感じていた。

「確かに、博貴は話をしてしまいたくなる雰囲気を出されていますからね。私もそのうち、相談させていただくかもしれません」

「内田が恋愛相談か。天と地が引っくり返るような出来事だな」

 他愛もない会話が胸に刺さる。しかし、この時には水無香との関係は出来上がっていたのではないか。いや、正しくは出来上がっていると思いたがっていたのではないか。

 親身になるというのは都合のよい言葉である。自分と相手との間に壁を作り、それ以上の自らの詮索を妨げる。だからこそ、掘り下げ、掘り進み、彼女との間にあるものを掘り当てなければならない。

「貴方と、一緒にいたい」

 逆に、彼女の視線は逸れることも無かったのだろう。それをわざと無視し続けたのは他でもない私だ。彼女との関係を、周りとの関係を壊すのが怖くて逃げ続けてきた私だ。

 それは彼女が既に私の日常の一部になっていることの証で、共に食卓に就き、溜息の一つでも吐きながら共に家路に就くことは日記に書くことでもなくなった。

「一つ屋根ん下に住んどっておかしかたい。下ん名前で呼んじゃらんね」

 母さんの一言を受け入れた時、私はもう水無香との関係にけりをつけ始めていたのかもしれない。だとすれば、私がここで山ノ井に負けてもいいのだろうか。

「本当の親のもうおらんとやけん、うちで守ってやらんと、ね」

 それが引き金であったかのように、足に力が入る。腕に力が篭る。


「いや、仕方なくなんかない。仕方なくなんか、ないんだ」

 山ノ井に正眼で対す。左足の痛みが私を奮い立たせる。立ち上がった私に、山ノ井が杖を向ける。

「目つきが、変わりましたね」

 山ノ井が試すように私を見据える。私もまた負けじと山ノ井を見詰める。

「成程、意を決された、ということですね」

 思い返してみれば、私の結論は既に出ていたのかもしれない。ただ、雑然とした思いの片付けに、母さんの言葉は引き金となった。

「やはり、二条里君にとって、内田さんは」

「その答え合わせは、この戦いが終わってからにしよう。ただ、水無香のことが本当に好きだったら、山ノ井は彼女を護れなければならない」

 両腕に力を籠める。司書の剣に陣形技令が伝う。自分のため、山ノ井のため、そして、彼女のため、

「私は全力で戦う」

 一音、共に轟音。

 先に私を苦しめた八つの力は、しかし、多少強くなったところで敵わぬものではない。傷つくのを恐れず、渦の中に飛び込む。陣形の力を以って幾つかを切り伏せ、幾つかを受けつつ往なす。中心の山ノ井は私の一振りを杖で受け、無理矢理に押し返す。

「鳳凰剣」

 その僅かな合間に左腕を斬りつけ着地する。一度は届かなかった刃が、今度は山ノ井に創傷を残す。

「流石ですね、二条里君」

「流石も何も、山ノ井がまだ力を加減しているからだろ。さっきまでの私ならまだしも、今の私を相手にするならそれじゃ足りないさ」

「そうですね。僕としたことが見くびってしまっていたようです」

 山ノ井の集中に合わせて、私も光陣を敷く。技令界に奪われていく技力もある中でも、万全でなければ八音を迎えることはできない。陰陽の調和を成し、足下に布陣する。技力こそ引き抜かれ続けているが、残っていれば問題はない。多少の負傷を押せば押し返すことも十分に可能だ。

 司書の剣を下段に構える。何のことはない。誰も傷つかずに終わる結末を夢想した、私が邪魔なだけだったのだ。

 山ノ井の放った一音が周囲の音を奪う。発動させた陰陽の技令が迎える。濃密な技令のぶつかり合いの先陣に立ち、輝く剣でそれを薙ぐ。肉薄を厭わぬ吶喊の先に、求めるべきものがある。

 山ノ井と視線を交わす。思えば、意図して彼の視線を躱していた。あくまでも観察に留められた意気込みなど、本気の相手に通用しない。山ノ井の目を見据え、その真ん中を捉え、貫き返す。その意地が彼の技令を跳ね返す。彼の意志を跳ね返す。

 山ノ井が跳躍し、太刀を躱す。

「流石二条里君ですね。この状況下でさらに踏み込んでこられるなんて」

「それはお互い様だ。逆に踏み込まなかったら、私が負けてしまう。八音は守りに徹するなら一つ一つにそれ以上の力が必要だからな」

 距離を取って晴眼で対する。あまりに開けば山ノ井に届かず、あまりに近ければ技令の渦に引き摺り込まれる。それを念頭に、攻防一対の意志を示し、山ノ井を睨む。

「なるほど、その目でどのような強敵とも渡り合ってこられたのですね」

 山ノ井が大いに息を吐く。僅かに切なく、刹那に険しく。再び切り替わった眼差しに、私も再び息を呑む。

「それでも、その強敵が相手でも、僕は彼女への思いで負けるわけにはいきません」

「そうだろう、な。だからこそ、私もそれに対さなければならない。負けるわけにもいかない。易々とおれるわけにはいかない」

「でしたら、僕は」

 山ノ井の周囲に再び複数の気が凝集する。

「その先に、踏み出すしかありません」

 一つ、二つと増える気配は、陰陽も四元素も、五行をさえも超えていく。

「二条里君が陰陽の調和で対するのなら、分厚い光の陣で対するのなら、僕は」

 八つの力のその先へ。

「九音一読、ということか」

 一つ増えた氷の気配が、調和を崩さずそこに在る。半月前の苦悩の陰はそこに微塵も姿なく、堂々とその輪を広げる。

「ええ、その先へ僕は進みます」

 山ノ井の杖が、私の方に向けられる。

 一音、ともに奔流。

 私はその中へと身を投じた。

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