(41)死の葛藤

 開戦の号令は渡会の鋭い突きであった。

「ふん、この程度の体則で我が防壁を敗れると思うてか」

「ちっ、結界技令か」

 間合いを取る渡会に、切りかかる水無香。それをデルミッションは一歩も動くことなく受け止める。

「彼女を、解放しなさい」

「ほう、活きのよい生娘だな。生贄には相応しい穢れを知らぬ者がさらに三人もいるというのは何とも嬉しいことだ。これだけの生き血があれば、この星を全て祭壇の力で覆うことも叶う」

 振るわれる右腕からの圧のせいか、水無香が飛ばされる。片膝を立てて着地しながらも、デルミッションを睨む。

「そもそも、勘違いしているのかもしれんが、この小娘が今、贄となっているのは本人の意思でしかない。数日前であったか、戦いに敗れた小娘に回復を施し、その望みを聞いた。すると、どう答えたと思う。あの憎たらしい奴らに仕返しをしたい、ということだ。だから、私はあくまでもその願いの一端を叶えてやったに過ぎない。祭壇の贄となれば大祭壇の威力は飛躍的に高まり、貴様らを破ることも容易になるからな」

 雨澄の方に視線を遣る。気を失っているのか、瞼が開くことはないがその表情には憤怒とも苦悶とも捉えられるものが浮かぶ。水平に伸びた両腕のうち、右手首から一筋の血が流れ続けている。中空に至るとそれは紫煙となって広がり、やがて強大な技力となって渦巻く。

「小娘も幸せであろう、その眼前で己が憎き敵が等しく虐げられ、贄となる様を見られるのであるからな。なに、上手くゆけばこの星で得られた技力を分け与え、魔王として君臨させ永遠にも等しい生と快楽とを享受させても良いのだ」

 木霊するデルミッションの高笑い。それは、闇に覆われようとするこの空間には似つかわしく、世界に平和を求めるこの空間には不釣り合いなものである。剣を構え、真直ぐ見据える。手足の震えが止まない。

「ふむ、無駄な足掻きと知りながら抵抗を試みるか。まあよい、弟を弑殺した貴様らが湯に喘ぐ魚のように足掻くのであれば、その様を見るのもまた、一興。しかし」

 デルミッションが指を鳴らすとともに、そのローブを投げ捨て見る見るうちに肉体を巨大化させていく。前に伸びた顔は醜悪に歪み、肉体は鱗に覆われ、隆々たる筋が彫刻のように野太く掘り込まれる。翼こそ持たぬものの、平和祈念像に比肩する姿はそれだけで私達に無言の圧を齎した。

「ほう、これほどに技力を受けると、血肉の塊もまた巨大なものに変じるというということか。まあよい。ただ、この戦力差で戦うのであれば、死の覚悟を以ってすることだな。我が弟と同じように」

 身震いが始まる。それ自体は既に慣れたものでしかない。しかし、手足の震えはそれを超える。剣先が定まらず、それでも、そのいずれにもデルミッションの肉体がある。

「へっ、結界に覆われてぬくぬくしてる奴のセリフじゃねぇな」

「小僧、その軽口がいつまで持つか」

 振り下ろされた右腕を、渡会は両の掌で受け止める。その足下で罅の入った石畳が威力を物語り、それでも口元に笑みを浮かべる渡会が余裕を見せる。

「我が戦友に無謬の盾を、外界と隔てる重厚な殻を。亀甲」

「風影斬」

「レイニン・アタック」

 畳みかけられる攻撃は、しかし、デルミッションに至らず、その眼光は渡会に向けられたま。綻びも緩みもない結界は、それだけで強固な城壁を成す。

「戦場を駆けよ、一塵の光。活魚陣」

 渾身の思いで放った光の筋は、デルミッションの結界に触れると無残に霧散し、その姿を消す。単純な陰陽の性質だけでは崩れぬ要塞が、その真の姿を見せる。

 鈍い頭痛がする。

「ほう、この空間で技令を放つもいいが、あまり過ぎると命を落とすぞ。技力を失った者は、魂を吸いつくすより他にないからな。貴様には、最後まで滅びの苦しみを味わってもらわねばならぬ」

 デルミッションが笑う。地が鳴動するかのような笑い。憎悪の限りの笑い。

「博貴、こうなった以上、剣を利用して消費する技力を抑えるしかありません。幸い、司書の剣もコロンの剣も技力を凝集することができます」

「ほう、それは愉しみなことだ。しかし、貴様はその震える腕で剣を揮えるものかな」

 嘲笑が、真直ぐに私の心を貫く。

「ふん、恐怖か。その程度の小僧が我が弟を手に掛けたというのか」

 違う。

「ならば、予定を変更するとするか」

 跳躍、そして衝撃。

 デルミッションの両の拳を剣で受ける。両足を広げながら受けたその威力に、臓腑を突き上げられる思いがする。これを涼しい顔で受けた渡会の強さが測り知れる。

「どうした、そのままむざむざ死ぬつもりか」

 嗤うデルミッションと、その奥で跳躍する三人の姿。押しつぶされそうになる圧を、何とか気力で受け止める。その状態を知るが故に放たれる攻撃を、敵は放した片腕で払いのける。

 分かってはいる。このままであればどのようなことになるのかも、あられもない姿で吊るされた雨澄の運命も、私の拉げた身体も。

 しかし、この剣を振るった結果が司書の塔のハバリートに重なる。恐らく、デルミッションは止まらない。止まらなければ、その終焉は一つしかない。この腕に残る生々しい肉の感触と、その奥で途切れた鼓動の力強さが私を縛る。

「我が一族は、堂々たる凱旋を待ちわびていたのだ」

 デルミッションの言葉が私を縛る。私にとっては敵であっても、敵にとっては仲間である。その裏には生活があり、日常があり、それを私が絶った。

 それが何より恐ろしい。

 竦んだ足は踏ん張るものの、後退を余儀なくされる。震える腕の受けられる力も小さいもので、全力を向けたしても次第に押されていく。

 その時、一筋のナイフが頬を掠めた。

「バカ!」

 伝う血と共に、少女の怒声が抉る。

「きりみ、ね……」

「なに悩んでるの! このままだと、みんなやられちゃうんだよ。私だって、水無香ちゃんだって、渡会君だって、若菜ちゃんだって。博貴だけじゃないんだよ。戦わなくちゃ、みんな死んじゃうんだよ」

 霧峯の叫びが次々に刺さる。その一つ一つが心の奥にあるものを抉りだし、私を責め立てる。

 そう、それは知恵の塔で力に呑まれかけた私を制した陰のように。

 そう、目的はあくまでも、日常を守るため、自分の身は自分で守るため、大切なものを守るため。そのために、私は決意したのだ。

「戦うんだ、と」

 剣に陣形技令の力を籠める。恐れるべきはいのちを奪うことだが、それ以上に恐れるべきことがある。憎しみの果てに裸体を晒す少女を、私に託して戦いに挑んだ友を、共に戦う友を、そして、この地に住む全ての人を。

「守るために、戦うんだ、と」

 輝きを得た剣に、飛び退くデルミッション。あの夜を思い出す輝きは、それだけでは不十分である。かの結界を破るにはより強い魂を込める必要がある。

「全く、叱咤のためとはいえ、瑞希も危ない方法を取られますね」

「だって、あれくらいしないと、ダメそうだったんだもん」

「ああ。確かに、横っ面を引っ叩かれるぐらいには効いたな」

 解き放たれた剣を右下段に構える。私の覚悟へ応じるように、皆がそれぞれに身構える。

「ふん、面白い。貴様らの攻撃でいかほどに我が肉体へ肉薄できるか、この大祭壇に立ち向かえるか、見せてみるがいい」

「その余裕、いつまでもつか見てやるぜ」

 吐き捨てた渡会の跳躍に合わせ、デルミッションの腕が舞う。それに応じ、

「閃光剣」

「風影斬」

「タイム・スピアー」

私達も一斉に斬り込んだ。

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